肆
四方に細い竹を刺し、それを注連縄で囲み、
その中に三段の祭壇を建て、玉串とお供え物を並べる。
酒や尾頭付きの魚、米や野菜が並べられた祭壇を見て、中太郎は首を傾げる。
特に去年と違いがなく、豪華といえば作られた団子が色とりどりの餡子に包まれているくらいだ。
黒曜は今年は豪華にするから物入りだと言っていたはずなのに。
「それでは御方様、申し訳ありません」
「後で迎えに来るから、中太郎、頼んだぞ」
『祭』の準備を終えた黒曜に遠くから二匹の従者が頭を下げる。
「うむ。すまなかったのぅ。見守るのも辛かったじゃろ。後は
やはり二匹は物の怪なので、祓いの場に居るのは辛いらしい。
「一応結界は張りましたが、緊急の際は……」
「
心配そうに振り返りながらも、二匹の姿は消える。
一方、黒曜はまるで平気な様子で聖域に入る。
本人曰く、『妾は人間に毛が生えたくらいの
いつもの壷装束を脱ぎ、真っ白な着物に赤い袴を着た黒曜は祭壇の前に立つ。
「では中太郎は後ろに」
そう言って、彼女は目隠しを外す。
目となる二匹の従者が居ない今、
黒曜は深々と祭壇に頭を下げ、巻いて折り曲げた紙を広げる。
中太郎は祝詞の間、黒曜の後ろで、頭を伏せて待つ。
詳しい所作はわからないが、
そう。心を空にして、神聖な気持ちでいなくてはいけない。
『目を見て、手を取る』
『接吻だ、接吻!!』
『可能そうなら流れるように押し倒す!』
なのに友人たちの言葉が頭をよぎり、邪念が浮かんでしまう。
左太郎と右太郎の居ない、絶好のチャンス。
しかしここは、黒曜たちと一緒に清めたとは言え、自分の氏族の非業の地だ。
無念の中で死んでいった彼等を思えば、そんな色呆けた事が出来るはずがない。
しかしこれが最後の祭。
これを逃せばもうこんな機会は巡ってこないかも知れない。
正真正銘、黒曜と二人だけの空間。
気持ちを告げるだけでもやってみようか?等と考えて胸を高鳴らせてしまう。
そんな中太郎に儀礼に則り、黒曜が玉串に宿らせた清水をかける。
その冷たさと清らかさが、中太郎の邪念を打ち払っていくようだ。
歌うように響く祝詞と、清水に誘われるように、強い風が呪いを押し流すように吹く。
不思議な事だが、黒曜が祓いをやる時は、いつも最後に風が吹く。
その風が終了の合図だ。
「あっ…………」
黒曜は小さく声を漏らす。
何事かと思えば、脇に置いていた黒曜の目隠しを、強風が攫ってしまったらしい。
ひらひらと風に舞った目隠しは、黒曜では手の届かない木に引っかかってしまう。
「しもうた……中太郎、取ってたも」
焦って袖で顔を隠しながら、黒曜は言う。
「はいはい」
中太郎は注連縄をくぐり、木に登る。
「気をつけるのじゃぞ〜」
黒曜は顔を隠しながらも、中太郎を心配してチラチラと袖の合間から見ている。
難なく黒い布を手に取り、振り返った中太郎は、そんな黒曜を見て少し悪戯心がわく。
「わっ!!」
滑ったフリをして枝にぶら下がる。
「中太郎!!!」
すると黒曜が悲鳴を上がる。
普段のんびりとしか動かない黒曜が、一本歯の高下駄を鳴らして、両手を広げて慌てて駆け寄ってくる。
漆黒の髪を靡かせ、可愛らしい、少し目尻の下がった黒目がちなその目を大きく開けて、中太郎を受け止めようと走ってくる。
「…………」
そう、可愛らしいとしか言いようがない。
少し下がり気味の眉も、黒いのに煌めく、世に稀な宝石のような目も。
可愛くて、美しい。
自然と腕から力が抜けて、中太郎は地面にストンと着地する。
黒曜は思い切り、その中太郎を抱きとめる。
いや、抱きとめると言うよりは、大木にしがみつく猿の子のように中太郎にしがみ付く。
どう見ても受け止めたようには見えない。
「中太郎!!怪我はないかえ!?」
