第12話 名前で呼んで欲しいな

「それ……、か?」


 俺がそう言うと、紫藤は明らかに動揺した様子だった。


「こ、これは、えっと」


「あーいや、悪い。答えたくないんなら、無理に答えなくてもいいんだけど」


「う、ううん。そういうわけじゃ、ないんだけど……」


 しばらくの間言葉を探して、やがて紫藤は観念したように打ち明けた。


「……楠木くんには、何度か話したよね。僕が前に通ってた学校でのこと」


「ああ。なんか、色々あったんだっけ? 詳しい事情は知らないけど」


 色々。

 クラスの誰からも相手にされないとか、性質タチの悪い連中に目をつけられるとか。

 きっと、それらと似たり寄ったりな、色々。

 こいつの口からはっきりとそう聞いたわけじゃない。

 けど、それでも前の学校のことを話すときのこいつの表情を見れば、少なくとも穏やかな話じゃないことくらいは想像がついた。


「……半分は、事故みたいなものだったんだけどね」


 案の定、そう前置きする紫藤の口から語られたエピソードは、痛ましいものだった。


「僕は背も低いし痩せっぽちだし、おまけにこんな見た目だからさ。前の学校でも、やっぱり不良グループみたいな人たちに目をつけられてたんだ。それも、女子のね」


「……そうか」


 情けない、とは言えなかった。

 今の紫藤が本当に、か弱い少女に見えるからかもしれない。


「その日も僕は、いつものように教室の隅で数人の不良女子たちに絡まれてた。『カラオケ代を貸してくれ』、みたいな話だったかな。持っていた髪コテをちらつかせて、僕にお金をせびってきたんだ」


 なんだそりゃ。完全にカツアゲじゃんか。


「それで、それからどうなったんだ?」


「もちろん、僕は断ったんだけど……そうしたらその女子は、コテを僕の顔のすぐ近くまで突き付けてきた。電源は入っていたけど、彼女もちょっと脅すだけのつもりだったんだと思う。でも、運悪く近くでふざけていた別の生徒がその子にぶつかって。その弾みで……」


「お前の額にコテが押し付けられた、と」


「う、うん」


 火傷痕がうずくのか、紫藤が額にそっと手をあてがう。


「それ、痛むのか?」


「ううん。痛みはもうほとんどないよ。実際、見た目よりもずっと軽傷だから。でも、やっぱりちょっと目立つアザだからさ。普段はこうして人目につかないように隠してるんだ」


 俺から受け取ったキャスケット帽を目深にかぶり直し、サッサッと髪型を整える紫藤。

 たしかにこうして前髪を下ろしていると、火傷痕はすっぽりと隠れてしまう。

 さっきのように強風にあおられでもしない限り、人目にふれる心配はほとんどないだろう。

 鬱陶しいからバッサリ切っちまえばいいのに、なんて思っていたが。

 なるほど。あの柳のような長髪にも、それはそれでちゃんと役割があったということか。

 ……そのせいで、見た目の陰気さに拍車がかかっているのは切ないところだが。


「ごめんね。隠すつもりはなかったんだけど……ほら、あんまり聞いていて気持ちのいい話でもないだろうしさ。また楠木くんを嫌な気分にさせちゃったら、悪いなと思って」


「……俺に悪い、ねぇ」


 いらぬ気を回して申し訳なさそうに微笑む紫藤を、俺はジトっとした目で見下ろした。

 

「な、なに? 僕、何か変なこと言った?」


 視線に気付いてアワアワとする紫藤。

 ため息とともに、俺は言った。


「嫌な気分にさせる、とかさ。そういうのはもういいだろ」


「え?」


「話したい事があるなら話せばいいし、隠したきゃ隠せばいい。前にも言ったろ? どうしようがお前の好きにしたらいい、ってさ。だから、俺に遠慮して言いたい事を言わない、とか、そういう煩わしいのはナシでいこうぜ」


 変に遠慮されてると思うと、むしろそっちの方が気を遣うしな。


「いや、でも……今日はせっかくこうして遊びに来てるのに、こんな暗い話……」


 かぶり直したキャスケット帽がいきなり漬物石にでもなったかのように、紫藤はズーンとうなだれてしまう。

 さてはこいつ、まーたネガティブモードになりかけてやがるな?

