第23話 仰せのままに、女王様
それからの大瑠璃との勉強会は、ぼんやりしてしまってほとんど内容を覚えていない。
大瑠璃に言われるままに試験範囲を一通りおさらいし、ようやくひと段落がついたところで喫茶店を出た時には、ぼちぼち日も暮れる頃合いだった。
「今日はありがとうな、大瑠璃」
すでに人影もまばらな商店街を二人並んで歩きつつ、俺は大瑠璃にお礼の言葉を告げる。
「勉強見てくれて助かったよ。お前、頭良いだけじゃなくて教えるのも上手いんだな」
「別にお礼なんていらないわ。そもそも誘ったのは私なんですから。今回の勉強会、もとい放課後デートを通してあなたに少しでも私の魅力を伝えられたなら、今日はそれで十分よ」
「み、魅力
「そう。なら、いいのだけれど」
そう言った大瑠璃の横顔は、ちょうど街灯の影に隠れてしまってよく見えない。
が、さっきからしきりに自分の栗色の髪をいじっているところを見るに、どうやら照れているらしい。
こいつでもこんな風に照れることがあるんだな。
らしくない女王様の姿がなんだかおかしくて、俺も思わず頬が緩んだ。
「その様子だと、少しは落ち着いたみたいね」
「え?」
笑い声を噛み殺していると、不意に大瑠璃がこちらを見あげる。
落ち着いたって、何のことだ?
首を捻る俺に、大瑠璃は言った。
「さっき学校の廊下で会った時と比べれば大分マシな顔色になったわね、ということよ。今日は何をあんなに落ち込んでいたのか知らないけれど、もうあんなゾンビみたいな顔をするのはよしなさいよね? 私、
「あ……」
今度は俺が、照れ臭さに髪の毛をいじる番だった。
そうか。
勉強会だの放課後デートだのと、またぞろいつものように脈絡もなく俺を誘っただけなのかと思っていたけど。
今日こうして俺を誘ったのは、もしかしたらこいつなりに、俺を元気付けようとしてくれていたのかもしれない。
こっちの事情なんて、こいつは全然知らないっていうのにな。
「……はは。本当、ありがとうな」
「だから、お礼なんていらないったら」
「それでもありがとう。お陰様で、今日はいくらかリラックスできたよ」
「はいはい。ならもうせいぜい好きに感謝していてちょうだい」
呆れ半分、照れ隠し半分といった感じで大瑠璃がぶっきらぼうに答える。
やがて俺たちは、商店街の中ほどにある十字路まで差し掛かっていた。
「それじゃあ私、こっちだから」
大瑠璃が十字路を右に曲がった先の道を指で示す。
大瑠璃家は音街商店街から歩いて十分ほどの所にあるという。
俺はこのまま直進して駅まで行くので、ここで解散だ。
「今日はなかなか楽しかったわ。それじゃあ楠木君、ごきげんよう」
ひらひらと手を振って、大瑠璃が横道の薄闇へと歩を進めた。
「あ、ああ。それじゃあ……」
くるりと背を向けた大瑠璃に、俺も小さく手を振り返す。
やれやれようやくあの女王様から解放された、と。
ちょっと前までの俺だったならここでそんな風に呟いては、さっさと家路を急いでいたところだろう。
学校内であいつが絡んできた時もそうだし、あいつと初めて休日デートをした時もそうだった。
「な、なぁ、大瑠璃!」
ただ、今日の俺はそうしなかった。
遠ざかっていく大瑠璃の背中を見送っているうちに、自分でもよくわからないが、なぜだか妙に心細い気持ちになってしまい……。
「なにかしら?」
振り返った大瑠璃に向かって、俺はほとんど無意識の内に口を開いていた。
「お前さえ良ければ、さ。……また明日も、こうして一緒に勉強会をしないか?」
※ ※ ※ ※
翌日の火曜日。
放課後に学校の正門脇でスマホをいじっていた俺は、正面玄関から出てきた女生徒の姿を認めて声を掛けた。
「よう。……いや、ごきげんよう、か?」
俺のぎこちない挨拶に、大瑠璃が優雅に返す。
「ええ、ごきげんよう。……フフ、変なの」
「わ、笑うなよ。ちょっと言ってみただけだっての」
「いえ、そうじゃないわ。あなたを待ち伏せする側だった私が、まさかこうしてあなたに待ち伏せされる日が来るなんて、なんだかおかしくてね」
