第20話 逆戻り

「…………のき君」


 ショーウィンドウの中に佇むマネキン人形を、俺はぼんやりと見つめていた。

 白いブラウスに紺色のスカートを履いたそのマネキンを眺めていると、自然とあいつのことを思い出してしまう。


「…………楠木君?」


 あいつとの、とても奇妙で、でもとても楽しかったあの時間を。


「楠木君ったら!」


 急に片腕を引っ張られ、そこで俺の意識が現実に引き戻される。


「ちょっと、何をぼんやりしているのよ?」


「え、あ……大瑠璃?」


「『大瑠璃?』じゃないわよ。ひょっとして寝ぼけているのかしら?」


 俺の頬をペチペチと軽くはたいてくる大瑠璃。

 そうか……今日はもう、土曜日だったな。


「……悪い。ちょっと、ぼーっとしてた」


「レディとのデート中にうわの空になるなんて、ちょっと紳士さに欠けるんじゃなくて? 私と一緒にいるのがそんなに退屈なのかしら、ねっ!」


「いてっ、いてててっ! わ、悪かったよ。謝るから耳を引っ張るのはやめてくれ」


「ふんっ。まったく、前回あれだけ『教育』してあげたというのに」


 耳を掴む手を離し、大瑠璃はあからさまに不機嫌そうに腕を組む。

 じんわりと痛む耳たぶを擦りつつ、俺は頭を掻いて縮こまった。

 今日は、大瑠璃との第二回目の休日デート。

 俺たちは港湾地区から地下鉄で五分ほどの所にある音街おとまち商店街まで来ていた。

 石畳の道路や色鮮やかな瓦屋根の建物など、どこか西洋の街並みを思わせる異国情緒あふれる商店街には、車道、歩道を問わず大勢の人が行き交っている。

 今日はここで、またぞろ大瑠璃が目を付けていたという大型セールだかが行われていた。

 女王様は、どうやらこの手のイベントに敏感なようだ。


「ほら、行くわよ楠木君」


 いよいよ痺れを切らしたらしい大瑠璃はそう言うと、再び俺の手を掴んでグングンと商店街の人混みを突き進んでいく。

 手を引かれるままに、俺も仕方なくその後を追った。


「なぁ大瑠璃。随分迷いのない足取りだが、もうどこの店に行くか決めてるのか?」


「決めてないわ」


「え……何を買うかは?」


「決めてないわ」


 なんだか嫌な予感がする。

 恐る恐る、俺は尋ねた。


「そ、それじゃあ、なんでそんなに急いでるんだ?」


「そんなの決まっているでしょう」


 大瑠璃はさも当然という風に答えた。


「今日はんだから、ゆっくり歩いてなんていられないじゃない」


「あ……はい」


 うん、なんとなくそんなこったろうと思ってました。

 相変わらず強引でゴーイングマイウェイな女王様だなぁ。

 取引の条件とはいえ、まったくつくづく気が滅入めいるデートだ。


「気が滅入る……はずなんだけどな」


 先が思いやられる一方で、俺はほんの少しだけ気が休まる思いだった。

 商店街中の店を巡る、なんて面倒くさいことこの上ないが、今は大瑠璃のその強引さがありがたかった。

 だって。

 こうして無理やり連れ回されている間は、余計なことを考えなくて済むから。


「何か言った、楠木君?」


「いや、何でもない。こっちの話だよ」


「そう? 何でもいいけど、もっとキビキビ歩きなさい。回りきれなくなっちゃうでしょ」


「はいはい。仰せのままに、女王様」


 もう、こんな風にあいつと出かけることもないことを。

 もう、あの人懐っこい笑顔を向けられることもないことを。

 もう──友達、と。

 俺のことを、あいつがそう呼んでくれることもないんだろうということを。

 考えなくても、済むんだから。


 ※ ※ ※ ※


 週が明けた月曜日の昼休み。

 ガヤガヤと賑わう食堂の隅っこ、半ば指定席と化している窓際の一席で、俺は一人ぼんやりとスマホをいじっていた。

 こんな昼休みを過ごすのも、思えば随分と久しぶりな気がする。

 ほんの一か月半くらい前まではこれが俺にとっての当たり前だった筈なのに。なんだか遠い昔のことみたいだ。


「お前さ、最近なんか紫藤に対してよそよそしくない?」


 ようやく食券争奪レースを突破してきたらしい清水が、俺の対面の席にやってくるなりそう言った。


「なんだよ、やぶから棒に」


「いや、そういや最近お前ら二人が一緒にいるとこ、あんまし見ないなと思ってさ。一緒に帰ってもいないみたいだし、今日だってお前、こうして一人で食堂に来てるじゃん?」


 卓上の大盛りカレーを頬張りながらの清水の問いに、思わず押し黙ってしまう。


「あんなにいつも一緒だったのになぁ。お前ら、何かあったのか?」


「別に、何でもないよ」


 ようやくそれだけ言うと、俺はとっくに空になった食器を持ってそそくさと席を立った。


「悪い。先に教室帰ってるわ」


「え? お、おう」


「まだ来たばっかなんだけど」と言いたげな清水を残し、食器とトレーを返却口に戻す。

 そのまま食堂前の広間に出たところで、俺は短くため息をついた。


「『何か』……ねぇ」


 まぁ、考えるまでもなく一週間前のアレだよなぁ。

 重い足取りで教室へと歩を進めながら、この一週間のことを振り返る。

 俺が放課後の教室で別れを告げたあの日以来、天音とは一緒に昼飯を食うどころか、必要最低限の日常会話を交わすことすらなくなっていた。

