19.孤高とこどくの狼少年。

 昔から僕はいつも一人だった。


 親は亡く、張り合える仲間も亡く、同調出来るレベルが釣り合う相手はいない。

 形だけなハリボテ害虫避けの親友はいたけど、それも含めて気を許せる程の誰かはいない。

 昔は気の合う友達がいた事もあったけれど……それだって今はもういない。


 鉄の首輪呪いを掛けられて身動き取れない痛い毎日が続く。

 本当はいつだって壊す逃げる事は出来たのだけれど、まぁ良いやって放ったらかして囚われのフリ。

 “自分は弱くて惨めな存在です”──首輪を引っ掛けたままそう振る舞えば、皆油断して本性を剥き出し馬鹿丸出しにしてくれるから、信用出来ない周りの奴等を相手に考え疑う無駄な手間も省ける。


 来日も来日も色々と仕事やら誰かの手伝いやらで、時折怠けるフリをするのだって周りの油断を誘うにも見渡すにも中々丁度良い塩梅。

 縛りは元より多いけれど、何なら序でに自らルールまで付けたりして退屈な毎日ヌルゲースパイス難易度足してみたりもしたけどそれでも欠伸が出てしまう程度。


 だから、淡々粛々と、コツコツせこせこと、嫌でも辛くても苦しくったって逃げたくない・・・・・・日々を、働き続けて気を紛らわせていく。


 だから誰かと遊ぶなんて事、考えたこともなかった。

 忙しいんだ、やる事で埋め尽くしてて。

 煩わしいんだ、誰かといるのなんて。

 一人で十分だったんだ、命令さえあれば。

 何も困ることはなかった、やろうと思えば何でも出来たから。


 そして退屈が嫌いだからって詰め込んで、詰め込んで。

 でも要領が良いから直ぐに手は空いてしまう。

 潰れる前に空になってしまうんだ、するとまた退屈になる。

 だから毎回毎度と詰め込んで、一杯になった掌に満足していた。

 これで良いんだって。


 どうせ自分と並んで“出来る”奴なんて何処にもいやしない。

 だもんで、退屈凌ぎに遊ぶにしたってそれはいつだって一人でも出来る事。




 そんな僕は、昆虫採集が好きだった。




 身を隠すのが上手な虫、早く逃げるのが得意な虫。

 物を作る事が出来る虫、何か特別な特技がある虫。


 害虫、不快害虫、益虫、夢中。


 見た目は少しキモチワルイけれど、それを遠くから眺めている分には別段悪い気はしない。 

 自分に近付こうとする嫌な虫はぷちっと潰して、見ていて得をしそう益虫は眺めて……嗚呼、でも、何か違うな。




 やっぱり、動いて・・・いるものは好きじゃない。


 “虫”は嫌いだから──閉じ込めた“箱の中”で眺めているのが一番良い。






 *****






 目の前でひらひらと蝶々が翔んでいる。


 害は無い様で潰す必要は無さそうだけれども、どうやらそれは此方の花の蜜の香りに誘われて来たらしい。

 ふわりふわりと揺蕩って、どうにも目を惹くその模様在り方は何とも魅力的で“虫”が嫌いな自分に一際興味を抱かせてくる。


 今すぐ捕らえて閉じ込めて、逃げない様に箱の中でピンを刺し、残ったそれをじっくりと眺めていたい。

 ──でも、どうやらそれは叶わないらしい。

 それで仕方が無いので大人しく、眺めているだけに留めていた。


 只、その羽ばたきが少々喧しい。

 だから、少し千切れば止むかと思って──、




 ──試しに羽をもいでみた。




「──ッが、ぁあ゛あ゛ッ!! …ッテメェ、いきなり何しやがる…ッ…!?」


 弾ける血飛沫、頬に飛んでくる熱い雫。

 激痛に思わず叫び声がその口から上がり、肩から先がもぎ・・取られてしまったそこを押さえた彼がどしゃりと膝を着く。


 今までの経験では大体の奴等がそこで立ち上がれなくなり、見上げた自分の事を有り得ない物を──例えば、人知及ばぬ“化け物”を見るような、恐ろしい物に怯える眼差しを向けてくる筈……だったのに。

 眼下にて踞ったその人は激しい怒気を孕んだ鋭い目を向けて、やはり・・・“恐怖”の感情が欠片もない態度にて此方を見上げて睨んでくる。


 そんな、自分の中に在った常識当たり前を少しずつ壊してくる彼──一織をぼんやりと眺めて、もいだ片腕を手に掴んでいた彼は不思議そうな顔でこてんと首を傾げた。


「何って……五月蝿かったから、つい。」

「“五月蝿かった”だけで人を殺しにかかるなッ!! サイコパスかお前はッ!!」


 純粋な“怒り”が込められた怒号が真っ直ぐにぶつけられる。

 その衝撃に、何処か身体を痛め付けられた訳でもないのに、その言葉を向けられた彼──アーサーは、どうしてか自分の“中”をガツンと殴られたかの様な、ハンマーで叩かれたかの様な衝撃を感じて、思わず目を閉じてしまう程にびくりと肩を跳ねさせ身動いだ。


 衝撃を受けたそこが腫れたかの様にひりひりと熱が籠るのを感じながら、やはり“怒られる”のは苦手だ、と思いつつ苦手な痛みから直ぐ溢れそうになる目頭の熱を堪える。

 聞かれたから正直に答えたのにそう怒鳴り声で返された事が不服でムッと口を閉ざしては、込み上げる熱を我慢するのに細めた目を誤魔化す様に背けて明らかに不満感を表す顔でむすくれた。

