32.拝啓、ガラテアの愛を綴る。

 メーデー、メーデー、聴こえますか? 風のメッセージ。

 此方は上々上昇、上がりきった視線の高さじゃ録に地上に目も声も届きません。


 漸く撃ち落として貰えた翼は、羽ばたくのに疲れた身体を重力で引っ張られてしまってはどんどん墜ちていってすってんころりん。

 どつぼ大穴の中へとホールイン。

 着地は失敗、傷だらけ泥だらけ。

 水浸しになってしまったけれどそれも乾いたらブロンズ色だった泥は灰色へ、長々と地べたを這うように歩き続けてきたけれどもすっかり固まっ錆び付いちゃって動けない。


 汚れが傷に沁みちゃってボロボロの身体は痛い。

 めそめそぐすぐす。

 泣いて喚いて騒いだところで、折角地上に降りても空気なボクを見付けてくれる人なんて貰えなかった。

 姿が見えないのだ。

 諦めて道行く人をケラケラ笑ってからかって遊んでみても、“見えない笑い”と呼ばれたところでちっとも嬉しくない。

 これっぽっちも楽しくなんてならなかった。




 せめてもっと良い“名前”をちょーだいよ!




 ボクは“猫”だ、只の猫。

 名前はまだない、これから貰うとこ。

 姿がなくて声だけでも、誰かにすり寄って可愛がって甘やかして貰いたいからと猫なで声。


 猫です、姿は見えなくても猫なんです。

 宜しくお願いします。

 “犬”では駄目なんだ、だってそれは嫌いな“親”と同じだもの。

 猫です、何があろうと猫なのです。

 忠誠心?

 ナイナイ、甘い汁を啜るのはボク。

 誰も甘やかしてなんかやるものか。

 ボクはボクのものなのだから!




『やあ、猫くん。声しか姿を現せない君。君の身体は一体何処に在るんだろうか?』




 誰だお前は!

 ボクは知らない、キミなんて知らない。

 ……キミ、なんて──……。




『教えてくれないのかい? それじゃあオレが見付けてあげよう。……うーん、此方かな? それとも……此方か?』




 ……どうしてだろう。

 その“声”を聞いてから視界が滲んで上手く前が見えない。

 ボクは始め産まれた時から“木枯らし乾燥風”で優しい雲達と上手く馴染めないまま自ら遠退いた、自業自得の仲間外れ。

 それなのに、どうして?

 あれ程誰も甘やかせなくって、誰の事も好きになれなくって独りぼっちだった自分。

 そんなボクを“湿気らす”キミは──一体誰なの?




『……ええと、此処かなぁ……? ──嗚呼見付けた。』




 その時パッと明るく色めいた世界。

 ずっと灰色だった世界に突如現れた“赤色”。




『Buona seこんばんはrata、ピッコリーナ。随分と小さくて可愛らしいお嬢さんだ──もし君さえ良ければ、オレと一緒に星空の下でお茶会フェスタディテとか、いかがかな?』




 ふわりと笑んだ真っ赤な旅装の男の子。

 初めて目が合ったその瞬間、碧眼の目を大きく丸くしていたけど『本当に喋る猫さんだ』ってへにゃりと笑っていた。


 真っ黄色に染まった銀杏イチョウの木の影で落葉に埋もれていた見えない透明な筈の不確定不透明なボク。

 そんなボクに確かな姿形を与えて本当に見付けてくれたのは、すっかり秋の色恵みの季節めいた紅葉と同じ色のストールを被ったキミだった。


 持ち上げられて浮かぶ身体。

 びろんと伸びた流体の様な胴の身体に驚いた彼は、一瞬目を丸くしたけれどはにかんで『思っていたより大きいね』と呟いた。




 煩いな、図体ばかり大きくて悪かったな!




『いやいや、そこもまた素敵だよ。……透き通る様な青が混じった銀灰色の毛、角度によって緑色にも黄金色にも映る瞳……何て愛らしい。見れば見る程綺麗な“ロシアンブルー”だ。どうして皆、こんな可愛らしい子を放って置いていられるんだろうか!』




 にこにこ、でれでれ。

 掲げては抱き締めて、頰擦りしては口付けて。

 初めて出会ったばかりだと言うのに随分と甘やかされてしまって、溢れ出そうになっていた涙も思わず引っ込んだ。




『にゃーっ!!? 触るな触るなっ何なんだオマエは!? 勝手に触るな、撫でるな、抱き付いてくるなーっ!!』

『良いじゃあないか、減るもんじゃあ無いんだし。』

『減るわ!! 神経とか、あとストレスは増える!!』

『ええーそんなぁ……そんな悲しい事は言わないでおくれよ、オレは動物が大好きなんだ。特に君みたいな小さくて、ふかふかで、もふもふな子は特に……ううん、可愛らしい……!』

