第6話 俺は世話係をやめるぞ、紫藤

 部室棟から保健室のある本校舎まで行くには、校庭を横切るのが手っ取り早い。

 だが、あいにく今は昼練中の運動部がひしめいている。邪魔にならないように迂回して、俺たちは本校舎一階の保健室にたどり着いた。

 

「失礼します」


 ノックをしてから入ると、保険医の先生はちょうど留守にしているようだった。

 仕方ないので適当な丸イスを二つ引っ張り出し、片方に紫藤を座らせる。


「ちょっと待ってな。ひとまず絆創膏とか持ってくるよ」


「だ、大丈夫だよ。ここまで運んでもらったんだし、そのくらいは自分で」


「いいからお前は座ってろっての」


 動こうとする紫藤を止めて、俺は必要な道具を求めて保健室を歩き回る。

 とはいえ、よく考えたら俺って入学して以来、保健室のお世話になった経験なんてほとんど無いんだよなぁ。

 正直、何がどこにあるのやらさっぱりだ。


「それにしても、まさかお前があんな連中に絡まれてたなんてな」


 目についた場所を手当たり次第に調べつつ、俺はため息まじりに呟いた。


「いつからだ?」


 俺が尋ねると、紫藤はぽつりぽつりと語り出す。


「……先週の金曜日、かな。放課後、ちょっと買い物しようと思って中華街近くのコンビニに入ったら、偶然あの人たちがたむろしている所に出くわしちゃって」


「そこであいつらに目を付けられた、と」


 たしかに紫藤の様子がおかしくなったのは今週に入ってからだった。

 つまりこの一週間、こいつは不良どもに良いようにこき使われていたわけか。


「どうして今まで黙ってたんだよ。べつに俺に言えとは言わないけどさ、担任の水樹先生にでもすぐに相談すれば良かっただろ」


「それは……」


 少しの間ためらって、それから紫藤は絞り出すように打ち明けた。


「言われてたんだよ、あの人たちに。『来なかったり、誰かに告げ口したら、どうなるかわかってるよな』って」


 ははぁ、なるほどな。いかにも連中が言いそうな脅し文句だ。

 やれやれと肩をすくめたところで、手近な棚に救急セットらしき箱を見つけた。

 中に納まっていた絆創膏やら消毒液やらを取り出し、俺も紫藤と向かい合うように丸イスに座る。

 改めて正面から見てみれば、紫藤の体はまだ所々で血が滲んでいた。


「ほら。手当てするから、痛い所を言ってくれ」


「う、うん」


「それにしたってなぁ。こんなボロ雑巾みたいにされてまで、律儀に黙ってることないだろ」


「あはは、このくらいは全然平気だよ」


 紫藤は笑う。

 ただ、それはいつもの、あの底抜けに人懐っこい笑顔ではなくて。


「僕、慣れてるからさ──こういうの」


 どこか自虐や諦めが入り混じったような、そんなぎこちない笑みだった。

 そういやこいつ、転校初日にもそんなことを言ってたな。なんでも、前の学校でも似たような扱いを受けてきたとか。

 ウチに転校してきたのも、もしかしてその辺の事情が関係あったりするんだろうか。


(うーん、やりづらい)


