第25話 今、あなたがするべきことは何?

「早い話が、バレたんだよ」


 テーブル席に座り直した大瑠璃に、俺は重い口を開く。

 俺たちと浅間たちの間にある因縁。

 そしていま、俺たちがどういう状況にあるのかを。


「俺と天音の『秘密』を……浅間たちにも知られたんだ」


 辛うじて塞いでいた傷口を開く思いで、俺はあの日の出来事を打ち明けた。


「お前と赤レンガ倉庫に行った、翌々日の月曜日のことだ。いつもみたいに天音と遊んで、桜木町駅前のバス停であいつと別れた直後に……俺、浅間たちに捕まったんだよ」


 多分、少し前から俺たちをつけ回していたんだろう。

 一人になった俺を駅近くの人気のない高架下に連れ込んだ浅間は、出し抜けにスマホを取り出して一本の動画を見せてきた。


『コレ、なーんだ?』


 いつの間に撮られていたのか。

 浅間のスマホ画面には、例のアパレルショップの試着室前に立つ俺と天音の様子が映っていた。

 二言三言交わしたのち、学ラン姿の天音が試着室の中へと入っていく。

 数分後にそこから出てきたのは、当然、女装姿のあいつだった。


『俺のツレの一人がこっそり撮ったヤツらしいんだけどさ。コレ、お前らだよな?』


 やられた、と思った時にはもう遅かった。

 俺と天音のこんな「弱み」を手に入れた浅間が次に何をするかなんて、わかり切ったことだった。


「つまり、『弱み』の暴露を材料にあなたを強請ゆすったのね? ……前に、私がそうしたように」


 一瞬申し訳なさそうな顔をした大瑠璃に、俺はフルフルと首を左右に振る。


「ああ。けど、お前みたいに生易しいものじゃない。もっとゲスで最低な部類の脅迫だ」


 浅間は俺に、天音との縁を切れと迫ってきた。


『あいつ、いいパシリなんだよ。家が金持ちなのかなぁ? 結構金持ってるしさぁ』


 要は、せっかく手に入れたと思った直後に俺に取り上げられた「玩具おもちゃ」を、奴らは奪い返したかったんだ。

 天音をこき使うのに、俺の存在が邪魔。

 だから天音から俺を引きはがしたい。


『今後、俺らがあいつに何しようとお前は一切しゃしゃり出てくんな。ここでした話も誰にも喋るんじゃねぇ。それができなきゃ……この動画をSNSで晒す。いいな?』


 それが浅間の言い分だった。


「ちょっと待って」


 そこまで話したところで、大瑠璃が口を挟む。


「それって、なんだか少し回りくどくない? 紫藤君を言いなりにしたいなら、彼に直接その動画を見せて脅した方が手っ取り早いような気もするけれど」


「たしかにあいつらの目的は天音だけど……それだけじゃなくて、きっと俺への復讐って意味もあるんだと思う」


 そりゃ、この前は派手に背負い投げして、子分の前で恥をかかせちまったからな。

 たとえ目当ては天音でも、俺への恨みを晴らすことも浅間の目的だったんだろう。

 ただ天音から引き離すだけでなく、浅間は俺を追い込む為にもう一つ、卑劣な策を用意していた。


「浅間は隠し撮りした動画のことも、それのせいで俺が脅されていることも……あえて何一つ、天音には教えていないんだ」


 だから天音は、俺が突然よそよそしくなった理由も、いじめの現場を見て見ぬふりした理由も知らない。

 あいつからすれば、俺がいきなり冷たくて薄情な人間に豹変したように見えていることだろう。

 俺は無意識の内に強く下唇を噛みしめていた。

 黙って話を聞いていた大瑠璃が、短くため息を吐く。


「……たしかに、そのは効果抜群のようね。現に楠木君はこうして悩み、苦しみ、罪悪感にさいなまれ、けれどそれを誰にも打ち明けることができずにいた。前に廊下で出くわした時に、あなたがあんな死人みたいな顔をしていた理由がようやくわかったわ」