 当然、一方的に縁を切られて素直に納得する天音じゃない。

 初めのうち、天音はつとめていつも通りの調子を装って俺の後を追いかけては、何度も何度も話しかけようとしていた。

 それでもなお、俺が素っ気ない態度を取り続けたからなんだろう。

 今では天音の方も、俺に話しかけようとすることはほとんどない。

 ときどき様子を窺うようにして、チラチラと寂しげに俺を見るばかりだった。


「……小銭、あったかな」


 思い返すうち、大して暑くもないのになんだかえらく喉が渇いてきてしまった。

 ポケットから財布を出し、小銭入れを漁る。

 パックのジュース一本くらいは買える額が入っていた。

 ちょうどいい、教室に戻る前に買っておくか。


「最寄りの自販機は……たしか一階にあったよな」


 俺は食堂横にある階段を下りて、特別棟の一階に向かった。

 ここには技術室や被服室といった、授業の実習くらいでしか使われない教室がまとまっている。

 普段は節電のために廊下の電気も消えており、人影もなく静かなエリアだ。

 その薄暗く静かな廊下を通り過ぎ、一階東口の扉を押し開け外に出る。

 さて何を買おうか、とすぐそばの自販機コーナーに目を向けて。


「──あ」


「あぁ?」


 思わず扉を閉めようとしたが、時すでに遅し。

 俺は自販機の前にいたその男子生徒とばっちり目が合ってしまった。


「あっれぇ? クスノキクンじゃん」


「……っ! ……浅間あさま


 果たして、自販機コーナーでたむろしていたのは浅間とその取り巻きコンビだった。

 この間の竹内先生の一件でたまり場を変えたらしい。

 自販機コーナー周辺には読み古した雑誌や菓子の袋なんかが散乱している。

 滅多に人が来ない立地なのをいいことに、すっかり自分たちの縄張りにしてしまっているようだ。

 そして、その散らかった菓子クズやゴミと一緒に地面に転がっていたのは……。


「あ、天音!?」


「……あ……あお……と、くん……?」


 いつぞやと同じように、体も服もボロボロの状態で地べたに倒れ伏している天音。

 聞かずとも、こいつがさっきまでどんな目にあっていたかなんてのは一目瞭然だった。


「おいおいなんだよ、またこのパターンか?」


「お前らどんだけ仲良しこよしなんだっつーの」


 唖然とする俺の傍らで、浅間の取り巻きたちがはやしたてる。

 ひとしきり騒ぎ立てた頃合いを見計らって、浅間が威圧感たっぷりに口を開いた。


「何か用かよ、ヒーロー? 見ての通り、俺たち今ちょっと取り込み中なんだわ」


 言うなり、浅間は倒れている天音の背中を片足で踏みつけ、ダボダボの学ランのポケットから革製の長財布を無理やり引っ張り出した。


「お前っ、何して……!」


「っせぇな、てめぇにゃ関係ねぇだろうがよ……ちっ、今日はこんだけかよ、シケてんな」


 浅間は微塵も悪びれる様子もなく天音の財布から金を抜き取ると、空になった財布でうつ伏せの天音の頭をポンポンとはたいた。


「オイこら、万札入れてこいっつったろうが万札ぅ。なぁ、シドーくんよぉ」


「…………」


「おーい、聞こえてますかぁ! これじゃ全然足りねぇって言ってんだよ!」


「あぐっ!」


 しまいには荒々しく天音の髪の毛をひっつかみ、強引に頭だけを持ち上げる。

 可哀そうなくらいに傷や砂だらけになった天音の顔が露わになったところで、さすがに俺も我慢の限界だった。

 声を張り上げ、一歩踏み出す。


「お前らいい加減にっ──」


「いい加減に、何だよ?」


 突如、底意地の悪い笑みを浮かべた浅間が胸ポケットから自分のスマホを取り出した。

 それを見せびらかすように、俺の眼前にかざして見せる。

 それだけで。

 たったそれだけのことで、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。


「なぁ……?」


「くっ……!」


「もっかい言うぞ。俺たち今取り込み中なんだよ──失せろ」


 恨みがましく浅間のスマホを睨みつけることしかできない自分が情けない。

 けれど、ここで後先考えずに浅間に食い下がれるほど、俺もバカにはなれなかった。

 傍らでは、事情を知らない天音が怪訝けげんそうに成り行きを見守っている。

 その傷だらけの顔と、浅間の邪悪なにやけ面とを交互に見比べて、


「…………え?」


 唖然とした顔をする天音にくるりと背を向け、俺はもと来た特別棟の扉を開けた。


「あお……碧人、くん?」


「うわぁ、シドーくん見捨てられたぁ! かわいそー!」


「なぁおい見てるか? 愛しのクスノキクン、今度はお前のこと助けてくんねーんだと!」


「さぁて、邪魔者もいなくなったところで……オラッ、いつまで寝てんだよ!」


 閉まりゆく扉の向こうから、ギャハハハという下卑げびた笑い声と、苦痛に耐える天音のうめき声が聞こえてくる。


「……あ……碧人、く……」


 最後に、壊れたふいごのように掠れたそんな声が聞こえてきて。


「…………っくしょうっ!!!!」


 いつだったか、天音を助ける為に地面を蹴ったその足で。

 今度は天音から逃げる為に──俺は、たまらず駆けだしていた。

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