しかし本人はしかと受け止めたつもりなようだ。
中太郎をしっかりと抱きしめて安否を問う。
至近距離で目が合って、黒曜はハッとして顔を隠そうとする。
「…………」
しかしその両手を中太郎は掴む。
そして魅入られたようにその目を見つめる。
初めて見る黒曜の素顔だ。
思っていた通り、愛嬌があるのに涼やかな顔立ちで、その目は引き込まれるようだ。
「こ、これ!!中太郎!!」
腕を自由にしようと、もがく黒曜を片手で抱き締めて、片手をその頬に添える。
暖かく、驚くほど柔らかい。
『目を見て』
『接吻』
頭を単語が過ぎる。
惹かれるままに、その柔らかそうな唇に顔を寄せる。
「これ!!!!」
しかし中太郎は顔面に張り手を食らって止まる。
抱き締められた黒曜は、もがいて腕をなんとか自由にしたのだ。
黒曜はそのまま中太郎の顔を押して、その腕を逃れる。
「噛み付いてはならんと言ったじゃろう!!妾は食べ物ではない!!食うなどもってのほかじゃ!!」
「……………。いや、別に食べようとしたわけじゃ……」
「目もならん!!さあ!
黒曜は顔を背けて、袖で顔を隠してしまった。
もっと見たい。
差し出される手に、目隠しの布ではなく、中太郎は自分の手を置く。
「手じゃのうて─────」
文句を言おうとした黒曜の語尾を、突如、大きな破裂音がさらう。
同時に中太郎が握った黒曜の手がビクンと跳ねた。
突然の事に中太郎は呆然と目を見開く。
山々にパァンっと言う破裂音がこだまして、黒曜の肩から赤い血飛沫が上がる。
何かが黒曜の肩甲骨を砕き、肩を食い破る。
肩を見えない手に押されたように黒曜が大きく傾く。
高下駄が均衡を崩して後ろに倒れる。
黒い髪が、赤を縁取るように広がって、流れていく。
「黒曜様!!!!」
倒れかかった黒曜を中太郎は支える。
「あっ……ぐっ……うっ……くっ………」
黒曜は血が吹き出す肩を押さえ、顔を苦悶に歪める。
「黒曜様!一体何が………」
振り返った中太郎は目を見開いた。
いつの間にか手に武器を携えた男たちが廃村の入り口に立っている。
今、発射されたであろう銃を構えている者もある。
「貴様ら………何奴だ!!!」
黒曜を抱き、中太郎は吠える。
男たちは六人。
不気味な沈黙を守り、中太郎たちを見ている。
「中太郎……下がりゃ」
痛みに震えていた黒曜が囁く。
額に汗を浮かべながら、肩を押さえ、彼女は中太郎を押す。
閉じた瞼が痛みに震えている。
「黒曜様、動いたらダメだ!!」
中太郎は黒曜を守ろうと、抱きしめた腕に力を込める。
「よい。下ろしてたも。………奴らの狙いは恐らく……妾じゃ。前に出る故、火に草を入れるのじゃ。左太郎たちが来れば逃げ切れる」
ちらりと黒曜は祭壇横の焚き火を見る。
煙を出すための干し草が焚き火の横に置いてある。
しかし撃たれた黒曜を一人で行かせるわけにはいかない。
「左太郎が結界を張ってるって言ってた。あいつらが入ってきたんだから、もう左太郎は侵入者に気がついているよ」
二匹の恐るべき従者が助けに来るまで、人間の中太郎が黒曜を守ればいい。
しかしその決意に黒曜は首を振る。
「多分……無理じゃ。左太郎の作る結界はその線を跨ぐ事で感知するようにできておる」
黒曜は男たちの後ろにある鉄の塊を指差す。
「『おーともーびる』じゃ。あれは座ってるだけで自動で動くのじゃろう?」
確かに、自動車であれば跨ぐ事はない。
滑るように動いて、結界の中に入ってきたのだ。
「え………たったそれだけで感知できないの!?」
驚く中太郎に黒曜は深々と頷く。
「うむ。牛馬ならば、それらが跨ぐ故感知できるのじゃが……文明の利器に対応できておらぬのじゃ。古式ゆかしい術も、そろそろ時代に合わせて作り直さねばならぬ時が来たようじゃな」
