14.神と凡人との違い。

 無表情に、虚ろだったその人形から苦痛に小さく呻く声が唇の隙間から溢れる。

 周りでは“止めろ”と怒号に叫ぶ声が聞こえるけれども、自分がそれを“欲しい”と思ったのだから知ったこっちゃない。

 横たわったそれの目の前に掌を翳して、まるで固いものを握り潰そうとする動作を進めていけば、顔を引きつらせて呼吸がままならない様な苦悶の表情で目を見開き身体を震わせていた。


「…くっ、うぅ、あぁッ……!」

「大丈夫だよ、きみを死なせはしないさ。ぼくが思うに、これは“名前”自体が不調バグを起こしてるみたいだし、それが消えない限りはずっとこのままだ。だから、それを直すとするのなら──、」


 翳した手の指がじわりじわりと握り締められていく。

 その手が拳へと近付く程に、人形は身体を強ばらせて引きつりしならせては掠れた悲鳴をあげる。


「──その原因本来の名前を失くして仕舞えばいい。」

「…ぁがッ! ああッあああああああッ…!!」


 軈て一際甲高く叫喚すると、完全に握り締められた拳と同時に“パキン”と弾ける音が彼の内側から聞こえた気がした。

 その音と共に大きく痙攣した身体は、途端に力尽きる様にしてくったりと意識を手放した。


「グリモアッ!! 貴様、何てことをッ……!!」


 不安げな顔持ちが並ぶ中で只一つ、その“中身”を視たらしいグランが今にも噛み付きそうな勢いで神様の胸ぐらを掴みかかった。


 ──が、一瞬掴めたそれは途端に手を擦り抜けて、掴みかけた身体に崩れたノイズが映る。


「仕方無いでしょ? これが一番“手っ取り早い”んだから。“中身データ”が壊れたのなら始め・・からやり直せばいいんだ。本体ゲーム機は無事なんだし、名前カセットを変えてしまえば済む話なんだよ。……ふふふ、ほら、きみ達の大事な王様を“助けて”あげたよ。ぼくに干渉“させて”までキミ達の要望に応えたんだ。見返り、楽しみだなぁ。」

「ふざけるなッ! 誰がそんな事をしろと頼ん──、」

「何故キミ達の言うことを一から十まで聞かないといけないの? ぼくは神で、キミ達は万能の力を持っていようと所詮は下々の有象無象に過ぎないよ。神殺しを成して気が大きくなっちゃったのかな?」


 視界に映る神様の身体をノイズが徐々に広がっていき、姿を大きく崩していく。

 殺気こそはないものの、凄まじく身の危険を感じたグランが咄嗟に口から炎を吐き出し、その灼熱の業火は火球となってそれに向かって放たれていく。

 ごうごうと音を立てて迫る業火球に、最早ノイズの塊みたく崩れた姿のそれから“キンッ”と小気味の良い金属が擦れる音が辺りに響いては火球は二つに裂けた。

 それを見や否や、人型だったグランの身体は大きく膨張したかと思えばまさしく“ドラゴン”の如く巨躯へと変貌し、姿を歪にした神様の前に立ちはだかる。

 気付けば周りにいた筈の意識のない人形や他の彼等達の姿はなく、気配が一瞬にして移動するのを感じその先へと視線を移せば、何もなかった場所で突然姿を無くしていた彼等が着地するようにして現れたのを見た。

 彼等の中心には、フード下の暗い影の中で紅い目を爛々と輝きを帯びさせたあのノワールという少年が彼等の背後に身を隠したままに此方を警戒する様に見詰めており、認識した瞬間その視線が交差する。

 あの光を帯びた紅い目にえも言われぬエネルギーの様な何かを感じることから、ノワールが何かしらの力を使ったのだと理解するのに気を取られていた神様の頭上から巨躯の脚が振り落とされた。

 まともに食らった身体は大地へとめり込ませながら抑え付けられると、その脚の向こう、神様を見下ろす長く延びた首の先にある牙を剥き出した口の中にて、周囲から集まりだした光を粒が一つへと収束されていき、最早あの目に劣らない程のエネルギーを孕んだそれが膨大化するのではなく逆に圧縮するようにして収縮していく。

 軈て耳鳴りすら引き起こす高濃度のエネルギー体を一点に収束させた竜は足元のそれ目掛けて光線として放つと、その衝撃波に周りの至るものが吹き飛び大地がひび割れ崩れていった。

 あの離れた場所ではピカトリクスが筆頭に立ち上下前後左右にて幾何学模様の魔法陣を何重にも展開させると、襲い来る衝撃波が周りの大地を割り裂いて崩れていく中で魔法陣が輝くその場所だけは無事にして残り、そんな彼等の事などにグランは気にする様子もなく見向きもしないで砂埃舞う中のそれを睨み付ける。

 荒れた大地に新しく刻まれた、無惨にも大きく崩し抉られたクレーターの中心で舞う砂埃の煙幕の中にゆらりと一つの影が揺らめいた。


「竜殺しは久し振りだなぁ、“勇者”の頃以来だ。」


 ブラウン管に映る砂嵐のような不快なノイズ音と共に、崩れる視界の歪みが砂塵にまで影響を及ぼす。

 声が響いてより暫くして、舞う砂の中の一つの影が何かの仕草をする動作がぼんやりと映りフッとその煙が縦に裂けた瞬間、その先にあったグランの身体は一瞬ぎこちなく身動いだ。