 なかなか反応に困る自虐ネタをかまされて、俺はかける言葉も見つからないまま、ただただ紫藤の傷口に絆創膏を貼る機械マシンになっていた。


「ごめん。気を遣わせちゃったよね」


 そんな俺の心を読んだのか、紫藤は慌てて話題を変える。


「それよりもさ。僕、まだ楠木くんにちゃんとお礼を言えてなかった。その……さっきは僕のことを助けに来てくれて、ありがとう」


「べつに。俺は何もしてないよ。勝手にお前の後をつけて、勝手にあいつらとやりあっただけだ。お前が礼を言うことなんて何もないさ」


 ていうか、最終的には竹内先生のお陰で助かったようなもんだしな。

 俺はため息と共に自嘲する。

 だが、紫藤はそうは思っていないようだった。


「ううん、そんなことないよ。楠木くんがあの場に駆けつけてくれて、少なくとも僕はすごく安心したんだ。だからやっぱり、ありがとう、って言わせて欲しいな」


 手当てをする俺のすぐ耳元で、紫藤がしみじみとした口調で囁いた。


「ばっ!? お、お前なぁ」


 思わず手元が狂い、俺は消毒液を取り落としてしまった。

 ちくしょう、あからさまに動揺しちまった。

 よくもまぁそんなこっぱずかしい台詞をスラスラと言えるもんだ。聞いているこっちの方がムズ痒くなってくるぜ。


「……ああ、そうかよ。ならもう好きにしてくれ」


 さすがに照れ臭くなってそっぽを向くと、紫藤が愉快そうにクスクスと微笑む。

 ようやく見せたその屈託くったくのない笑顔に、俺も内心でホッと胸を撫で下ろした。


「でも、ごめん。本当は、こんなことに楠木くんを巻き込みたくなかった」


「え?」


「実を言うとね、この一週間のことを黙っていた理由はそれなんだ。もちろん、あの不良の人たちの仕返しが怖かったのもあるよ。でも、それよりも何よりも、僕なんかのせいで万が一でも楠木くんまで巻き込んじゃったらって……それが、怖かったんだ」


 声を、肩を震わせて、紫藤が情けなくべそをかく。


「なのに、結局僕のせいで楠木くんにも迷惑が……ごめん、楠木くん……ごめん」


 さっきあれだけ不良たちにボコボコにされていた時でさえ、決して涙は見せなかった紫藤が、今はウルウルと目尻に涙を溜めていた。


「なに言ってんだよ。さっきのは俺が勝手にしたことだって言ったろ?」


「さっきのことだけじゃないよ。教科書を見せてくれて、学校を案内してくれて……僕が一人ぼっちにならないようにいつも一緒にいてくれて……楠木くんには感謝してもしきれない。それなのに僕は、僕は……こんな、恩を仇で返すようなことを」


「おい、落ち着けって。誰もそんな風に思っちゃいないさ。だからちょっと落ち着け、な?」


 俺が慌ててなだめすかすも、時すでに遅し。

 紫藤はとうとう顔をクシャクシャにしてボロ泣きし始めてしまった。


「こんな疫病神みたいな僕と一緒なんて……キミだってきっと、イヤになったよね」


 どうやら思考が完全にネガティブモードへと移行してしまったらしい。

 その後も「僕なんて、僕なんて」と子どもみたいにメソメソ泣き続ける紫藤の姿を目の当たりにして、俺はきょう何度目とも知れない盛大なため息を吐いた。

 本当に。本当に、こいつの考えることはまるで意味不明だ。

 理不尽ないじめを受けるよりも、体中傷だらけになるまで殴られるよりも。

 の方が、どうやらこいつにはよほど一大事であるらしい。

 ふと、部室棟裏での紫藤の言葉が脳裏をよぎる。


 ──もっとずっと、楠木くんと一緒にいたいんだ!


 ……こりゃあもう、さすがに俺もハラを決めるしかなさそうだな。


「なぁ、紫藤」


「ぐすっ……な、なに?」


「今日限りをもって、俺はお前の世話係をやめるぞ」


「………………へ?」


 まるでこの世の終わりでもあるかのような顔をして、紫藤は一瞬ピタリと固まる。

 次には塩をかけられたナメクジみたいに、しおしおと力なくうなだれていった。


「は……はは……そ、そうだよ、ね。こんな僕のことなんか、もう、面倒見切れないよね……はは、はははは、はははははは」


 よっぽどショックだったのか、もはや涙も枯れ果てたといった様子で乾いた笑い声をあげる紫藤。

 光を失った両目は焦点がぶれ、謎の震えのせいで体はイスから転げ落ちそうだ。


「おい? おい大丈夫か紫藤? しっかりしろ!」


「だ、大丈夫だよ……ぼぼ、僕は楠木くんで、楠木くんを、楠木くん、だから」


「楠木くんはそんなにいねーよ!?」


 ああもう、情緒不安定なやつだな!