 手の中で黒く崩れ消えていく片腕を在らぬ方角へと投げ捨てて、もがれてだくだくと血を流していた腕が再生していく一織からそっぽを向いていると、そこへ小さな存在が興味深そうに顔を覗かせてきた。


「わぁスゴい、千切れた腕が生え変わってってる! ねぇねぇコレどうなってんの? 魔法?」


 色素の薄い……というよりかはほぼほぼ白髪みたく色がなく毛先が短長不揃いの髪を揺らしながら可笑しそうにそれを口にしたのは、あの狼竜が連れだと言った子供だ。


 近寄られた時に苦手意識とは別に、何か寒々しい様な得体の知れなさを醸し出していたあの子供は、再生し終え通常通りとなった腕をしゃがみ込んだ体勢に頬杖をついてはからかう様にツンツンと突つき遊び始めた。

 もう元に戻っていると言えどあの激痛の記憶が消えた訳ではない。

 癒えたばかりのそこを無遠慮に触れられると無い傷の痛みを感じた気がして、それに顔をしかめた一織はやんわりとその手を退けて離させた。

 そのまま立ち上がって自身よりもずっと背の低い彼等、アーサーとその子供のキョトンとした顔を見下ろしては先が思いやられる様な重い気持ちに大きく溜め息を吐いた。


「今からコイツらをどうにかしなければならんのか……。」


 頭を抱えてもう既に疲れたような顔の彼に、狼竜──ロヴィオがその隣へと歩み寄っては見上げて、労る様な……それでいて申し訳無さそうな眼差しを向けた。


『すまんな……せめて小僧だけでも、御前の話に耳を傾けてやれる様にしてやれたら良かったのだが……。』


 念話にて、そう言うロヴィオはその後ろにて揺れている彼の尾……狼にしては蜥蜴に近い根元が太くて先が細い、先端がライオンのように毛が生えたものを低い位置にて揺らした。


「嗚呼否、アンタは悪くないから良いんだ。これは俺と彼奴等との事なんだから、アンタが悪く感じる必要は──、」

「そうだよ! ロヴィはなぁんにも悪くない! 悪いのはこの、ロヴィを苛めたコイツなんだから!」


 一織が話している最中にぴょいんっと跳び跳ねて声を上げると、たおやかな袖を振り回しながら主張する子供は知らん顔して佇み欠伸をしていたアーサーへと指差す。


「アイツ全ッ然反省してない! 謝りもしなければ頭を下げもしないし、マジアイツ何様なの!? さっきの事と言いホントムカつくんだけど!!」


 むきーっ! と効果音が出ていそうな憤慨する子供の後ろで、確かに反省している気配が微塵も感じられない、何処吹く風な態度のアーサーが視界に映る。

 それに困った顔をしたロヴィオは何とも言えない様子で口をもごつかせると、怒りに興奮する彼の気を鎮めようと穏やかに声をかけた。


『私は別に謝って欲しいとかは思っておらんのだ、何も御前がそこまで気にする必要は──、』

「いいや! ロヴィは良くてもおれが気にすんの!!」


 だぁんッと響く地団駄に、子供の裸足が地面を強く叩き付けられる。


おれの・・・ロヴィがあんなに痛め付けられておいて“治しましたハイ御仕舞い”って? ふざけるなッ! そんなの赦せる訳無いでしょ!!」


 森の中で地べたも砂に小石にと細やかな粒が散らばっているにも関わらず、だんっだんっと力任せに足踏みをする。

 叩き付けられる度に砂埃とは別に小石が小さく跳ねるのが見えて、その粒達が子供が上下させている足裏に突き刺さっているのが間近でなくても解った。

 見るからに痛そうだというのに子供はそれすら気にもせずに、やるせない怒りを身体で体現し続ける子供に、見かねた一織が徐にその襟首を摘まみ上げた。


「取り敢えずお前は落ち着け、アーサーは俺が何とかするから……というか、外だっつーのに裸足とか見ているだけで足の裏が痛そうでならんのに、良くもまァこうも暴れていられるな……。」


