第3話 学園一の美少女、襲来

 制服が前の学校のままだったことから予想はしていたが、紫藤はまだうちの学校の教材をほとんど用意できていないらしい。

 仕方ないので、教室ではお互いの机を突き合わせて俺の教科書を共有し、移動教室でも俺たち二人でペアを組んで授業を受けるという格好になった。

 とまぁ、そうして色々と紫藤の面倒を見た結果。

 午前の授業が終わった頃には、俺はクラスの中ですっかり「転校生の世話係」の地位を獲得していたようだった。


「楠木くん。その……良かったらお昼ご飯、一緒させてもらってもいい?」


 そうして迎えた昼休み。

 学食へ向かおうと教室を後にした俺を引きとめ、紫藤がそう声を掛けてきた。

 その手には、育ち盛りの男子高校生が食べるにしては、随分とまぁ小ぶりな弁当箱の包みが握られている。

 どうやらこいつ、昼休みも俺と一緒にいるつもりらしい。

 うーん。俺、どっちかと言えば昼休みは一人で過ごしたい派なんだけど……。


「えっと……ダメ、かな?」


 俺が返事に困っていると、あからさまに寂しそうな顔になる紫藤。

 弁当の包みを持つ手をプルプルと震わせ、今にも泣き出しそうな子犬チックな目でこっちを見上げてくる。

 おいばかやめろ、見るんじゃない。そんな目で俺を見るんじゃない。


「……はぁ、わかったよ。なら一緒に学食行くか」


「ほんと? やった!」


 途端にぱっと花が咲いたように笑顔になって、紫藤は俺の後をトテトテと付いてくる。


「良かったぁ。楠木くんしか頼れる人がいなかったから、もしキミと一緒にお昼できなかったらどうしようって、本気で心配しちゃったよ」


「いちいち大げさだな。砂漠や樹海で独りぼっちになるわけじゃあるまいし」


「大げさじゃないってば。もう本当、寂しすぎて教室で死んじゃってたかもだよ」


「怖っ! サラっと怖いこと言うんじゃないよお前は」


 寂しさで死ぬとか、どんだけぼっち耐性ないんだよ。ウサギかこいつは。


「ははは、それはさすがに冗談だって。でも、寂しいのは本当だよ?」


「まったく。いいか、紫藤。たしかに俺にできる範囲で相談にのるとは言ったけど、だからっていつまでも俺がお前の世話係をしてやれるわけじゃない」


 食堂へと向かう道すがら、俺は紫藤にビシッと釘を刺す。


「お隣さんのよしみだ、しばらくは俺が付き合ってやってもいい。でも、早いとこ一緒に昼飯を食う友達くらい作れよな」


「……僕は」


 紫藤はそこで俯くと、ボソボソと小声で何事かを呟く。

 右隣から見た紫藤の横顔は、柳のように垂れ下がった前髪に隠れてよく見えない。


「……僕は、楠木くんと一緒がいいんだけどな」


「紫藤?」


 と、俺が顔を覗き込もうとしたところで。


「あら、誰かと思えばそこにいるのは楠木碧人君じゃない?」


 げっ! このムダによく通る甲高い声は……。

 見れば、俺たちの前方で一人の女子生徒が仁王立ちしていた。

 背中まで伸びるサラサラな栗色の髪に、スラリと均整の取れた体は華奢きゃしゃながら凹凸のはっきりしたモデル体型。

 パッチリとした大きなコバルトブルーの瞳は、廊下に差し込む陽の光に照らされてキラキラと宝石みたいに輝いている。

 早い話が、文字通り目もくらむような美少女がそこに立っていたのだ。


「わぁ……綺麗な人」


 ほとんど独り言のようにそう呟いた紫藤の隣で。


「わぁ……出た」


「ちょっと! 聞こえたわよ! 『出た』ってなによ、『出た』って!」


 反射的に俺の口から言葉が漏れる。

 耳ざとくそれを聞きつけたその美少女は、鼻息も荒くまくしたてた。


「なによ? 何なのよその顔は! 私、ただ声を掛けただけでそこまで苦虫を嚙み潰したような顔をされるいわれはないのだけれど? たとえ相手がこの私でなかったとしてもその態度は失礼……って、いつまでその顔をしているつもり!?」