 俺は虚空を見上げる紫藤の顔を無理やりこちらに向けさせる。


「人の話は最後まで聞けっての」


「く、くしゅのき、くん?」


「いいか、今日から俺はお前の世話係じゃあない。今日から俺は」


 パチクリと瞬く紫藤の瞳をまっすぐ見据えて、一呼吸の後に俺は言った。


「お前のだ」


「え?」


 ポカンと口を開けたまま、紫藤は大きく目を見開いた。


「と、ともだち?」


「おう。たかだか二週間かそこらの付き合いとはいえ、こんだけ色々あったんだしな。もう立派に友達だろ。違うか?」


「で、でも、僕の世話係がイヤになったんじゃ……?」


「ああ、そうだな。たしかにとしちゃあ、もうお前の面倒なんか見切れるか。何の見返りがあるわけでもなし、さっきみたいに体を張ってやる義理もないな」


「こふっ!?」


 俺がスパッと切り捨てると、紫藤は苦しそうに胸の辺りを押さえてせき込んだ。

 ふむ、さっきからなかなか良いリアクションをしてくれる。

 なんだか段々面白くなってきたが、これ以上からかってやるのもかわいそうだし、この辺で勘弁してやるか。


「けどまぁ、世話係としては面倒見れなくても、だ。これからは友達として、困っている仲間を助けてやるってことなら俺もやぶさかでは……って、うおっ!?」


 ふと視線を向けると、紫藤はまたぞろ目尻にブワッと涙を溜めていた。

 おいおい、今度は何だってんだ?


「……い、いいの?」


 ようやく母親を見つけた迷子みたいな声で、紫藤がこちらを見上げてくる。


「僕……こんな僕でも、これからもキミのそばにいて、いいのかな?」


 上目遣いの濡れそぼった瞳に、やたらと庇護ひご欲をかき立てるか細い声音。

 まるで恋愛映画か青春ドラマのワンシーンでも見ている気分だ。

 もしこれが全て演技だとしたら、紫藤はとんだ名役者だろう。

 が、こいつが割と素でこういう言動をする奴だということは、俺もこの二週間でわかってきたことだった。


「ったく。だからいちいち大げさなんだよ、お前は」


 俺はていっ、と紫藤の額にデコピンを食らわせる。


「あうっ」


「そんなのわざわざ俺に訊くなっつーの。いたけりゃいればいいし、いたくなけりゃいなければいい。どうしようがお前の好きにしたらいいさ。変な遠慮なんかするなよな」


 額を押さえながらきょとんとしていた紫藤は、しばらく戸惑った様子であっちこっちに視線を泳がせると。


「そう、だね」


 やがて赤く腫らした目元をゴシゴシと拭って、それから小さくそう呟いた。


「楠木くんがそう言うなら……うん。好きなように、させてもらおうかな」


「ああ。俺もこれからは友達として、お前の相手をしたりしなかったりしてやる」


「え、ええ!? 相手してくれない時もあるの!?」


「当たり前だ。そもそも俺は、基本的には一人でいるのが好きなタイプだからな」


「……ははは。なんというか、相変わらず『自分』を持ってるよね、楠木くんは」


 紫藤が苦笑し、俺も「まぁな」とニヒルに笑ってみせる。

 どうやらようやくいつもの調子が戻ってきたようだ。


「さて、そんじゃ残りの傷もパパッと片付けちまうか」


「うん! ありがとう、楠木くん。あとはもう自分でできるから、少し待ってて」


 ふと気付けば昼休みもそろそろ終わりの時間だったが、このぶんじゃ五限目の授業は遅刻だろう。

 まぁ、怪我をしたクラスメイトを送り届けて手当てしていたという理由なら、先生方も文句は言うまい。

 紫藤の手当てが一段落するまで、俺はもう少し保健室でゆっくりしていくことにした。


―――


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