 自分よりもずっと背の高い彼に小さな身体は軽々と持ち上げられ、一瞬何が起きたのか解らず子供ら目を丸くする。

 そして少しの間固まっていたけれども、ハッと我に返った子供は直ぐ様じたばたと暴れ始めた。


「何すんのさっ! 勝手におれの事触んないでよバカぁっ放せーっ!!」

「だぁれがバカだッこのやんちゃ坊主が!! 大人しくしたら下ろしてやるから、さっさと落ち着きやがれ!!」


 掴み上げた手の先で聞き分けの悪い子供が腕を振り回し暴れるので、その腕が一織の胸元へとばちんっとぶつかった。

 その痛みに小さく呻いた一織はその衝撃に思わず子供を抱えたままに後ろへとたたらを踏むも、直ぐ様その鋭い目を釣り上げて文句を言おうとその子供に視線を向けた。


 その時だった。


 まだ続けて暴れている様子の子供だというのに、視界に映るぶつかった腕の方の袖はだらりと垂れていたのだ。

 その中身が無さそうにぺしゃんこに垂れている袖の下、その地べたには細くて色白な小さな腕が指先から手首までを黒く濁らせた状態で転がっているのが見えたのだった。


「……はぁ!? 腕!?」

「んあ? ……あ、腕取れちゃってた! やばいやばい!」


 流れる血も無しに玩具が転がる様にして落ちていたそれに驚愕し、一織は思わずすっとんきょうな声を上げる。

 普通の人ならばそのホラーじみた光景に恐怖し声を引き釣らせ怯えようものであるが、恐怖心が抜け落ちてしまっている彼にはそれは無い。

 只々突然の出来事に驚きばかりが込められた感情が頭の中を埋め尽くしていた。

 その動揺から手を放した一織より離れた子供は「よいしょ!」と声を溢しつつ着地し、その落ちた腕へと近寄ると何て事無い様に拾い上げて、そのままパタパタとロヴィオの元へと駆け寄って行ったのだ。


「ロヴィ! 腕取れちゃった、直してー!」


 綺麗に傷無く取れ落ちた腕を掲げて子供はねだるようにロヴィオへとそう言った。

 すると余り驚いた様子はなく、寧ろそれが日常らしく“またか”とでも言いたそうな顔で溜め息を溢した彼は、差し出されたそれへと鼻を近付けさせたのだった。


『直すのは構わんが……直したら大人しくしてくれるな?』


 呆れ顔にて子供を嗜める様に、ロヴィオは厳しくも穏やかな声音にて囁く。

 すると無邪気な甘えた顔から不満そうに口を半開きにした子供は不服の声を上げた。


「えーっ? ……うーん……ロヴィが、そういうのなら……。」


 まだ多少は納得出来ていなさそうではあるが、俯いて唇を尖らせながらも子供は従う意思をそこで漸く見せてくれたのだった。

 それを見て頷いたロヴィオは不貞腐れながらも頷いたその子供に、撫でる手が無い変わりに近付けた鼻先をその子供の頬に擦り寄せる。

 そうすれば不満顔だった子供は、頬の隣で慈しむ様に上下させるその鼻先の感触に擽ったそうに笑みを溢すと、無事な方の手を彼の反対側の頬に添えて自らも頬擦りを返した。


 さっきまであれ程怒りに癇癪が収まらなかったあの子供が、あの狼竜からのそのふれあい一つで眉間の皺は晴れ、獣であれば牙を剥いていそうな程に固く閉ざされていた一の字の口は弛んで弧を描き、敵意露だった眼差しだってとろんと蕩けてうっとりとしたものへと変わっていく。

 それは仲睦まじい親子の様であり、目の前のロヴィオに見取れている子供のその眼差しに限っては親子愛というよりもそれ以上の何かすら感じられる程にも思えてしまう光景だ。


「(まるで親子……というよりかは、恋人同士の触れ合いだな。)」

 

 猫可愛がりというには穏やかに誠実に純粋に幼子を愛でている様子のロヴィオに、互いの鼻を擦り合わせたり彼の毛深い頬に口付けたり上目遣いにじっと見詰めては“もっと”と催促する様な仕草まで見せて、何とも熱の籠った触れ方の子供。

 何とも双方食い違っているかの様なじゃれあいに、遠目から眺めていた一織は何とも微妙な顔持ちで胸の内にそう思うのだった。


「……何あれ?」


 ぼそりと呟かれた声にそちらを見遣れば、一織から少し離れた場所で興味無さげだったアーサーが彼等の様子を見て、その光景に“うげぇ”と声を漏らしそうな引き気味な顔でしかめていた。


「親子なの? つがいなの? ……何にせよ気色悪いな、国の女共みたいだ。御機嫌取りにカマトトぶって媚びまで売っちゃってさ……そんなに気に入られたくて取り入って貰おうとして、何の為になるんだか。」


 そう毒吐いたアーサーはサブイボを頬にまで粟立たせて、ぶるりと身震いを起こしながら自分の腕を撫で擦り身を屈めた。

 その心底嫌そうな……何も知らない様子のアーサーに、あの子供がする触れ合いの意味を知っている・・・・・一織は無言の苦笑で返した。


「(アレを知らない、と言う事は……アーサーにはまだ“経験”がないのか、それとも──。今まで見た・・・・・話からして、どうやら自ら定めた“主”はるようではあるが……ふむ、まだ情報が足りんな……。)」


 一人考察し考えを巡らせる一織は、癖である組んだ腕を指先で鳴らす素振りを見せながら俯き加減にて胸の内に思い耽る。

 しかし目線を移せば視界に映ったのは、傍らで何やらトラウマを連鎖的に思い起こしてしまったらしいアーサーがしゃがみこんで頭を抱えている様子。

 それに気付き“大丈夫か”と声を掛けようとすると、どうやらじゃれあいの一時を堪能し終えたらしい子供のカラカラと笑う声が聞こえた。


「何だオマエ、おれとロヴィとの仲に嫉妬のつもり? 嫌だねぇ一人で寂しいヤツって、妬ましいの隠して強がっちゃってさ。くっふふふふっ、みっともないよねぇ~素直に羨ましいって認められないの、かぁわいそぉ~! そういう自分の方が惨めに思えないのかなぁ?」