 

「あのな、紫藤。胸クソ悪い話の一つや二つされたって、それで俺がお前を嫌ったりするとか思ってるんなら、そりゃ見当違いも良いところだぞ」


 ビクン。

 図星をつかれたらしい紫藤が肩を震わせる。わかりやすい奴め。

 まぁ確かに、なりゆきとはいえ嫌な話を聞かされはした。

 美味いサンドイッチで腹も膨れて、あったかいお茶で一息ついて、なんならいっちょ昼寝でもしたいぐらいにくつろいでいたところに、だったもんな。

 正直、ムカついて眠気なんか吹っ飛んじまったよ。


「けどな、それでお前にまでムカつくなんてこと、あるわけないから」


 俺がきっぱりとそう言ってやると、紫藤もようやく気を落ち着けたらしい。

 おずおずと確かめるように訊いてくる。


「……ほ、ほんと?」


「ああ、本当だ」


「本当に、嫌ったりしない?」


「しないしない」


 というか、こちとらすでにその胸クソ話の一つに巻き込まれている身だからな。

 嫌うというなら、その時点でとっくのとうに嫌ってる。


「そ、そっか。うん……そっか……えへへ」


「なんだよその顔は。お前、いますげー締まりのないツラになってるぞ?」


 ほっぺたをモチみたいにユルッユルにした紫藤が「そうかなぁ?」と首をかしげる。

 さっきまでの泣きっ面が嘘みたいだ。

 やれやれ、何がそんなに嬉しいんだかね。


「うん。わかったよ、楠木くん」


 ゴシゴシと目元を拭い、決然とした様子で紫藤は頷いた。


「もう『転校生』と『世話係』じゃない。友達、なんだもんね。変な遠慮も気遣いも、他人行儀なのはもう止める。お言葉に甘えて、これからはもっと気兼ねなく楠木くんを頼らせてもらうことにするよ」


「おう。そしたら俺も、頼られたり頼られなかったりしてやるよ」


「そ、それもやっぱり気分次第なんだね?」


 脱力気味に苦笑する紫藤は、やがて何事か思い当たった様子で手を合わせた。


「それじゃあ、さ。さっそく一つ、いいかな?」


「ああ、いいぞ。何でも言ってみ」


「うん。えっとね……僕のこと、名前で呼んで欲しいな、って」


 なぜかめちゃくちゃ顔を赤らめながら、紫藤が恐る恐るといった感じで俺を見上げてくる。

 

「名前で? ああ、まぁべつにいいけど」


「えっ!?」


 特に断る理由もなかった俺がそう答えると、紫藤が興奮気味に詰め寄ってきた。


「い、いいの!? じ、じゃあ、僕も楠木くんのこと、その……『碧人あおとくん』って呼んでもいい、カナ!?」


 最後の方は声が裏返っていた。

 なんだこいつ。急にどうしたっていうんだ?

 ていうか、なんか目が据わっててちょっと怖いんですが?


「お、おう。好きにしろ」


「う、うん! じゃあ、改めて……よろしくね、碧人くん!」


「ああ。よろしくな、天音あまね


 俺が名前を読んだ瞬間、紫藤改め、天音の肩がピクリと跳ねる。


「ご、ごめん、碧人くん。もう一回……もう一回、呼んでみてくれないかな?」


「? ……天音」


「もう一回」


「天音」


「もう一回!」


「天音……って、さっきから何がしたいんだお前は」


 首を傾げる俺の前で、天音は両頬に手を当ててご満悦な表情を浮かべていた。

 う~ん、こいつ、時々こんな風に挙動不審になるところがあるよなぁ。

 もしかして、これも長きに渡るぼっち生活の弊害だったりするのだろうか。

 ……なんか、うん。これからはもう少し優しくしてあげよう。


「あ、そうだ。それとね……もう一つ、お願いがあるんだけど」


 俺が憐れみにも似た視線を向けていると、天音がくるりと俺に向き直る。


「これからも放課後とかさ。またこんな風に、一緒にどこかへ遊びに行きたいな。もちろん、楠……碧人くんさえ良かったら、だけど」


 なんだ、そんなことか。

「お願い」なんて改まって言ったわりに、随分とまあ慎ましい要求だな。


「オーケー、オーケー。了解だ。そんくらいならお安いご用だよ」


「本当? ありがとう!」


 ま、俺も今日はなかなか楽しかったしな。さすがに毎日とはいかないが、これからは一緒に寄り道するのも悪くないだろう。

 こりゃあ、いよいよ帰宅部エース(自称)の看板も下ろしどきかもだな。

 なんて、俺が格好つけて肩をすくめた直後だ。

 天音がとんでもないことを言った。


「それじゃあ碧人くん。これから二人で遊びに行くときは、僕はで過ごすことにするからさ。また次の『なりきりデート』もよろしくね」


「オーケー、オーケー。了解……ホワッツ!?」


 びっくりした。

 びっくりして思わずムダに英語で訊き返してしまった。


「こ、これって、今回きりの一発企画じゃなかったのか!?」


「嫌だなぁ、碧人くんってば。そんなこと一言も言ってないじゃない」


 にわかに距離を詰めてきた天音は、それからにっこり笑顔で俺に言った。


「『遠慮するな』って言ったでしょ? ちゃんと付き合ってよね、碧人くん?」


 ま、マジでございますか、天音さん?

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