「時が来たというか、しっかり既に取り残されているよ……」
「妖は世に疎いのでな。仕方ないのじゃ」
危機的状況の筈なのに、二人はどうでも良い会話を交わす。
ふと、中太郎は彼女の顔から苦痛が消えている事に気がつく。
「大袈裟に倒れてしまったがの。大した怪我じゃなかったようじゃ」
クスッと黒曜は笑う。
そして中太郎の胸を軽く押して地面に降り立つ。
彼女は中太郎の前に立ち、背筋を伸ばして中太郎を庇うようにして敵を見る。
「……左と右に来てもらわねば共倒れじゃ。中太郎、頼んだぞえ」
そう言われては、中太郎も頷かざるを得ない。
黒曜はいつものゆるりとした歩き方で敵方に歩み寄る。
「そなたら、この神域を禍事で穢す気かえ!?何の用じゃ!!申せ!!」
そして涼やかな声を張り上げる。
いつも聴きなれた優しい声が厳しく、別人のようだ。
黒曜は片袖で顔を隠し、片手でその袖を押さえて、男らに対峙する。
距離が近過ぎる。
黒曜と男達の距離は百歩程。
あの距離では、銃は避けられないし、槍を持って突っ込まれたら、動きの早くない黒曜は逃げられないだろう。
そう思いながら、中太郎はそっと焚き火に近づく。
早く頼りになる従僕たちを呼ばなくてはいけない。
男達は中太郎の動きは全く見ていない。
少し先に立つ黒曜に皆で騒めいている。
「怪我が……!!」
「……間違いない……!!」
「……丘尼だ……!!」
そんな声が中太郎の所まで聞こえてくる。
そっと草を焚き火に放り込んでいると、男達が左右に割れ、後ろの自動車が完全に姿を現わす。
「……………!!!」
中太郎は息を飲んだ。
その車に描かれているのは、三つ追いの柊の中央に二本の刀の家紋。
当然と言えば当然。
こんな田舎に、そんなに自家用車を持っている者が来るわけがない。
男の一人が恭しく車を開け、奥から体を引き摺るようにして、枯れ木のような老人が現れる。
「………探したぞ………その再生能力……不老の化け物、
杖に支えられてようやく立っている
男達は老人の威を受けて、一様に頭を下げている。
「思い切り人違いじゃ。……いや、妖違い、かの。この山奥まで、とんだ無駄足を踏みに来たの」
しかし黒曜は平然と老人の言葉を切り捨てる。
「古来、人魚の肉を食った者は不老長寿を得ると言う。……その者の肉もまた不老を得る妙薬になると言う」
老人の声はしゃがれているのに、地を這うように響いてくる。
不気味な呟きと、その声に、中太郎は背筋に氷塊を詰め込まれたような錯覚を覚える。
「人の話を全然聞いておらぬの。老人性難聴か、痴呆かえ」
しかしやはり黒曜は平然としている。
かなり失礼な事をはっきりとした口調で言い切る。
「……肉だ。……肉を寄越せ」
老人が黒曜に向かって歩き始める。
「残念ながら妾は菜食主義じゃ。肉など持っておらん。肉が食いたければ
昨日黒曜が作った夕飯は煮魚だったし、祭壇の上にも堂々と尾頭付きの魚が飾ってあるが、黒曜は言い切り、しっしと手で相手を追い返す仕草をする。
しかし老人は覚束ない足取りで、脚を引きずるようにしながらも、歩みを止めない。
「呪いの腐臭で鼻が折れそうじゃ。堪らんのぅ。寄らんでたも」
合わせるように黒曜は少しづつ下がる。
黒曜は対話する事で時間稼ぎをしている。
銃も刀も恐れない従者達の到着を待っている。
そうわかっていても中太郎は黒曜に走り寄って、彼女を抱えて走り去りたい衝動に駆られる。
それ程目の前の老人は醜悪で底が知れない。
生への執着にギラつくその目が、何とも言えず、禍々しい。
煙が上がり出したのを確認して中太郎はゆっくり黒曜に近づく。
「止まれ、小娘。その肉を儂に差し出せ」
「たわけ
恐らく、かなり身分が高く皆から敬われる立場であろう老人に、ここまで舐めた対応をするのは黒曜が初めてなのかもしれない。