人聞きの悪い言い方をするんじゃない。待ち伏せじゃなくて待ち合わせだ。
そんな俺の抗議の声もどこ吹く風といった様子で、大瑠璃はさっさと校門を出て駅への道を歩きだす。
「細かいことは気にしないの。そんなことよりほら、早く行くわよ。こんなところで立ち話していたら、時間がもったいないでしょう?」
「へいへい」
仕方なく俺も歩き出し、大瑠璃の隣に肩を並べた。
目指すは音街商店街にある喫茶店「ロッシュ」。昨日の放課後も訪れた、大瑠璃の行きつけである。
今日もあの店で、二人で期末テストに向けた勉強会をする予定だ。
「それにしても昨日は驚いたわね」
大瑠璃がおどけた口調でそう切り出す。
「あなたの方から私を誘ってくれるなんて珍しい、いえ、初めてのことなんじゃない?」
「……んまぁ、たまにはな」
「ふぅん。一体どういう風の吹き回しなのかしらね?」
「な、なんだよ。嫌なら断ってくれても」
「いいえ、嫌ではないわ。ただ、楠木君にもようやくこの私の恋人候補としての自覚が芽生えてきたようだと、そう思っただけよ」
嬉しげにそう言った大瑠璃は、けれど不意に真面目な顔になって心がかりを口にする。
「でもあなた、放課後はいつも紫藤君と過ごすことにしているんでしょう? いいの? 休日でもないのに彼をほったらかしにして、私と一緒に勉強会なんて。彼、今日はまだ学校にいるのよね?」
「それは……」
大瑠璃の言う通り、きっと天音は今もまだ教室の隅っこ、窓際最後列の自分の席にじっと座っているに違いない。
ここのところのあいつはずっとそうだ。
天音は、俺がいそいそと教室を後にするのを見送るまで、絶対に帰り支度を始めようとはしない。
決して、俺より先に帰ろうとはしないのだ。
『一緒に帰るか?』
まるで誰かからそう言われるのを、じっと待っているみたいに。
「それは? 何よ?」
答えに
俺はハッとして、脳裏を
(…………今さら、どの
ズキズキとした胸の痛みをかき消すように、俺は努めて何でもないことのように言った。
「いいんだよ。今日はあいつも、図書室で自習してから帰るって言ってたし」
「なら、あなたも図書室で一緒に自習すれば良かったんじゃないの?」
「一人で集中したいんだとさ。ほら、あいつにとってはウチの学校に来て初めての定期テストだろ? さすがに
俺はペラペラともっともらしい出まかせをまくし立てる。
大瑠璃は何やら怪訝そうな表情を浮かべたものの、最終的にはさもありなんと納得してくれたようだった。
「そう……まぁ、私としてはこうして気兼ねなく楠木君とデートできるわけですからね。そういうことならむしろ好都合というものよ」
「俺が誘ったのはデートじゃなくて勉強会だけどな」
「あなたと二人きりで過ごせるのだから、どちらでも似たようなものだわ」
「はぁ……
「フフン、わかればよろしい。さ、今日もしっかりエスコートしなさいね?」
「はいはい。仰せのままに、女王様」
考えてみれば、期末テストというのは良いタイミングだったかもしれない。
試験対策は目が回るくらい大変だが、そのぶん他のことに気を回さずに済む。
天音を突き放す罪悪感も、試験勉強で忙しいという大義名分があることでいくらか薄らいでくれていた。
俺はちらりと、すっかり気を良くして鼻歌交じりに隣を歩く大瑠璃の横顔を見やる。
(それに……こいつもいることだしな)
偉そうでやかましくて、面倒くさい奴だけど。
それでも、いつも明るくて生き生きとしたこいつと一緒にいると、いつの間にか俺も自然と心が上向きになっていく気がした。
ああ、いっそのこと──。
「なぁ大瑠璃」
「ん? なにかしら?」
「明日も……いや、この試験期間中さ。俺も、あの喫茶店を行きつけにしていいかな?」
このままずっと、こんなぬるま湯のような毎日に浸っていられたらいいのに。
でも──俺のそんな甘ったれた考えは、幸か不幸か、そう長続きはしなかった。
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