秘話伝:千一夜物語は終わらない。上

「……全く、全部自分で解決してしまうから手が掛からない割に、随分と厄介な子だこと。一体誰に似たのかしら?」


 昼下がりのリビング、穏やかな日光が射し込む静かな部屋で、ソファに横倒れて手に持っている“それ”を弄びながら彼女は誰に対してでもなく一人ぼやく。

 疲れた様に、呆れた様に溜め息を溢して首からぶら下げたチェーンの先の“黒い宝石”を摘まみ、それを暫く眺めては軈て飽きたらしく手放してしまい落としたそれは彼女の胸元へとぽとりと着地した。


「“仮”である人の身で劣が優を凌ぐなんて“矛盾”、よくもまぁ体現してみせたものね。あれ程の執念は私には持ち得ないもの、まだ中身を詰め込みきれていない“幼体”だというのに偉く自我の強いこと、強いこと……。」


 そう言って「よいしょっ……と」と身体を起こして、ソファから立ち上がると彼女はリビングから退室し、今は誰もいない本棚ばかり並ぶその部屋へと立ち入る。

 その部屋の持ち主は今学校にて勉学に励み、時計で示される時間を見てもまだ暫く帰ってこない事が解る。

 ローラーが転がる音を耳にしながら引き出した椅子に腰掛けて、学習デスクに肘を立てながらその無人だった部屋をぼんやりと眺める。


「……早く“親”だと認識させないといけないってのに、全然上手くいかない。あたしが間違っているのかしら?」


 ぽつりと呟かれたそれは自問であり、少しして首を横に振ると言い聞かせるように自答する。


「……ううん、これがあたしだから他のやり方なんて解らない。だって“子供”は親が守るべきだもの。愛して、庇護して、甘やかして……あたし母親が全部やって与えてあげないと。あんなに小さくて、弱くて、危なっかしいんだから、そんなの見ていられないわ。」


 そして首から垂れた宝石へとまた触れて、納得したつもりのそれを考え込んでしまうと彼女の目には迷いの色が浮かぶ。


「……そう、思っていたんだけどな……。」


 チャリ、とチェーンと宝石が擦れ鳴る音が嫌味ったらしく静かな部屋に鳴り響く。

 宝石に振れていた彼女の手は、指先から肘にかけて黒い濁りに染まっていた。


 始めは確かに気紛れだった。

 只少し“思うところ”が在って、つい“それ”に手を出してしまったのだ。


 黒い海、臭くて嫌なものばかりが降り積もる不浄の檻。

 彼女はその“特性”故に、その帰り道の無い場所に入っても出られる自信が在ったからそこへ身を投じてみたのだけれど、その“探し物”を得た代わりに“神聖”であるその身は“不浄”に侵され黒く濁ってしまったのだ。


 お陰で何をするにも身体は痛いし、日に日に力が抜けていく。

 彼女が持つ万能だった“我が子”をあやす為の欲しいものを与えるその権能だって、無いものを作り出す為の彼女の特性万能の力である“矛盾への理由付け”だっていつからか曖昧になってしまい、“どうしても”親と認めさせたいあの気難しい子供を振り向かせる為の餌が逆に仇となってしまっている。

 そうこうしていると彼はどんどん大人へと成長していき、自分の事など振り返りもせずにひたすら努力を重ねて遠くへと離れて行ってしまう。


 ──それは不味い、とても不味い。


 自分を“親”と認めさせねば、主導権を握らなくては。

 軈て自身が利用する筈だった、成長してしまったそれが手綱のない“厄介な存在”へと変貌してしまう前に。


 胸元に垂れた宝石を握り締める。

 今は外だからこそ何の意味もなさない石だけれども、それがある限りあの子供は自分から離れられない筈。

 それでも少し不安が残って、怠い身体を項垂れさせて俯いていると、デスクの下、パッと見では解りづらい物陰に一冊のノートが在るのが見えた。


「これは……。」


 それを手に取ると、その見覚えのある紙の束は随分と前のもっと小さかった彼がもじもじと照れ臭そうにしながら押し付ける様にして無理矢理見せてきた、あの小汚ないノートだった。


 始めはその黒くて汚いそれがあの不快な海を思い起こされて正直触りたくは無かったのは確かだ。

 しかしあんなに警戒心露だった幼子が初めて自ら歩み寄ってきたそれに、子の為ならばと“我慢神が嫌がる事”をしてパラパラと捲っては見てみると、そこには彼の本来の親を模した登場人物キャラクターが幸福へと繋がっていく物語が拙い文章に幼い崩れた文字で書き綴られていた。


 その内容に少しだけ“羨ましさ”を感じつつも読み終えた頃に緊張の顔持ちでじっと此方を見詰める子供の姿に、文章も展開もあんまりにも滅茶苦茶だったというのに“面白かった”と何と無くに口から溢してしまった。

 するとそのなんて事ない言葉に、その子供は今まで見たことがないくらいに目を輝かせたのだ。

 まぁその後正直に何処が駄目だったとかをぽろりと溢してしまうと途端に不機嫌になって、それからはまた口を利いて貰えなくなった。


 ……だけれども、恐らくその出来事があってからだろうか?