「俺が、バカだったんだ」


 全てを打ち明けたところで、俺は後悔の念を拳に乗せて自分の太ももに打ち付けた。


「何が『リアル僕っ娘』だ……何が『なりきりデート』だよ。そんなの……そんなの現実じゃイタくてキツくておかしいだけだって、普通に考えれば分かってたことだろ!」


 本当なら大瑠璃に見つかった時点で、いや、最初からあんなことは止めるべきだったんだ。

 男同士つるんでメシ食って、ゲーセン行って、下らないバカ話で笑いあって……。

 そういう「普通」の放課後を過ごせば、それで良かったはずなんだ。

 だけど俺は……自分の欲望を捨て切れなかった。

 ずっとずっと憧れていた、僕っ娘で美少女な三次元彼女。

 所詮はだと、偽物だと分かっていても。

 バレるわけがない、あくまでも「なりきり」だから……そんな風に言い訳をして、憧れた幻想をあいつに重ね続けてしまった。

 現実とフィクションをごっちゃにし過ぎていたんだ。


「そのわがままの結果が、今のこの有様だ」


 秘密はあっけなく露呈ろていし、それどころか、こうしている今も一歩間違えれば白日の下に晒されようとしている。

 欲望に従った末に、俺は幻想どころか、天音というかけがえのない現実さえ失うことになってしまった。

 こんなことになるのなら……。

 そうだ、こんなことになるくらいだったら。


「…………僕っ娘なんて、好きにならなければ良かったのかもしれない」


 沈み込むようにソファー席の背もたれに体を預け、俺は呻いた。

 ひとしきり懺悔の言葉を並べ立てたそんな俺を、大瑠璃は黙って見つめている。

 しばしの間そうして沈黙を貫いていた大瑠璃は、やがてズズッとコーヒーを一口啜ると。


「──見損なったわ、楠木君」


 うなだれる俺に向かって、すっぱりとそう言い放った。


「……え?」


「私はね、楠木君。あなたのその異常なまでに『僕っ娘』とやら一筋なところは、気に入らないと同時にとても尊敬していたところだったのよ?」


 大瑠璃は静かに怒っていた。

 突然のことでポカンとする俺に、女王様は淡々と厳しい言葉を告げる。


「前に言ったわよね? 私は楠木君のそういう一途な性格に惹かれたんだって。『僕っ娘』以外には決してなびかない。そんなあなただからこそ好きになったのよ? だからあなたを振り向かせようと、私は今までこうしてやってきた。それが何? 今さら『僕っ娘なんて好きにならなければ良かった』ですって? まったく幻滅させてくれる楠木君だわ」


「お、大瑠璃?」


「今の楠木君、私にフられるなり別の女の子と付き合い始めたあの男子たちと同類ね。この数日、人が変わったみたいに私と放課後を過ごすようになったのも、紫藤君への罪悪感から目を背けたかったから? あなたにとって、所詮私は紫藤君のだったの?」


「っ!? そ、それはっ……」


 心臓をガシッと鷲掴みにされたような気分だった。

 俺の中にあった「甘え」や「逃げ」を、もはや大瑠璃は全て看破していた。

 

「冗談じゃないわ。そんな消去法や繰り上げ合格みたいな形で楠木君に振り向いて貰ったって、私はちっとも嬉しくない」


 反論する余地なんかどこにもなく、俺はただただ耳の痛い思いで大瑠璃の言葉を聞くしかない。


「紫藤君との時間と私との時間。その両方をしっかりと天秤にかけた上で、その上で最後にあなたが私を選んでくれなきゃ、全く意味が無いでしょう?」


 大瑠璃は吐き捨てるようにそう言うと、次には真っ直ぐに俺を見据えて問い掛けた。


「楠木君。今、あなたがするべきことは何?」


「俺が、するべきこと……?」


「こうして私とお喋りすること? 私と勉強会をすること? 私と放課後にデートすること? 違うでしょう! あの不良連中から、一刻も早く紫藤君を取り戻すことじゃないの?」


 俺はギリギリと奥歯を噛み締めた。

 わかってる。そんなことは俺自身が一番よくわかってる。

 こうして俺が呑気に温かいココアを飲みながら試験勉強をしている間も、天音はどこかの硬い地面に溜まった冷たい泥水を啜っているかもしれないんだ。

 俺だって、本当は今すぐあいつの下へ駆け出して、いつかみたいに浅間たちから助け出してやりたい。

 できることなら、とっくの昔にそうしている。

 だけど……。


「……無理だよ」


「なぜ? どうしてやる前から無理だと決めつけるの?」


「なんでって……あいつらには例の動画があるんだぞ? こっちが天音を奪い返そうものなら、その瞬間、あの動画が全世界に公開されることになる」


「そうね。そしてきっと、うちの学園でも瞬く間に拡散される。他の生徒があなたたちに向ける視線は冷たいものになるでしょうね。それどころか、卒業するまでずっと全校生徒から迫害されるようなことになっても不思議じゃないわ」


「ああ、そうだよ!」


 元々いつも一人でいたんだ。今さら学校の奴らにどう思われようが、俺は構わない。

 だけど天音は……あいつは、せっかく前の学校での辛い日々から解放されて、平和とは言えずともそれなりに穏やかな学校生活を始めたところだったんだ。

 それなのにあんな秘密が知れ渡っちまったら、また同じように辛い毎日を送らせることになっちまう。

 もしかしたら浅間たちにパシりにされるより、もっとずっとひどい目に合う羽目になるかもしれない。

 そんなのあんまりだ。

 いくらなんでも、あいつが可哀そうじゃないか。


「だから俺は、大人しくあいつらの言いなりになるしか──」


 スパァァン!


 思わず顔を上げて反論しようとした瞬間、俺の右頬に鋭い痛みが走る。


「…………は、ぇ?」

 

 バカみたいな声を出して、俺はひりつく頬に手を当てる。

 それが大瑠璃の平手打ちによるものだと分かったのは、痛みを感じてから数秒後のことだった。

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