第7話「僕だって、女の子なんだよ?」

 不良たちに絡まれていた紫藤を助けてから、数日が経った。

 学校ではほぼずっと一緒に行動している俺を警戒してか、あるいは校内のパトロールを強化している竹内先生を警戒してか。

 とにかくあれ以来、あいつらが紫藤にちょっかいをかけてくることはなかった。

 まぁ、それについては喜ばしい限りではあるのだが……。


「楠木くん、次は移動教室だって。一緒に行こう!」

「楠木くん! お昼ご飯一緒に食べよっ!」

「ねぇねぇ楠木くん! 今日は駅まで一緒に帰らない?」



 問題はあの一件以来、紫藤がますます俺にベッタリになってしまったということだ。

 俺と「友達」になれたことがよっぽど嬉しかったのか。もはやそういう妖怪か何かみたいに「一緒に」「一緒に」と言って俺の所へやってくるのだ。

 やれやれ、随分と気に入られちまったもんだな。

 まぁ、別にいいんだけどさ。

 

「あ、それ、『ギルガル』でしょ?」


 そんなある日の昼休み。

 俺は今日も今日とて弁当包みを手に押しかけてきた紫藤と一緒に、穏やかな昼下がりのひと時を過ごしていた。

 ちなみに今日は学食に好みのメニューがなかったので、購買で買った総菜パンと牛乳を教室で食べている。


「楠木くんもそのゲーム、やってるんだ」


 モシャモシャと枝豆チーズパンを頬張りながら俺がスマホに指を走らせていると、対面に座っていた紫藤がひょこっと画面を覗き込んでそう言った。


「え、なに? お前このゲーム知ってるの?」


「うん、僕もやってるからね。といっても、始めたのは結構最近なんだけど」


「マジでか」


〈ギルティ・ガルディアンズ〉──略してギルガルというのは、俺がハマっているソーシャルゲームアプリの名前である。

 ジャンルとしてはよくあるタワーディフェンスなのだが、これがシンプルかつなかなか奥が深いゲーム性で面白いのだ。

 ただ、そろそろリリースから五周年とそれなりに息が長いにも関わらず、いかんせん他のビッグタイトルの陰に隠れがちなようで、あいにくこれまで同好の士に巡り合うことはできずにいた。

 それがまさか、こんな形でに出会うことになるとは。


「紫藤、もしかしてソシャゲとか結構やるタイプ?」


「うーん、普段はあんまりやらないかな。でもこのゲームは好きだよ。世界観やストーリーも面白いし、なによりキャラクターのイラストが良いんだよね」


 むむっ。こやつ、なかなか理解わかっているではないか。

 いつも紫藤との雑談は適当に聞き流すだけの俺だったが、こうなるとギルガル談義に花を咲かせたくなるのが、リリース当初からのファンのさがというものだ。


「そうそう、俺もこのイラストが好きでさ」


「うんうん。女性キャラも男性キャラも、みんな可愛いしカッコいいよね」


「ああ。それに、イラストだけじゃなくてキャラボイスもまた良いんだよなぁ」


「だよね。ちなみに、楠木くんの一番のお気に入りはどのキャラなのかな?」


「ふっ。その質問を待っていた」


 俺はすかさずスマホの画面をタップして紫藤に見せる。

 どこかミステリアスな雰囲気を纏った少女のキャラクターが、画面外の俺たちに穏やかな微笑を向けていた。


「俺のお気に入りは、この『ヴィオレッタ』だ!」


「あ、知ってる! 僕もそのキャラはよく使ってるよ。たしかに可愛いよね」


「おお、わかるか? イラストやボイスが可愛いのはもちろんだけど、『理不尽な迫害を受けて故郷を追われた悲しい過去を持ちながらも、その悲劇を乗り越え今は主人公の率いる組織で一生懸命に戦っている』、っていう設定もまた健気で可愛いんだよなぁ」