 握り締めた両の拳をぶんぶんと振り回し、「不愉快だわ!」と憤慨する少女。

 やれやれ、めんどくさいのに捕まったな。


「ええっと……あの人、楠木くんのお知り合い? 初対面、って感じじゃなさそうだけど」


 いきなり現れた見知らぬ美少女を前に緊張しているのか、紫藤はいつの間にか俺の背後に隠れるようにして立っていた。


「知り合いっていうか、んー、まぁ、少なくとも有名人であることはたしかだな」


 大瑠璃おおるり雪菜ゆきな

 成績優秀にして品行方正、そして我らが帆港学園チアリーディング部のリーダー。

 さらには去年の秋に行われた文化祭で、一年生ながらミス帆港の栄冠を獲得。

 名実ともに学園一の美少女ともっぱら評判の、要するに絵に描いたようなクイーンビーだ。


「ってな具合で、帆港の生徒なら誰だって名前と顔ぐらいは知ってるのさ」


「な、なんだか凄い人なんだね」


 と紫藤が感嘆の声を上げたところで、大瑠璃が横から口を挟む。


「あら、そんな他人行儀な言い方しなくてもいいじゃない。私と楠木君の仲でしょう?」


「仲ってなんだ。そっちこそ誤解を招くような言い方をするんじゃない」


「何はともあれ、こんな所で会うなんて奇遇ね楠木君。四限目が終わると同時にここへ来て、今まであなたを張っていた甲斐があったというものだわ」


 それはね、「奇遇」じゃなくて「待ち伏せ」って言うんですよ。


「……何か御用で、大瑠璃さん?」


「フッ、知れたこと。今日こそあなたのその口から『イエス』の言葉を聞かせて貰うわよ」


 サラサラのロングヘアをふわりとかき上げ、大瑠璃は不敵な笑みで言い放った。


「楠木碧人君──この私の恋人になりなさい!」


 ですよねぇ。知ってた。

 そう。俺とこの大瑠璃は、厳密にはまったくの他人というわけでもない。

 初めて言葉を交わしたのは、たしか去年の冬休み前だったか。

 それまで何の接点もなかったはずの彼女が、前触れもなく俺のもとに現れて言ったのだ。


『楠木碧人くん。あなたを私の恋人にしてあげてもいいわよ?』


 その年のミス帆港からの、それも、今まで数多あまたの男子に告白されるもそのことごとくを突っぱねてきた孤高の女王、あの大瑠璃雪奈様からのまさかのご指名である。

 もちろん、嬉しくないと言えば嘘になる。なにしろ相手は学園一の美少女だ。

 なんで俺なんかに白羽の矢を立てたのかはさっぱりだが、こんな奇跡は今後の俺の人生では二度と起きることはないだろう。本当なら断る理由などあるはずもない。

 だが──それでもやっぱり、俺は僕っ娘一筋と心に決めている男。

 たとえ相手が学園一の美少女であったとしても、こればっかりは譲れない。

 という訳で、例によって例のごとく俺は丁重にお断りさせてもらったのだ。


『フ、フフ、フフフ……こんな屈辱は初めてよ。覚えておきなさい、楠木碧人君』


 困ったことに、それが彼女のプライドをいたく傷付けてしまったらしい。


『いつか絶対に、あなたを私のものにしてあげるわ。このまま大人しく引き下がる私とは思わないことね!』


 それからというもの、今日まで事あるごとに俺を捕まえては、こうして恋人になるように迫ってくるのだ。


「いや、普通に『ノー』ですけど」


 いつものように、俺は大瑠璃の申し出をスパッと一蹴する。

 対する大瑠璃はというと、心底呆れたという様子で肩を竦めてみせた。


「聞き分けのない楠木君ね。ふーやれやれ、相変わらず困った人だわ」


 どうして俺の方がわがままを言っているみたいな空気なのだろうか。

 マジせぬ。


「私が、いい? 仮にもこの帆港学園一の美少女であるこの私が! あなたのようなちょっとルックスがいいだけの一般人を可愛がってあげるといっているのよ?」


 すげぇ、この人いま自分で自分のこと学園一の美少女って言ったよ。

 いやまぁ実際そうなんだろうけどさ。


「だのに! 楠木君ときたら私にまったくなびかないどころか、最近では目が合っただけで『またお前か』と言わんばかりの冷たい視線を向けてくるようになった気さえするわ!」


