第4話 あいつ、不良に絡まれてやがる!

 紫藤が転校してきてから、なんのかので五日が経った金曜日。

 相変わらず「転校生の世話役」という俺の地位は揺るぎなく、どころかクラス担任の水樹先生にも正式に任命されたことで、いよいよ不動のものになっていた。

 そんなお墨付きが出たもんだから、紫藤も紫藤でより一層堂々と俺を頼るようになる始末だ。

 気付けばこの五日間、俺は学校ではほとんど紫藤と行動を共にしていた。

 していた、のだが……。

 

「ごめん、楠木くん」


 週明けの月曜日。

 いつでもどこでも俺にベッタリだった、そんな紫藤の様子に変化が現れ始める。


「ちょっと用事があるから、今日はお昼先に食べてて」


 昼休みが始まるなりそう言うと、紫藤は俺の返事も待たずにそそくさと教室を出て行ってしまったのだ。

 水樹先生にでも呼び出されたかな、と、その時は俺も特に気には留めなかった。

 けど、結局紫藤が教室に戻ってきたのは、もうすぐ昼休みも終わるという時間だった。


「随分遅かったな。どこ行ってたんだ、紫藤?」


「うん。ちょっとね」


 そう言って紫藤は微笑むが、その笑顔にはなんだかいつもの底抜けの人懐っこさが無いような気がした。

 人懐っこさ、当社比三十パーセント減といった感じだ。

 昼休みが終わって午後の授業が始まってからも、紫藤は俺の話にもどこかうわの空になることが多かった。

 俺の前ではいつもキラキラと輝かせていたスミレ色の瞳も、今日はどことなく陰って見える。

 腹具合でも悪いんだろうか。それとも月曜日が憂鬱とか?

 気になることはいくつかあったが、結局その日は何も聞けずじまいで終わった。


「まぁ、調子が乗らない日ってのは誰にでもあるよな」


 そんな適当な理由をつけて自分を納得させた俺だったが、翌日になっても紫藤の調子が戻っている気配はなかった。

 結局、次の日もそのまた次の日も、紫藤は昼休みになると「用事があるから」と言って、一人でどこかへ出かけてしまった。

 そんな事が三日ほど続いた、ある日の昼休み。


「し、紫藤!?」


「用事」とやらを終えて教室に帰ってきた紫藤の姿は、ちょっとひどいものだった。

 頬や指先にいくつもすり傷を作り、学ランはあちこちがほつれていてヨレヨレ。

 乱れた長い黒髪には、なぜか所々に木の葉や小枝が絡まっていた。


「おいおい、大丈夫か? そのボロボロのナリは一体どういうこったよ」


 さすがに呑気に構えてはいられず、俺は紫藤を問いただす。

 それでも紫藤はやっぱり「ちょっとね」と言って微笑むだけだった。


「転んだ拍子に、植え込みに突っ込んじゃったんだよ」


 さも何でもなさそうに言うと、紫藤はひらひらと絆創膏だらけの手を振って。


「楠木くんは気にしないで。本当に……何でもないからさ」


 あとはもうそれっきり、何も答えてはくれなかった。


(何でもないから……ね)