 含み笑いを交えつつ、嫌味ったらしい口調で子供はアーサーへと嘲り捲し立てる。

 その明らかに煽っているのが見え見えな嘲る言葉に、煩わしげに眉間に皺寄せたアーサーが伏せていた顔を上げて目の前を隠す前髪越しにその子供をじとりと見遣った。


「はぁ……? “妬ましい”って、僕が? そんな訳──、」

「イキってんのが丸解り・・・だっつってんだよ、ぶぁぁか! さっきからバクバクバクバクと……喧しいったらありゃしないんだよ、オマエの“心臓”!」


 そうハッキリと断言しアーサーを指差す子供。

 その言葉に牙を剥きかけていた口が思わず閉ざされ、子供を睨み付けていた十字の瞳孔が映る柘榴の目が大きく見開かれてた。

 泣いたりむすくれたりと無気力そうな彼の、一見豊かに見せて・・いたその表情に“初めて”ぎこちない歪みが垣間見得た。


 彼等二人、その離れた間は伸ばした手の指先の間に身体がすっぽりと収まる程。

 声を張り上げて漸く耳に届く様な近くもなければ遠すぎる程でもない、そんな距離。


 それだと言うのに、ぼそりと呟かれた──比較的近くにいる一織がギリギリ聞こえたかどうかのアーサーの声ですら、明確に聞き取ったらしき子供は細めた目に軽蔑が孕む見下した眼差しにてその言葉を吐き捨てたのだ。


「この“嘘吐き”め! 取り繕っていないと威勢も張れない癖に、誰も気付かないと自惚れるなよ。その程度の悪意・・に気付けない程馬鹿じゃない──おれは“嘘”が大ッ嫌いだからな!」






 *****






 心臓が跳ねる。

 口の中が乾く。

 思わず身体に力が入り、頭を抑えていた掌の指から“パキッ”と関節を鳴らす音がした。




 大丈夫だ、その程度知られた所で何も慌てる必要はない。

 ──“また”だ、人の縄張りテリトリーを土足で荒らしやがって。


 自分ですら“役”に入り過ぎて解らなくなるのだから、一層の事それすらも“役”にしてしまえば問題無い。

 ──曖昧を“明確”にされた、これでは自分も“そう”考えてしまう。




 今までにも一度だけ看破された事がある、あの忌まわしい出来事。

 “自分自身”が曖昧な故に利用し自ら“役”に成りきる事で他を欺く自分と違って、成り代わった誰かの身体を隠れ蓑にしては模範対象の“真似フリ”をしながら紛れ込んできたあの不快害虫ミノムシ野郎


 静かにそれらしく過ごしていれば、その“立場”じゃ何の脅威もなく此方とて何も手出しをする事はなかったのに、元より自分が無い“模範まみれ”の自己と新たな模範の境目を見失ってでも自意識を前面に出してまで此方の気を引こうと一定の人物に対してだけ媚びを振り撒く。

 そんな、拠り所を求めて他人に擦り寄る割には胸の内を隠したがり、その割には妙に自分に纏わり付いてくるあの目障りで仕方がなかったアイツぽっと出と似た感覚を覚えてしまっては苛立ちは収まらない。


 思えばあれは手出しを禁じられていたかのさばらせていたけれども今はどうだろう、まだ何も“手を出すな”とは言われていない事に気付く。 




 ──……邪魔だな、アイツ“アレ”は己が天敵だ




 

 “逃すものか”と心に決めて、すぅ、と目を細め狙いを定めてロックオン。


 曖昧に有象無象とぼやけた認識だったのを、そんな存在危険な害虫だと確定させていく。

 瞬間その認識を霧散させ・・、何でもなかった事にして平静になるべくゆるりと下ろしていくその両の掌で顔を覆い隠して、少しだけ・・・・にした頭のざわつきを完全に落ち着かせるべく息を吐く。

 余計な感情、集中を阻害するプライドを穢された事に対するその怒り。

 それらは今まで通り・・・・・排除してしまうのが一番だ。




 ──事象断絶、補綴完了。


 要らないモノは切り捨てた。




 そう判断した頃には頭の中は真っ更クリアに。

 仕事をする上で邪魔になるもの無駄な感情や雑念は無かった事にして、己にかかした“指令”だけ残す。

 そうやって“何が在ったか”は亡くして何も思わなくなった頭のままで、冷静に、平静に──忍び寄る為に。




 引っ掻けた・・・・・指先の合間から、あの子供害虫の姿を捉えたままに──少しだけ眼鏡をずらした。






 *****






 どうにも、始めの頃から相対するだけで気が立っていたのだ。

 何でもない“フリ”をして妙に薄っぺらさを感じるその態度に、それから嫌に刺さってくる視線が煩わしくって我慢出来ずについ口に出してしまった。




 やめろ、此方を見るな。




 子供は思ったのだ。

 その彼の此方を伺う様な……探る様な疑念の眼差しに、どうにも無性に焦りを感じてしまう。

 我が身を刺す視線の熱に、やめてくれ、と思う度に胸の内が逆にひやりと凍え始める。


 因果応報──それは自分自身を表すものだから、その意味は理解しているつもりだった。

 ……でも、止められなくて。

 焦ってしまう、恐ろしくなってしまう。

 “知られたくない”から、その向けられた視線を気にしてしまう。


 ざわつく胸に、不安感から無意識にちらりと視線をずらして己の傍にいてくれているそのヒトへと意識を逸らしていく。


『……小僧、そうやって無闇矢鱈に他者を嫌悪するんじゃない。一度治まったいさかいを蒸し返すのは止めろと、いつも言っておるだろう。』


 目が合って、溜め息混じりの声が荒げられる事も無ければ捲し立てられる事もなく、只ゆったりと撫でる様な自分の頭を冷やしていく彼の言葉。

 静かに、それでいて穏やかに、ぴしゃりと胸の内を叩かれる様な尤もな言葉を彼から受けて、まるで冷静になれと冷水を吹っ掛けられた様なその心地に子供は眉をハの字に下げては口を閉ざし、叱られた事に落ち込み俯いた。