『断るっ! あっ、ちょっコラッばか! 匂いをっ嗅ぐなーっ!!』




 それが今のボクとしての初めての邂逅、一番大好き“だった”キミとの出逢い。

 いつか願った“流れ星”が叶えてくれた奇跡の結果が、その“出逢い”だった。


 宇宙色の海に身を投げてやり直し・・・・・てから意識は分裂、どれが本当の自分か解らないままゆらゆら揺らぐ無数の“自我”にごたまぜられていた。

 多くの“自分”と同期されてしまって頭の中には幾つもの記憶が積み重なり、もう訳が分からない──そんな状態。

 沢山“自分”が在りすぎて、どれが“今”の自分の記憶なのか混乱してどうにも忘れっぽくなってしまっていたボクに、自分が“ぼく”で在ることを思い出させてくれたキミ。


 遠い昔に始めた、救いたいと思った“モノ”が在る自分が続けてきたその旅路。

 その中でいつかの“ぼく”が出逢い、そして唯一心から愛した──永遠の“サヨナラ”を交わした筈の“キミ”の生まれ変わり。






 *****






 目の前で血飛沫が上がる。

 視界の内で反射光を鈍く照らしていた剣先は突き立てた自身の胸から溢れ落ちた赤色に染まり、その下に小さな池を作っていった。


「──ごめんね、ごめんよアル。オレが駄目な兄なばかりに、お前の事すら守る事も出来なかった……。」


 身体を貫かせた剣を抜き捨てて、ごぷり、と口からも血反吐が溢れ出させながらも力が抜け始めた腕を何とか持ち上げて目の前に転がる“それ”を抱き抱えた。


 嗚呼、自分の愛する“弟”は随分と小さく、軽くなってしまった。


 ぎゅう、と抱き締めるとその抱えた頭の真っ白く血の気が引いた頬に、自分から流れた血が赤色へと濡らす。

 それを抱えたままに重たい自分の身体を引き摺って、その“首から下がない頭部”を“首から上がない肢体”へと持ち運んでは並べそれをぼんやりと見下ろした。

 濡れた頬を拭うように指先を伝わせる。

 もうすっかりと冷たくなってしまった身体は氷の様だ。

 そう感じただけであれ程泣いて、泣いて、泣き腫らした目尻にはまた水気が帯びていきかすみ始めていた視界を更に歪めていく。


 見えなくなっていく、愛する弟の姿が。

 見届けなくては、愛する者の最期なのだから。


 そうして涙が溢れ落ちる前に“もう一人の弟”の最期と同じ様に、顔を間近へと近付ける。

 傍で添い寝するように、寂しがり屋な弟にそんな思いをさせぬ様に自身も横たわり、片手は彼の手をしかりと握り締めながらもう片方の手でその頭を愛おしげに撫でた。


「(夢見が悪くて、泣きながらこの子が起きてきた事を思い出すな……確かあの時もこうやって……)」


 走馬灯だろうか。

 自身も既に先が短い身、抜けていく血が体温を奪っていく中で感傷に浸る脳裏に今までの記憶が思い起こされていく。

 指先で持ち上げた前髪から額を晒す。

 そこへ口付けては冷たい身体を抱き締め、彼は落ちそうな瞼に抗いながら自身の最期まではと意識を持ち続けた。


「(おやすみ、アルモニア。オレの可愛い、可愛い弟……。)」


 抱き締めた腕で身体を撫でる。

 そして重たくなってきた瞼が今にも視界を閉ざしそうに、幕を下ろしかけたその時だった。




『──ナイト……ナイティニコラ・ルーチェ、まだ声は聞こえますか?』




 空耳だろうか。

 愛する弟の、もう二度と聞くことが出来なくなったと思っていた声が脳裏に響いた。


 閉じかけた瞼を無理矢理抉じ開ける。

 やっとの思いで見上げた顔、向けた視界の内でぼんやりと映し出されたのは知った顔に良く似ているけど少し違う、彼と“初めて”出会った時の美しい“人形”の姿。


「……ぁ、う……」


 感極まってまた溢れ落ちる涙、掠れた声は上手く彼の名前を呼ぶことは出来なかった。

 そんな自分にその美しい人形は目を見開くも直に悲しげな表情で眉を下げ、そこに無理矢理作ったぎこちない笑みを浮かべるとまた頭の中に響く声を溢した。


『私は“アルモニア”ではないよ。何も覚えていない無知故に無垢な“彼”と、自分の役割を思い出してしまった“私”は全くの別物……だからこそ“彼”は此処で死んでしまった。もういないんだ。』


 静かに決別の言葉を綴る彼の声もまた震えていた。

 しかし、そうは言われても自分には目の前の彼が“弟”に思えてならない。

 だってその寂しそうな表情はまんま愛する“弟”そのものだ、他人だなんて思えない。

 だから──、


「(そんな悲しい顔をしないで。笑っておくれよアルモニア、私の可愛い弟……またオレを“兄”と呼んでおくれ。)」


 限界も近付き血濡れた喉からは音を発する事も出来ない。

 せめてもの思いで胸の内に強く想い、どうか届いてくれ、と震える手を彼へと持ち上げた。

 それを見た彼が、ひしり、とすがり付くみたいに自分の手を掴み取る。

 今にも泣きそうな顔をして、それでも口角を上げてその形の良い唇を震わせると、声に出すことも叶わなかった想いに“応えて”くれた。


『っ……兄、さん……ナイト兄さんっ……!』


 奇跡が起きているのだろうか、と思う。

 夢でも見ているのだろうか、と涙が溢れ出す。

 言葉に現せれなかった想いは確かに届き、一言一句正しく伝わってくれたと理解した時に、こんな状況下ですら胸が締め付けられる程の幸福感に満たされていく。


 自分はこんなにも優しい弟を得る事が出来た。

 こんな自分には勿体無い程に素敵な彼から兄として慕われただなんて、誇らしい事この上ない。

 自分は“幸せ者”だ。




 出会った頃から不思議と人の感情を敏感に察知して、悲しい時には兄として弟達に見せられないとひた隠した所で直ぐ様傍へとくっ付いてきて、嬉しい時は共に笑い、果てのない旅路で純粋な心のまま何処までも慕い付いてきてくれた不思議な子。

 初めは本当に人形の様で視線も合わなければ呼吸もなく、只々“心此処に在らず”の風貌でぼんやりと虚空を見詰めていた。

 でも何故だかその人形は“生きている”様な気がして、放っておく訳にも行かずに連れていく事を決めて反応が返ってくる事がないのは理解していても弟──ナトリと共に何度も何度も声をかけた。

 そしてある日に「名前がないのは不便だから」と兄弟共にうんうん唸って案を出し合い、そして決めた“名”をその人形に与えたのだった。


 それが人ではない事くらい解っていた。

 だって名付けた瞬間、名を呼び掛けた瞬間に今まで確かに無機物の様だった人形が、まるで生きている人間の様に目を瞬かせたのだから!


 勿論驚いた、当然驚愕した。

 陶器のようでも柔らかな肌には血の気が帯びて赤身が増して、理屈は解らずとも“目を覚ました”彼の身体に触れて脈動を感じてはそれが確かに生きている事を理解する。

 そして話し掛ければ話し掛ける程に無表情な顔の目尻に涙を溜め込む姿に、尚更放って置けずに抱き締めた事は今でも鮮明に覚えている。




 あれが自分と彼との出逢いだったのだから、忘れる訳がない。




 彼が元は何だったのかは知らない。

 彼が何処から来たのかも知らない。

 自分は木々が生い茂る森に在った湖の畔で彼を見付けただけ。


 “自分が何者か解らない”と思い悩む彼に“自分達の兄弟なのだからお前も人間だ”と応えたら、三角に尖って延びていた耳が縮み丸みを帯びた。

 “兄弟とは何だろう”と問い掛けてきた彼に“それは家族だ。掛け替えのない、大切にしたいと思う心と愛し愛される事を教えてくれる存在だ。”と応えると、極彩色だった瞳はまるで自分に似せる様に同じ“碧眼”──それも美化する様な“エメラルドグリーン”の宝石の輝きへと色が移ろいでいった。