 それからというものの、得たいの知れない自分に対し警戒心が強かった気難しいばかりのその子供は、彼女と少しずつコミュニケーションを取ってくれるようになっていったのだ。


 その思い出深いノートを眺めて、彼女はぺらりと表紙を捲る。

 何度見てもやはり文章は滅茶苦茶で読みづらく、そして頁を捲る度に指先が黒く汚れてしまう。

 あの頃はそれが嫌だったと言うのに、今彼女はそれも気にせずゆっくりとその文字を辿りながら熟読していく。


 物語の中で、困難を乗り越えた勇者がお姫様と共に幸せな結末を飾るその文章まで辿っていた指が滑っていくと、ぱたり、と雫が落ちてノートの端が濡れてしまう。

 慌てて手短にあったティッシュへと手を伸ばし、必死になって水気を取るべく押さえ付けると小さな染みを僅かに残すだけに何とか留めて、脱力しながら長く息を吐いた。

 そして鉛筆の芯の色に黒く汚れた手で目元を拭うと、その汚れた指先に気付いて思わず苦笑してしまう。


「あーあ、感傷的になっちゃって馬ッ鹿みたい。」


 あははは、と笑う彼女は暫くして目尻に残っていた水分を手の甲で拭うと静かに、ぼんやりとその閉じたノートを眺めた。


「……あたしじゃ駄目なのかな。」


 ぽつりと呟いた言葉に、片手に黒刀を手に持ち独り佇む、いつかの少年を思い出す。




『ぼくが会いたいのはぼくの母さんと父さんだ、女神さまはぼくの母親じゃないよ。』




 酷く窶れた顔をした、少しだけ成長してしまった彼が『あたしでは駄目なの?』という彼女からの問いにハッキリと答える。

 あの時に感じた、その言葉を聞いて無性に胸を苦しくする痛みに彼女は何を思ったのか、それを口にしたのだ。


『じゃあ、貴方も神になると良いわ。そうすれば貴方はご両親に逢える……但し、貴方の記憶は消えてしまうけれど。』


 願いに関する記憶は無くなってしまう、無いからこそ神になってからはその願いに辿り着くまで各々の気の向くままに無限の時を娯楽に興じ、時には新たな世界すら作ってその有していくのだから。

 だからこそそのつもりがなくとも、つい願いを叶えてしまう事だって有り得る話なのだ。

 そう、あの“我が儘で癇癪持ちな性格の悪い女神”だって。


 ……只彼女の結末は悲惨の一言に尽きてしまう。

 あの、“親に逆らえず病室から出れず、世界を知らぬままに誤飲した玩具を喉に詰まらせて”命を落とした幼いお嬢様だった彼女。


 まるで与えられた玩具の山を自慢気に見せびらかすみたく、その見目美しい人形達を彼女へと見せてくれた事はよく覚えている。

 その女神の見た目こそ美しい大人の女性ではあったけれども、彼女からしたらその仕草も思考も、その癇癪持ちな所だって余りに幼くて放って置けなかったからこそ、自分を神に“してくれた”彼女の元へ時折訪れてはその綺麗な長髪を櫛で鋤いてあげたりしたものだ。


 そんな、神同士な割に比較的仲の良かった彼女は軈てその人形達に歯向かわれてしまい、望まぬ形で願いを叶えて消失したかと思えば、まさか彼女の子である分身体に捕食されてしまっただなんて、知った時には絶句したものだ。


 神であろうと守られるべき子供達に、そんな悲劇を二度と起こしてなるものか──そう、彼女は思ったのだ。


 余所から入り込み、戯れに掻き回しては見るも無惨に崩壊していく様を遠くから眺めて愉悦を貪るあの忌まわしい“神嫌い”が、その戯れの延長線であろうことか自身がかつて庇護した少年の世界にまで、その毒牙にかけようとしている。

 それを知っていてもたってもいられず、ならば、と思い付いた先の手段こそ、今彼女が育てている今はまだ成長途中の無貌の“幼体”だ。

 ただそっくりそのままでは取り込まれかねないからこそ、あの少年が代償に捧げ捨て去った“名前”と“存在”を拾い上げてその要素を組み込ませ再構成させたものこそ、彼女が自身を親だと思わせて主導権を得るべく奮闘しているあの子供だ。


 一つの世界に同じ神は存在し得ない。


 その法則を利用して、あの“幼体”を擬似的に“その存在”だと定義して、“本物”の侵入を妨害する。

 その為に既に、あの世界には要素を散りばめてある。

 主体である要素にあの少年の捨てられた“名前”と“存在”を使ったのは、そうすれば態々“神”にまで昇華させなくとも、同一人物だからこその“神であり神であらず”だと疑似認定させられるからこそだ。