「う……ご、ごめんなさい……。」


 カッとなって熱くなっていた事には自覚はあるつもりだった。

 それでも止められなかった事にだってそうだったからこそ、彼の正しい説教が余計にぐさりと自身に刺さり、自責の念に後悔と不安感が胸の内にじわりと広がっていった。


「(どうしよう、またやっちゃった。)」


 俯いて彼に見えないよう隠した顔でこっそりと、唇を噛み絞めてざわつく感情に焦りからその表情を歪めていた。


「(呆れられたかな…? やだよ、ロヴィにだけは見捨てられたくない……悪い子に思われちゃうのも、嫌だ……!)」


 “良い子にしなくちゃ”。


 そう自身に言い聞かせて焦る気持ちを振り払うと、ぱっと上げた表情は明るく無邪気に、子供らしく甘えて見せて彼へと擦り寄った。


「ね、ね、ロヴィ! もうおれ悪い子しないよ。だからお願い怒らないで、おれの事見捨てちゃやだよ。ねぇ許して、おれちゃんとロヴィの言うこと守るからさー!」


 自分よりもずっと大きな獣の首に腕を回して、両の手が届かずモフモフの毛並みに埋もれた腕と同じくして彼自身も顔を埋めて、物ねだる子供の甘えた声で上目遣いにそう懇願する。

 すると見下ろしていたロヴィオは彼をじっと見詰めた後、暫くして重く深い溜め息を溢したのだ。

 その途端、ニコニコとしていた子供の表情が強張って見るからに不安そうなのが見てとれるそわついた様子になるも、ロヴィオは彼が手にしていた“玩具ハリボテの様に作り物めいた”腕へと鼻先を近付けては、徐にそれを咥え取り上げた。


 そしてその腕をロヴィオは咥えたままに顎を開閉させてコロコロとその向きを調節すると、そのままぱくんっと顎を閉じた。




 ──ばきんっ。




 狼の見た目に合う肉食獣らしい鋭い牙が綺麗な歯並びを見せて隙間を無くすと、それと同時に“喰われた”子供の腕からおよそ肉を喰らうにしては肉質さを感じられない──弾力性のない硬質でいて脆い様なものを噛み砕く様な音を立てながらそれを咀嚼し始めたのだった。




 ──ぱき、ぱきんっぽりぽり、かろかろ……ごっくん。




 それは、イメージするとすれば“棒状の甘味である千歳飴を一口に収めて噛み砕く”様な、そういったもの。

 全くもって肉を喰らうにしては不釣り合いな音を立てながら子供の腕を飲み込んで見せたロヴィオは食後の一息に鼻を小さく鳴らすと、その口で子供の、中身がなくぺしゃりと凭れた袖がある方の肩へと息を吹き掛けた。

 するとキラキラとした細やかな光の粒が何処からか湧き現れて、それが子供の肩へと集まっていったかと思えば、それに合わせてへたり込んでいた袖がむくむくと膨らみを見せ始めたのだ。


 その様はまるで、何かが“生えて”くるかのような──、


「わぁ、おれの腕直った!」


 ぱっとその中身が“生えた”袖を子供が挙手する様に振り上げる。

 先程まで不安そうだったのがうって変わってキラキラとした目で自ら持ち上げたその腕を見上げると、その子供の様子に鼻を鳴らしたロヴィオが何処かやりきった感を滲ませた澄まし顔にて顔を上げた。


『余りその身体を粗末に扱うんじゃないぞ、魔力で直すにしたって簡単なものではないからな。』

「うん! えへへへ、ありがとぉロヴィー!」


 腰を下ろし、犬宜しく“おすわり”した体勢となったロヴィオがそういうと、文字通り花の様な無邪気な笑顔を咲かせた子供は心から嬉しげに頬を赤らめて彼の身体を再び抱き締めた。

 閉じた目も口元も弧を描かせて幸せを噛み締めているかの様な眼下にいる子供の様子に、一瞬愛おしげに口元を緩めたロヴィオは直ぐ様澄まし顔へと取り繕い、何て事ない様に上向いたのだった。


『腕も直したのだ。約束通り、彼の話をちゃんと聞いてくれるな?』


 彼の低くも穏やかな声が、念話によってハッキリくっきりと聞き漏れる事無く直接頭の中に響いてくる。

 耳で鼓膜を震わせて聞くよりもずっと安心出来る、彼の気遣いが込められたその音色に目蓋を閉じて聞き入りながら、子供は心地良さげに笑みを浮かべたままに頷いた。




「……凄いな、そうやって魔法で怪我を治せるのか。」




 そう呟いたのは遠巻きに彼等を眺めていた一織だ。


 小さくも確かに独り言として出されたその声に一番に反応したのは近くにいたアーサーで、視線を移して収めた視界に映る彼のその様子は、腕組み仁王立ちと彼の不遜な性格が滲む態度ではあった。