老人の足が止まり、怒りにヒクヒクと頬が痙攣している。
「………貴様の心臓はさぞ効果があるだろう。抉り出して食ってやる」
憎しみのこもった言葉だったが、やはり黒曜は蛙の面に水。
「お山産の新鮮な山菜食べ放題の妾は、見た目通り味も良いじゃろうが、残念ながら食用販売はしておらぬ。
しっしと犬でも追い払う様に手を振る。
老人の手が、不遜な態度の黒曜に対する怒りに震えている。
「儂はな、こんな所で死ぬ男ではない。これからこの国を支えて動かさねばならん男なのだ。貴様如き山中に隠れ住む化け物等とは価値が違うんだ」
老人の手が上がり、控えた男達の一人が長銃を構える。
しかし顔を隠している黒曜にはそれが見えていないようだ。
「ほほぅ、私欲に塗れ、呪いを使い捨ての道具か何かと勘違いして、
冷たく鼻で笑う。
「そなた、この村を襲った者じゃな?せっかく静まりかけておったここの亡霊達がそなたのせいで大騒ぎじゃ。『身を以て呪いを知れ』とな。………最早、そなたの呪いは手遅れじゃ。本物の人魚を食ったとて、呪いには勝てぬ。寿命の炎は既に呪いに食いつぶされておる。帰ってせめて最期のひと時を家族と過ごすが良い」
それでも最期は家に帰って心静かに過ごせというのが黒曜らしい。
中太郎はそう思ったが、老人は違ったらしい。
憎々しげに顔を歪め、上げた手を振り下ろす。
「黒曜様!!!」
その瞬間、ゆっくりと距離を詰めていた中太郎は黒曜に飛びつく。
高い破裂音と同時に、腕を熱い物が掠める。
ゴロンゴロンと黒曜を抱き締めて中太郎は二転する。
「……っうぅ……」
軽く掠めただけの様だったのに、焼ける様な痛みが腕に広がる。
「中太郎!!!!」
一緒に転がった黒曜は中太郎の呻き声に、黒い髪を振り乱して、起き上がる。
「血が………!!妾なんぞを庇うなど……!!」
煌めく黒曜の瞳が、動揺と悲しみに細かく揺れる。
こんな時なのに彼女の目は本当に美しい。
武器を持った男達によって、もたらされる死が、すぐそこに迫って来ているのに、場違いなことを中太郎は思ってしまう。
「後ろ!!」
しかし見惚れている場合ではない。
発砲と同時に、武器を持った男達が、黒曜の背後に迫って来ている。
中太郎は跳ね上がって、黒曜を守ろうとする。
「大丈夫じゃ。……ここで安静にしておれ」
しかし悲しげな決意を秘めた顔の黒曜に言われた途端、体から力が抜ける。
「………!?」
黒曜を守らなければ。
そう思うのに、何故か体が動こない。
黒曜はゆるりと立ち上がって後ろを振りかえる。
「黒曜様!!」
黒曜は戦えない。
大き目の石すら持ち上げられない細腕で、男達を相手できるはずがない。
「痴れ者ども……下がりおれ」
黒曜の涼やかな声が響く。
こんな場に制止など全く意味がない。
暴力が場を制しているのに、黒曜の言葉など意味がない。
そのはずだった。
「へっ!?」
間抜けな声を上げて、男達の一人が大きく後ろに飛ぶ。
「へ!?わ、わ、あぁぁぁぁぁ!?」
そして着地に失敗して、地面に転がった男は、連続して、そこから後ろに向かってずっと転がり続ける。
転がる本人も、周りの男達の顔にも訳がわからないと書いてある。
「去りや。二度とこの地に足を踏み込むでない」
黒曜は別の男をしっかりと見ながら、再び命令する。
「へ!?……え?は!?はぁ!?」
その男が後ろに向かって走り出す。
「ちょ!!待てよ!!」
引き留めようとする仲間に、走り出した男が困惑した顔を向ける。
「足が……足が言う事をきかねぇんだ!!」
それは異様な光景だった。
上半身は後ろを向いて残ろうと足掻いているのに、下半身がまるで別の生き物のように遠くへ、遠くへと走り出す。
まるでそこだけ乗っ取られているようだ。
