参
学校の終わりを知らせる鐘が鳴り、生徒達は木造の床を
その部屋にいる生徒達は全て男子生徒で、女子の姿はない。
教育を受けさせてもらえるような良家の女子は女学校に行き、それ以外は実業学校に行くからだ。
「ちゅーた!!」
男臭い教室で静かに帰り支度をしていた中太郎に、同じ組の少年が飛びつく。
「……いきなり飛びつくなよ」
大きくよろけた中太郎は、友達に眉をしかめる。
「この色男!!ほら、見てみろよ!!また女学校のお嬢さん方が、あそこでお前を待ってるぞ〜」
窓の外には学校の門が見えており、そこに隠れるように女子達が立っている。
「……俺とは限らないって」
「またまた〜!上等な着物をあつらえてもらって、更に男ぶりが上がったじゃないか!それ、かなりいい生地だろ?俺の目は誤魔化せないぞ」
ニヤニヤと呉服屋の息子も会話に入ってきて笑う。
中太郎は苦笑するしかない。
忠太郎は迷わず表門ではなく裏門に向かう。
そんな彼に友達二人もついて来る。
「何だよ、会わねぇのか?」
「結構可愛い子ばっかりだったぞ」
そんな事を言う友人達に中太郎は首を振る。
頬を染めて会いに来る少女達は確かに可愛いが、中太郎の心にいるのはいつも目隠しをしている変わり者の
「中太郎って潔癖だよな〜」
「そうそう、どんなに可愛い子でも全然なびかねぇよな。……もしかして、もう決まった許嫁とか居るのか?」
友人の遠慮のない、好奇心に満ちた質問に中太郎はため息を零す。
「……心に決めた
勝手にこちらが心に決めていても、相手にされていないと、迂闊に公言も出来ない。
「何だよ、意味深だなぁ〜」
「片恋か?中太郎」
そんな中太郎に友人たちは興味津々だ。
「……思いっきり片恋だよ。向こうは俺を小さくて可愛い子供と思っている」
中太郎がそう言うと、友人二人は思わず吹き出す。
細身で肉体労働に向きそうな体つきではないが、身長もあり、少し鋭い、切れ長の目が特徴的な中太郎には『可愛い子供』と言う言葉が、あまりにも似合わない。
「お前が子供!?」
「どんだけ年上なんだよ!!まさか誰かの母親じゃないだろうな!?」
明るく笑う友人に中太郎は渋い顔をする。
黒曜は、自己申告を信じるなら、今、生きている人間の誰よりも年上の女性だ。
しかし流石にそれは言えない。
自由に姿を消せる右太郎が、もう
聞かれたら何と告げ口されるか、分かったものじゃない。
「怒るなよ!中太郎が……意外すぎて面白かったんだよ!」
「そうそう。年上でも何でも、お前が迫ればイチコロだろ!強気に行けよ!」
渋い顔をして黙った中太郎に、取り成すように友人たちが言う。
「迫るって……」
戸惑う中太郎を、面白がるように友人達が見る。
「そりゃあ、お前、こう、目を見て」
呉服屋の息子が片割れを見つめる。
「手を取る」
そしてその手を取る。
二人は演技がかった動きで見つめ合う。
「目を見て……手を取って?」
中太郎が真面目に頷くと、二人は中太郎を見て、再び見つめあって爆笑しだす。
「馬鹿、この後は一つしかないだろ!」
「
「そして可能そうなら流れるように押し倒す!」
完全に面白がっている。
真剣に聞いて損をした。
そう思って中太郎は大きくため息を吐く。
「何だよ、子供扱いされるなら、男だと示せば良いだろ!」
「そうそう!これぐらいしたら『男』を意識せざるをえないだろ!」
自分たちの案を一蹴した中太郎に、友人二人は口を尖らせて反論する
「……そんなことしたら、しばき倒されて逆さ吊りにされる」
黒曜のお付きの二匹が、そんな
中太郎の真意を知らない友人達は、驚いた顔で、『しばき倒されて逆さ吊り』にするなんて、中太郎の相手はどんな女なんだと視線で会話する。
一人重い雰囲気になってしまった中太郎の背中を、元気づけるように友人は叩く。
「ま、まぁ、
「そ、そう!何とかなるかは知らないけど……あ、そうだ!
