第8話 誰だ、この超絶美少女は!?

 迎えた日曜日。

 このところ曇り続きだった横浜の空は久しぶりに晴れ渡り、絶好のお出かけ日和となった。

 海沿いに伸びる臨海公園はピクニックを楽しむカップルや家族連れで賑わい、港湾を挟んで対岸に見える赤レンガ倉庫にも、多くの買い物客や観光客が行きかっている。

 そして俺が今いるのは、そんな港町の風景を一望できるフェリーふ頭の屋上庭園だった。


「ふぅ、ここは比較的静かでいいよな」

 

 屋上庭園は人影もそう多くなく、海上に突き出した格好で建てられている構造上、街の喧騒もここにはほとんど届かない。

 待ち合わせ場所にここを指定するとは、紫藤の奴もなかなか気が利いているな。


「ええっと、十時に庭園の中央広場、でいいんだっけか」


 スマホの時刻表示を見ると、ちょうど午前九時五十五分になったところだ。

 たどり着いた中央広場をざっと見回してみる。紫藤はまだ来ていないようだった。


「【いま広場に着いたぞ。そっちは?】……っと」


 まだほとんどログの残っていない紫藤とのトークルームにメッセージを書き込む。

 待っている間に自販機で麦茶でも買うか、と思ったら。二秒とかからずに返事は来た。

 はえーな、オイ。ボットかよ。


【こっちももう中央広場にいるよー】


 なんですと?

 俺はもう一度周囲を見渡してみる。広場にはチラホラと人の姿はあるが、その中にはやはり紫藤らしき人影は見当たらない。


【お前、本当に広場にいるの? 全然見つからないんだけど】


【さっきからずっといるってば。もう一度よく探してみてよ】


 そんな「ウ〇ーリーを探せ」じゃあるまいし。

 仕方なく、広場のあちこちに三度視線を走らせる。

 スマホをいじっている若い女性、犬の散歩をするお爺さん、休憩中の青年ランナー。

 広場に集う人々はなかなかバリエーションに富んでいるものの、やっぱり俺と同年代っぽい男子の姿などない。

 なんだか不安になってきた。

 もしかして俺、集合場所を間違えてるのか? 

 いやでも、庭園の中央広場といえばこの場所しかないしなぁ。


【悪い、お手上げだ。さっぱり見つからないよ】


【えー、ちょっと諦めるの早くない?】


【見つからないもんは見つからないんだから仕方ないだろ。マジでどこにいるのお前?】


【あーあ、寂しいなぁ。僕の方はもうとっくにキミを見つけてるのにさ】


 はい?

 ならお前の方からさっさと声かけて来いや!

 思わずスマホを握る手に力が入ったところで、紫藤から追加の返信。


【じゃあ、特別に大ヒント】


 メッセージはさらに続く。


【僕、メリーさん。いまキミの後ろにいるんだ】


 なんだそりゃ。ヒントっていうか、これもうほぼ答えじゃん。

 あの野郎。さては俺をからかうために、物陰にでも隠れてやがったな?