 しかしその彼等へと向ける目には、無垢な輝きを感じさせる様な……まるで何かに期待しワクワクと胸を高鳴らせる童子が如く、何処か落ち着かない様子でその口元に笑みすら浮かべていたのだった。


 その姿を暫くじっと見詰めてより小首を傾げたアーサーは、先程見た“彼の名を持つ本”に綴られていた話を思い起こしては思い至り、その際に“理解した”とばかりに作った握り拳をもう片掌へぽんっと軽く振り落とした。


「治癒魔法は見たこと無いんだっけ。」

「ん? 嗚呼、そうだな。俺自身必要が無いからな。いやはや、魔法に然り、人語を話す動物に然り……改めてこうして見ると、本当に異世界に来たんだな──って、な。」


 そう言って彼はくしゃりと笑みを浮かべた。

 今までの高飛車な様子とは違い偉ぶったものが一切感じられないその表情に、アーサーは思わず拍子抜けしてしまった。


「……貴方、そんな顔も出来るんだね。」


 そのアーサーの口からぽろりと溢れた言葉は、正直“意外”に思えた事からと言うのもあったのだが、それ以上に“彼の歩んできた人生”を全て見た彼からすればその一織がそんな振る舞いを見せる事自体有り得ないと知っていたからだ。




 神村一織は、他人嫌いだ。




 人と関わる事を煩わしく思い、自身の邪魔をされる事に怒り、何にだって自身で片付けようと“人より劣る”凡人未満だったらしい・・・自身を必死に積み重ねた努力と類いまれなるその執念で秀才が如き人並み以上に幅広く多大なる量の技能を身に付けてきたその人物。


 ──否。


 神村一織は、等しく“神村一織”である。


 他人嫌いだったのも、不遜であることにも何も間違いはなかった。

 只、もう必要・・が無くなっただけなのだ。




 人と関わるのが煩わしい──否、他者は自己研鑽に置いて障害物でしかなかっただけだ。

 自身の邪魔をされる事が腹立たしい──否、もう時間に追われ焦る必要はない。

 高慢でありプライド高く、誰を頼ろうともしたがらない──否、今の自分が何も成せない“役立たず”である事は誰よりも知っている。


 そして──今の自身に誇れるのは培ってきた“知識”と唯一一切の干渉を許されたのがその“声”である事も。




 そして彼が“神村一織”であると言うことは、あの神様と“同一人物”である、という事だ。




「──意外か? 俺だって案外こんなもんだぜ。夢中に成って“夢を描く物語を綴る”くらいには、魔法やファンタジーに憧れていたんだからな。」


 そう自らを尊大に繕う事無く“正直に”言って、からりと笑って見せたその高圧的でもなければ敵意も悪意もない、純粋に照れ臭そうな彼のその表情。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔でそんな彼を見詰めていたアーサーは、その“暫く”誰からも向けられた事の無い、ひたすらに穏やかで温かな感情を真っ直ぐに目を合わせる受ける事となった。




 彼の常とはいつだって“敵意”と“疑念”、それから“軽蔑悪意”。


 勇者を“裏切者”と呼び彼が幼少の頃から躾に腹いせ、嫌がらせにと周りの者達である王宮の人々からの“害意”に晒され続けた彼は、名を忘れて過去を忘れた事も相まって自身が何者なのか解らなくなる程にその存在を歪に変えた──それは“真実本当”だ。


 多くの人からのそれは彼を歪めるに容易い量の悪辣な“感情”を受け続けた彼は、その身に奉仕人形たる賢者を宿す為に、当然受けたからにはそれを餌にしなければ生きてはいけない。

 ろくに食事も取れず過酷な労働と磨り減らされる休眠時間にと、そんな酷い生活に身を置いて仕舞っていたら只の人間であればとっくに身体を壊し命を落としたって可笑しくはない。

 “幸いにも”賢者を宿していたからこそ劣悪な物でも受けた感情を糧として溜め込んでいたお陰で、異に反して彼は今ここまで生き延びてきたのだ──当然、今までのループで今より先の未来で命を落とした彼だって。


 故郷である森を焼かれ帰る場所を無くし、拉致されてより使い捨ての道具の如きこき使われ続けた長きに渡るその年月とは約“12年”。

 その同時の齢七歳という、幼くして親を無くし天涯孤独と成ったアーサーに追い討ちをかける様にして、住み処を荒らされ家族同前だった同じ森に住む魔物達を焼き殺され絶望の奈落へと突き落としたスケルトゥール王国の人々──それからその長たる今は亡き前国王。


 そんな過去を持つ彼が国を恨まない筈が無かった。

 現に“今まで”の彼は誰よりも、何よりも“憎悪”の感情を彼等へ向けていた。


 自分には全く関係の無い、その裏切者たる勇者の血筋というだけで、一人ひっそりと誰の迷惑を掛ける事無く生きてきた幼子に、そんな極悪非道を犯させ更にはそれを彼等の不都合に思う周りにまで“彼”に手を下させていった。