そして何とか明るい話題を提供してくる。
「凄ぇ客?」
「何でも
耳慣れない言葉に、中太郎ともう一人は首を傾げる。
「個人用の乗合バスみたいなヤツだと。とにかく格好いいらしいぞ!!……見たくねぇか?」
近隣よりこの街は栄えているが、地方であることには変わりなく、この田舎に自動車自体存在しない。
そもそも自動車などは商用車を除けば、超上流階級の限られた者しか持つ者がいない。
「へぇ〜、行こうぜ、中太郎!」
「女の事なんて吹っ飛んじまうぜ!」
返事も聞かずに友人達は、中太郎の手を取って走り出す。
帰り道だし、まぁ、少しくらい良いかと、中太郎は苦笑しながらそれに続く。
暫く三人が走ると、大きな
「啓二朗!!」
丸刈りの少年・啓二朗は喜色満面で三人を迎える。
「よく来たな!裏に停めてあるんだ!見に行こうぜ!」
宝物を皆で共有できる高揚が、彼から溢れ出ている。
「すげぇよ。あれ、動いてる所も皆に見せたいな〜!早いし、すっごい格好いいんだぜ!」
「へぇ〜!」
少年たちは未知に目を輝かせ、熱く語り合いながら歩く。
中太郎は笑いながらそれを聞き、黒曜がそれを見たら、どんなに珍しがって喜ぶだろうかと想像する。
今の町中では完全に浮いてしまう、
山から殆ど出ない彼女は、仕える妖たちの手を取って外の映像を見せてもらっては、コロコロと涼やかな声をたてて笑ったり、感心したり、楽しそうにしている。
昔は中太郎も自分の記憶を見せて黒曜を楽しませた。
『年頃の
黒曜の寂しげだが嬉しげな言葉に胸が痛む。
本当はもっと黒曜と風景を共有したい。
一緒に笑って、感心して、語り合いたい。
でも黒曜は山の外に出たがらないし、刺繍やら当て布やらで補強しながら使っている、一見華やかな衣を脱ぎたがらない。
あの女学生達のように袴にブーツを履いた黒曜を連れて、彼女にとっては珍しい物だらけの町を、共に歩いてみたい。
案内したら、きっと彼女は喜ぶだろう。
『妾は下の世と繋がり過ぎてはならんのじゃ。双方に不幸がもたらされる』
何度誘っても、寂しげに笑う彼女を思って、中太郎は切なくなる。
「中太郎?」
夢想していた中太郎は、肩を叩かれてふと現実に戻る。
「あ、あぁ?」
「お前もこんな物が動くなんて信じられないだろ、って聞いたんだよ」
友が黒塗りの『オートモービル』に目を輝かせている。
鉄でできているその車は、色も相まって重厚さがあり、昔からそこにあったような存在感がある。
確かにこれが動き回るとは、
「そうだな。動いたら凄いな」
動いた所を見られたなら、その映像を、久しぶりに黒曜に見せてあげたい。
そう思いながら、中太郎は初めて見る自動車を眺める。
「……………?」
そして車に入った家紋に、ふと、目が止まる。
変わった家紋だ。
三つ追いの
珍しいはずなのに、既視感がある。
この家紋、何処かで見たことがある。
しかも何か邪なイメージがある。
どこで見た物だろう。
中太郎は記憶の線を辿る。
「すげぇなぁ!!……でもこんな物に乗る、高貴なお華族様が、何でよりによってこんな
「湯治……とか言ってたかな」
「湯治ぃ!?温泉も何にもない所に!?」
「何か病を得たとかなんとかで、この辺りで出回ってる薬を買い求めに来たって言ってたかな。凄い効く薬があるんだって」
「へぇ〜、薬なんか都会の方がよっぽど良いのがありそうだけどなぁ」
「あ、でも俺、聞いたことがある。
「あ、俺も、俺も!何でも噂では山の女神が作ってる
記憶を辿りながら友人達の話を聞いていた中太郎は、思わず吹き出す。
和漢仙薬堂は、左太郎が黒曜の作った薬を卸しに行っている店の一つだ。
「山の女神って!!この文明開化の世の中で!!」
馬鹿にして呉服屋の息子が笑うと、真剣な顔をしてもう一人が首を振る。
「馬鹿、女神様は居るんだぞ。ばーちゃんの村で疫病が流行った時に、女神様が山から下りてきて、手ずから看病して薬を与えてくれたって話だ。ばーちゃんも助けてもらって、今でも感謝して、毎日女神様にお供え物してんだぞ」
真剣な言葉に、呉服屋の息子は眉唾、眉唾と大笑いする。
しかしその話を聞いた旅籠の息子の顔は、真顔になる。
「……それって『目隠しの鬼』の話?」
秘密の話をするように、押し殺した声で聞く。
「ばっか!!鬼じゃねぇ!山神様だ!高貴なお顔を布で隠してるんだぞ!」
明らかにムッとした顔の少年の手を、旅籠の息子が握る。