 ……確かに“兄弟は似るものだ”とは言ったけれども、まさか本当に似せられるとは思いもしなかったのだ。

 折角の綺麗なローズブロンドの髪も自分と同じ黄土色へと変えていこうとするのを必死に言い聞かせては食い止めて、そこだけはなんとか変わらずにすんだけれども。


 その普通じゃない・・・・・・様子は、仕草や思考パターンが見ていてどうも見た目に反していて殊更際立つその子供っぽさに、どうしたものかと考えていた時にまた理解する事となった。

 人様の前に出すとしても彼の事をどう説明したものか、なんてぶつぶつ口にしては悶々としていた矢先に、気付けば彼の身体はぐんぐんと縮み行く普通ではあり得ない現象を目の当たりにした。

 そしてそれは自分が頭を悩ます種であった“見た目は大きいのに中身は子供”だったのが、本当に“見た目も子供”な体格へと変わってしまったのだから。


 元よりいた年の離れた幼い弟とさして変わらぬ年端の風貌へと変わった様に、そこで彼が“思い込ませる、或いは周りがそう思うと本当にそうなる”存在なのだと自分は気付いたのだった。


 世界中何処へ行っても人の世というものは“理解の出来ないもの”、“違いの在るもの”に対しては敏感だ。

 異世界から迷い込みこの世界へと定着したという“ご先祖様”達が残してくれた、今や“失った文明”──その一つでもある“医者”として生きてきた自分が今まで極めてきた“医療”。

 それが文明退行してしまった人類には、敢えて身を切り病の根元を切除し治す為の“手術”すら忌避する様になるまで落ちぶれてしまった。


 ……まぁその結果付いた通り名が、人切りの悪魔“レッドキャップ”だ。

 医療の基本は“清潔”。

 診察にしろ治療にしろ間違っても髪が患部に入らぬ様にと、旅をするに身持ちを少なくしていた為に代用していた母の形見である赤のストールを折って作った三角帽を頭に、そしてメスを手にしていた自分の姿が他の人達には余程印象的だったらしい。

 兎にも角にも人生とは儘ならないものだ。

 病に伏す人を救いたくとも未知の技術を目の敵にして拒まれてしまえば、助けられる命も助けられぬまま見殺しにせざるをいけなくなっていく──もう一人の弟“ナトリ”も、あの子の時もそうだった。


 きっとこれからも、かつて人類が異世界向こう側で築き上げた文明の知恵達はより一層忘れられていき、失っていくことだろう。

 目的は幾つもあった自分達三兄弟の旅路。

 自分はその“失いかけの文明”に価値を見出だして完全に失ってしまう前に遺さねばと、その確かに在った筈の痕跡をかき集める為にも旅を続けてきたのだけれども……それももう、此処でおしまいだ。




 掴まれた手を握り返し、血が足りなくなってくらくらとし始めてきた頭で必死に意識を保ちながら繋いだ手を指先で撫でる。

 今際の際、額を寄せて間近で涙を溢す愛おしい弟を閉じ掛けの細めた目で見詰めていたのを、ふと視線をずらす。

 大分霞んでしまった視界だけれども、それでも奥の方で既に“自身の”部下達を去らせた“彼”がそこで跪き放心してしまっているのが解った。


「(アル、オレの可愛いアルモニア。もしもオレの声がお前に届くのならば……一人遺してしまった“あの子”の傍に、どうか居てやっておくれ……。)」


 そう願い念じて彼を見上げる。

 すると目を見張る様に顔を強張らせた彼が、軈て破顔して『本当に貴方は……仕方のない人だ』と八の字眉に顔をしかめながら笑った。


『“あの人”は貴方に“アルモニアを殺せ”と命じた男なのに、それでも貴方は見捨てないのか……全く性懲りもない。貴方は本当に、優しすぎる。』


 どうやら呆れられているらしい、が、まぁそれも仕方がない。

 “彼”もまた自分の“患者”だった者だ。

 それもまだ心に“病”を残したままで、主治医の自分は去ってしまうのだから殊更“放って”など置けない。

 だからこそ彼が心配で心配で、おちおちゆっくりと眠りになどつけないのだ。

 そんな自分に弟ははにかんで、目に涙を浮かばせたまま頷いてくれた。


『…ええ、ええ。解りましたとも。貴方の願い、しかと此の胸に……。』


 頼りになる弟からのその声に自分はどうやら安心してしまったらしい、身体に感じる重みがどっと増す。

 繋いでいた手からはゆるゆると力が抜けていき、あれ程眠りに抗っていた瞼が降りて視界を黒に染めていく。

 するりと抜け落ちそうになる手に小さな悲鳴のような声が聞こえて、くったりとした手をそれでもと力強く握り締める手の感触を感じ入りながら意識を繋ぎ止める糸が解れていくのを脳裏に浮かばせた。


「(……嗚呼、死ぬというのはこんな気持ちになるのか。)」


 遠ざかっていく意識の中、彼は虚ろになっていく頭の中でぼんやりと思いを募らす。


「(あれ程恐ろしくて怖かったものだけれど……こうして誰かに手を繋いで貰いながら“逝く”というのは、こうも安心させてくれるものだったのか……。)」


 それは旅の最中に幼い弟を遺して両親を病にて死別し、多くの患者を救いながらも看取る事とて少なくなかった彼が“死”を意識し続けてきた事から“せめてどうか安らかに”と自分も進んで行ってきた行為。

 死に行く人々に、それで安心させてやる事が出来たのか、なんて聞ける筈もないのだから意識を手放してしまった患者にだって何度も声をかけ顔を布で拭い、そうして去る人を想って握り締めた手に溢した涙を落としてきた事を思い出す。

 それが今や自分がされる側であり、そして実感する──自分がしてきたことは何も無駄ではなかった。


 思わず口元に笑みが浮かぶ。

 いつの間にか消えてなくなっていた弟の身体があった場所に人形姿の弟が跪いており、そして横たわった身体をギリシアを彷彿させる衣服であるキトンの真っ白な布地から伸びた腕が持ち上げては、ぎゅう、と抱き締めてくれている中で瞼を閉じきった彼は深い眠りへと落ちていく。


「(……もし、もしもオレの魂が何処かへ向かうとするのならば……)」


 脈が弱くなっていく。

 身体も直に死ぬだろう、その後残った魂はどうなるのだろうか?