「へぇ、そんな設定があったんだね。それは全然知らなかったよ」


 まぁ、知らないのも無理はあるまい。

 なにしろゲーム内では彼女との親密度パラメータを最大にしないと開示されない情報だからな。


「とまぁ、色々と好きな理由をあげてはみたけど、やっぱり一番のポイントは……」


「僕っ娘だから、かな?」


 いきなり台詞を先取りされて、俺は一瞬自分の心が読まれたのかと思いぎょっとする。

 たしかにこのヴィオレッタは、現時点で作中唯一の僕っ娘キャラなのである。俺が彼女を一番のお気に入りにした最大の理由はそれだった。


「そ、その通りだけど……お前、なんで俺が僕っ娘好きだって知ってんの?」


 おそるおそる尋ねてみると、紫藤はゆっくりと口を開く。


「だって楠木くん、自分でそう言ってたから」


「前に? 俺が?」


 と首をひねって、やがて一つの記憶に思い当たる。


「あぁ、あれか。前に大瑠璃に絡まれた時な」


 そういやあの時は紫藤も一緒にいたんだっけ。

 大瑠璃を追っ払うのに精一杯で、そこまで頭が回らなかったな。

 俺が述懐じゅっかいすると、紫藤はちょっと困ったような顔で苦笑する。


「あんなに綺麗な人に告白されてるのに、それをあんなにあっさり断っちゃうんだもん。楠木くん、よっぽど僕っ娘が好きなんだねぇ」


「あたぼうよ! 女の子でありながら一人称が僕。その一見して自己矛盾的とも言えるギャップが良いのはもちろんのこと、無邪気でボーイッシュな印象とか、少女らしさと少年らしさの間で揺れ動くある種の危うさとか、ふとした瞬間に見せる乙女チックな仕草とか、もうそういうの全部が好きなんだよ。そういう僕っ娘な女の子こそ俺の理想の──」


「あ、あの、楠木くん?」


「……っと、悪い。俺としたことがつい熱くなっちまったな」


 思わず浮き上がりそうになっていた腰を座面に戻し、俺は気を鎮めるようにコホンとひとつ咳払いした。

 いかんいかん。僕っ娘のことになるとどうも暴走気味になってしまうのは俺の悪いクセだな。

 自分の萌えはだれかの萎え、だ。反省、反省。


「まぁとにかく、そういうわけでこいつは俺のお気に入りなんだよ。な、ヴィオレッタ?」


「……ふぅん」


 俺が一通り語り終えると、紫藤は不意に画面内の少女をジッと見つめる。

 そうしてしばらく何事か考え込んでいたかと思えば、今度はなぜか急にのどの調子を整えはじめた。


「あー、あー、んっんー」


「うん? おい紫藤、いきなり何やって……」


「──《ねぇ、聞いてる? リーダー》」


 出し抜けに紫藤の口から飛び出した言葉に、俺の下顎がかくんと落ちる。


「《たしかに地味で不器用なところもあるけど、さ……僕だって、女の子なんだよ?》」


 少し不機嫌そうに頬を膨らませ、上目づかいでこちらを見上げながらのその台詞に、俺は思わず自分の心臓がドクンと大きく脈打つのを感じた。

 こ、これはまさかっ!


