第19話 俺は、お前の友達失格だ

「──と、まぁそんな感じだったかな」


 大瑠璃との初デートおつとめをどうにか乗り越え、週が明けた月曜日。

 いつものショッピングモールのカフェで一息入れたタイミングで、俺は天音にデート当日の様子を報告していた。


「へぇ。赤レンガ倉庫でそんなイベントをやってたんだ」


「ああ。まぁ、俺には何がなんだかよくわからなかったけどな」


「あー……たしかに、あまり男子高校生が楽しめるようなイベントじゃあないかもね」


「それな。欲しい物も見たい物もないから、こっちはただひたすら歩き回るしかなくてなぁ」


 ため息交じりに愚痴をこぼす俺を見て、天音がクスクスと小声で笑う。


「女の子とのショッピングデートなんて、普通は大体そんなものだと思うけどね」


「マジで? はぁ~、彼女がいる男たちは、いつもこんなハードな思いをしてんのか」


「何言ってるのさ。買い物なら、今まで何度も『予行演習』してきたじゃない」


 今さらでしょ、と肩をすくめ、天音は楚々そそとした仕草でティーカップに口を付けた。

 相変わらず、恰好だけでなく仕草まで女子っぽいという徹底ぶりだ。

 ほぼ毎日のことだからもはや見慣れてしまっていたが、こうして二日ほど間を空けてみれば、改めてこいつの「なりきり」の完成度を実感するなぁ。

 しみじみとそんなことを考えながら、俺はほとんど無意識の内に言葉を漏らしていた。


「いや、お前との買い物は気楽で楽しいし、べつに疲れとかは感じなかったからなぁ」


「んんっ⁉」


 途端に、紅茶を口に含んだままゲホ、ゴホとせき込む天音。

 服を汚すまいと必死に口を閉じて堪えているせいか、顔が真っ赤に染まっている。


「お、おいおい大丈夫か?」


「ゴホッ……だ、大丈夫。ちょっとむせちゃっただけだから」


 天音は紙ナプキンで口元を押さえながらひらひらと手を振った。


「…………さらっとそういうこと言っちゃうんだもんなぁ」


「天音? なんか言ったか?」


「う、ううん、何でもないよ。とにかく、お疲れ様だったね」


「まぁ、これも取引の為だしな。あの女王様の機嫌を損ねないよう、どうにかやっていくよ」


 大きく伸びをしながら俺が言うと、天音が申し訳なさそうに目を伏せる。


「ごめんね、碧人くん一人に頑張らせる形になっちゃって」


「気にするなって。それが向こうの出した条件なんだし、仕方ないさ」


「それでも、僕にできることがあったら何でも言ってね? 直接手助けすることはできないかも知れないけど、僕もできる限りのサポートはさせてもらうつもりだから」


「はは、サンキュー。なら、休日のに備えて、平日はせいぜい英気を養いたいかな」


 俺がそう言ってやると、天音はパアッと表情を明るくさせた。

 スミレ色の瞳をキラキラと輝かせ、胸の前でぎゅっと両の拳を握りしめる。


「そういうことなら任せて! 碧人くんに喜んでもらえるように、これからもっともっとキミの理想の僕っ娘になりきって、楽しいデートになるように頑張るよ!」


「これ以上どこをどう頑張るんだっつーの。もう十分完成度高いって」


「い、いいの! 僕はそう決めたの!」


「はいはい、んじゃ期待せずに待っとくよ……と、混んできたし、ぼちぼち出ますか」


 賑わいを見せ始めたカフェを後にした俺たちは、それからいつものように日暮れごろまで港湾地区を歩き回ったのち、桜木町駅前へとやってきた。

 仕事帰りの人々や、俺たちのように放課後の街歩きを終えたらしい学生なんかが、ぞろぞろと駅構内に入っていく。

 桜木町駅からは俺は電車、天音はバスで家まで帰ることになるので、俺たちもここで解散だ。


「今日は久々に一緒に遊べてすっごく嬉しかった。ありがとね、碧人くん」


 ブラウス&スカートから学ラン姿に戻った天音が、もうほとんど沈みかけている夕陽の光に照らされながら微笑んだ。


「久々ってほどでもないだろうに。二日ぶりくらいで大げさなやっちゃな」


「そんなことないもん。僕にとっては碧人くんとの『デート』が一日空くだけでも一大事なんだよ? 一人じゃ寂しいし、それに、可愛い服も着れないしさ」


「一大事って、お前なぁ。夏休みとかで何日も会えない時とかどうなっちまうんだよ」


「そのときはまぁ……寂しさとストレスで、死ぬ?」


「だからウサギかっての。せめて一、二週間くらいは我慢できるようにしとけよ」


「え~、そんなに間が空いたら本当に死んじゃうよ~」


 天音は冗談めかして唇を尖らせると、それから駅前広場の時計を見やって。


「っと。そろそろバスが来ちゃうから、もう行かないと」