「(どうか、あの“蛇”の元へ逝かせて欲しい……そこにはきっとナトリもいてくれている筈。)」


 死んだ先のことなんて誰も知る訳がない。

 死んだ人と話せる訳がないのだから、確かめようがないのだ。

 しかしそれでも彼は願う。

 弟と同じ場所へと向かわせてくれ、と──否、それだけではなかった。


 その思いには“下心”が浮き彫りになってしまっていた。


「(嗚呼……オレはなんて馬鹿な男だ。あれ程家族以外に誰かへ“好意”を持って夢中になれる事がなかったというのに、こんな状況で、初めて心の底から惚れて・・・しまったのが“あのヒト”だなんて……!)」


 死に行く身体の内側で、果て行く命を酷く熱く燃え上がらせてくる“恋心”を自覚する。

 肉体の熱は覚めていくのに、それは心を死なせてくれそうに無い程想いを熱く滾らせてしまうのだ。




 美しいものを見た。


 戦火に染まる“地中の祠”──“そのヒト”の住み処。

 そこでは動物達が身を寄せ合い“そのヒト”と共に静かに暮らしていたのを自分達人間が攻め込んでいく最中、彼等をその巨体の背に隠し匿い守りながら敵味方関係無しに誰一人・・・として傷付ける事なく、只々“そのヒト”一体だけが傷だらけになってまでして立ち塞がる姿。


 通じ合う言葉がなくともその姿を見れば“そのヒト”に敵意がないことくらい理解出来た。

 しかし、その姿に何の疑問も持たず考えもせずに刃を向けていく軍を止める術や力、それから権力だって自分にはない。

 だからこそ“勇者”と呼ばれる様になってしまった力もあり地位も得ていたアルモニアに頼み込んで、無理矢理締め括らせた地中内での人間達の傲慢さが引き起こした一方的な侵略行為。


 鱗に包まれた身体は血濡れて赤に染まっていた。

 しなる管の肉体に突き刺さった槍は見ていて痛々しかった。

 頭部から背に三連に生えた角、三本の内一本の翡翠の角は水晶の様に美しいのに振るわれた剣に砕かれてしまった。

 瞳に映る緑から茶色へのグラデーションは、それが地中に住み身体から苔や植物を生やすように身に纏った姿が何処か地上を模しているかの様だったから、もしやあれは“大地の化身”なのではないか? と思わせてくる程の神々しさが在った。

 そんな、埋もれる程に大きな身体をとぐろに巻いて身を縮こませながらも存在していた祠の中はホールみたく大きく広いのに、それに対して出入口となる通路は酷く小さく狭い、砂漠の砂丘に隠された遺跡の先にて動物達とひっそりと暮らしていたそのヒト。

 まるで閉じ込められているかの様なそんな有り様なのに、そのヒトが向けるおおらかさを感じさせる優しい眼差しを目にしてから、ずっと心奪われてしまったままだった。




「(あの美しい“蛇”! 街の人々が言う“死に間際に夢の中で枕元に現る死神の蛇”ではなく、死者を弔い送り火の如くさ迷う魂が迷わぬようにと“迎えに”来てくれていた心優しき冥府からの水先者パイロット──嗚呼、理解してしまった。理解するのが遅かった……貴方は“魔王”なんてものではなかった……!)」




 そして果て行く、先のない彼は折角芽生えたその想いを胸に──否、“魂”に刻み、果てていくのだ。




「(オレは貴方の“在り方”に、“生き様”に惚れてしまった……“恋”をしてしまった……! 嗚呼、今すぐこの想いを伝えたいっ……でも死に行く身で、この想いを伝えた所で意味がないとするのならば……それならば──“次”の時に!)」




 “memento 死を忘れる事なかれmori.”。


 それを信条にしていた彼が死に行く間際その死への想い、畏怖の心に克服したその時。

 その血脈から“愛”に生き、愛する者達へ“愛”を言葉にして綴りながらも、あまねく生きとし生ける者に愛情を注ぎ歩んでいた人生で、今際の際に突然生まれた“特別”。

 そんな彼が植え付けた燃え上がる様な想いの種は死した後にすら残る程だ。

 何故ならばその願いは神の力のような万能に一切頼らず本当に、生きとし生ける者が死して尚肉体が腐り土に還っても、唯一残り後続へと繋がっていく“魂”に刻まれてしまうのだから。




「(“生まれ変わった”その先で、オレは貴方の元へ向かいたい! そしてこの想いを──貴方へ!)」




 その熱量は魂の奥底へ。

 燻り続ける想いは身を焦がしながら、先の未来の彼へと続いていくのだった。






 落ちる涙に嗚咽を溢し、そして“最期”に聴こえてしまった・・・・彼が残した想いの丈に口元からは思わず笑みすら浮かばせてしまう。


「本当に、仕方のない人だ……貴方も“ナトリ”も、確かに愛に生きる兄弟だった。」


 口から出た言葉から、脳裏に過るのは“アルモニア”の生前。

 彼等兄弟と過ごした日々。


 一度口を開けば愛を囁き、悲しい事があったのならば互いに笑顔になるまで歌って踊り、腹を空かせたのならば腕に寄りをかけて出来得る限りに……見た目は質素でも“彼等にとっては”豪華な食事を大盤振る舞い。

 退屈なんて、まるでする暇もなかった。




 “mangia食べよ!re! canta歌えよ!re! amore!愛せよ!




 その血筋通り、陽気で明るいラテンらしく生きる彼等らしい、彼等がモットーとしていたその心得。

 それにどれだけ心が救われた事か。


「……私もナイト兄さんやナトリ兄さんの様に、誰かを愛せる様になれるだろうか?」


 いつだって誰かに施しを与え、時に支え、時に許し、対価を求める事なく誰にでも情の心を向けるそれを“無償の愛アガペー”と言い表すに相応かった二人。

 それに比べて自分は幾ら他人を愛そうと尽くした所で、いつだって自分よがりな“愛して欲しい”という下心が付いて回ってくる。


 そんな浅はかな想いを拗らてばかりの冷えきった心。

 それを溶かす程に溢れんばかりの温かい愛情を注がれてきた自分もまた、彼等に救われた側の一人だ。

 感謝してもしきれない、二人の兄への憧れる想いは強まるばかりだ。




 だからこそ、黙ってその最期を見てるだけだなんて出来る筈もなかった。




 今の自分には“本来ならば”実体がない、仮初めの肉体は先程死んだからだ。

 故に今のアルモニアではない彼──グリモアは限り在るもののその身の内に蓄えられた“糧”から魔力を抽出し、それを肉体へと構成し朧気ながらも辛うじて触れられる・・・・・様にする透明なヴェールの様な膜にして思念体の身に纏っていたのだった。


