第2話 転校生は陰キャラ

 翌週の月曜日、朝のホームルームでのことである。


「なあ清水。『ボクシング』って、いい響きだよな」


「どうした楠木、急に格闘技にでも目覚めたのか?」


「いやだって、『ボク』が『シング』なんだぞ? あんまり歌が得意じゃない僕っ娘がそれでも一所懸命に歌っている、みたいな妄想が膨らんできて、なんていうかこう……イイじゃん?」


「お前は何を言ってるんだ? つーか、仮にも元ボクシング部員の前でそういう妄想をするんじゃねぇ」


 なんて、俺と清水がいつものように他愛のない話をしていると。


「はーい、皆さんお静かに」


 教室にやってきた若い女教師、クラス担任の水樹みずき佐紀さき先生が不意にビッグニュースを持ってきた。


「えーと、今日はホームルームを始める前にですね、新しくこの二年三組のクラスメイトになる転校生を紹介します」


 ほんわかとした見た目にたがわぬ癒し系ボイスで水樹先生がそう告げるなり、教室内がにわかに騒めきに包まれる。


「転校生? こんな時期に珍しいな」


「男子かな? それとも女子かな?」


「はいはいお静かに。慌てなくてもいま紹介しますからね」


 入ってらっしゃい、という先生の呼び掛けに応じるように、教室の引き戸がスススと開いていく。

 細波さざなみが引くように騒めきが収まり、一転して教室が静まり返った。


「……失礼します」


 やがて扉の向こうから現れたその男子生徒の第一印象は、「暗そう」だった。

 前の学校のものだろうか。帆港学園指定の紺のブレザーではなく黒い学ランに身を包んでいるのだが、いかんせんサイズが大きいようで全体的にダボッとした雰囲気。

 ぼちぼち夏服への衣替えが始まっている時期だというのに、随分と暑苦しそうな格好だ。

 体型は小柄でひょろっとしていて、背中まである黒髪を一か所で結んで体の前に垂らしている。

 おまけに長い前髪で顔の右半分ほどが覆い隠されているせいで遠目には顔立ちもよくわからず、それがまた少年の陰気臭さに拍車をかけていた。


「それじゃ、さっそく自己紹介してもらってもいいですか?」


「は、はい」


 水樹先生に言われるままに、転校生はおずおずと黒板に自分の名前を書いていく。緊張しているのか、チョークを持つ手は小刻みに震えていた。


「……なんつーか、随分と地味な奴が来たな」


「……ね。いかにも『陰キャ』って感じ」


 どこか期待するような顔をしていた生徒たちは、しかしそんな転校生の姿を見るなり手のひらを返したように白けた目線を教壇に向けていた。

 いやいや、いくらなんでも露骨にがっかりし過ぎだろクラスメイツ。

 せめてこのホームルームの間くらいは、もう少し歓迎する素振りを見せてもバチは当たらないんじゃないか?

 俺が心の中でそんなツッコミを入れたところで、黒板と向かい合っていた転校生がくるりと俺たちに向き直る。


「えっと……紫藤しどう天音あまね、です。これからよろしくお願いします」


「よろしくお願いしますね、紫藤さん。はい、皆さん拍手~」


 先生がパチパチと手を叩くのに続き、教室の方々からも申し訳程度の拍手があがる。

 もはやほとんどの生徒が転校生、紫藤への興味をすっかり失っているようだった。


「うはぁ、気の毒にな」


 拍手の音にまぎれて、清水がこそこそと耳打ちしてくる。


「気の毒って、なにが?」


「だって、あいつ見るからに友達付き合いとか苦手そうじゃん? そこへきて転校初日からのこのだ。このぶんじゃ、確実にぼっちコースだろうな」


「よせって。あんまり外見だけで決めつけちゃ悪いだろ」


 とはいえまぁ、少なくとも転校初日にクラス全員と打ち解けられるほど、社交的な性格には見えないこともたしかだけど。


「ん?」


 何やら視線を感じたような気がして、俺は教壇に目を戻す。

 案の定、教壇に立つ紫藤がジッとこちらを見つめていたが、俺と視線が合うや否や、またすぐに顔をそらしてしまった。

 まずい。ひょっとして今の会話を聞かれていたのか?