「そなたらも去りや。我が
そして黒曜が睨んだ者が、次々と同じように、怯えと困惑を顔に貼り付けて後ろに向かって走り出す。
「あ……目………」
立ち上がれない中太郎は腕から流れ落ちる血を押さえながら気がつく。
黒曜が自ら禁じてきた、その目だ。
その目に睨まれた者は黒曜の命令を強制的に守らされているのだ。
人を思いのままに動かす能力。
強制的に命令を押し付ける能力。
『中太郎、その子は野に返してやりや。どれ程の蜜や安全より、その子は自由に飛び回り伴侶を見つける事が幸福なのじゃ』
野の虫すら縛る事を望まず、自由に舞う姿を愛する黒曜に、そんな能力があったとしたなら。
それは彼女にとって、どれ程『恐ろしい事』だろう。
肉迫していた男達を遠ざけた黒曜は、大きなため息を吐き出す。
そして悲しげな顔で振り返る。
「止血をするからの」
そう言って黒曜は中太郎が持ったままだった目隠しの布を手に取る。
赤く染まった右の袖を捲り上げて、傷の少し上を彼女はきつく結ぶ。
「……黒曜様、その目は……」
何と聞いて良いかわからない中太郎に、黒曜は寂しそうに笑う。
「妾は……人ではない。……妖じゃ。………でも………そなたには人としての妾だけを覚えていて欲しかったのぅ……」
彼女は悲しげに目を閉じて、そう言った。
彼女の過去形の呟きが中太郎の心に引っかかる。
「『祭』はもう終いじゃ。………もっと……穏やかに……そなたを送り出したかった……」
目を閉じていた黒曜は顔を上げながら、ゆっくりと瞼を上げる。
その瞬間、高い破裂音が再び鳴った。
そして何か言おうと口を開いた彼女を、山々のこだまを引き連れて、放たれた弾が引き裂く。
大きく黒曜の瞳が見開かれる。
彼女の背中が跳ねて、鉱物の様に輝く黒髪が大きく揺れる。
「………かっ………!!」
苦痛に黒曜の顔が歪む。
「黒曜様!!」
しかし中太郎は彼女を受け止められない。
動かない体で、血の尾を引きながら、横にドサリと転がる黒曜を見ることしかできない。
「黒曜様!黒曜様!!」
自由になるのは口だけだ。
ジワリと鮮血が黒曜の胸元を染め、地面に広がっていく。
一人だけ遠くにいて、黒曜の言葉を受けなかった男が、長銃を開いて弾を入れ替える音がする。
「黒曜様!!俺を自由にして!!黒曜様!!」
中太郎は叫ぶ。
このままでは黒曜は逃げられない。
抱えて逃げなくては。
肺をやられたのか、黒曜はヒューヒューと喉を鳴らす。
そして地面に転がったまま、愛しそうに中太郎を見つめた。
「………中太郎………安全なところまで……逃げや。……そなたは………自由じゃ……」
大きな血の塊が、ゴポリと言う音とともに、黒曜の口からこぼれ落ちる。
「違う!!!黒曜様!!!」
中太郎は叫ぶ。
しかし無慈悲に中太郎の体は勝手に走り出す。
「違う!違う!!黒曜様!!俺は、黒曜様を!!!黒曜様!!取り消して!!!」
軽やかに走り出す体に、中太郎は絶叫する。
銃を構える男と倒れた黒曜を置いて、中太郎の体は軽々と地を蹴る。
顔だけ後ろを向いていても、黒曜からどんどん離れていく。
「ここには……もう、戻りなや……………幸せに……」
血に塗れた黒曜は、それでも微笑んでいた。
再び、銃を構えた男が引き金を引く。
優しい最期の言葉は、再び鳴った銃声にかき消された。
弾風を受けて、黒曜の美しい黒絹の髪が跳ね、煌めいていた黒曜の瞳が黒炭のように光を失う。
「黒曜様!!何で………!!!俺は!!!俺は貴女と!!!」
中太郎は叫ぶ。
安全な所まで逃げる体を止めることもできずに、ただ、悲鳴と嗚咽を上げることしか出来なかった。
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