 これは蛇足ではあるがもしもイメージするとするのならば、そのヴェールが真っ白であればハロウィンによく見かける布を被った幽霊ゴーストと同じだ。

 しかしまぁ姿が見えないのは当然不都合であり、思念体になってしまった彼とて兄の──否、名付けてくれた“主人”として無意識下に付き従っていた人の最期くらいは傍にいたいと願ってしまったのだ。

 そうして役目を思い出しても尚“地上に干渉しない”掟を破ってまでして、どうしても、と決意した彼はこうして行動を起こしたのだった。




 本当はいけないことだ。

 外部の者が“物語の登場人物”に深く関わるなんて事、きっと神様は許してくれないだろう。

 でも、後で誰かに咎められる事になるとしても兄、ナイトの最期を看取る事が出来て心から良かったと、グリモアは罪悪感を抱えながらもそう思った。


「……おやすみ、なさい……ナイト兄さん。」


 口も心の内もすっかり静かになってしまった兄に、嘗ての自分の亡骸へして貰った様に額へと口付けた。

 そして彼は──魔導書の名を持つ賢者、司る愛の形は自身を無下にしてでも心身共にあまねく人々達へと情を捧ぐ“他者愛”の奉仕人形“グリモワール・レメゲトン”は、今は亡き嘗ての自分が“兄”と呼び慕った主人名付け親の亡骸を“ぎゅうっ”と、名残惜しげにもう一度だけ抱き締めたのだった。


「……?」


 不意に、しゃらん、と耳障りの良い音が胸元から響いた。

 何かと思い見てみれば、兄の首もとから細いチェーンのネックレスがチラリと見えていた。


 それを見たグリモアは、そのネックレスはいつも彼が肌身に付けて離さない、とても大切にしているものだと言う事を思い出す。


「確か……いつか、誰かから貰った“大切なモノ”だって言っていたな……。」


 自分のものと言うにはどうも他人事の様に遠く感じてしまう“アルモニア”としての記憶を思い起こしながら、彼はポツリと呟いた。

 そして彼がとても大事にしていた赤いストールと共に“形見”として持っていよう、失ってしまわぬ様保管しようとそのネックレスに指を通す。

 しゃらしゃらと軽やかに繊細な音を奏でながら軈て姿を現したそのネックレスに繋がっていた“モノ”。


 グリモアはそれを視界に入れた瞬間、思わず目を大きく見開いた。


「……どう、して………こんな……ものが……?」


 その言葉を溢した唇は震えていた。

 それが驚愕からなのか、それとも“恐怖”からなのか、解らないままにそのネックレスに垂らされた“モノ”を凝視する。


 確かにそのネックレスに繋がっている“モノ”を見せて貰った事はなかった。

 別段酷く隠している風ではなかったけれども、兄がとても大事そうにしていたのだから、余り踏み込むべきではない事かと思ってさして気にもせずに聞くことをしなかっただけ。


 只、今その“モノ”を目にして酷く動揺してしまったグリモアは、思わずそれを掌で隠す様に包んで自らの目に見えない様にした。

 そして繰り返し二・三度深呼吸をして自分を落ち着かせ、そしてゆっくりともう一度その飾りを視界に入れる。




 それはとても“黒い”モノだった。

 理由は知らない、いつからそうなっていたのかも、いつから彼がそれを持っていたのかも。

 初めてその飾りを目にしたグリモアだったけれども、その“物体”の色が

黒く変色している・・・・・・事は見た瞬間に気付いてしまい、その意味に酷く胸の内をざわつかせた。




 そのネックレスに繋がっていたのは“鍵”だ。

 しかもそれはグリモアが持つ“金の鍵”ととても似通ったもの。

 しかしそれは“金”ではなく“黒”。



 

 彼はその鍵の本来の持ち主を知っている。

 見た瞬間気付いてしまう程に身近な人物だったからだ、見間違うなんて事は有り得ない。

 震える手で持ち上げて、そんなまさか、と内心では否定したくもなりがらゆっくりと近付けてその“鍵”を良く見てみる。

 “鍵”は確かに黒く染まっていたけれども、やはり・・・その黒の中に元の色の“名残”が有った。


 その色は“銀”──つまりこれは“銀色の鍵”。


 改めて再確認したその事実にグリモアは思わず身体を震え上がらせた。


「(どうして……どうして“弟”の鍵を、ネクロノミコンの鍵を、此の人が……?)」


 その名を頭に思い浮かべた途端脳裏に思い起こされるのは、嘗て地中奥深くの仲間達といたあの空間での出来事──弟が目を覚まし“初めて”出会った日の事。


 顔を会わせるや早々に罵られ、顔に身体にと殴り蹴りの暴力の雨。

 散々自分を否定する罵詈雑言を浴びせに浴びせ、挙げ句の果てには“本物の兄を返せ”と泣き喚かれた“トラウマ”からの恐怖。

 酷く痛い想いをした。

 とても痛く感じ取ってしまう程に辛い思いを“感じた”のだ、彼から。


 あの時に足元が崩れ落ちる様な感覚を覚えてから、彼はその空間に“此処には自分の居場所など何処にもない”と悟ってしまって、それからはもうぼんやりと空気の様に“居ない者”として過ごす日々が始まったのだった。


 どうして自分を受け入れてくれないのか。

 どうして同じ筈の自分では駄目なのか。


 弟からも仲間と教えられていたからこそ自分もそう思っていた者達にも、生まれ変わった自分は受け入れて貰えなかったのだから自分ではない“アルモニア”だって自分の事だと思う事は出来ないのだ。