 そうすれば神の入れる三つの枠の条件など関係無く入れることが可能となる。

 あとはそれを構成させる要素を同じ世界の至る所に配置させて、主体である幼体を送り込んだらそれを“邪神”の要素を兼ね備えた存在なのだと、世界に誤認させるのだ。


 だからこそ完全体にはさせてはいけない。


 一歩間違えればいつ完全体に至ってもおかしくない、危険な綱渡りのような計画だけれども、それで守れるものがあるのならば手を尽くすのだって有りだろう。

 なぜなら彼女は“子供を庇護する為ならばどんな事にでも手を尽くす”、そういう女神なのだから。


 只、そう利用する為に育てていた子供“だった”──筈なのに。


「……一織……。」


 そのノートを眺めて目尻を紅くした彼女は、またぽろりと雫を落としては小さく溢す。

 ノートを濡らさないように額に当てて、踞る様にして机に顔を伏せてぽたぽたと落とす涙は止めどなく溢れてくる。


「やだなぁ……どうしてこうなるのかしら。不浄を浴びてからおかしくなっちゃったのかな、あたし。」


 そう自分を皮肉ってぼやいてはみるものの、そんなことはお構い無しに涙は次々と零れ落ちていく。


「あの子の本当の両親が羨ましいなぁ、なんでそんなことしちゃったんだか。あたしなら絶対置いてったりしないのに……悲しませたりなんて、しないのに。」


 腕で濡れた顔を拭って俯いていた顔を上げると再びそのノートを目にする。

 その結末をハッピーエンドとして綴られたそれに、今の彼女にはどうしようもなく胸が締め付けられる想いに駆られてしまうのだ。


 “あの子”のいない世界で二人は幸せに生き続ける──それはなんて残酷な“理想”なのだろう。


 少年の願いを聞き届けた時も、幼いあの子が嬉々としてノートを見せに来て“こうだったら良かったのかな”と溢したあの時も、こんな子を残して死んだ彼等が妬ましくて、羨ましくて、憎たらしくて堪らない。

 だからこそ、なのだろう。


「……嗚呼、あたし、あの子に“親”だって認められたい。お母さんって呼ばれたい……ちゃんとした、あの子の“母親”になりたい。」


 そして、大人になったあの子の姿を見届けたい。

 そう、願うようになったのはいつからだろうか。


 彼女の作る世界に取り込まれた子供達は、いつだって彼女の愛情の内で大人になるのを止めて余りの心地好さに寝入ったまま目覚めなくなってしまう。

 子供の為と奔走する彼女だって、その寝入ってしまって尽くし甲斐のないそれをいつまでも抱えていられる訳もなく、愈々飽きてしまうとそうなったらもう捨てる他無くなってしまう。

 それの繰り返しをずっとしていたというのに、彼女の庇護下に在った子供達の中で一人だけ──否、今より先の未来を含めれば二人、それを克服してしまった者がいた。


 片や、彼女から与えられたものでは満足しきれず、現実への理解を恐れ大人になるのを拒絶した子供。

 片や、彼女から与えられるものを拒絶し続け、自らの力だけで大人になることを望んだ子供。


 そのどちらもが同じ人物ではあるのだけれども、彼女には各々に思い入れがあるからこそ“同じ”には見れない。

 どちらも尊くて、愛おしく想い、そして我が子同然に愛しているのだから。


 柄にもなくセンチメンタルになってしまい、鼻を啜りながらも涙を拭ってそのノートを引き出しの中へとしまいこむ。

 時計を見上げればもう夕方くらいに差し掛かっており、そろそろ部屋から退散するか、と腰を上げた時腕に上手く力が入らずに支えを無くした身体はよろけて再び椅子へと戻される。

 その際に肘がデスク上に積まれた教材のタワーに当たってしまい、ドサドサーッと崩れて落ちてしまっていく。


「あっちょっ……! ど、どうしよう、こんなの見られたらまたあの子に怒られちゃう、嫌われてしまうじゃない…!」


 オロオロと慌てふためきながら、その落ちて散らばった冊子達をかき集めては机に乗せていく。

 元がどんな置き方をされていたかなんて覚えていないのだから適当に積み上げていき、何とかあの子が帰ってくるまでに部屋の状態を戻していかなくてはとがむしゃらに足掻くべく冊子を元のタワー状重ねていくと、散らばった冊子の中に一際汚れた“見るな”とでかでかと書かれたよれたノートが視界に映った。


 そのノートを手に取り他の冊子を全て積み上げると、それに惹かれて止まない彼女は吸い込まれるようにして再び椅子へと腰掛ける。

 教材タワーが机の端に積まれただけで広く空けられたデスクの上に見付けたノート置いて開けると、先程のノートよりも文章が整って読みやすくなったそれを食い入るように見入ってしまっていく。