 生まれてこの方力は強く、足も速い。

 誰よりも強く仲間の魔物にだって負けない、そんな自分に誇りすら持っていた彼。


 そんな彼を“魅力的便利”に思った人々は、始め・・は彼をも“駆除”するつもりが捕まえ閉じ込めた。

 拷問の様な躾だけでなく意味の無い暴力ですらひたすらに与え続けて、その苦痛とそれに引き起こされた恐怖心によって我が身を守るべくして彼等に軈て屈してしまっていく。

 ──そうして彼は身を滅ぼしていったのだ。


 それでも──否、それだというのに今世の“アーサー・トライデン”は国の人々を虫と嘲り毛嫌っていても“恨んで”こそいなかった。




 何故なら、その記憶が無かったから。




 以前の彼が恋いすがった故郷での温かな記憶。

 母親に愛され育った毎日。

 自身の胸を温かくする平和で穏やかだったその日常。

 それらは全て“自ら”捨て去った──故に、何とも・・・思っていなかったのだ。


 逃亡を阻止する為の“思考考える頭”を潰すべくその身に刻まれた呪い。

 それから脱却するべく、“無駄を省く要領を増やす”事を彼は選んでいたのだ。


 記憶想い出を消し感情本心を捨て、只“護り通す”べきモノの為に作ったその空いた要領出来た余裕で“スケルトゥールの王族”を護る番犬・・として“害意”を払う為の考える頭を養い、そして周りを見張り続けてきた。


 そんな彼の隠れた思惑に誰も──一人を除いて悟られる事もそういう“役”を演じている事すら悟られずに、愚鈍で力仕事以外録にこなせない役立たずとして認識された。

 それが異端にして尋常なく強い“怪物”と彼等自ら罵っていようが関係無く、誰にでも言いなりな囚われの傀儡なのだと他の誰にも警戒される事無く生きてきたのだ。


 あの“ソロモン”が他者に寄り添わねば飢えてしまう、内なる止めどない寂寞じゃくまくの虜たる奴隷──“宿り木”が如き“他者愛”の人形であるとして。

 アーサーは寄生したその宿主国の虫共栄養素知恵と知識を自らの糧とし貪り、自身が成熟するまでを自身の力を対価に自らを奴隷として内包させ続け、機が熟せば目障りならばいつだってそのはらわたを喰い破る事が出来る。




 その在り方は正に“冬虫夏草”、眷属と主人であるその役割をひっくり返した相互関係たる“服従支配”の奉仕人形。

 服従する上で支配者を傀儡とし、全てを計算の内に有象無象を掌の上で踊らせる。


 “魔王獣の王者”が如き男であり──自らを“災厄怪物”と自覚する勇者こそ、アーサー・トライデンという人物だ。




 彼はそうすることで王宮の全てを把握し、いつだって誰であろうと屠れる力と知恵を存分に蓄えた事で“平民以下の奴隷”の誰よりも下位たる立場で在りながら高み・・の見物をして堂々と、あの自身にとって害意しかないにいつまでもと居着いていたのだった。


 故にこそ、再びそれを崩された事に誇りプライドを穢され湧き起こる感情すら無駄だと“切り捨て”た彼に一織が向けたのは、アーサーがあの“不快害虫ソロモン”と出逢って以降一切誰にも向けられた覚えの無い“敵意”も“害意”もない感情。

 正しく、気を許した・・・者へ向ける正真正銘屈託の無い笑みだ。


 他人嫌いな彼がまだ自分と出逢って間もないというにも関わらず、居場所を求めて下心を抱えて何処からか現れたあの“ソロモン”の様にすり寄ってくる不快害虫の目障りだが害はない様な存在とも違う、全く不快感のない彼から受ける自分へのその接し方にアーサーは只々困惑に困惑を重ねていた。

 寧ろそのむず痒い様な目映い様な心地から、無意識にその身体に込めていた力は抜けて身体の……否、胸の内側にて“満ちていく”様な感覚を覚えてはつい口から溜め息を溢してしまう程に。


 そんな、夢見心地の様な気持ちに立っていた気が落ち着く感覚からハッと我に返ると、いつの間にか目の前で手に持っていた本を見開いて頁を捲っている様子の一織が視界に映る。

 そこからアーサーはふいっとその視線をずらし、意識は彼へと向けたままに少し口を尖らせてぽつりと言葉を続けた。


「……別に、少し驚いただけ。」

「そうか。まァこれからは一緒に行動するんだ、今の俺の事だって追々知っていってくれ。」


 いつの間にか無意識に気が逸れていた事に、罰が悪そうに顔をしかめているらしいアーサーに本から視線を離した一織が彼へと近寄っていくと、その笑みを湛える口元を緩めたままにしゃがみこんでいたままのアーサーの頭へとその掌を置いた。

 ……が、その前にバッと身を反らしたアーサーが目を丸くして彼を凝視し身を強張らせてしまったので、一織の手は何もない宙に浮いたままに止まってしまう。


「……何のつもり?」


 見るからに警戒心顕な様子のアーサーに、宙に浮かせていたままの掌を見ては“しまった”と決まりが悪そうにその手で顔を覆った一織は溜め息混じりに「悪い、つい」と溢した。


「害するつもりは元より無かったんだが……すまんな、無意識だった。」

「それは解ってるつもりだけど……何でまた、急に。」


 彼のその手が無意識・・・に伸ばされている事には気付いていた──それ故に、驚いて反応が遅れてしまった。


 何故なら意識的ならば、他の誰よりも自分が気付かない筈がない。

 視野広く他者の動きや思考を学習し、その上で“計算”する事によって相手を思うがままに踊らせるのが常である自分に一番厄介とするのが、その他者が“無意識”に起こす不可解な行動だ。


