第16話 私のことだけ見てればいいの!

 翌日の土曜日。

 横浜市は朝から土砂降りの大雨に見舞われていた。

 活発化した梅雨前線がどうのこうの、というニュースキャスターの解説を聞き流しつつ、俺は内心肩の荷が下りた気分だった。

 こんな天気じゃ、さすがにあの女王様もわざわざ出かけようなんて気分にはなるまい。

 などとほくそ笑んでいると、朝の八時を過ぎた辺りで大瑠璃から電話があった。

 おそらくは今日のデートについての連絡だろう。

 できるだけ残念そうな風をよそおえるように声の調子を整えたのち、俺は応答ボタンをタップした。


「もしもし、大瑠璃か? いやぁ、今日は残念だっt」


〈ごきげんよう。いい朝ね、楠木君。昨晩伝えた通り、今日は十時にさくらちょう駅で待ち合わせよ〉


 信じられないことに、雨天決行のお知らせだった。


〈遅れないよう、早めに家を出なさいね〉


「…………うす」


 そんなわけで。

 休日の二度寝もできないまま着替えて家を出た俺は、渋々待ち合わせ場所である桜木町駅へと向かったのだった。


※ ※ ※ ※


「あら楠木君。思いのほか早かったじゃない」


 俺が駅に到着した九時五十分の時点で、大瑠璃はすでに改札口で待ち構えていた。

 さすがにミス帆港と言うべきか。ニットのカーディガンにスラリとした脚線を強調するデニムパンツと、女子高生というよりは女優か何かの休日みたいな服装で立っていた大瑠璃は、改札の人混みの中でもひと際目立っていた。


「学校ではいつも遅刻ギリギリに登校しているみたいなのに、少し意外だったわ」


「そりゃ、一分一秒でも遅れたらお前に何言いふらされるかわからないしな」


「へぇ、殊勝な楠木君ね。自分の立場をよくわかっているようで感心、感心」


 コロコロと笑う大瑠璃の声は実に楽しげだった。

 ちくしょう、「取引」の件さえなければ今すぐ回れ右して帰ってるところだ。


「さて、それじゃあさっそく行きましょうか」


「へいへい。で、一体どこに行くんだ? 外は見ての通りの大雨なわけだけど」


「問題ないわ。今日はほとんど屋内にいる予定だから」


 大瑠璃はおもむろにポケットからスマホを取り出し、俺の鼻先に画面を突き付けた。


「今日の目当てはこれよ」


「……『第四十八回・世界のアクセサリーマーケット』?」


「ちょうど今、赤レンガ倉庫の二号館で開催されているイベントよ。世界各国の珍しいアクセサリーや小物なんかが集まる期間限定フェアなの」


「ふむ。アクセサリーのフェア、ねぇ」


 なるほど。たしかにそれなら雨に濡れる心配はないだろう。

 ぶっちゃけそのイベント自体には全く興味をそそられないが、ここでまた変に渋って女王様の機嫌を損ねるのも上手くない。

 俺は素直に頷いておくことにした。


「要するに、今日一日お前の買い物に付き合えば良いんだな?」


「そういうこと。さて、そろそろ赤レンガ倉庫行きのバスが来るはずよ。立ち話はこれくらいにして、さっさとバス停に向かいましょう」


 言われるままに大瑠璃の後ろに付き従い、乗り込んだバスに揺られること約十分。

 到着した赤レンガ倉庫は、なるほどフェア目当てと思しき若い女性客を中心になかなかの賑わいを見せていた。

 というか、なんか全体的に男子のアウェイ感がすごくて近寄りがたい。


「なぁ大瑠璃。提案がある」


「却下よ」


「……まだ何も言ってないんですけど」


「言わなくても分かるわよ。楠木君のことだから、どうせ『俺はその辺のカフェとかで時間潰してるから、買い物はお前一人で行ってこいよ』とか言おうとしたんでしょ」


「……お前、もしかしてテレパシーとか使えるタイプの人?」


「ほらやっぱり。まったく、それじゃ二人で来た意味がないじゃないの」


 大瑠璃はたじろぐ俺の腕に自分の腕を絡ませる。


「ちょ、大瑠璃っ!? いきなり何を……」


「いいこと? 今日のあなたの時間は私のもの。つまり今日一日、あなたは私の所有物も同然なの。所有者オーナーである私が認めない限り、片時だって離れることは許さないわ」


 毅然とした態度でそう言って、さながらコアラみたいに俺の腕に抱き着いてくる大瑠璃。


(うわっ、顔近っ! それに、なんかすごいフローラルな良い匂いが……)