 ぱらり、ぱらり、とそれを読み込んでいく内に、その部屋の扉の向こうで玄関からの乱暴に閉められるドアの音が響いてくる。

 けれどもそれにすら気付かない程夢中になって頁を捲る彼女はどうしようもなく、愛し子が綴った汚れたノートの中の“物語”にすっかり虜になってしまっていたのだった。













 望むがままに、求めるがままに、あれ程強く欲していたものを手に入れても、すっかり乾ききった心には何も満たされるものは無かった。


「次は何が欲しい? どうして欲しい? 貴方の求めるものは何でもあたしお母さん与えて叶えて上げる。」


 いつも傍で見守ってくれていた彼女はいつだって微笑んでそう言っていた。

 自身の他に何もなくなった景色から視線を彼女へと向けて、窶れた顔の少年が湛える陰った表情はいつまで経っても晴れないままに。


「……母さんのところに行きたい。」

「ええ、あたしは此処にいるわ。ずっと貴方の傍にいてあげる。」


 ぽつりと、僅かに開かれた口から溢れた言葉に、彼女は嬉しそうにその少年を抱擁してあげようと近付くけれども、悲しげに顔を歪ませた少年は抱き締めようとするその身体を弱く突き放して首を横に振った。


「…違う、“ぼくの”母さんの事だ。あなた女神様じゃない。」


 絞り出す様なその弱々しい声に、明確な拒絶を受けた彼女女神は表情を固まらせる。

 そして少し間を置いて穏やかな笑みを湛えていたの不服そうなものへと切り替えた、女神は少し冷たくなった声音をその口から発した。


「どうして? その母親は貴方を見捨てて自ら死んだじゃない。そんな残される子供の事も考えないで病を理由に逃げるような駄目な親、求める必要はないわ。だってあたしなら貴方を見捨てない、ずっと守ってあげるもの。」


 何処か怒りすら滲む女神の言葉に、今にも泣き出してしまいそうな程に顔をしかめた少年はそれでも横に振って「でも、」と震える唇を開く。


「それでも……ぼくの母さんと父さんは、あの人達だけなんだっ……!」


 それを口にしたら少年の目からポロポロと溢れ出した涙と共に「ああああ……ッ」と声を上げて天を仰いだ。

 その世界に来てからもう数年も経ってしまい、あれから少し大人に近付いた身形となった少年は泣き叫ぶ。


「ずっと、ずっと考えてしまうんだっ……ぼくがいたから、ぼくがあの人達の子供だったから、母さんと父さんの重荷になってたんだって……解ってくるんだ、大人になるほどそれを理解してしまう……!」


 考えたくないのに、と口にしてしゃくりあげる喉が、ひぐ、と音を鳴らす。


「大人になりたくない、考えたくないのに……ッ! ぼくさえいなければあの人達が死ぬことはなかった! そう理解してしまうのに、どうしようもないくらい寂しくて、空しくて、それなのに会いたくて堪らないんだッ……!」


 寂しいなら、今此処にいる自分を頼ってくれたら良いのに。

 彼の哀哭に、女神はやるせなくもそう思う。

 何故自分を捨てた親に固執するのか、自分の方がよっぽどこの子供の為になれるのに、と不服な思いにいつも湛えていた笑みを崩してしまう。

 同時にそれは自らを締め付ける様な、いつも面倒で冷めさせていた無性に腹立たせるかの様な嫌に成る程頭を掻き回す暑苦しい不快な感覚が沸き起こる感覚を覚えた。

 今なら何を口走ってしまってもおかしくないようなその激情を、今此処で解放してしまえばきっと後戻りは出来なくなる──この子供はきっと永遠に自分に心を開かなくなってしまう。

 そう考えると必死にその暑く煮えたぎる“怒り”を堪えて、冷静にならねばと気持ちを切り替えては彼女は息を吐いた。


 我慢は好きじゃない、でもそれ以上に子に嫌われるのはもっと嫌だ。

 愛しい子の為ならば何だってする。

 優しい子供達が何の気兼ねもなく自分母の愛に身を委ねられるように、道理理屈はねじ曲げ、途切れた間は継ぎ接ぎ合わせて、引き起こる“矛盾”なんて気にしなくて済む様に彼女は“万能”の力で辻褄を合わせる。