 癖や生い立ちを学びさえしていれば多少の齟齬など直ぐに補綴軌道修正は可能であれど、この“神村一織”という存在は何のつもりか真偽不明であれど自分に知ってほしいと“過去”の全てをすべからく明け渡し開示してきた。

 他者と比べても見るからに特異であるこの十字の瞳孔、ソロモン曰く“天眼通てんげんつう”と称していた他者の内情とその正体を暴く眼ですら“姿すら映さない”無色透明たる腹の内も見えない相手に、他の誰をも信用ならないアーサーが一際警戒心を抱かない訳がなかった。


 それでも、だ。


 そんなアーサーでも、弱いフリをする等と態々遠回りしてまで近寄る訳でなく、その理不尽なまでに自己中心的に彼を悪戯に痛め付けてはその不死身さを目の当たりにして観察したり、絶対服従の素振りすら見られない図々しさを露に振る舞っているのは彼が“何も為せない”──他者を害せない。

 その特性を知っているからであり、要は害の無いソロモン同様に“嘗め腐って”いるのだ。




 痛いのは正しく嫌いだ、回避出来るものならしておきたい。

 痛いのは本当は平気だ、だって誰よりも強い自分に効く筈もない。


 ……唯一、力関係が近しい“アイツ”を除いて。




「んー……何だかなぁ、“お前ら”って放っておけないんだよ。色々と。」

「お前“ら”……って、誰の事? もしかして僕とあの“マセガキ”と一緒にしてる?」


 心底嫌そうな顔で握り拳に親指を立てたアーサーの指先があの子供へと向けられる。


 その先では狼竜の毛並みを堪能するべくモフモフとふくよかな胸毛に顔を埋めて、ほっこりまったりと顔を緩ませていた子供がチラリと此方を見遣ったかと思えば、弧に歪めたアーサーを見下す蔑みを込めた眼差しを向けてはひっそりと不敵な笑みを浮かべたのが垣間見えた。

 それに神経を逆撫でされてしまうアーサーは、こめかみに青筋を立てては盛大に舌打ちしやさぐれた。


「(絶……ッ対後で〆てやる。精々お前の最期になる今の幸せ気分に浸ってろ、その腐った性根後悔する間も無しに滅茶苦茶にぶち壊してやる……。)」

『すまんな、漸く小僧が話を聞いてくれる気になったらしい。散々待たせておいて申し訳無いが、今一度御前のその“頼み”とやらを聞かせては貰えないだろうか?』


 胸の内にて不穏な決意を表明して人より鋭利な“牙”を閉ざした口内にてギリィッ……と人知れず鳴らし剣呑な眼差しを前髪に隠すとそこに頭に響く声が響きだした。

 それは近くまで歩み寄ってきた声の主であるロヴィオで、その傍らには──忌まわしい餓鬼とアーサーが嫌悪する──散々甘やかされてより偉く御機嫌そうな子供をくっつけたままに一織へと念話を送ってきたのだ。

 鼓膜を震わせてくれるのなら知らんぷり出来たものを直接頭に響かされて心底不快に思いながらも、苛立ちに眉間に皺を寄せるアーサーの隣で一織はそれに快く頷いて会話を続けた。


「そうか、それは助かる。じゃあ此方からの要望なんだが──、」

「言っておくけど、ロヴィだけ連れていくっていうのは無しだからな、人間・・! おれとロヴィはどうしようが離れられないんだから、おれ達を引き裂こうっていう魂胆があるのなら今の内に捨てておくんだな!」


 一織が話し始めたその途中で、子供は偉そうな口調かつ見下した態度にそれを声高らかに発言した。

 それに一織は一瞬怯み口を閉ざしてしまうも、怒る事無く穏やかに「嗚呼否、そんなつもりは」とやんわりと返すも子供は最後まで聞く事無く続けた。


「それから人にものを頼むんなら、それ相応の“態度”で示せよ。ロヴィ……いや、このロヴィオ・ヴォルグが神たる狼竜である事を知っててのあの狼藉なんだろ?」


 そう言って敵意剥き出しの子供は横目にアーサーへと視線を流す。

 すかさずそれに対して身を乗り出そうとしたアーサーの目の前に“ストップ”だと言わんばかりに掌で制した一織が彼等の間に入り立ち塞がる。

 しかしそれを見て子供は目の前の二人に対し鼻で笑い飛ばして言葉を続けた。


「ロヴィが優しい獣だからって胡座かいて、姑息にも利用しようとする奴はクソ程に多いんだ。だから本竜ほんにんだろうと他の誰だろうと、このヒトを利用する事に勝手に許しを出していようが……このおれが絶対に赦さないぞ。……だから──、」


 ロヴィオの側から離れた子供は一織の前へと出ると裸足で地面を“たんっ”と叩き付けて差し出し、上目・・遣いにて嘲る笑みを浮かべながら彼を見下す・・・細めた眼差しを向けたのだ。




「さっきから頭が高いんだよ、人間。惨めに頭下げてひれ伏せよ──地べたに頭擦り付けて懇願するのならば、話を聞いてやらん事もないぞ?」




 空色の和装に身を包んだ、麗しき女の顔を持つ白髪の目を引く美貌の少年はそう言うと、


「ああそうだ。オマエがお利口に“お願い”出来たら、特別におれの足を嘗めさせてやっても構わないぜ? そういうの、好む奴が多いってのは“知って”いるからな。」


 と、自らの色白な細足を見せてはせせら笑った。



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