 だって“アルモニア”は在り方も性格や思考も、全てにおいて自分とは全く違っていたものだから。

 だからこそ、兄から「それでも弟だ」と言われて泣きそうに成ってしまう程に嬉しく感じたのだ。


 血の繋がった弟には受け入れて貰えなかったけれども、血の繋がりのない兄は受け入れて貰えた。

 今はそれだけで“幸せ”だ、とても“幸福感”を感じて嬉しくて堪らない。


 しかしそんな兄の手持ちから現れた“弟”の痕跡。


 沸き立つ疑問にグリモアは顔を青ざめさせてそれをじっと見下ろしていると、不意に背筋をなぞられる様な悪寒を感じた。


「──ッ……!?」


 勢い良く後方へとバッと振り返る。

 今や自分と兄の亡骸、そして離れた場所で微動だにせず虚ろなまま立ち尽くす嘗ての自分が“友”と呼んだその人物。

 グリモアが振り向いたのはその人物がいる方角ではなくその反対、誰も居ない筈のその場所。

 神の目も通らぬ深い深い地中の、更には洞窟内という薄暗がりの中で三人しか居ないと思っていた筈の限られた空間。

 何かの視線を感じたグリモアはその方角を見詰めてはその極彩色の目を凝らすべく細めた。


 何も居ない。

 しかし何かがいる“気配”がする。


 果たしてその“気配”が本当にそこにいるのかは曖昧だけれども、じっとりとねぶる様な視線がちくちくと刺さってくる感覚に、妙に身の毛がよだつ思いを感じたのは確かだ。

 そしてその正体を探ろうと、嫌な想像を脳裏に浮かべながらも手にしていた黒の鍵を手放しカランと転がした時だった。




 ──ごうッ!




 突如目を開けていられない程の風が何処からともなく吹き荒んだ。

 キトンの布をも力強く靡かせてくるその風を、素肌を晒していた頬や手へと浴びるとそれはとても冷たい感触を残して一瞬にして去っていった。

 突然だったその出来事に一体何が起きたのかと風が止むなり直ぐ様周りを見回して見るけれども、特に目立つ程変わったモノは何もなかった。


 グリモアは首を傾げる。

 此処は地中だ、風など入ってくる筈もない。

 強風なんて、尚更だ。


 “ウェンディゴ風の精霊”の悪戯だろうか。

 でもどうして此処に? 何故このタイミングで?

 そう胸の内で疑問に疑問を重ね悶々としていた矢先に、ばたん、と倒れる音が洞窟内にて響き渡った。


 音の方へと振り返れば、そこでは“友”が地べたに突っ伏している姿が視界に入る。


「──アレス!」


 抱えていた兄を傷付けぬようそっと寝かせ、直ぐ様駆け寄って彼──グリモアが“アレス”と呼んだその人物の身体を抱き起こしその様子を伺う。

 彼は顔面蒼白で気を失っているだけだった、外傷はない。

 只息は有れども抱き上げたその身体はとても冷たい。

 彼の頬やその身に付けた衣服、抱き上げた際に見た自身の腕や袖の端にも“霜”が付いており所々白く染めている事にグリモアは気付いた。




 ──カラン。




 また物音が洞窟内に響いた。

 まるでからかうような、此方をおちょくる様なその“気配”に今度こそは! と直ぐ様そこへと視線を向ける。


 向いた方角、今度は兄がいる方。

 薄暗がりの手前で横たわる兄の亡骸──その傍に“何か”がいた。


 兄の亡骸をまさぐっていたらしいその“何か”。


「触るな!!」


 咄嗟に叫んだグリモアの怒鳴り声。

 正体は解らずとも愛する兄に何かしようとしていたそれに、グリモアはヒヤリとした焦りと傷一つでも付けようものなら許さないと言わんばかりの怒りから思わず口からさそんな声を吐き出す。


 今や彼に肉体はなく、只の思念体なのだから念話でもしなければ声が届く筈が無い。

 だと言うのに無我夢中だった彼はそれすらも一瞬忘れてしまって、そのまま口にして飛ばしたのだった。


 するとそれはグリモアの届く筈の無い声に反応したのか、ぴくりと身体を揺すらせた。

 そしてゆらりと持ち上げられた曖昧模糊の身体を持ったそれの“頭部”らしき部分。

 その口元にチェーンを咥えたらしいそれは、その金属を揺らし擦らせた“ちりん”と微かな音を鳴らしては掻き消える様にその場から姿を消していったのだった。


 グリモアはそれが消えるや否や急いで兄の元へ駆け寄る──意識のない“友”の身体を抱えたままに。

 その傍に並べる様にして友を寝かせて、先程のモノが兄に良からぬ事をしていないか横たわらせていた亡骸を見て回るが特に別状はない。

 一つたりとも傷を付けられた様でもなくて、安堵に思わず肩を落とした。


 しかしそれも直ぐに身体を強張らせる事になる。


「……鍵が、ない。」


 さっきまで衣服の外に出していたチェーンのネックレス、その姿が消え失せていた。

 それは確か先程の“何か”が咥えていたのを思い出す。


「(弟……ではなかったな。獣? にしてはあんなもの作った記憶はない。……一体誰なんだろうか、あれは……?)」


 考えた所で思い当たる節は何もない。

 その正体は結局解らず終いだったけれども、グリモアの胸の内には先程目にした何かを目にした事で、酷く印象的に残ったモノがあった。




 去り間際、真っ直ぐに此方を見遣った、唯一確かに見えたその双眸。

 “金色”のその眼には燃える様な憎悪が込められており、それは自分と友がいる方へと確かに睨み付けていたのだった。






 *****






 ──昔々のお話だ。


 今よりもずっと前に生きていた名無しが、この世に生まれるよりもずっと前のお話。

 それは軈て数奇な運命を辿って、巡り巡って今のキミへと行き着いたものさ。




 嘗てボクらの親──ロヴィオ・ヴォルグが出逢ってきた者達の中で、彼がとても影響を受けた人物が二人・・いた。


 一人は彼の“親”。

 人間が“魔物”と呼ぶ獣達を形造った大精霊賢者──その七人の内の一人。

 彼はその人から他者を重んじる“慈愛”の心を教わった。

 強き者こそ弱き者を助け、時にその盾に成って護る“利他アルトの心”こそ美学である、と。




 もう一人はとある国の王様。

 彼が神様や親から与えられた“使命”を放棄してしまう程、心を折り砕かせた“罪深き者”。

 とある出来事から“人柄”ががらりと変わってしまい、そして最期にはその報いを受けて死に絶える事が“叶った”人物。




 その“人物”の物語は、キミの人生に何処か似ている様だけども少し違う、否ガラッと違う。

 だって彼はキミと違って本当は“逃れられた”筈だったのに、折角の退路を自ら絶ってしまっていったんだ。

 故にそれは、所謂“自業自得”。

 だってその人は、元より“逃れられない”様にされていたキミとは違って、逃れるのを諦めて“甘んじて”しまっていたのだから!