 いつだってそうしてきた。

 辛い事も、難しい事も、子供達は何も考えなくて良い──大人に成らなくても良い。

 只健やかに、無知で純粋無垢な子供のままで彼等を庇護する為に、母親として在り続けたい彼女女神はいるのだから。


 漸く落ち着いて、それから泣き叫ぶ子供を眺めていてふと、とある“企み”が思い浮かぶ。

 考える時に口元を隠したその掌の下で、思案し組み上げた計画図から導かれるであろうこの“言うことを聞く気がない子供”の行く末を思い浮かべてその口角を吊り上げた。


「じゃあ、貴方も神になると良いわ。そうすれば貴方はご両親に逢える。」


 そんな、彼にとっては魅惑的な甘言にて彼女は唆す。

 泣き腫らして目尻を赤くした彼のぱっちりと開いた眼が、漸く真っ直ぐに此方へと向けられる。

 彼女は酷く穏やかな笑みを張り付けて、優しく囁くように自らの懐の内側へと誘うべく自身の話に耳を傾ける子供へと続けて囁いた。


「…但し、貴方の記憶は消えてしまうけれど。神に成ってしまえば亡くなってしまったご両親を甦らせる事なんて、案外容易いものよ。」

「……本当に?」


 純粋無垢に、すがりたい気持ちがひしひしと伝わってくる子供の様子に、彼女はその子供らしく愛らしい単純さに愛でたくなりつつも胸の内にてほくそ笑みながら「ええ」と頷いた。

 絶望感に力も光もと失っていたその瞳に、希望と期待感に再び光が映るのを見て“ほら、子供なんてこんなに容易く気を引ける”と、その単純故の危うさに親として守らねばと思う心がより強くなっていく。


「どう? 神に成りたいのなら、あたしが協力してあげるわ。」


 そう言って彼女は両腕を広げる。

 同意ならば自分の元へ、そんな意味合いを含められたその女神の我が子からの抱擁を求める動作に、目の前の子供はふらりと足を進めていく。


「──……捕まえた。」


 彼女の腕が届く距離まで近付くと、優しくも強引な彼女の腕により近く引き寄せられて子供の身体はその腕の中に押し込められる。


「大丈夫、安心して。あたしがぜぇんぶ、望みを叶えてあげる──大人にだって成らなくても良いのよ。」


 抱き寄せた小さな身体はこの世界で誰よりも強く、誰にも負けない程に力を付けてきたというのにそんな風格は全く無く、涙と嗚咽に肩を揺らして頼り無さげに震えていた。

 彼女の肩に触れた子供の頬にはとめどなく流れていた涙が軈て枯れていくように濡らした皮膚を干からびさせていくのを“もう不安がらなくても良い”という想いを込めて、ぎゅう、とより力を込めて抱き締めた。


 それでも彼の小さな腕は彼女の抱擁に応えることはなく、最後まで力無く垂れ下がったままだった。











 満点の星海の内、無限に広がる透明な闇の帳。

 強大なブラックホールの如く大きく真っ黒に口開く宇宙の大孔の外で、彼等はそれを見下ろしていた。

 女神から、神聖以外を拒む重圧より身を守る為の加護を受けた子供が、隣で静かにじっと佇んでいるのを見てそんな彼へと彼女は最終確認をとその口を開いた。


「本当に、良いのね? 神として昇華した後は、願いを果たしてしまったらどの様な世界に置いても二度と生を受ける事は叶わなくなる事を、ちゃんと理解する事。そしてそれを確かに、肝に命じておきなさい。」


 彼女の真剣な眼差しとその忠告に、子供はしっかりと頷く。


「大丈夫、解ってる──お願い、女神様。ぼくを何でも出来る“神”にして。」


 決心は既についているらしく、子供は女神へと明確な意思をぶつける。

 その様子に何処かもの寂しさを感じたような気がしたけれどもそれに頷くと、最後に少しだけ、神になった後の事が気になってしまい「万能の力を得たら、どうしたい?」と何と無くに訊ねてみる。


 彼の望みは“両親との再会”だ。

 それに関する記憶が消えてしまうとしたらきっと、殆どの記憶が消えてなくなってしまうことだろう。

 そうなると恐らく今在る彼は二度と会える事はなくなる。

 幾ら同じ“彼”だとしても、それには何故だか“寂しい”という感情が少しだけ湧いたような気がしたのだ。


 すると子供は少しだけ考えるように視線を何もない所へと逸らすと自嘲的な笑みを浮かべつつ、ぽつりぽつりと話してくれた。


「そうだな……無限の時間を過ごせるなら、飽きるまで本が読みたい、かな……嗚呼そうだ、世界を創ったりも出来るんだっけ? 本の中の世界とか、そんな、夢のような世界とか、出来たら良いなぁって……。」

「あら、素敵な世界ね。」

「物語の中みたいに、色んな空想上の生き物がそこでは生きていて……その世界にはハワイのエメラルドビーチやウユニ湖みたいな素敵な景色も沢山在って……、」


 自身の想い描く想像図を呟いていく様は今まで見てきた彼の姿の中で、多少はまだ気落ち気味でも一番生き生きとしており何処か愉しげだ。


「……ああそうだ。ぼくね、勉強が苦手で、いつも皆よりテストの点数が悪くて……それを皆に見られて馬鹿にされて、学校に行くのが嫌になった事があるんだ。」


 まだ小学生へと上がりたての頃の話だ。

 真面目に真剣にやっているつもりでも要領が悪いせいかどうにも上手くいかず、理解出来ない事があって聞こうにも何が解らないのかが解らない。

 人の話を聞こうったって、それを理解しようと耳をすませていても解らない単語が出てしまうとどうしたって気になってしまってそれ以降の話が耳を滑ってしまい、会話の流れも覚えていられず人と会話をするのも一苦労。