 大瑠璃はコバルトブルーの瞳が飛び出さんばかりに「クワッ」と目を見開いた。


「まったくもって理解に苦しみます。これほどまでに私の恋人になることを拒むなんて、一体なにが楠木君をそこまで狂わせてしまっているのかしら?」


「だから、その理由は今までにも何度も説明しただろうに」


 しびれを切らした俺は、早々に話を切り上げるべくきっぱりと言い放った。


「俺はな、僕っ娘な女の子が好きなんだよ。だからお前とは付き合えない。以上!」


 話は終わりだ、と締めくくる代わりに、俺はかたく口をつぐむ。

 大瑠璃は不機嫌そうに頬を膨らませると、ジトっとした目で俺を睨んだ。


「またそういう訳のわからない妄言を。なにが『僕っ娘が好きなんだ』よ。まだそんなていのいい言い訳で私が諦めるとでも思っているのなら、とんだお笑い草ね」


 失礼な。妄言でも言い訳でもないわい。


「……ふん、まぁいいわ。この後はチア部の昼練習もあることだし、非常に不本意だけれど今日のところはこのくらいで退散してあげる」


 大瑠璃は自慢らしい栗色の髪をひるがえし、スタスタと俺たちの脇を通り過ぎていく。


「でも、これで終わりだなんて思わないことね。あなたが私の寵愛を受けたいと自らこうべを垂れてくるまで、私はこうして何度だってあなたの前に現れるわ」


「なんだよ、その数百年ごとに復活するタイプの魔王みたいな台詞は」


「失礼な楠木君ね! 魔王じゃないわよ、女王よ!」


 いや、そこかよ。


「ふふふ。まぁもっとも? それも時間の問題だと思うけれどね」


 すれ違いざま不敵な笑みとともにそれだけ言い残し、大瑠璃は廊下の先へと消えていった。

 やれやれ、ようやく解放された。


「っと、思いのほか時間くっちまった。いい加減に学食の席も埋まり始めるころだろうし、俺たちも早いところ行かないとな……紫藤?」


 返事がない。不思議に思って、俺は背後を振り返った。


「おい、紫藤。聞いてるか?」


「え? あ、ああ! そうだね、早く行かないとね!」


「……お前、なにニヤけてるんだ?」


「へぇあ!? え、に、ニヤけてる、かな!?」


 素っ頓狂な声をあげた紫藤は必死な様子で両頬をおさえる。

 それでも自然と口角がせり上がってしまうせいで、ニヤついているのはバレバレだった。

 いきなりどうしたんだこいつ? 頭でも打ったのか?


「そ、それより、さ! 楠木くん、あれでよかったの?」


「うん? 何が?」


「さっきの人、大瑠璃さんだっけ? 彼女、言い方はともかく楠木くんに、その……告白をしてたように見えたんだけど。あんなにぞんざいに断っちゃってよかったの?」


「ああ、その話か。いいんだよ、あいつ相手にはあれくらいで。なにしろかれこれ十回以上は繰り返してるからなぁ、あの手のやりとり。お互いにもう慣れっこさ」


「えぇ、そんなに?」


 紫藤は目を丸くすると、それからひどく遠い異世界のことのように呟いた。


「楠木くん、モテるんだねぇ。僕みたいな日陰者からしたら、羨ましい限りだよ」


「からかうなっての。そんなことよりほら、急ぐぞ。一緒に昼飯食うんだろ」


「あっ! ま、待ってよ楠木くん」


 歩き出した俺の背中を慌てて追いかけながら。

 

「……本当に、なぁ」


 最後にもう一度だけ大瑠璃の方へ振り返った紫藤が、ぼそりとそう呟くのが聞こえた。

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