第1話 “悲しみ”の欠片①

『人間の感情はね、喜び、悲しみ、怒り、驚き、恐れ、嫌悪の6つから出来てるんだって』と唐突とうとつにマスターが呟いた。


『僕がそれらの感情を理解出来れば、僕は人間になれるのでしょうか?』

『リオンは人間になりたいの?』

 僕の返事にマスターはとても驚いたようだったが、僕の返事に迷いはなかった。


『はい。人間になりたいです。人間になって、もっとマスターのお役に立ちたいです。今のままでは、マスターが泣いていてもその感情を理解できず、どういう言葉をかけたらいいかわからないですから』

『……リオンは優しいね。そうだね、私が泣いていたら抱き締めてくれたら嬉しいかな』

『覚えておきます』

『あと、“マスター”じゃなくて“なぎ”って呼んで欲しいかな。あ、これは泣いてる時限定じゃなく、普段からね?』

『…………それは善処ぜんしょします』

『そんなに難しいことじゃないよ?名前で呼ぶだけなんだから』


 そうクスクスと笑ったマスターのことを僕は思い出していた。


 マスターが死んでしまって、数日が経った。埋葬まいそうを済まし、本当にひとりになって、何もすることがなかった。マスターは人と関わるのを嫌い、誰も住まないような辺鄙へんぴな場所に住んでいたため、マスターの死を知っているのは僕だけだった。


「……生きるとは、何をすればいいんですか?」


 僕は人間じゃない。マスターの手伝いをするために作られたロボットだ。だから、マスターがいない世界に僕の存在意義は何もない。


「……僕の存在意義は何ですか?教えて下さい、マスター」


 人間なら、こういう時は泣くのだろう。

 だけど、僕は感情を持たないロボットだ。だから涙は出ない。そもそも涙が出るように作られているかどうかさえわからない。


「……どうか帰ってきてください、なぎ様」



『……こっちに来て、リオン』

「マス、ター……?」


 僕を呼ぶマスターの声が聞こえた気がして、僕は部屋の中を見渡す。そこには虹色に輝く美しいちょうがひらひらと舞っていた。蝶は僕のことをいざなうようにドアの前へと飛んでいく。


「……ついて行けばいいのですか?」

 僕の質問に肯定なのか、蝶は僕の手に止まる。

 僕はドアを開き、また飛び始めた蝶を追いかけた。

 何か生きるためのヒントが蝶のみちびく先にあることを期待して。


 ☆


『ーーまだ帰ってこないのか?』

『急かさないでください。わたしだって困ってるんんですから。なんでターゲットを殺したはずなのに、反応が消えないんです!?消えるどころか増えてるんですけど!?』

『あー……、悪かったから大声は出さないでくれ。お前の声は高くて、耳がキンキンすーー』


 ブツンと未来みくは通信を無理矢理切り、ふぅとため息をついた。ストレスは身体に悪い。通信障害が起きたことにし、しばらくは上司のことを無視するようにしようと心を決める。未来はすっかり冷たくなってしまった指先をこすりあわせ、改めて周りを見渡した。


「この近辺に家があるはずよね。どれだけ人間を嫌っていたのかは知らないけど、巧妙こうみょうに隠しすぎじゃない?」

「そりゃ、タイムマシンの発明者なんだ。嫌でも人間嫌いになるさ」

「……人間を語る犬、か。言い得て妙だね」

「それは皮肉か?」

「いや?ただ単純にすごいなぁと思っただけ。で、ご自慢の鼻はどう?」

「……寒くて痛い」

「うん?そういうんじゃないんだよね、欲しい情報は」


 笑顔で怒る未来にアッシュは尻尾を下げる。


「……魂の匂いはする。ただ、弱いな。砕けてしまったか」

「うわー……それって確実にめんどくさいやつじゃん。何個に砕けたかわかる?」

「5……いや、6だな。ひとつは近くにありそうだ」

「じゃあ案内よろしく」

「未来、俺の上に乗れ。身体が冷えてる」

「ん。ありがと、アッシュ」


 ひとりと一匹は寒空の下、疾走しっそうした。

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