 名残惜しそうにそう言って、いつものように別れの挨拶を口にした。


「それじゃあ碧人くん、また明日ね。学校と、それから放課後も」


「ほいほい」


「明日は何しようか? たまには碧人くんも『デートプラン』を考えてくれていいんだよ?」


「いつも通りそっちに任せるよ。お前の方がそういうの得意だろ」


「もう、またそんな面倒くさがって。デートは二人でするものなんだから、女の子……じゃなくて、片方ばっかりに準備を任せっきりにしちゃダメだよ。というわけで、ちゃんと考えておくこと。いいね?」


「う……わ、わかったよ。それよりほら、もうバスが来ちまうんだろ?」


 念を押すように突き付けてくる天音の人差し指を掴み、俺はバス停の方へと向きを変えさせる。

 誤魔化すような俺の態度に若干不服そうにしつつ、


「約束だからね? ふふふ、どこに連れて行ってくれるのか、楽しみだなぁ」


 最後にもう一度「また明日ね」と手を振ると、天音は足早にバス停へと向かって行った。


「おう、約束だ。また明日な」


 約束、か。

 とはいえ、どうしたもんかなぁ。

 ここ最近は連日のように遊び歩いていたから、俺もこの辺のレジャーやグルメにはそれなりに詳しくなったものだ。

 その中から適当に見繕うのが手っ取り早いんだろうけど、それじゃあいささか芸がない気もするしなぁ。

 なんだか早くも考えるのが面倒くさくなってきたが、一度引き受けてしまったものは仕方ない。

 それに天音の言う通り、いつも彼女ばかりにデートプランを考えさせる男というのもたしかに情けないだろう。

 ……よし、これも将来の僕っ娘彼女のためだ。

 今回くらいはちょっとマジメに考えてみるか。


「見てろよ天音。明日は俺だってやればできるって所を見せてやる」


 天音の驚く顔を想像しながら、さっそくいくつかのプランを思い浮かべて。


「──よぉ、『デート』はもう終わったのか?」


「え……?」


「なら、ちょっとツラ貸してくれや……クスノキクンよぉ」


 しかし。

 結局俺は、そのどれもを実行に移すことはできなかった。


※ ※ ※ ※


 翌日の放課後。

 ホームルームも終わり、クラスメイトたちも各々に部活やら何やらに繰り出していき、すっかり閑散とした二年三組の教室で。


「ごめん、天音。


 いつものように「一緒に帰ろう」と声を掛けてきた天音に、俺は言った。


「だから、俺たちの『なりきりデート』も、もうこれっきりだ」


「…………え?」


 その時の天音の顔を、俺はきっと一生忘れることはないだろう。

 初めに「急にどうしたの」と苦笑いして、でも俺がそれ以上何も言わずにいるのを見て、天音はその言葉が決して冗談でも悪戯でもないことを悟ったらしい。

 とても言葉では言い表せないが。

 とにかく、とても悲しそうな顔だった。


「……じゃあ、そういうことだから」


「ど、どうしてっ!?」


 逃げるように教室を出ようとする俺を、天音は必死に呼び止める。


「な、何かあったの、碧人くん? どうして急に……」


「何でもないよ。ただ、もうお前とはつるめ……つるまないってだけの話だ」


「そんな……ぼ、僕、何かキミを怒らせるようなこと、しちゃった?」


「いや、そういうわけじゃ…………っ⁉」


 天音が、すがりつくようにして俺の右手を両手で掴む。

 驚いて振り返ると、天音の目からはすでにポロポロと涙が溢れていた。


「……直す、から」


「え?」


「僕に、悪いところがあったなら……言ってくれたら、直すから……!」


 長い前髪が降り乱れ、痛ましい火傷の痕があらわになるのも構わず。

 天音はなおも俺を引き止めようとする。

 ……それでも。


「違う。そういう話でもないんだ」


 天音の両手をゆっくり払いのけて、俺はフルフルと首を左右に振った。


「そ、それじゃあ、どうして?」


「…………」


「わから、ない……言ってくれなきゃ、わからないよ……」


「っ……ごめん!」


 とうとうすすり泣きし始めた天音を一人置き去りにして、俺は今度こそ、振り返ることなく静まり返った放課後の教室を後にした。


「あっ……」


 去り際、最後に天音の口から出たその掠れた声に、俺は思わず唇を噛み締めた。

 足早に廊下を歩き、階段を下り、本校舎から外へと出て学校を後にする間、何度も何度も心の中で謝った。


(ごめん、天音)


 一人きりの帰り道を、脇目も降らずに駆け抜ける。


(俺は……俺は、お前の友達失格だ)

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