第5話 体育の授業は意外と役に立つ

 その場にいた全員の視線が、一斉に俺に向けられる。

 ……あーあ、やっちまった。

 こんな面倒ごとに自分から首を突っ込むなんて、いつもの俺なら絶対にありえないよなぁ。

 自分で言うのもなんだが、とても正気とは思えない。


「く……くすのき、くん?」


 ふと視線を横にずらすと、顔中を泥だらけの傷まみれにした紫藤が、いつもの眠たげな半眼を真円に見開いて俺を見上げていた。

 ああ、そうだよ。それもこれも全部こいつのせいだ。

 やたら馴れ馴れしくて、鬱陶うっとうしくて。

 いつも後ろにくっついてくるこの転校生のせいで、本当に俺のペースは乱されっぱなしだ。

 でも。


「……まぁ、その、なんだ」


 ガシガシと頭を掻きながら、それでも俺はため息交じりに呟いた。


「さすがにあそこまで言われて何も感じないほど、俺も薄情じゃなかったらしいな」

「ど、どうしてここに……?」

「話はあとだ。とっとと教室……の前に保健室だな。とにかく帰るぞ、紫藤」


 キョトンとする紫藤をかばうようにして、俺は不良どもの間に割って入る。

 倒れ込む紫藤に肩を貸して、そのまま颯爽さっそうと部室棟から離脱……。

 なんて、当然そうすんなりといく訳もなく。


「おいおい、なに勝手に話進めてんだよ」


「いきなり出てきて何なんですかぁ? てめぇはよぉ」


 案の定、不良トリオが敵意満々で俺の方に近づいてきた。

 

(こ、怖ぇ~! 超怖ぇ~!)


 威勢よく飛び出しておいて情けないけど、じりじりと距離を詰めてくる不良たちの姿に、ぶっちゃけ俺はビビりまくっていた。

 あの、君たちなんでそんな飢えた熊みたいなギラついた目ができるの? 

 とても同い年の高校生とは思えないんですけど!?

 とはいえ、今さら怖気おじけづいたってしょうがない。

 俺は覚悟を決めて不良たちの前に立ちはだかった。

 

「く、楠木くん……!」


「大丈夫だ、紫藤。ここは俺に任せろ」


 背後で不安そうに震えている紫藤に、俺はグッとサムズアップをしてみせた。

 それから、内心ガクブルなのがバレないよう、どうにか平静を装って言う。


「俺は二年三組の楠木だ。悪いけど、紫藤は連れて帰らせてもらうぞ」

 

 こちらを威嚇するように睨みつけていた不良たちは、そこで一瞬ぽかんとした顔になり。


「……ぷっ、ぎゃはははははははは!」


 次には示し合わせたかのように、一斉に爆笑し始めた。


「もしかして、クスノキクンってこいつか?」


「来た! 本人来ちゃったよおい!」


「良かったなシドーくん! 愛しのヒーロー参上じゃん!」


 はいはい、面白い面白い。俺ってばマジ正義のヒーローだよね~。

 よほどツボに入ったのか、腹を抱えて俺たちを笑いものにする不良トリオ。

 けれど、やがてその笑みは邪悪に歪んでいく。


「くくく……まぁ? そのヒーローもこれからシドーくんと仲良くボコられるんだけど」


 ちっ。わかっちゃいたけど、やっぱりそうくるよな。


「ま、待ってよ! 楠木くんは関係ないじゃないか!」


「うるせぇ! 俺たちに歯向かった時点でこいつも同罪なんだよ!」


 いや、何の罪だっつーの。マジで話にならないなこいつら。

 さすがに呆れて物も言えないでいると、浅間のゴツゴツとした左手が俺の胸倉を無造作に掴んだ。

 背丈は俺の方が若干高いくらいだけど、それでもこうして間近にしてみるとなかなかの威圧感だ。

 なるほど。こいつも伊達にアウトローを気取ってはいないってわけか。


「さて、まずはさっき邪魔してくれたをしなきゃなぁ?」


 けどな、こっちだって伊達に真面目な高校生やってるわけじゃないんだよ!


「死ねやオラァ!」


 そう言って、浅間が大きく右手を振りかぶった瞬間。

 ガシッ!