 スラリと伸びた鼻筋に、ほんのり紅のさした柔らかそうな唇に、一級品のガラス玉のようなコバルトブルーの瞳。

 間近に迫った大瑠璃の美貌に、俺は思わずゴクリとつばを飲み込んだ。

 口を開けばやれ「恋人になれ」だの「私のものにしてやる」だの、無駄に高飛車でバカなことばかり言ってるけど……。

 こいつ、やっぱり黙ってれば超美少女なんだよなぁ。


「わ、わかったよ。離れなけりゃいいんだろ、離れなきゃ」


「ふふ、よろしい。それじゃあデート開始よ。よろしく頼むわね、楠木君?」


 いつになくご機嫌な様子の女王様に連れられ、俺は仕方なく赤レンガ倉庫の雑踏の中へと足を踏み入れた。


※ ※ ※ ※


 大瑠璃の言っていた通り、赤レンガ倉庫内にはいくつものショップが立ち並び、そのほとんどが色も形も様々な装飾品をこれでもかと店先に並べていた。

 インド産パワーストーンだのイタリア直輸入のヴェネチアンガラスだの、「世界のアクセサリーマーケット」というだけあり、たしかに異国情緒溢れる品々が集まっているようだ。


「へぇ、まるでちょっとした美術館だな」


「今日はネックレスを買おうと思っているの。楠木君も、私に似合いそうな物を見つけたら教えてちょうだいね?」


「お前にどんなアクセサリーが似合いそうかなんて知らないっての」


 そうして色々な店を冷やかした俺たちは、やがて大瑠璃が目を付けた一店に入る。


「うんうん。ちょっと地味な気もするけれど、デザインはどれもなかなか良いじゃない」


 言うが早いか、大瑠璃はウキウキした様子で店の奥へと突き進んで行ってしまった。

 取り残されて手持ち無沙汰になった俺も、気まぐれに近くの棚の商品を眺めてみる。

 正直アクセサリーの良し悪しなんて俺にはわからないけど、周りの店のものと比較すると、ここの商品はデザインも色合いも割と大人しい感じのものが多いようだ。


「ん?」


 ふと、棚の隅にあった一つに目が留まる。

 淡い紫色を基調とした、可愛らしい子犬の形をした銀のネックレス。

 両目を閉じて舌を出したその子犬の顔にどことなく見覚えがある気がして、「そうか」と思い当たる。

 そうだ。天音が人懐っこく笑う時のあの顔に、ちょっとだけ似ているんだ。


「はは。これ、あいつに似合いそうだな」


「どれが誰に似合いそうですって?」


「うぉっ?」


 思わず独り言が口をついたところで、いつの間にか背後にいた大瑠璃に肩を叩かれる。


「お、おう、大瑠璃か。どうした、もう目当ての物は見つけたのか?」


「『どうした』はこっちの台詞よ。あなたがお店に入るなり勝手にいなくなっちゃったから探してたんじゃない。おかげさまでまだ何一つ見つけられていないわよ」


 ええ……店に入るなりどっか行っちゃったのはお前の方じゃん。

 わがまま。

 わかっちゃいたけど超わがままだよこの人。

 でも我慢だ、俺。こういう理不尽に耐えるのも、全ては取引のためだ。


「ちょっと、聞いているの楠木君?」


「聞いてるよ。悪かった、勝手にいなくなったのは謝るから」


 俺は素直に謝罪の言葉を告げたが、大瑠璃はまだへそを曲げている様子だった。


「それで? 楠木君は誰にそのネックレスが似合いそうって思ったのかしら?」


「え? ああ、これか。いや、この子犬の顔がさ、なんとなく天音の笑った顔に似てるなと思ってな。あいつ、性格もちょっと犬っぽいところあるし似合うかもいででででで!」


 不意につま先に走る痛みに、俺は危うく手に持ったネックレスを取り落としそうになる。

 見れば、不機嫌そうに頬を膨らませた大瑠璃が俺の足をグリグリ踏んづけていた。


「……あの、大瑠璃さん? 足がめっちゃ痛いんですけども」


「痛くしてるのよ」


 俺の足を踏みつけにしたまま、大瑠璃はグイっと俺のシャツの胸倉を引っ張った。


「楠木君。あなたは今日、?」


「……お、大瑠璃と、です」


「でしょう? なら、私を差し置いて他の女の子のことなんか考えないで」


「……? いや、紫藤は女の子じゃなくて男だぞ?」


「そうですけれど! とにかく、今日は私とデートしてるんだから、あなたは私のことだけを見ていればいいの! 私のことだけを考えていればいいのよ! わかった!?」


「い、イエス、マム!」


 ひ、ひえ~。

 やっぱりおっかないよ、この女王様……。

 

 

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