 そして転がり始めたその人物の人生。

 彼が乗ったトロッコ・・・・はいつだって過ちの繰り返し。

 選んだ選択肢は常に彼に“後悔”ばかり与えて、傷付いて膿んだ心をより歪ませ続けていった。


 そんな……とても数奇で、残酷で、それでいて愚かしい運命を歩んできたその“人”。


 今や歴史の人となって“英雄”として名を馳せたその人だけれども、誰もが知らずとも覚えていなくともボクは知っている。

 ボクだけはずっと覚えている。

 ……この目で見届けてきたんだ、そいつの最期を。


 今思い出すだけでも忌々しい、奴の望み通りになってしまった凄惨な最期を。




 その人物が犯し続けた“罪”。

 懇願してでも誰にも与えて貰えなかった“報い”。

 故に“罰”を願い続けた大罪人の求め続けていたその末路。




 彼は犯した罪を自覚し、自身を咎める罰を求めてその身に幾つもの“呪い”を溜め込んできた。

 そして死に間際に自ら蓄え続けた“複数の呪い”と自身を称える“仮染めの栄光”だけを遺し、あろうことか他者へ擦り付けてこの世を去った。


 ……ね、キミとは正反対でしょう?

 だってキミは擦り付け“られた”側なんだから。

 キミは生まれた頃から“被害者”であり続けさせられたけれども、キミと同じ“無情”から始まったその人物はいつだって“加害者”の側だったんだもの。




 そう、その人物もキミと同じ“無情”だった。

 欲はなく、自我は薄れ、そして情を持たないままで求められた通りに人々へ自身を捧げた。

 かの国で“開祖”として今や英雄聖人と崇めたて奉られる程に知られた彼だけど……なんて事はない、それも元は只の“人形”だった。

 彼を人々に奉らせた者達が私腹を肥やす為の“傀儡操り人形”として、ね。






 人類が初めてこの世界へと降り立ってからまだ“たった数世代”しかたっていない頃だ。

 大体、そろそろ“最初の人間”達に寿命が訪れ世を去ってしまいいなくなってしまった後かな? ってくらい。


 その頃はまだまだ全然確りとした建物を建てる事もままならず、老いも若きも女も男も、身内でなかろうと人類は皆互いに身を寄せ合って生きていた。

 それでも持ちこたえようと所々に転々と煉瓦作りや木造での建物を作り出して、ようやっと小さな村や町が出来たとしてもまだまだ多くの人々が原始的な暮らしに近い形で獣達に怯えながら暮らしていた。


 そんな有り様だから、常に衣食住を満たせるに十分な“安全に暮らせる人間的な生活”なんてものは理想のまた理想。

 何処にいたってに自身が生き延びる為にと人と人との間では“蹴落とし合い”は起き、そうして力あるものは微弱ではあっても暮らしていける“安全”を得て、弱者であればある程に生き延びる事が叶う“安全”は得られず爪弾きにされていった。


 そんな切迫した状況下では、五体満足ではない・・・・者なんて淘汰されるのは必然的。




 その中で存在した唯一の“例外異端”。




 生まれながらにして喉に障害を持ち、人と交流するに必要な“声”を持たぬその人。

 当然暮らしが原始的にまで落ちぶれて文明を忘れかけていた人々には、筆記し記録を遺す為の“文字”とて失いかけていた。

 せめてそれがちゃんと残っていたのならば、そして皆等しく伝わる言語が在ったのならば、全てを諦めてしまった“彼”にもっと希望を与えていた事だろう。


 故に彼を取り巻く環境は、彼の心を虚無の形へと象らせてしまった。


 生き延びる事は常にギリギリだったからこそ誰かを想う心を持てず、意思を示す“声”もないから助けを求める事も出来ないで、諦めてしまった心は凍て付いて麻痺し飢えすら感じさせない様にさせていった。


 だからこそ彼は“生きる”事を諦めてしまったんだ。

 生きる意味を見出だせない、死ぬのもまた一興かとすら思うくらいに投げ遣りに成る程“生”にすがり付く事が出来なかった。

 しかしそれを“よく思わない”者達──そんな彼が唯一出来る事に価値を見出だした者達がいた。




 彼は他者と交流するに必要な声を持っていない。

 しかし、魔物を往なし時には倒せるまでの“戦闘技術戦う事”に関しては何処の誰よりも秀でていた。

 人々は自分達では敵わない魔物を退けてくれるその“才”を魅力的に感じ、声を発せれない事を好都合に周りから都合良く解釈し持て囃しては持ち上げる者達が現れた。


 そんな彼等がその人物に求めたのは、人々への“救済の要”となること。

 声を出せない彼の代わりに他の全てを請け負うからと、人々を魔物から救う力在る彼に“リーダー”──人々の指針になって欲しいというものだ。


 元は自身が生きるに最適な“安寧の地”を求めて世界の裏側、星の裏っ側から地続きの大地を歩いてきた流浪の彼。


 何処へ行っても声の無い彼には居場所はなく、体質故に日の光を避けざるを得なかったからこそ太陽の恩恵が薄い地を求めて、彼と同じく故郷と決別し共に行動していた“妹”と長い長い旅をしていた二人。

 そんな彼には彼等がいた地というのは、雨が多く空は常に薄く空に膜張って日の光が弱くてとても都合が良い。

 薄ら青を混ぜたほの暗い黒に近い銀灰色髪を携えたの兄はその目に映る蒼眼が、髪も皮膚も血色の薄ら赤が目立つアルビノの妹は真っ白な皮膚も真っ赤な瞳も、どちらも太陽の日差しにとても弱い。

 声の無い兄と真っ白で気味悪がられた妹の兄妹だったから、その障害と風貌から他者より酷く忌避され厄介者扱い。

 そして戦う以外に生きる術がなかったからこそ、二人は行き着いたその土地の人々からの提案に乗る事に決めたのだった。




 口無しの彼はそれからというもの、その人々の理想に沿って・・・表の面を形作られて、元の名前を捨てて改名してまでひたすらにそれに従い続け応え続けた。

 そしてそのまま歩き続け、軈て至ったのは只玉座に座り人々の指針たる“王”として在るだけの“お内裏様飾り雛”。


 つまり彼は“人類の理想像ガラテア”の王様になったのさ。


 魔物の脅威を退けてくれる王のいるその地で“安全”を求めて流れてくる人々は当然多く現れた。

 そうして人手は増え、手数は増え、次第に大きく豊かになっていく裏腹で、影で国を動かし続けて私腹を肥やしていく様になっていった者達だけ・・は何もかも思い通りに人も物も“安全”も肥やし太ってはその恩恵を一人占め。