 と、俺は胸倉を掴んでいた浅間の左手を内側から右手で掴む。

 それと同時に、左手で浅間の襟首を掴んで素早く体を反転させると。


「なっ!? て、てめぇ、何を……!」


「せ~……のっ!」


 ドシ~ン!

 そのまま浅間を力いっぱい背負い投げした。

 

「がはぁっ!?」


 ロクに受け身を取ることもできずに硬い土の地面に思いきり背中を打ち付け、浅間は驚きと痛みで顔を歪ませる。

 当たり所が悪かったのか、地面に倒れ込んだまま中々起き上がれない様子だ。

 わお、マジか。まさかこんなに綺麗に決まるとは思わなかった。

 背負い投げなんて実際にやるのは初めてだったけど、何事もやってみるもんだな。


「お、おい、浅間!?」


「う、嘘だろ? こんなヒョロっちい奴に、浅間が……」


 信じられないものを見たという顔をしながら、取り巻き二人が慌てて浅間を助け起こした。

 けど、俺は別に、なにも特別なことをしたわけじゃない。

 実は喧嘩が超強いとか、むかし武術を習っていたとか、隠れた才能が開花したとか、もちろんそういう訳でもない。

 こんなものは、せいぜい学校の柔道の授業で習うレベルの基本的な技だ。

 真面目に授業を受けてさえいれば、お前らにだってできる護身術さ。どうせロクに授業なんざ聞いちゃいないんだろうけどな。

 まぁ、それでも初めてでこんなに上手くいったのには驚いたな。


「さて、と。あんたらはどうする?」


 浅間の両脇で肩を貸している取り巻きたちに、俺は問いかける。


「そこのリーダーさんみたいにかかってくるって言うなら、相手してもいいけど?」


 なんて、口ではカッコいい事を言ってみたものの。

 あと二人も相手にしなきゃいけないのは、ぶっちゃけキツいよなぁ。

 というか、二人がかりで襲われたらさすがに俺もお手上げだ。

 できればこのまま退散して欲しいところだけど……。

 と、思っていたら。

 

「くおらぁ! キサマら、そこで何をやっている!」


 突如として、部室棟裏に野太のぶとい怒声が響き渡る。

 声のする方を見ると、そこにはジャージ姿のゴツい男性教師が仁王立ちしていた。

 どうやら騒ぎを聞きつけて部室棟から出てきたところのようだ。


「『死ね』だの何だの物騒な声が聞こえたかと思えば、またお前らか、浅間ぁ! 性懲しょうこりもなく暴力沙汰ざたを起こしよって!」


「げっ、生活指導の竹内たけうち!?」


「ちくしょう、あいつ部室棟にいたのかよ!」


 途端にサッと顔色を変える取り巻きたち。

 さっきまでのせせら笑いは今やすっかり鳴りをひそめて、あからさまに動揺している。


「お、おいまずいぞ! どうする浅間?」


「捕まったら後が面倒だぜ?」


 取り巻き二人の慌てぶりに、あれほどオラついていた浅間でさえも、ついには苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる始末だ。

 ギリギリと歯ぎしりし、それから悔しまぎれとばかりに俺を睨みつける。


「チッ……マジ邪魔くせぇな、てめぇ」


 最後に吐き捨てるようにそう言い残して、浅間たちはそそくさとその場を去って行く。


「待て! お前ら今日という今日こそはみっちりきゅうをすえてやる!」


 逃げる浅間たちを追って、竹内先生も部室棟裏を駆け抜けていってしまった。

 ふぅ~、助かった。これでなんとか一件落着って感じだな。


「く、楠木くん……」


 っと、いかんいかん。

 今はまだ落ち着いている場合じゃなかったな。

 俺は慌てて視線を背後に戻し、地べたにうずくまる紫藤の元へと駆け寄った。


「紫藤、立てるか?」


「う、うん……まだちょっと、フラフラするけど」


「しょうがない奴だな。ほら、肩貸してやるから、とりあえず保健室行くぞ」


 まだ足元のおぼつかない紫藤を支えてやりながら、俺はゆっくりと立ち上がった。


―――


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