「…黒板に書かれた事を写す時も、ぼくは書くのが遅いし覚えてられないから何度も見て、それで時間がかかっちゃう。家で仕事に疲れてる父さんのお手伝いをしたくても、どんなに気を付けても上手く出来なくて、お皿を割っちゃったりして……本当、何をするにも駄目なんだ。役立たずだったんだ。」


 彼の思い出話に、彼女は黙ってそれに耳を傾ける。

 そんなことはない、そう言いたい気持ちは強かったけれども逆に彼をより気を使わせるような、傷付けてしまいそうな気がして口を閉ざしたままに続ける子供を静かに見詰めた。


「……それでね、教室に行くのが……皆に会うのが嫌で、ずっと保健室に居た事があるんだ。そこで……“箱庭”っていう、小さな囲いの中に砂を敷いてミニチュアのオブジェを並べて想い描いた景色を作る……それに夢中になって、学校にいる嫌な時間をいつもやり過ごしていたの。」


 子供は手で囲いを示すようにわっかを作って見せて、何か小さなものを摘まみ上げたフリをしてそのわっかを示した場所へと置く素振りをしてみせた。

 そして顔を上げると、はにかんだにしては何処か痛々しげな笑みを彼女へと向けた。


「先生が“嫌なら逃げて良いよ”って誘ってくれたからずっと居たんだけど、それも結局“いつまでも甘えるな”って追い出されちゃった。」


 そう笑って見せて言って“それでね、”と変わらず話を続ける子供に、思わず作った握り拳に力が入る。


「母さんは病院でずっと眠ってるか、起きてても脱け殻みたいでぼくの事見てくれないし……父さんもお仕事で疲れてて、身体壊すからお酒は止めようって言っても全然聞いてくれないし……昔は本読んでくれたり、一緒にお出かけしたり、一緒にご飯食べたりもしてたのに、最後はそれももう無かったな……。」

「それなら尚更、どうしてそんな親の事に必死になるのよ。どう考えたって、貴方の事を全然見ていない……大切にしていないじゃない……!!」


 堪えきれなくなって思わず怒鳴るように感じたことを口にしてしまう。

 それに泣きそうな顔を見せた子供は、それでも笑みを作って見せた。


「手紙で……愛してるって、言ってくれたから……。」

「……ッそんなの、」

「ぼく、捨てられてなかったんだなぁって……でも、ぼくがお荷物で、邪魔をしていたんだって、気付いちゃって……っ、」


 再びぼろぼろと涙が零れ出して、両腕で何度拭っても決壊して溢れ出すそれは止まらない……それは枯れるまで止まることはなかった。


「ぼくのせいだった……全部ぼくのせいだったんだ……! ぼくが、もう少しちゃんと出来る子だったら、父さんも母さんも助けられたかもしれなかったんだ……独りにならずに済んだかもしれなかったんだ……ッ!」