「あのなぁ。かくれんぼがしたいなら他所よそでや──」


 さすがに文句の一つも言ってやろうと、すぐさま背後を振り返って、


「おはよう楠木くん。いいお天気だね」


「…………れ?」


 馬鹿みたいに口を開けたまま、俺はその場で固まってしまった。


「どうしたの、楠木くん? 僕の顔に何かついてる?」


「…………(パクパクパクパク)」


「あはは、楠木くんってば金魚みたいだよ」


 なんて呑気な世間話が始まろうとするが、こっちはそれどころではない。


「……だ」


「だ?」


「誰だお前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 叫んだ。

 そりゃそうだ。

 こんなの誰が見たって叫ぶに決まっている。

 なぜなら背後から声をかけてきて、なおかつ俺のことを「楠木くん」と呼ぶその人物は。

 ──どこからどう見てもだったからだ。


「誰って、僕だよ僕。キミの友達の紫藤天音じゃないか」


「いやっ、でもお前、その恰好は……?」


 よくよく見れば、そこにいるのはたしかに紫藤だった。だが、問題はその服装である。

 ひらひらしたフリルの付いた半袖ブラウスに、膝上十センチほどのスカート。

 頭にはキャスケット帽をちょこんと乗せ、斜め掛けしているショルダーバッグなんかも明らかに女性ものだ。

 おまけにいつもは無造作に垂らされていた黒髪も、今はきちんと後頭部にまとめ上げてすっきりしている。

 相変わらず長い前髪で顔半分ほどは隠れているが、それでも普段の地味で暗そうなイメージは綺麗さっぱり吹き飛んでいた。

 美少女、と。

 そう呼称しても何ら違和感のない格好で、紫藤はそこに立っていた。

 そういえば、さっき似たような恰好をした女の人を広場で見かけたような。

 ……そりゃあ、いくら探しても「同年代の男子」は見つからないハズだよなぁ。


「あっはは! サプライズは大成功、みたいだね。どう? 似合ってる?」


「あ、ああ……って、そうじゃなくて! その、なぜそんな格好を?」


 色々と突っ込みたいことはあったが、まずは最大の疑問をぶつけてみる。


「それはもちろん、楠木くんとの『なりきりデート』のために決まってるじゃないか」


「なりきり……デート?」


 なるほど。さっぱりわからん。


「楠木くん、いつも言ってたよね。『僕っ娘が大好きだ』、『僕っ娘な彼女が欲しい』って」


「は?」


「でも、同時にいつも落ち込んでた。『なんで現実には僕っ娘がいないんだ』ってさ」


「藪から棒になんだよ。そりゃあ、たしかにいつも言ってるし、落ち込んでるけれども」


「うん。だからね、今日は楠木くんのその願望を叶えてあげようと思って」


「叶えるって、どうやって?」


「ふふん。初歩的なことさ、ワトソン君。僕っ娘な彼女が見つからないんなら、んだよ!」


「なにその頭悪そうな名探偵」


 さも名案とでも言いたげに得意顔を浮かべる紫藤。

 俺は混乱する頭でなんとか状況を整理する。


「ええっと……つまり今日一日、お前は『僕っ娘』になりきって俺と過ごす、と?」


「そういうこと。ほら、前に僕がギルガルのヴィオレッタの真似をした時に、楠木くんも『似てる』って言ってくれたでしょ? だから、僕なら出来ないこともないかな~って」


 言って、紫藤はスカートの裾を軽くつまみ上げて可愛らしくはにかんだ。


「どうかな、楠木くん。念願のリアル僕っ娘彼女の感想は?」


「うっ」


 ぶっちゃけた話、めちゃくちゃハマっている。

 この前の物真似もかなりの破壊力だったが、今日のクオリティは前回の比じゃない。

 いかにも清楚系といった服装に加え、香水でも付けているのかほんのり甘い花のような香りも漂わせている。

 スカートからのぞく瑞々しい脚線も、よくできたフランス人形みたいに長いまつ毛も、今日の紫藤はどれ一つとっても可憐な少女にしか見えなかった。

 そこへ持ってきて、だ。

 口調や立ちいだけは、いつものあの鬱陶しくもどこか憎めない子犬系男子のままなのだ。そして当然、そこには一片の嘘臭さなどないときている。

 認めちまうのは癪だが……今日の紫藤は、限りなく「最適解」に近い!

 もはや「女装」だとか「なりきり」だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてない。

 いっそ理想的といってもいい僕っ娘像が、いま、正に俺の目の前で体現されていた。


「あのぅ……そんなに真剣に見つめられると、僕もさすがに恥ずかしいんだけど?」


 紫藤の照れ笑いに、俺はハッと我に返る。

 し、しまった! あまりの完成度に思わず無言でガン見してしまった!


「あれ? 楠木くん、顔真っ赤だけど大丈夫?」


「ば、バッカお前、そそそんなわけないだろ! 今日は日差しもあるし暑いからアレがアレしただけで……お、お前なんかに見とれてたわけじゃないんだからねっ!」


「うわぁ、お手本のようなツンデレだね」


「だまらっしゃい。つーか、よく考えてみればお前が女装したところで、それは僕っ娘じゃなくてただの男のなんじゃあ……」


「まぁまぁ、細かいことはいいじゃないか」


 俺の言葉を遮ると、紫藤は出し抜けに俺の右腕に抱き着いてきた。


「ちょっ!? おまっ、いきなりくっつくなって!」


「なに慌ててるのさ。これくらいのスキンシップ、学校でもしてたと思うけど?」


「そ、そうだけど! そうじゃなくて……」


 例によって例のごとく、紫藤の辞書には対人距離という概念がないらしい。

 それ自体はいつものことと言えばいつものことなのだが、今日の紫藤には服装以外にもいつもとは決定的に違う部分があるのだ。


「と、とにかくだ! 今日はいつもみたいにベタベタするの禁止!」


 俺は強引に腕を引き離しにかかるが、紫藤はそれが気に入らないらしい。

 不満げに頬を膨らませると、ますます強く俺の右腕を抱きしめた。

 必然的に押し付けられる、


「むぅ、なんで逃げようとするのかなぁ」


「いやだって……あ、当たってるし」


 俺がチラリと視線を下げると、そこで紫藤も「ああ、そっか」と頷いた。

 そう。今日の紫藤の胸部には、いつもと違うやわらかな膨らみがあったのだ。それも、華奢で小柄なその体にはちょっと不釣り合いなほど立派なモノが。


「お前、胸にまで何か詰めてるのかよっ」


「どうせ僕っ娘になりきるなら、こういうのも徹底的にやった方がいいかと思ってさ」


 ふんすっ、と鼻を鳴らす紫藤。


「これでも僕、楠木くんのために色々勉強したんだよ? 口調や言動はボーイッシュだけど、身体つきはその辺の女の子よりも女らしくてナイスバディ。そういうギャップなんかがまた、僕っ娘好きにはたまらなかったりするんだよね?」


 ぐぅっ!? 悔しいがわかりみが深い!


「そ、それにしたって、こいつはちょっと盛りすぎなんじゃないか? 二次元での話ならともかく、さすがにこのおっぱいでリアルJKは無理あるだろ」


「でも、好きなんでしょ? こういうの」


「そ、それはっ」


 ジッとこちらを見つめる紫藤の視線に耐えかねて、俺はしぶしぶ白状した。


「……すみません。正直すごく興奮します」


「あはは、照れてる〜。楠木くんってばかわいいね」


 くそっ、己の性癖に素直な自分が憎い!

 恥ずかしいやら悔しいやらで唇を噛み締める俺を見て、紫藤は心底楽しそうに笑っていた。

 なんだか普段と立場が逆転してしまっている気がする。紫藤のくせに生意気な。


「さてと。楠木くんの良い反応も見られたことだし、そろそろ行こっか」


「お、おい、引っ張るなって」


「地味メンのすがた」から「僕っ娘美少女のすがた」へフォルムチェンジした紫藤は、俺の手を取って意気揚々と歩き出した。

 え、マジで? 

 マジで俺、今日一日この格好のこいつと遊びに行くんですか?


――――――――――


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