第21話 女王様からのお誘い
最悪な気分のせいでロクに授業にも身が入らぬまま、気付けば放課後を迎えていた。
あの後、天音は昼休みが終わっても教室には帰って来なかった。
一応は世話係の立場だから、と水樹先生が伝えてくれたところによると、昼休みに階段から転げ落ちて大怪我をしたとかで保健室に行き、そのまま早退することになったそうだ。
「前から気になってたけど、紫藤さん、なんだか生傷が絶えないわよね。ちょっと前には植え込みに突っ込んだなんて話もあったし、怪我しやすいのかしら。うーん、心配だわ」
「そう……っスね」
「楠木さん、紫藤さんとはよく一緒にいるわよね? こんなことを生徒にお願いするのもどうかと思うんだけど、紫藤さんのこと、楠木さんもよく見ておいてあげてくれる?」
「……はい」
帰り際、水樹先生の言葉に力なく頷いて、俺は教室を後にする。
夕陽の差し込む廊下をトボトボと歩く今の俺は、多分、死んだ魚のような目をしていることだろう。
「……いや、俺なんかいっそのこと、本当に死んだ方がいいかも知れねぇなぁ」
なんて、できもしない事を
「ひっ!?」
「えっ?」
出会い頭にそんな悲鳴を挙げて後ずさったのは、大瑠璃だった。
「え……く、楠木君?」
「お、おう。なんだよ、そんな驚くことないだろ」
相手が俺だとわかって、安心したらしい。
大瑠璃はとっさに学生カバンに突っ込んでいた右手で、ほっと自分の胸をなで下ろす。
「なんだ、あなただったの。てっきり不審者かと思って慌てちゃったじゃない」
「なんで俺を不審者と勘違いするんだよ。一応顔見知りだろうに」
「だってあなた、さっきすごく怖い顔してたんだもの」
悪いのは私じゃない、と大瑠璃が主張する。
「怖い顔って……俺、そんなに怖い顔してたか?」
「かなりね。目は虚ろだったし、顔色もどことなく血の気が通ってないというか青白いというか。はっきり言って、死人みたいだったわ」
「そ、そうか……」
どうやら、俺は本当に死んだような顔をしていたみたいだな。
まぁ、たしかにそんな自覚はあったけど。
「ええ。だから浮浪者でも入り込んだのかと思って、危うくコレを使うところだったわよ」
ため息交じりにそう言って、大瑠璃が左肩にかけた学生カバンをポンポンと叩く。
さっき手を突っ込んで、こいつは一体何を取り出すつもりだったんだろうか?
「……そのカバン、何が入ってるんだ?」
「乙女の秘密よ。触れるとちょっと痺れる系の、ね」
乙女の秘密っていうのは、随分とまぁ殺伐としたものなんだなぁ……。
それ以上は深く聞かないことにして、俺は「なるほど」と適当に相槌を返した。
「それで、楠木君はこれから帰るところ?」
「ああ」
「あら? でも紫藤君の姿が見えないようだけれど。いつも背後霊みたいにあなたにくっ付いているのに。今日もこれから、二人で『なりきりデート』とやらをするんじゃないの?」
「なりきりデート」の部分だけ声を潜めて、大瑠璃が辺りを見回した。
「あいつは……今日は、早退だよ」
「そう。そういえば、最近あなたたちが一緒にいるところをあまり見ない気がするわね」
大瑠璃が首を捻るのを見て、俺は内心苦笑すると共に、ズキズキと胸が痛む思いだった。
こいつにまで不思議がられるほど、俺たちはよほどいつも一緒にいたらしい。
「大瑠璃の方はこれから部活か?」
「何言ってるの。もうすぐ一学期の期末テストよ? そんなの試験前休みに決まってるじゃない」
「あ……」
そうだった。そういえばもうそんな時期だったっけ。
色々とゴタゴタしていたせいでテストの事などすっかり忘れていた。
「……その様子だとあなた、ロクに試験勉強もしていないみたいね?」
「えっと……まぁ」
「『まぁ』じゃないわよ。仮にもこの私の恋人……になる予定の男が、よもや学校の定期テストで赤点を取るなんて
「いや、そんなこと言われたってなぁ」
縮こまる俺を見かねたのか、そこで大瑠璃は何事かを決めたように頷くと。
「ふむ……紫藤君が早退ということは、楠木君、今日の放課後は予定がないわけよね?」
「え? ああ、そうだけど」
「なら好都合ね。今日は紫藤君じゃなくて私と放課後デートしましょう」
「は?」
「私、試験前の放課後はいつも喫茶店で勉強してから帰るの。いい機会だから、今日はあなたも付き合いなさい。ちょっとくらいなら、私が勉強を教えてあげてもいいわよ?」
大瑠璃がビシッと人差し指を俺に向けた。
「……そりゃまた、いきなりのお誘いだなぁ」
ポリポリと頬を掻いて、俺はしばし考える。
大瑠璃の言う通り、たしかに試験勉強など全くしていない。
何しろ今の今までテストの存在すら忘れていたほどだしな。試験はもう目前だというのに、我ながら呑気なもんだ。
まぁ、それはいつも通りと言えばいつも通りなんだけど……今回はそれに輪をかけて、とてもじゃないが勉強なんかする気分じゃなかったのだ。
趣味のアニメ鑑賞やソシャゲをしている時でさえ、今はどうにも身が入らない。いわんや試験勉強なんて、というわけである。
「……な、なによ。紫藤君は良くて、私との放課後デートは嫌なの?」
急に黙り込んだ俺の顔を、大瑠璃が不安そうにのぞき込む。
嫌だ、と。
普段の俺だったら、ここでいつもの調子ですっぱり断っていただろう。
こいつと一緒に勉強会なんて面倒くさいに決まっているだろうし、そもそも
平日の誘いを断ったところで、何の契約違反になるわけでもないはずだ。
だから。
「……そうだな。ああ、いいよ」
いつもの女王様のわがままに俺がそう素直に頷いたのは、やっぱり今はとにかく、何でもいいから気を紛らわせたかったからなんだろう。
気付けば俺は、大瑠璃に向かって脱力気味に笑みを向けていた。
「たしかにいい機会だ。せっかくのお誘いだし、ありがたくご一緒させてもらおうかな」
「へ……?」
おおかた、すげなく断られるかもしれないと思っていたのだろう。
俺の予想外の快諾に若干動揺した様子の大瑠璃だったが、次には鬼の首でも取ったかのように得意げな表情を浮かべてみせた。
「ふ、ふふん? 良い返事ね、楠木君。まぁ、容姿だけでなく成績もトップクラスのこの私と一緒に勉強会ができるのだもの。それも当然と言えば当然の答えですけれどねっ!」
「ははは。はいはい、ソウデスネ―」
「む、何よその棒読みは……まぁいいわ。そうと決まれば早速行きましょう。そうそう、勉強会とはいえこれも一応は放課後デートよ。しっかりエスコートしなさいよね、楠木君?」
大瑠璃はあくまでも高飛車に、けれど心底嬉しそうな口調でそう微笑んだ。
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