 繰り返す嗚咽に、零れ落ちる涙に、彼女は駆け寄って今にも崩れ落ちそうなその小さな身体を抱き締める。

 大声で泣き声を上げる子供は何度も「ごめんなさい、出来ない子でごめんなさい……!」と口にするので止めるべくして抱き締める腕をきつくする。


「もう良い、もう良いのよ。そんな辛い想いはもうしなくて……だって貴方はもうそうなる必要はないもの、貴方は幸せになるべきなのよ。」


 この泣き続ける子供の心に届くかどうかはわからない、それでも女神はその子供に言い聞かせる様に言葉にする。


「(あたしが……あたしが守ってあげなくちゃ、これ以上傷付けたくないもの。神に成っても、何があってもあたしがどうにかしてあげる。だから……、)」


 胸の内にて彼女は思う。

 抱き締めた小さな身体の、後頭部を撫でながら耳元ですんすんと漸く落ち着いてきたらしい息遣いが聞こえると彼女は身体を離した。


「……じゃあ、また、あの箱庭で遊びたい。あの箱庭でオブジェを沢山並べたら……そしたら、それでぼくの世界を作るんだ──あの人達が幸せに生きていける場所を。」


 互いの視線が合わさる。

 凍り付いた彼女に、子供は口元にだけ笑みを作って「あの人達を甦らせれるんでしょう…?」と小首を傾げる。

 “私がいる”、そう言いたい気持ちは強くとも確かにそう言ってこの子供を誘い込んだ手前、彼女は無言にて同意を示す。

 それを知ってか知らずか子供は語り続けて、彼女へと明確な拒絶を無意識にも示していく。


「それで、ぼくはそれを見守るだけにしよう。ぼくがいると邪魔になってしまうから、ぼくは要らないから……そうだ。」


 冗談じゃない。

 例え甦らせたとしても逢えないというのに、逢ってしまえば自身が消えてしまうというのに、逢いたくて堪らない相手を“眺めている”だけだなんて、そんな──、


「得たいものの代償は“自分”にしよう。だってもうぼくには“名前”も“存在”も必要ないんだ。だって──、」


 何を言えば、何から言えば良いのか解らず只無力感に首を横に振る。

 酷く穏やかな、全てを諦めてしまった子供は涙が既に止んだ頬を明らめて、乾いた笑みを浮かべてそれを口にするのを、女神は止めることが出来なかった。




「誰とも関わらない方が良い──“自分”なんて、なくなってしまえば良いんだから。」




 ああ、何という事だろうか。

 自分は、いつだって我が子の事を考えているようで、いつだって彼等に“押し付けて”きた。


 自分を受け入れて欲しくて、自分の子にしたくて神の座へと導いた子供は女神の必死な制止を聞き入れる事は無く“自身”をその“大孔”へと棄ててしまった。

 神へと昇華し作り替えられる身体に意識を落とし、軈て全てを忘れて目覚めるであろうその子供を抱きかかえ──られず、触れられなくなった横たわる姿に、自分が犯してしまった罪に、今度は彼女が涙を溢した。


「どうしてっ……どうしてあたしを受け入れてくれないのッ…!? あたしの方がずっと、貴方を大切に出来るのにッ……!! あんな、あんな自分の子供すら守ることも出来ない奴等、いなくなって当然でしょうにッ……!!」


 熱も感触もないその身体にすがる事も出来ずに泣き叫ぶ彼女は、いつもその傲慢な“自惚れ”によって、失敗を重ねてきた。

 自分なら出来る、自分の方が上手くやれる。

 そう、思い込んだままに子供を誘い込んでは思い通りに行かず行き詰まると、出来ると思い込んでいた事を邪魔されたと“思い上がり”故に“憤り”、沸き起こる怒りに身を任せて全てを台無しにさせてきたのだ。


 故に“矛盾”。


 彼女は出来る筈も無い事を出来る様に見せ掛ける為に、歪に継ぎ接ぎ合わせたパッチワークの権能たる“万能”。

 身の程知らずの傲慢さ故に、愚かしくも他者のせいにして“憤怒”する彼女はそのまま自身を変える事がなければきっと、ずっとそのままに子供を誘い、堕落させ、そして憤っては駄目にするのだろう。




 ──今は、まだ。











 そっと、静かになったその部屋を覗き見る。

 いつも通りの時間に就寝に入ったその子供はいつだって規則正しく、無理に頑張り過ぎないからこそ体調を崩した試しがない。

 それでも暇さえあれば勉学に打ち込み、闇雲に見えるようできちんと計画的に物事を進めていく、猪突猛進には程遠いその子供が心配になって忍び足で近付いていく。


 暗かろうと関係無く女神である彼女には解る、顔色は良好、隈もなし、身体の何処にも不具合無し。

 正に、健康体だ。

 食べるものだって気を使っているらしく、親として面目が立たない程にこの子供は“しっかり”していた。


「……寝顔は本当に可愛いのに、口を開いたら憎まれ口ばっか。もう少し可愛げがあっても良いんじゃないかしら?」


 ぽそぽそと小さな独り言を寝入った子供が起きてしまわない声量で呟いて、眠っているのに眉間に寄った皺を突つきながらくすりと笑う。


 先程にその子供から掛けられたブランケットが肩から落ちないように片手で支えていると、首元に下げられていた黒い宝石が付いたペンダントが垂れてしまって、眠る子供の邪魔をしてしまう。

 それに慌てて、眉間に触れてた手を引っ込めペンダントを掴むも子供は少し寝顔をしかめただけで、身動いで反対向きへと寝返りを打つと再び規則正しい小さな寝息が後頭部の向こう側から聞こえ始めた。


 一瞬ヒヤリとしたものの特に何が起きるでない様子に胸を撫で下ろすと、彼女はその掌の上の宝石へと視線を落とす。


「……どうしたものかしらね、これ。」


 先程の、彼女がその子供へと問うた質問に対しての“答え”。

 それを聞いてより尚更、彼女の心は揺れ動き──否、決心が付いた。


 彼女は立ち上がってその子供から少し距離を取ると、目蓋を閉ざして一息吐く。

 すると、身体から細かな光の帯が無数に、ほどけるように現れて包み込んでいき、それが晴れると落ちたブランケットの傍に立っていたのはシンプルに飾り気の無いシャツと八分丈のパンツを身に付けていた素朴な印象だった風貌から、幻想的なアラビア的衣装へと変わり身に纏った姿だった。