「どう? 似てるかな?」


 ゲーム画面に映る少女と俺とを交互に見て、紫藤が照れ臭そうに頬を染める。

 声色こそ本家とは違うものの、間違いない。今のはギルガルのヴィオレッタの台詞だ。

 しかも、メチャクチャ似てる。

 喋り方や抑揚よくようのつけ方、なにより俺の性癖にどストライクにぶっ刺さるいじらしい僕っ娘の雰囲気が、ゲーム内の彼女とそっくりだった。

 いやもう、マジで瓜二つ。あまりにも真に迫りすぎてて、「あれ? 俺のスマホにホログラム投影機能なんてあったっけ?」と勘違いしてしまうレベルだ。


「……すげぇ似てる」


 俺が辛うじてそう言うと、紫藤は両手を合わせて誇らしげにはにかんだ。


「本当? えへへ、よかった。こう見えても演技力にはちょっと自信あるんだ」


 いやはや驚いた。

 たしかに、そもそもからして紫藤は中性的な見た目や声をしている奴だとは思っていた。

 が、それにしてもさっきのこいつは完全にヴィオレッタ、つまり、俺が愛してやまない僕っ娘少女そのものだった。

 まさかこいつに、こんなポテンシャルが秘められていようとは。

 ……不覚にも、ちょっと可愛いとか思ってしまった。


「楠木くん? 急に難しい顔してどうしたの?」


「い、いや、大丈夫だ問題ない。俺が好きなのはあくまでも僕っ娘な『女の子』だ」


「え? う、うん。それはもう、知ってるけど」


 危ねぇ。

 なんか一瞬新しい扉が開きかけた気もしたが、なんとか踏み止まれたようだ。

 ふぅ、良かった……でも念のため、後でこの扉には木板でも打ち付けておくとしよう。


「あーと、そうだ。このゲームだけどさ、実はアーケード版もあったりするんだよな」


 気まずい沈黙を断ち切るように、俺はとっさに適当な話題をひっぱり出す。


「アーケード版?」


「スマホじゃなくて、ゲームセンターで遊べるバージョンもあるってことだよ。全国のプレイヤーとオンラインで対戦できたりするんだとさ」


「へぇ、そんなのもあるんだ。面白そうだね」


「ああ。まぁ、俺はやったことないんだけどな」


 なにしろゲーセンみたいに人が多くてうるさい所は苦手だし。

 などと考えている俺とは反対に、紫藤は思いのほか興味をそそられたらしい。

 スミレ色の瞳の奥を一瞬キラリと光らせ、ワクワクした様子で俺の手をとる。


「それじゃあさ、楠木くん。今度のお休みの日にでも、僕と一緒にそのアーケード版っていうのをやりに行こうよ!」


「え?」


 予想外の提案に驚いていると、紫藤は間髪入れずにずずいと顔を近づけてくる。

 近い近い、近いって。相変わらず俺のパーソナルスペースはガン無視か。


「いや、だから俺はそれプレイしたことないんだって。スマホ版ならともかく、アーケード版に関しちゃ俺だってド素人なんだ。お前に教えられることなんか何もないぞ?」


「なら、二人で一緒にやり方を覚えればいいよ」


「いいって、俺はスマホ版だけで」


「まぁまぁ、そう言わずに。案外ハマるかもしれないじゃない」


 紫藤の声は穏やかそのものだったが、その言葉の端々はしばしからは一歩も退かないという強い意志をうかがわせた。

 こいつ、妙なところで押しが強いな。


「ねね、楠木くん。いいでしょ?」


「わかった、わかった。行けばいいんだろ」


「本当? やった! それじゃあ、今週の日曜日なんかどう?」


「あぁ、いいぞ。俺もその日はフリーだしな」


 つーか土日は大体フリーだしな。


「決まりだね。ふふ、楽しみだなぁ」


 紫藤は俄然楽しそうにそう言うと、今度は思い出したように「あ、そうだ」と声をあげる。

 次にはなぜかモジモジとした様子で、気恥ずかしそうに眼を泳がせ始めた。


「どうした紫藤。トイレか?」


「い、いや、そうじゃなくて……当日の、ことなんだけどさ」


 なんだか歯切れの悪い口調で、紫藤は俺の様子を窺うように口を開いた。


「待ち合わせの場所とか、時間とか……家にいる時も相談できたらな、って思って。ほ、ほら! 学校の休み時間とかだけじゃ、決めきれないかもだし?」


 あぁ、なるほど。そういうことか。

 紫藤の言わんとしていることを察した俺は、手にしていたスマホを操作する。


「そういや、まだ連絡先とか交換してなかったな。ほい、俺のIDな、これ」


 ていうか、普段あんだけグイグイ来るんだから、連絡先くらい普通に「教えて」って言えばいいのにな。変なところでシャイな奴だ。

 俺はスマホに入っているトークアプリのプロフィール画面を表示し、紫藤に手渡す。

 一瞬驚いた顔を見せると、紫藤はまるで高価な美術品でもあるかのように俺のスマホをまじまじ見つめていた。

 気のせいか、何度か「ゴクリ」と生唾さえ飲み込んでいたように見える。


「こ、これが、楠木くんの……!」


「? どうかしたのか?」


「う、ううん! 何でもないよ! ちょっと待ってね、今すぐ登録するから」


 言うが早いか、紫藤は自分のスマホを取り出すと素早く俺のIDを打ち込んだ。


「これでよし、っと。はい、お待たせ楠木くん」


「はやっ! お前、意外とスピードフリッカーなのな……まぁいいや。とにかく日曜日の段取りについてはお前に任せるからさ。詳しいことが決まったら連絡してくれ」


「うん、わかった! さっそく今夜にでもメッセージを送るね」


 言って、紫藤はおもむろにスマホを自分の口元にあてがった。


「ねぇ、楠木くん」


「うん?」


 俺が訊き返すと、紫藤は何か言おうとして、けれどハッと思いついたように口を閉じる。


「ううん、やっぱり何でもない。日曜日、楽しみだね」


「なんだそりゃ。最後まで言えよ、気になるだろうが」


「まぁまぁ。それは当日になってからのだよ」


 いつの間にか悪戯っ子の笑みを張り付けて、紫藤は意味ありげにそう言った。

 その時は何のことやらさっぱりだったのだが……。

 約束の日曜日、俺は紫藤の言う「お楽しみ」に、心底驚かされることになるのだった。


――――――――――


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