「お前、その話、詳しく聞かせてやってくれよ。その、例のお華族様が目隠しの……山神様の話を調べてるんだよ。この町の人間は、あんまり知ってる奴が居ないし、漢方屋のジジイは半分ボケてるし」
「えぇ!?」
拒否しようとする少年を、旅籠の少年が引っ張る。
「多分、金一封出るぞ。もう金に糸目はつけないって感じで探してるからな」
それを呉服屋の息子が胡散臭そうに見ている。
「馬鹿、不確かな事を言って金貰ったら、後が怖いぞ。な、そう思うだろ?中太郎」
そして中太郎に話を振る。
中太郎は唾を飲む。
『目隠しの鬼』は間違いなく黒曜の事だ。
人と関われない、と言いつつ中太郎を助けてしまう彼女だ。
きっと疫病で苦しむ村民を見捨てられなくて、山から降りてしまったのだ。
「うん。責任取れない事は言わない方が良い。大体婆様の話の又聞きなんだろう?婆様を疑えというわけじゃないけど、万が一間違ってたら何と言われるかわからないよ」
何か禍事が黒曜に迫っている気がする。
それを遠ざけようと咄嗟にそう言った中太郎は目を見開く。
『禍事』。
そう考えた瞬間、それが鍵になって、過去の記憶を呼び覚ます。
―――『依頼者』だ。
思い当たって、中太郎の背中に冷たい氷塊が流れたような感覚が湧く。
この車に描かれている家紋は確かにそうだ。
見たのは七年も昔の事。
しかもその時の中太郎は、たった八つの子供だった。
しかし珍しいその構図は、しかと見た記憶がある。
「………幸隆、知三郎、帰ろう。厄介事に巻き込まれない方が良い」
中太郎は友の手を引く。
何か良くない歯車が噛み合っている。
『呪い』を依頼した華族。
『祓い』を行わず、術者の村を滅ぼしたその華族が、重い病を患っている。
患った体を押して、こんな鄙びた田舎に滞在して、『目隠しの鬼』を探す。
そして何の因果か、依頼者の依頼した『呪い』への最後の『祓い』が目前に迫っている。
顔色を変えて帰宅を促す中太郎の肩を、旅籠の息子が掴む。
「待てよ!!ちょっとでも情報提供したいんだよ!!……うちは西に行く客の中継地って事で旅籠をやってたけど、機関車なんかが走るようになって、客足が遠のいてるんだ。……あんな上客に贔屓にされたら、それだけで箔がつくんだよ!!」
必死に訴える旅籠の息子に友人たちは戸惑って顔を見合わせ合う。
その顔に、旅籠の息子に同情する気配が生まれて、これは不味いと中太郎は判断する。
「……でもさ、間違ってる情報教えたら、尚更良くないんじゃないか?万が一情報が間違ってて、その情報を提供したのが、泊まった旅籠の息子の友達だった。そしたらその華族は媚を売りたいがために、でっち上げを掴ませたと思うかもしれないよ?」
友人が同情から黒曜の情報を漏らす前に中太郎は釘をさす。
友人を見捨てるような行為だが、『呪い』を纏った華族に贔屓にされたら、結果的に彼の旅籠にも影響が及ぶかもしれない。
「知三郎は婆様にちゃんと話を聞き直した方が良いかもしれない。情報提供ならその後でも良いだろう?」
その一言で諦めきれない様子の旅籠の息子を、中太郎は完全に抑え込む。
何かが迫っている。
その悪い予感に押されるかのように、中太郎は友人たちと別れて、家路を急ぐ。
「上手いことやったな、中太郎」
その中太郎に、何処からか声がかかる。
中太郎はその声の主を探そうとはしない。
「右太郎、聞いていたか?」
歩きながら独り言のように呟くと、
「しかと」
と、また何処からともなく声が応える。
「黒曜様を探している奴がいる。黒曜様を守らないと」
中太郎がそういうと、クククク、と、周囲に笑い声が響く。
「問題ねぇよ。ちょっくらあの坊主の家を辿って、その婆ぁの記憶を消してくれる」
「……そんな事できるのか?」
「任せとけ。お前、途中まで歩いて帰っとけ。俺は仕事をして来る」
ククククと笑う声が、中太郎から離れて行く。
中太郎は急いで庵のある山に向かって歩き出す。
とても人間の足で帰れる距離ではない。
どの道、右太郎に連れ帰ってもらわなければならない。
しかし中太郎の足はどんどん速度を上げる。
一分でも一秒でも早く黒曜の元へ帰りたい。
その思いが中太郎の足をどんどん急がせる。
もう小さな無力な子供じゃない。
そばにいて、何があっても守る。
中太郎は夢中になって走り始めた。
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