第29話 もう一度、俺と友達になってくれ

 中華街の外まで出た俺たちは、そのまま海沿いの臨海公園方面まで走りに走って、気付けば大さん橋の近くまでたどり着いていた。


「ぜぇ、はぁ……こ、ここまで来れば、もう大丈夫だろ」


 さすがに息も体力も限界だ。俺は両ひざに手をついて荒い呼吸を整える。

 隣では天音も同じような格好だったが、こっちは喋るのもしんどいのか無言で頷くだけだった。

 そりゃそうだ。すでに満身創痍だった状態で、中華街からここまで走ってきたもんな。

 俺は肩で息をする天音の背中をさすってやる。


「天音、大丈夫か?」


「……はぁ……はぁ」


「ちょっと休憩しよう。ほら、肩貸してやるから、もう少しだけ頑張れ」


 いつまでも往来で立ち止まっている訳にもいかないので、俺は天音を支えながら大さん橋の屋上庭園の方へ歩を進める。

 たしか、一休みできそうなベンチがあったはずだ。

 スマホの時計を見ると、そろそろ午後三時。

 降り注ぐ太陽の光が、眼下に見える海面に反射してキラキラと光っている。


「よっこいせ。ふぅ、やっぱり上まで登ると風が通って気持ちいいな」


 緩やかな斜面のウッドデッキを登りきり、俺たちは屋上庭園の中央広場までやってきた。

 平日の昼下がりということもあってか、中央広場には俺たち以外にはほとんど人影はない。

 海沿いに面した場所にあるベンチに天音を座らせ、俺は額の汗を拭った。


「はぁ、ふぅ……あ、ありがとう、碧人くん。だいぶ、落ち着いたよ」


「そりゃ良かった。ちょっと待ってろ、今そこの自販機で飲み物でも買ってくる」


 ベンチ近くにあった自販機で二人分のお茶を買ってきて、片方を天音に手渡す。


「ほいよ」


「あ、うん……あ、ありがとう」


 受け取ったペットボトルの蓋を開けて口を付け、天音はコクコクと喉を鳴らす。

 俺も天音の隣に座って、ペットボトルの中身を一息にあおった。


「……本当に、ありがとう。僕のこと、助けに来てくれて」


 そうして二人して乾いた喉を潤し、屋上庭園を吹き抜ける穏やかな海風でしばし火照った体を冷ましていると、天音がポツリと呟いた。


「でも……そのせいで、キミには悪いことをしちゃったよね。ごめん、碧人くん」


「お前が謝ることなんてないだろ。あの場に乗り込んだ時点で、ケガの一つや二つは覚悟してたからな。むしろ、こんな軽傷でお前を連れ出せてラッキーだったくらいだよ」


 俺がそう言って笑いかけると、けれど天音はフルフルと首を左右に振った。


「ううん。もちろん、ケガさせちゃったこともそうだけど、さ。……今日も、せっかくの大瑠璃さんとの放課後デートだったのに、それを邪魔するような形になっちゃって」


「え?」


 どうしてその事を知ってるんだ? 

 不意打ちの一言に、俺は動揺して隣を見る。

 天音は薄く笑みを浮かべて言った。


「はは、そりゃわかるよ。この数日、二人で一緒に帰ってるところ、見てたから」


「……そうか」


 夕暮れ時の教室の隅で、一人ぼっちで座っていたこいつの姿を思い出す。

 友達だと思っていた奴に一方的に縁を切られて、話しかけても無視されて。

 それでもめげずに声を掛けてくれるのを待っていた。

 けど、その友達だと思っていた奴は声を掛けてくるどころか、自分のことなんか綺麗さっぱり忘れましたとばかりに、ヘラヘラ笑いながら女の子なんかはべらせて帰ってしまう。

 自分はただ、それを誰もいない教室の窓から見下ろすことしかできない。

 考えてみれば、こんな薄情で自分勝手な話もないだろう。

 俺は一体、こいつにどれほど惨めで辛くて寂しい思いをさせてしまったんだろうか? 

