第28話 ヒットアンドアウェイ!

 大柄男子に引きずられた俺は、そのまま浅間たちの前に突き出された。

 アスファルトの地面に叩きつけられ、たまらずうめき声を漏らす。


「ぐあっ!」


「おい浅間。今そこでなんか怪しいヤツ見つけたから連れて来たぜ」


「あん?」


 振り返った浅間が、ヨロヨロと立ち上がる俺の顔を見るなり邪悪な笑みを浮かべた。


「誰かと思えば、まーたお前かよ。懲りねぇなぁ、クスノキクン?」


 心底馬鹿にした口調で浅間があざける。


「え、誰?」

「あれだよ、前話した『ヒーロー』」

「マジ? 完全にネタだと思ってたわ」


 その後ろでは取り巻きコンビが薄ら笑いを浮かべ、その他の三人も、まるで動物園のサルでも見るかのような眼差しを俺に向けていた。

 参ったな。こいつらが目を離した隙を突いて、どうにかこの場から天音を連れ出そうと思っていたのに。

 とんだ伏兵のせいで早くも作戦失敗だ。


「……碧人、くん?」


「! 天音、大丈夫かっ!」


 壁際でうなだれていた天音がゆっくりと顔を上げる。

 痛みで顔を歪めながら、驚いたように目を見開いていた。


「……どうして、キミが、ここに?」


「アホ! そんなもん、お前をここから連れ出しに来たに決まってるだろ!」


 さらに驚いたような顔をする天音。

 そして次の瞬間には、まるで今までせき止めていたものが一気に溢れ出したかのように、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。


「…………ほ、ほんとう?」


 正直、悪態の一つも吐かれると思っていた。

 今更何を言ってるんだと、どの面下げてここに来たんだと。

 そう言って拒絶されても仕方ないと覚悟していた。

 それでも、天音のそのクシャクシャの泣き顔を見て、俺は心の底から安心していた。

 良かった。

 お前は少なくともまだ、こんな俺のことを見限らずにいてくれたんだな。


「当たり前だ。ほら、さっさとこんな場所からはおさらばして──」


「ク~ス~ノ~キ~クゥン!」


 俺の言葉を遮った浅間が、声を荒げて近くのゴミバケツを蹴り倒す。

 空っぽだったらしいバケツは二度、三度と地面を跳ねて俺の足元まで転がった。


「お前さぁ、記憶力死んでんのか? 連れ出すだの何だの、できるもんならやってみろよ」


 ふてぶてしくそうのたまい、浅間はかたわらの天音の胸倉を掴んで持ち上げる。

 されるがままに立たされた天音が「ケホッ、ケホッ」と苦しそうにせき込んだ。


「どうした? ほら、やってみろよ。早くしねぇと、シドーくんこのまま窒息しちまうぜ?」


 俺がそんなことをできるわけが無いことは百も承知とばかりに、浅間が煽るように自分の制服の胸ポケットをトントンと叩いて見せた。


「まぁ、つってもお前みたいな腰抜けにはどうせできるわけねぇよなぁ? だからこの間も、こいつ見捨てて自分だけさっさと帰っちまったんだもんなぁ!」


 ハハハハッ、という浅間の嘲笑を引き金に、路地裏が耳障りな爆笑の渦に包まれる。


(……情けねぇなぁ、俺)


 馬鹿みたいに大口を開けて笑う浅間たちを見渡し、俺はギュッと拳を強く握った。

 こんなどうしようもなく下らない連中に、一時とはいえ大人しく言いなりにさせられていたと思うと本当に情けない。

 本当に馬鹿な事をしちまってたもんだ。


(それでも……こっちはもう、とっくに覚悟決めてここにいるんだよ!)