 ふんわりと輪郭を柔らかくする膨らみのある瑠璃紺色のパンツは足下は晒しつつも足首を絞って覆って露出は少ないのに、上半身は胸元と腕だけを同じ色の布地にて隠されて肩と腹は晒されている。

 深海色の暗くも青みがかった黒髪に控え目に飾られた細くも艶やかに魅せる銀のバレッタが頭の両端に留められ、そこから流れたチェーンを伝ってより吊るされた顎下を隠す薄地の透けたベールが垂れて下がっていた。

 その布地には至る所に金の装飾が施され、身動ぎする度に連なった細やかな棒状の飾りが揺れてぶつかり合い“しゃりしゃらり”とさざ波のような心地好い音を奏でている。

 羽衣の如く彼女の背後にて弧を描く白藍のベールはまるで三日月の様で、腕に絡めて下方へと延びていったその両端の先は何本にも又別れて靡いており、それは長いというのに地に付くことはなく宙に浮いたままだ。

 その細やかな触手の様に足元で風も無しに頻りに揺らめいている様は、まるで彼女の名前と同じくした海月くらげの様。


 それが彼女の、子を育む事に固執する女神としての姿だ。


 顎下を垂れたベールに被さった黒い宝石のペンダントを手に取った彼女は、そのチェーンをプツンと断ち切ってしまうとそのまま前へと一歩踏み出した。

 するとその裸足が一際辺りを響かす“たんっ”といった乾いた音を合図に周りの風景が弾けるように切り替わり、変哲の無い我が子の自室だったそこから一面の星海に在る不浄の檻──“廃忘孔”の上空にて彼女の身は置かれた。


「何度来ても、嫌な所ね……此処は。」


 ぽつりと呟いて、その手に掴んだ宝石をその孔の上に翳す。

 手離す為に来たというのに、中々その手は開くことは出来なくかった。


 選択を“誤って”駄目にした子供の為に、眠ったまま覚めぬ内にとあの“黒い男”からすげ取ったその宝石は、彼女が“本気で”愛してしまった血も繋がらないけれど我が子同然の子供との繋がりを確かにさせる唯一無二の“枷”。


 それを手離してしまえば、いつかもしまた失敗して幻滅でもされようものならあの子供は彼女の元から離れ、最悪あの“這い寄る混沌”へと成り変わる事にだって有り得る。

 それだけならまだしもあの“黒い男”の様に、戯れに引っ掻き回され狂気の内に弄ばれる事すらなったっておかしくない。


 それでも……それでも、だ。




「あたしは……賭けたい。貴方と真っ直ぐに向き合えるように。“保険”なんて無しにして、本気で貴方の“母親”になりたい。」




 手離しきれなかった手が、その決意表明に呼応するように開かれた掌の先から宝石が墜ちていく。

 これで“黒い男”がかつて知り合ったという“黒色肌の神父”へと助言を貰うべくして辿る為の“導”は、その男も含めて誰からも忘れ去られる事となる──勿論、彼女自身も。


 子供の姿をした神が“自身”を代償に捧げた時は、忘れるその前にと自らの身をその不浄へと堕とした。

 その時は迷いが無かったが故に汚染はされても何とか手早く掴む事が叶ったけれども、一度手離しては戻る事は二度と叶わないそれは本人へと突き返そうにも、反発しあって彼女の“特性”での接合ですら叶わなかった。


 だから、せめて。

 別物に成ってでも、彼の“名と存在”が元の場所へと還れる方法を模索した。


 何も触れられない手は寂しかろう。

 誰とも会えぬまま閉じ籠るは苦しかろう。


 ならばどうか、この賭けがいつか“どちらをも”救いに成れるように、自分は自分の力で、彼等の為に尽くそう。

 矛盾を繋ぎ合わせる万能ではなく、この今まで何も成せなかった手で。


 ──あの子のように“頑張って”、いつかあの子の背中を押せるように。


 その為には料理だって勉強しよう、いつか心から美味しいと言って貰える様に。

 今まで何もしてあげられなかったのだ。

 親として、不甲斐ないのは彼等の両親ばかりでなく自分もだ。


 何かしてあげられる事は無いだろうか、何をどうしてあげればあの子の為になるだろうか。

 そこで何もしてあげられていないと思っていたけれども、唯一彼女が彼へと与えた中で“響いて”くれたものが在ったことを思い出す。




『“自分”を大切にしなさい。』




 自己嫌悪に陥った彼に与えた、計画なんて関係無く本心から出たその言葉。

 それからは確かに彼は自身の身を労る様になった。

 確かに彼の本来の両親を“反面教師”にしている嫌いはあったけれども、彼を叱る時に“自身を守る”事に関してだけは、他なら納得がいかなければ怒り、気に入らなければ癇癪を起こしていたのに、それだけは確かに素直に受け取ってくれている。




 嗚呼、自分の声はちゃんと届いているんだ。




 そう思うと、“忘れた何か”を手離した、唯一と思っていた繋がりを失くした不安感も薄れていった。



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