 そういう台詞はな、何かあったやつの台詞なんだよ。


※ ※ ※ ※


 結論から言うと、「何か」はあった。

 紫藤がボロボロで帰ってきたことにさすがに不信感を覚えた俺は、翌日の昼休み、教室を出て行ったヤツのあとをこっそり尾行してみたのだ。

 その先で。


「シドーくんさぁ、今日はちょっちコンビニまで行ってきてくんね?」


 俺は、紫藤が数人の男子に囲まれて震えている姿を目にしてしまった。

 場所は薄暗い部室棟裏。

 紫藤を取り囲んでいるのは、制服は着崩すわ髪色は派手だわで見るからに粗野な外見をしている三人の男子生徒たち。

 二年の間では素行の悪さで知られている、いわゆる不良グループの一派だった。


「え? な、なんで……?」


「今月号の雑誌、オレまだ買えてねーんだわ。だから、よろしく」


 不良の一人がそう言って、早く行けとばかりに校門の方を指差した。


「そ、そんなっ! 『おつかい』は学園の中だけなんじゃ……!」


「あー?」


 紫藤が抗議の声をあげると、不良男子は校門を指差していた右手で、今度は紫藤の小さな頭を力任せに鷲掴みにした。

 さらには、そのまま部室棟の壁に乱暴に押し付ける。


「うぐっ⁉」


「んなコト誰が言ったんだよ。学校内だろうが学校外だろうが、オレたちが『行け』っつったら行くんだよ。パシリのくせに調子ノってんじゃねーぞ、この陰キャもやしがよぉ」


 良くも悪くも、人間関係において外見が占めるウェイトというのは大きい。

 明るく爽やかな見た目の人の周りには自然と人が集まってくるだろうし、逆にあの不良連中みたいに荒っぽくて怖い見た目の奴は自然と人から避けられるだろう。

 そこへいくと紫藤は、いかにも暗くてオドオドした地味系男子といった外見だ。

 早い話が、ああいう嬉々ききとして弱い者いじめをするようなやからのターゲットになりやすいタイプなのだ。

 おおかた、あの不良たちもそう考えて紫藤に目を付けたんだろう。

 部室棟の影からその様子を盗み見ていた俺は、思わず顔を押さえて天を仰ぐ。

 おいおい、マジかよ。

 昼休み中にどこで何してるのかと思ったら、こういうことか。


「で、できないよ……」


 痛みで声を震わせながら、紫藤はうめくように言葉を漏らす。


「昼休みに、学校外に出るだけでも校則違反なのに……その上、買い物までしたなんて知れたら……さ、最悪、退学だってありえるかも」


「あっそ。んじゃあ、せいぜいバレないように頑張れば?」


「うはっ、浅間あさまお前、マジ鬼畜な」


「シドーくんカワイソ~」


 浅間と呼ばれたリーダー風の不良男子は紫藤の頭を掴んだまま、どこまでも非情な態度で言い捨てる。

 取り巻きの二人もそれを見てゲラゲラと笑いやがるし、はっきり言って見ているだけで反吐へどが出るような光景だった。

 くそっ、こんなことなら尾行なんてするんじゃなかった。

 遅まきながらも、俺は後悔する。

 だってそうだろ?

 紫藤が転校早々不良グループにいじめられているなんて、たとえそんな事を知ったところで、それで俺にどうしろっていうんだ。


(いや……そもそも、俺がそこまで考えてやる義理があるのか?)


 そうだよ、そもそも俺が紫藤のためにそこまで気を回す必要なんかないはずだ。

 転校してきてからのこの二週間ほど、あいつには教材を貸してやったり学園内を案内してやったりと、もう十分に面倒を見てやったつもりだ。

 それも、友達でもなんでもない、ただ席が隣同士になっただけの縁でだ。

 むしろ、あいつの方にこそ俺に義理があるくらいだ。


(……見なかったことにしよう)


 このまま教室に引き返して、あいつが帰ってくるのをいつも通りに待っていよう。

 あいつは俺がいじめの現場を目撃した事なんて知らないし、俺もあいつがいじめられている事なんて知らない。

 それでいいんだ、それで……。

 後ろ髪を引かれる思いで、俺はそっと一歩を踏み出して。


「……せっかく……楠木くんに会えたのに……」


 ──かすかに聞こえたその言葉に、俺の足はピタリと止まった。


「こんなことで……こんなことで、楠木くんとお別れなんてしたくない」


「ああ? クスノキクンだぁ? 何言ってんだ、お前?」


 浅間がドスの効いた声で迫るが、紫藤は怯まない。

 それどころかスミレ色の瞳でキッと浅間をにらみ返し、先ほどまでとはうって変わって毅然きぜんとした態度で言い放ってみせた。


「たとえ、どんなに乱暴されても……僕は退学になるような事だけは絶対しない!」


 瞬間、浅間の額に二、三本の青筋が立つ。

 次には空いていた右の拳を紫藤の腹にしたたかに打ち込んだ。


「げふっ!?」


 たまらず目をむく紫藤。

 あまりの痛みに立っていることすらままならないのか、浅間がパッと頭から手を離すと、紫藤は腹を押さえたまま膝から崩れ落ちた。


「調子ノんなっつってんだろうが。つべこべ言ってねーでさっさと行けよオラァ!」


「ぐっ!?」


 硬い土の地面にうずくまる紫藤の横っ腹を、浅間がダメ押しとばかりに蹴りつける。

 だが、それでも。


「……ぜ、絶対に、いやだ」


 紫藤は、絶対に首を縦には振らなかった。


「僕は……僕は……もっとずっと、楠木くんと一緒にいたいんだ!」


 無意識の内に、俺は自分の両手を爪で血が滲まんばかりに握りしめていた。

 たしかに、俺にはここで、紫藤のために何かしてやる義理はない。

 授業の度にいちいち教科書を見せてやるのも、貴重な休み時間を使って学校内を案内してやるのも、正直言って面倒くさかった。

 四六時中話しかけてくるのも、やたらと距離が近いのも鬱陶しい。

 あいつが転校して来てから、俺の調子は狂わされっぱなしなんだ。

 義理なんて、あるわけがない。

 ──だけど。


「いい加減にしろよ、てめぇはよぉ!」


 かたくなにその場を動こうとしない紫藤に、不良たちもさすがにブチ切れたらしい。

 浅間だけでなく取り巻きの二人も一緒になって、さながら浜辺に打ち上げられた亀をいじめる悪ガキよろしく、紫藤の体を踏みつけ始めた。

 人気のない部室棟裏に二度、三度と鈍い音が響き渡る。

 無抵抗だろうとお構いなく蹴りを入れ続けていた不良たちは、やがて浅間の合図で紫藤を無理やり立たせると、


「さっきからクスノキクン、クスノキクンうるせんだよ!」


 息もえな紫藤の顔面を見据えて、浅間が大きく右手を振りかぶった。


「誰なんだよそいつはよぉ! ワケわかんねーことばっか言ってんじゃねぇぞ!」


 浅間の拳が振り下ろされようとした、まさにその時。


「俺だよ」


 物陰で立ち尽くしていたはずの俺は、気付けば不良たちの前におどり出ていた。

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