 それを考えるだけでもう、俺はいままで誤魔化してきた罪悪感の波に押しつぶされそうで仕方なかった。

 でも……。


(だからこそ俺は、ここで全てを打ち明けなきゃいけない。打ち明けて、その上でこいつが出したを受け止めなきゃいけない)


 それがたとえ、どんな答えであったとしても。


「デート、か……まぁその予定だったけどさ。今日はドタキャンされちまったんだ」


 僅かに目を見開いた天音が、それでも平静を装って肩を竦めてみせる。


「あらら、それはまたどうして? 何か大瑠璃さんを怒らせるようなことでもしちゃったの? 待ち合わせに一時間以上も遅刻した、とか、服を褒めるのを忘れた、とか」


「ああ怒られたさ。そりゃもうこっぴどくな。でも怒られたのはデートについてのことじゃない。天音、お前とのことについてだ」


 俺はベンチから腰を上げて天音の真正面に立ち、次には深々と頭を下げた。


「──本当に、すまなかった!」


「え? え? ち、ちょっと、碧人くん?」


「謝って許してもらえる問題じゃないのはわかってる。今更謝ったところで、もう取り返しがつかないことがあるのもよくわかってる。だけどこれだけは言わせてくれ。天音、本当に悪かった。ごめん!」


 精一杯の謝罪の言葉を告げる。


「今までずっと黙ってたけど、俺……俺のせいで、お前が……」


 深々と頭を下げたまま、次にはそう絞り出すように真実を告げようとして。


、だったんでしょ?」


「……え?」


 天音の言葉に、俺は弾かれたように顔を挙げる。


「もしかして……それも、知ってたのか?」


「ううん、僕は何も知らない。でも見てればわかるよ。だってこの二週間、碧人くんすごく辛そうだった。授業中もお昼休みも、イジめられてる僕から背を向けた時だって。そりゃ、いきなり絶交するって言われて、僕だってとても辛かったし悲しかったけど、さ。それでも碧人くんの方が、僕なんかよりもよっぽど辛そうだった」


「天音……」


「何か、あったんだよね? あの不良グループの人たちと」


「…………ああ」


 今度こそ、俺は天音にこれまでの事を包み隠さず打ち明けた。

 俺たちの「なりきりデート」の現場が浅間たちに目撃されてしまったこと。

 その秘密の暴露を盾に、連中に天音と絶縁するよう脅されていたこと。

 二週間前のあの日。俺が何もかもを終わらせようとした、その理由の全てを。


「……うん。そっか」


 俺が洗いざらい語り終えるのを待って、天音がゆっくりと頷く。


「やっぱりね。そんなことじゃないかなとは、うん、思ってたよ」


「天音、俺は……俺はお前を浅間たちに売ったも同然なんだ。いくら秘密を守るためとはいえ、お前があいつらにどんなひどい目にあわされるか知った上で、あいつらの出した条件を呑んだんだ。本当、最低だよな。友達失格だって、そう言われても仕方ないって思う」


「いいんだよ碧人くん。それに、キミが僕を嫌いになったわけじゃないってわかっただけで……僕はそれだけでもう、十分だから」


「いや、全然十分なんかじゃない。だって、これまでのことだけじゃないんだ。俺が勝手やったせいで、もう今頃は浅間が俺たちの秘密を晒しちまってるかも知れない。これまでだけじゃなく、俺はこれからもお前を辛い目にあわせるような道を選んだんだ」


だから、と俺は言葉を続けた。



「どんなことだってする。せめてもの償いに、俺に今回のことの落とし前をつけさせてくれ。なんならこの場で俺を殴り倒して、そこの手すりから横浜港の海に放り投げてくれたって構わない」


「えぇ!? そ、そんなことしないよ!」


 天音はそう言ってくれたが、俺はいたって本気だった。

 俺にそれくらいのことをする権利が、こいつにはあるんだ。


「お前の言うことを何でも聞く。お前の気の済むまで、俺は何だってする」


「そんな、僕はべつに……」


「だからその代わり」


 慌てる天音を制して、俺は再び頭を下げて嘆願した。


「全ての償いが済んだそのあとでいい。俺に、もう一度をくれないか?」


「チャンス……?」


「ああ」


 俺たちはこれから、きっとたくさん辛い目にあうと思う。

 たくさん理不尽な目にもあうと思う。

 イタくてキツくておかしい奴らだって、そんなレッテルを貼られて生きていかなきゃならないんだろう。

 それはもう取り返しがつかない現実だ。

 だけど──。


「誰からのどんな理不尽な言葉や仕打ちも、俺がお前の分まで被ってやる。これから先何があっても、俺だけはお前の味方でいるよ。だから、お前さえよければもう一度──もう一度、俺をお前の友達にしてくれないか!」


 ぎゅっと目を瞑って、天音の答えをじっと待つ。

 実際には数秒ほどの、けれど俺にとってはその何倍にも感じられた間があって。


「……それは、嫌かも」


 天音はすっぱりとそう言った。

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