 笑い声が飛び交う中、俺は天音に問いかけた。


「──なぁ、天音」


 胸倉を掴まれた格好のまま、天音が首だけをゆっくりとこちらに向ける。


「これから俺がすることのせいで……お前にはたくさん迷惑をかけることになると思う。たくさん苦労もかけると思う。今まで以上に、辛くて惨めな目に合わせちまうかもしれない」


 俺の言葉を、天音はじっと黙って聞いている。


「その代わり、これからは何があっても、俺はお前のそばに居続けるって約束するよ」


 たとえもう、お前が俺のことを「友達」と呼んでくれなくなったとしても。

 俺だけはずっと、お前の味方であり続ける。

 だから……。


「それでも、いいか? 天音」


「……………………うんっ」


 涙ですっかり濡れそぼった顔のまま、天音は、あの人懐っこい笑みを浮かべて頷いた。


「そっか……わかった」


 そいつが聞ければもう十分だ。

 これ以上、こいつらに好き勝手させておく理由はない。

 俺はバカ笑いする浅間に向き直り、面と向かって言い放った。


「その汚い手を天音から離せ、浅間」


「あァ?」


 バカ笑いを引っ込めて、浅間が鋭い目つきで俺を睨みつける。


「てめぇ、誰に向かってそんなクチきいて──」


 浅間が言い終わるのを待たず、俺は足元にあった空のゴミバケツを引っ掴むと、


「そぉいっ!」


 次の瞬間、それをズボッと浅間の頭におっ被せた。

 急に視界が塞がれて固まった浅間を、そのままバケツごと蹴り倒す。


「んなッ!?」


「きゃあ!」


 俺の突然の暴挙に、取り巻きたちも目を丸くしてどよめく。

 全員の目がバケツを被って地面に転がる浅間に向いたその一瞬を突き、俺は天音の手を引っ掴んだ。

 そのまま素早く踵を返し、背後で立ち尽くしていた大柄男子を突き飛ばす。


「天音! 走るぞ!」


「あっ、う、うん!」


 倒れこむ大柄男子の上を飛び越えて、俺はもと来た路地裏を駆け抜ける。

 道端のビール瓶ケースやゴミ袋につまずきそうになりながら、天音もなんとか俺の手を掴んで走っていた。


「すまん。ケガしてるってのに、こんな無茶させちまって」


「ぼ、僕は大丈夫、だよ。そ、それより、碧人くんこそ……」


「ちょっと制服が汚れただけだ、気にすんな。それより、とにかくまずは人通りの多い場所まで逃げるぞ。あいつらきっとすぐに俺たちのこと追っかけて──」


「待てやゴラァァァァァァ!」


「ほら来やがった! 走れ、走れ!」


 入り組んだ路地裏を右へ左へと曲がりくねり、俺たちは必死に大通りを目指す。

 