 彼等はひたすら甘い汁を啜るばかりだというのに、体の良い傀儡くぐつとして在り続けた王様は国として受け入れた人々の命を護る役割、そしてその重責を押し付け強いられそれは段々と彼を苦しめさせていく重荷となっていった。

 しかしそれでも彼には元より唯一求められていた事である“戦闘技術剣を振るう事”、それ以外ではやはりとんと役に立てる事はないからと、幾ら苦しくとも“自分達の為に生きて欲しい”と救いを求め懇願してきた人々とそれから彼と共に生きてきた妹の為にしか生きる意味を持っていなかった彼はその役割に甘んじ続けて約十数年。




 土地も財も大きく膨れ上がって人口も増した国の頂点に立った彼は軈て無だった“心”を更に壊していった。




 元より感情は希薄だったけれどもそれが更に悪化、無表情無感動、心動かすものを“戦う事”以外に見いだせないまま慈悲すらない。

 座れば人形立てば像、戦う姿は鬼の如く。

 歪みに歪んで他者を蹴落とす事にしか出来る事がなくなってしまって、“そこに在るだけで良い”と玉座に縛られる毎日でもたった一つだけ残された“戦う事”に楽しみを感じていた彼は、普段は無感情でも求められた“殲滅行使”の時だけは嬉々鬼気揚々。

 まるで戦闘マシーンの様な有り様だった。


 そして自分を裏で操る者達の様子が怪しくなり、悪行や素行が乱れ始めても彼は何も感じない。

 心を無にした彼がそれに何か疑問を持つ事はなかった。

 更には裏で牛耳る彼等に騙され唆かされ働き蟻の如く自分達の“安全”を与えてくれる国の為にと無知なる民達は、身を粉にして働き財を納めていき、その取り巻くその内情を知らぬままに王として在るだけの彼を“英雄”だ、“聖人”だと賛美讃頌。

 多くの尊敬と称賛の声を彼へと浴びせ続けたのだった。

 虚無の彼はそれすらも何を思うことはなかった。

 そうして貰う他に生きる術は無いとすら思っていたからこそ、彼はまたそれも甘んじて受け入れていってしまった。




 そんな彼のすっかり麻痺してしまっていた虚無の“心”。

 その凪いだ水面の如く揺るがぬ“心”を、無性に揺さぶる存在と彼は出会ってしまった。




 まあるい世界をぐるりと一周、旅する彼等もまた西からやって来た。

 赤・緑・白の旅装に麻の袋を携えて、楽器を掲げ楽しげな歌声と共に雨の降る国へと現れた三兄弟。

 彼等もまた各々に求めるモノがあってこそ、世界中を巡り廻っていた。




 長男“ナイト”──ナイティニコラ。

 気弱、小心、そそっかしくも困っている人を放っておけないドが付く程に世話焼きかつお人好し。

 琴……否ハープだろうか?

 弦を引いた楽器を片手に、医者を生業とする旅するDr.

 そんな彼は兄弟一の兄弟想い。

 食うよりも弟、寝るよりも弟。

 何に対しても一番に弟達を大切にし、これ以上なく溺愛。

 その自慢惚気話たるや一度口開けば終わり知らず。

 次男に引き摺り連行されるまで彼のその口が止まる事はない、赤いストールが目印の男。


 次男“ナトリ”──ナトルドルフォ。

 朗らか、陽気、細かいことはまるで気にしないけれども兄弟の中で一番しっかりとした大黒柱。

 鈴を片手に歌を歌い、その積極的な友好的性格さは一度知り合えば直ぐ様誰とでも仲良くなれる超絶コミュ強。

 その気質はとても穏やかであれど商売に関しては一際口煩く、人が良過ぎて度々無償で人を診てしまう採算の甘い兄に対してとても厳しい。

 緑色をした編み紐の腕飾りに赤い鼻が特徴的な男児。


 末弟“アル”──アルモニア。

 元気一杯活発的、声は大きく威勢の良い兄弟一の力持ち。

 パンフルートを吹き鳴らし、長男を囲んで歌う次男と踊り回る彼は、軈て“勇者”と呼ばれる程に勇猛果敢。

 その風貌たるや顔良し容姿良し人柄良し。

 黙って大人しくしていれば誰もが舌を巻く絶世美男だというのに、一度動き出せば自制の効かない“子供”の如く騒々しい……まぁ本人に悪気は一切ないのだけれども。

 しかしながら善悪区別なく施しを与える人の良さを持ち、助けを求める声あらば後先構わずあちこちへと駆け回るから、折角の真っ白な旅装はいつだってはしゃぎ周り過ぎて泥だらけ。

 砂埃に汚れては三人兄弟の中で一番楽しそうに笑っているのが、猪突猛進一直線な“大きいのに末”の弟。




 彼等の周りはいつだってお祭り騒ぎ、そして通った場所にはいつだってその“爪痕”が残されていく。


 お節介故に行き着いた所で“医者”として人々と寄り添い時に無償で傷や病を癒しては計らずも彼を求め集う人だかりを作る羽目となり、多数大勢の人に囲まれては根は小心者故にべそをかきながら弟に助けを求める泣き虫の長男。

 貧乏な旅人故に気弱な兄の背を支えながらも金銭の動く気配を目敏く察知し時に見世物、時に物売り、時に語り部等と場に合い人に合う誰も損をしない商売に精をだし勤しみ始めるちゃっかり者の次男。

 その力持ちさでものを言わせ人も魔物も傷付けずに払いのけ、力仕事で人々の役に立ちながらも、彼と知り合った人々からは蹴破り作った壁の穴に“ドアの開け方も知らない”と呆れ笑って言わしめさせる程に人騒がせ。

 そしてその人騒がせ故に兄弟で一際目立ち、その人柄から多くの人に慕われた、誰もが認める愛され体質な末弟。


 そんな“痕”を残してでも尚多くの人々から愛された、無垢にして無邪気なる暴走機関車たる“有り難くも超問題児”として名を馳せた勇者“アルモニア”を中心とする“嵐を呼ぶお騒がせルーチェ三兄弟”。




 心を無にしたガラテアの王様に“声”と“慈愛の心”を示し与える事となる、謂わば恩人達と言い表すに相応しい者達とのその出逢い。

 それがこれからの彼の運命を大きく変えていく火種となって、無情の彼を内側から変えさせる“切っ掛け”へとなった者達だ。



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