「それじゃあ紫藤さんの席は……そうね、楠木さんの隣が空いているし、そこに座ってもらおうかしら」


 ぐるりと教室を見渡して、水樹先生は窓際の最後列、つまり俺の左隣の席を指し示す。

「わかりました」と軽く頭を下げ、紫藤はクラスメイトたちの視線から逃げるようにして、そそくさと席までやってきた。

 ふむ、お隣さんか。

 正直な話、俺だって別にそこまで社交的な訳じゃない。現に普段学校でよく話す奴といっても、中学からの付き合いである清水くらいのものだしな。

 そんなわけなので、本来ならば「転校生に話し掛ける」なんて高いコミュニケーション能力を要求されそうな選択肢はまず選ばない、ところなのだが……。

 俺はチラリと左隣の席についた新顔を見やる。

 お世辞にも自分が歓迎されているとは言いがたい空気を薄々感じているようで、紫藤は小柄な体をさらに小さくしながら、ちょこんとイスに座っていた。


「あの、さ。そんなに硬くならなくてもいいんじゃないか?」


 獰猛どうもうな狼の群れに放り込まれた子ウサギを思わせるような、そんな紫藤の姿はさすがに見るにしのびなく思えてくる。

 気付けば俺はそう声をかけていた。


「え……?」


 急に話し掛けられてびっくりしたのか、紫藤がピクリと肩を震わせてこちらを向く。必然的に、俺は紫藤の顔をはっきりと拝むことになった。

 少し眠たげにまぶたの降りたその瞳は、澄んだスミレ色。全体的にモノトーンな見た目の中で、紫藤のそのスミレ色の瞳はやけに色鮮やかに映って見えた。

 こいつ、近くで見ると意外と綺麗な目してるんだな……じゃなくて。


「まぁ、その、あれだ。こうして隣同士になったのも何かの縁だろ。クラスの皆が、ってわけにはいかないかもしれないけど、少なくとも俺は歓迎するから」


 思わずジッと見入りそうになったところで慌てて首を振り、俺は誤魔化ごまかすように早口でまくしたてた。

 若干声が裏返っていたかも知れないが、気のせいだと思いたい。


「……ふふ」


 きょとんとした顔で俺を見ていた紫藤が、細い指を口元にあてて小さく微笑んだ。

 え、なにその反応。俺なにか変なこと言った? やっぱり俺の声、裏返ってた?

 つい話し掛けてしまったことを軽く後悔しはじめていると、紫藤が微笑みを浮かべたままおもむろに口を開く。


「大丈夫だよ。、慣れてるから」


 良かった。どうやら俺のコミュ障ぶりを笑っていたわけではないようだ。

 気を取り直して転校生との初会話を続行する。


「慣れてる、って?」


「うん。ほら、僕ってばこんなだからさ。前の学校でも……似たようなこと、あったし」


 わずかに声のトーンを落とした紫藤は、けれどすぐに慌てたように付け加える。


「まぁそれはともかくだよ。僕は本当に大丈夫だから、キミもあんまり気にしないで」


「お、おう、そっか」


「そうそう。……でも」


 紫藤はそこで一旦言葉を切り、それから何やら嬉しそうに目を細めると、


「ありがとう。楠木くん、優しいんだね」


 そう言って、またぞろニコッとはにかんだ。

 こちとらまだちゃんとした自己紹介もしていないというのに、随分とまぁフランクに初対面の人間の名前を呼ぶものだ。

 さっき教壇に立っていた時とはうって変わって気安い様子の紫藤に、俺は驚くと同時に、なんだかふっと肩の力が抜けていくのを感じた。

 なんだ、取っつきにくそうな奴かと思ってたけど、話してみれば全然そんなことはなかったな。

 言動も物腰柔らかで人懐っこそうだし、むしろ人から好かれそうなもんだけど。

 やっぱり外見で人となりを判断するのはよくないってことだな、うん。


「お隣さんが良い人で良かった。改めて、紫藤天音です。これからよろしくね」


 スッと差し出された紫藤の右手を、俺も軽く握り返す。


「楠木碧人だ。こっちこそ、これからよろしくな。まぁ、もし何か分からないことや困ったこととかあったら、俺でよければ相談にのるよ」


「え、いいの?」


 紫藤はまるで里親を見つけた捨て犬みたいな顔をして、にわかにスミレ色の瞳をキラキラと輝かせる。

 別にそこまで喜ばれるようなことを言ったつもりはないんだが。さっきといい今といい、大げさな反応をする奴だな。

 俺は苦笑交じりに頷いた。


「ああ。俺ができる範囲で、だけどさ」


「ううん、それだけでも充分嬉しいよ。ありがとう、楠木くん」


 右手に加えて今度は左手でも俺の手をキュッと握ると、紫藤は「えへへ」と顔をほころばせる。

 

「お、おう……」


 えー、ナニコレ。何ですかこのちょっとこそばゆい感じ。

 普通なら男にこんな風に手を握られたって全く嬉しくないし、これで相手が清水とかだった日には、むしろ気色悪さにすぐさま無言の腹パンをお見舞いしているところだ。

 だけど、紫藤のその仕草にはなんというか、妙に小動物的な愛らしさがあり、そういった不快感を一切感じさせなかった。

 あれだ、飼い猫がパソコンのキーボードに乗って作業を邪魔してくるけど怒るに怒れない感じ。あれに似ているかもしれない。


(なんか、不思議な奴だなぁ)


 やけにかたく握り締められた紫藤の手を、なぜだか俺はすぐに振り解けなかった。

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