「クスノキィ! てめぇあの動画ばら撒かれてぇのか!」


 背後から飛んでくる怒号に、天音が息を切らしながら聞いてくる。


「はぁ、はぁ……あ、『あの動画』って?」


「後で話す! だから今は、とにかく逃げることだけ考えろ!」


「う、うん、わかった……!」


 喚き散らす浅間たちから逃げに逃げ、そろそろ息も苦しくなってきたところで、ようやく人気のある通りが見えてきた。

 最後の直線を、通りまで一気に走り抜ける。


「うわっ!」


「うおっ、とと!?」


 が、勢いよく通りに飛び出した矢先に、俺は横合いから出てきた通行人と思いっきりぶつかりそうになってしまった。

 相手が咄嗟に避けてくれたらしく、正面衝突は免れたものの。

 勢い余った俺と天音は、通りから踊り出すなり地面に倒れこんでしまった。


「いってて……あ、天音、大丈夫か?」


「う、うん、なんとか」


 幸い、先に倒れた俺が下敷きになったお陰か、天音には大した衝撃はなかったようだ。


「びっくりした~……って、あれ? 楠木と紫藤じゃん」


 そう言って倒れこむ俺たちを覗き込んだのは、またまた見知った顔だった。


「し、清水?」


「よぉ。なんか二人してボロボロだけど、お前ら何してんの?」


「それは……っていうか、お前こそ何でここに?」


 俺の問いかけに、鉢合わせた通行人、改め清水はクイっと通りの向こうを顎であおる。


「何ってお前、この通りに来る目的つったらあそこだべ。今日は午前授業で学食も休みだったからな。さっきまであそこで昼飯食ってたんだよ」


 その先には、黄色い背景に赤い文字で「山東飯店」と書かれた看板があった。

 どうやら俺たちは先ほどの朝陽門前の交差点ではなく、一本裏手の中通りに出たらしい。

 清水の行きつけの中華屋があるということで、俺もたまに足を踏み入れるエリアだ。


「なんだ、お前らも中華街にいるんだったら誘えば良かったなぁ」


「い、いや、悪いけど今は昼飯どころじゃ……って、やばっ!?」


 もたもたしている内に、路地裏の向こうから浅間たちが迫って来ていた。

 先頭を走っているのは、さっき俺が突き飛ばした大柄な男子だ。


「お前らァ! そこ動くんじゃねぇぞ!」


「どど、どうしよう、碧人くん! もう、追手がすぐそこまでっ」


「く、くそっ!」


「さっきは舐めたマネしてくれたな! とりあえず一回死んどけや!」


 強打した背中の痛みを堪えて俺が必死に立ち上がったところで、とうとう路地裏から大柄男子が飛び出してきた。

 走る勢いそのままに、俺を殴り飛ばすハラのようだ。


「え、何これ? どういう状況?」


「おい邪魔だ! そこどけ!」


「っ!? 清水、危ねぇ!」


 わけもわからず俺たちの前に立ち尽くしていた清水を、大柄男子が右手を大きく横に振るって突き飛ばそうとする。

 筋肉質な剛腕が、清水の喉元めがけて薙ぎ払われ、


「ガハアッッ!?」


 次の瞬間、強烈な左アッパーを顎に食らってぶっ倒れたのは大柄男子の方だった。

 

「おいおい、急に殴りかかってくるなよ。びっくりしちゃうだろうが」


 打ち出した左拳を擦りながら、清水はケロッとした表情でそう呟く。

 まさに電光石火。見事なまでのカウンターKOだ。

 ……そうだった。そういやこいつ、れっきとした格闘技経験者元ボクシング部だったな。


「んなっ? だ、誰だてめぇ!」


 遅れて路地裏からやってきた浅間たちが、白目を剥いて倒れる大柄男子と清水とを交互に見やって唾を飛ばす。


「誰って、ただの通りすがりのロリマザコンですが?」


「ろ、ろり……? なにワケのわかんねぇ事言ってやがる! 関係ねぇ奴ぁすっこんでろ!」


「えぇ、なんだこいつら。ヤカラか? いわゆるヤカラってやつか?」


 呆れた様子でため息をついた清水が、ちらりと視線だけを俺たちに向けた。


「……なんだかよくわかんねぇけど、お前ら見たとここいつらに絡まれて困ってんだべ? 俺が適当に相手しといてやっからほれ、はよ行っちゃいなさいな」


 次には通りの向こうへと向けてひらひらと手を振る。


「い、いいのか?」


「いいって、いいって。その代わり、今度なんか奢ってくれよな」


「っ……ああ、わかった! 昼飯でも何でも、好きなもん一つ奢ってやる!」


「マジで!? じ、じゃあ、『母性本能全振りの小学生メイドは嫌いですか?』のミリエちゃんの七分の一スケールフィギュアでもいい!?」


「さすがに高いわ! せめて二頭身くらいにしてくれ!」


 ギラギラと目を輝かせる清水にそう返し、俺は天音の手をとった。


「おーっし。俺っち、俄然がぜんやる気出てきちゃったゼ」


「舐めんな! たたんじまえ!」


 よし、今のうちだ!


「行くぞ、天音!」


「え? で、でも、清水くんが……」


 心配そうに背後を振り返る天音に、「大丈夫だ」と言葉を返す。


「たしかに清水は馬鹿でロリマザコンだけど、それでもたかが不良の二、三人なんてあいつの敵じゃないよ。あいつ、あれでも中学の時はボクシング部で関東ブロック代表だったりしたし」


「そ、そうなんだ!?」


「ああ、びっくりだろ? けどまぁ、今はあいつが昔取った杵柄きねづかに感謝だな」


 清水と浅間たちの乱闘が始まるのを尻目に、俺たちは再び走り出した。


 

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