「──は?」


 そんな気の抜けた様な声が竜の口から溢れる。

 大きく見開かれた目の間、竜の身体を綺麗に縦に線を引いたそこからゆっくりと“割れて”二つになったそれは左右へと横倒れていく。

 赤い竜の巨躯が地響きを起こして、地にその身体に負けない程の赤い池を作っていく様を、離れていた彼等は呆然とその光景を目に焼き付ける事となる。


「グラン兄ちゃんッ……!!」

「グラン!!」


 悲鳴のような彼等の、竜の名を叫ぶ声。

 その巨躯へと駆け寄ろうとした彼等だったが、辿り着く前にそれは異変を見せ始めた。

 起き上がるようにして持ち上がったその裂けた二つの巨躯が、溢れ地を濡らした血の洪水が、目の前で“逆再生”するかのように元の形へと戻っていく。

 軈て全てが一つへと戻っていき、見開いた目をぱちくりとさせた竜が息を吹き返すと動揺するようにして身動いだ。


「ぐ、グラン、兄ちゃん……?」


 ノワールの困惑の声が、何が起きたのか解らない彼等と死んだとばかり思っていたグランも含めて言葉を失っていた静寂の中で響いた。


「どういう、ことだ……? 今、確かに、死んで……?」

「良かった……! お兄ちゃん死んでなかった! 今真っ二つになってたんだよ、身体大丈夫!?」


 涙ながらに安堵に声を上げ、ノワールがグランの大きな脚へとしがみついて頬擦る。

 それに「あ、嗚呼、大丈夫だ」と未だに戸惑いを隠せないものの自身を心配して涙を流す弟に安心させるべく声をかけるけれども、視界の端で動いた人影へとすかさず警戒心露に睨み付けた。


「──どうだった? 一度死んだ感想は。」


 かちん、とまたあの小気味の良い金属音が鳴ると共に、少しだけ幼さが減った少年の声が砂塵が晴れたそこから響く。

 そこには先程の幼い子供の姿はなく、少しばかり成長してノワールよりも年下みたく見えていたのが逆に年上に見える程の風貌となった“神様”の姿が在った。

 背丈だけでなくカジュアルなパーカーに短パンとスニーカーといった服装もガラリと変わったそれには、黒のピッチリとした袖無しのインナーに厚手のズボンの下方には重厚なブーツ。

 そんな格好へと変わった彼の革のグローブを身に付けた手が腰に携えた鞘に納められた細身の湾刀らしきものグリップから離れる様がちらりと見えたところからして、先程の一閃がその刃から放たれたのだと気付く。

 幼少の子供から正しく青少年とも言える姿になった神様がにっこりと笑むと、得体の知れないそれに冷や汗を浮かべたグランが牙を向きながらそれに答えた。


「一度死んだ……だと? ならば何故俺様はこうして無事なのだ。痛みだって一瞬過ぎて解らん程に、だ……貴様は一体、何をしたというのだ?」

「言ったでしょ? ぼくは干渉しないって。大体ここはぼくの世界じゃないんだからきみ達を殺せる程の権限は得られないんだ。精々、さっきの名前を壊す程度にしか、ね。でも、死なせは出来なくても殺すことは出来る──」


 そして身構えた神様が腰に携えた刀へと手をかけると、グランが動くよりも先に抜かれた刀先がまたも巨竜の身体を裂いていく。


「がはッ……!?」

「──神に歯向かったんだ。どうせ死ねないんだし、躾でもしてあげよう。きみは何度死んだら心が折れるかな?」




 どしゃり。

 軽くなった身体がもう何度目かに地べたへと横たわれる。

 始めこそ抵抗して来た彼やその他の面々も、もう何度とその身体を引き裂かれて愈々その表情に恐怖と怯えの色を映しては地べたに這いつくばっている。

 彼等としては、グリモアと呼ばれた彼──レメゲトンの本来の元名は彼を最も構成するものであるからこそ残しておきたかった様ではあるが、それが一番のバグ不調の原因だった為に神様が壊してしまったのがよっぽど気に入らなかったらしい。

 そして愚かしくも神様へと歯向かった彼等は、万能とされた彼等を遥かに凌駕する圧倒的なまでのその力を前に為す術なく無惨に打ちのめされてしまった。

 引き釣った顔で、それでもと起き上がっては最早立ち上がれる程の精神力すら削がれてしまった自身の仲間達を背後に隠しては立ち塞がるグランの身体に再び刃を向けようとすると、ふらつきながらも駆け寄ってきたノワールが神様の腰に抱きすがっては泣き喚いた。


「お願いもうやめてぇっ……もう歯向かったりしないから、お兄ちゃんを切らないでぇえ……っ!!」


 そうは言われてもどうしたものかと、味気なさに退屈に感じてきたそれに流石にそろそろ飽きてきた神様が腰にへばりつくそれに視線を落としていると、刀先を向ける前に意識が朦朧としていたグランが崩れ落ち膝を付いた。


「……ありゃ、もう限界? まぁまぁにタフだったけど呆気ないね。……まぁ“主役”に撃破されるくらいの魔王だし、ぼくに勝てないのは当然だよね。あれ“も”元は勇者だったんでしょ?」


 刀を収めながら意識がまだあるのかどうか怪しいグランへと声をかける。

 肩を大きく上下に揺らして片膝付くグランの敵意と僅かな怯えを帯びた目に神様が映っているのを見て、ふ、と笑みを浮かべた少年姿のそれは続けてそれを口にした。


「ぼくは勇者上がりの神なんだ。強かったでしょう? だからきみ達程度では敵う筈がないんだよ。」


 一瞬見開いた目に、悔しげに牙が食い縛られて切れた唇から一筋の血が流れる。

 それ以外に彼の身体は相変わらず傷一つ残ってやしないのに、足に力が入らないのかそれから立ち上がってくることはなかった。

 そんな彼から視線を外し、踵を返してはすがっていたノワールを払い落としては、その姿をノイズが覆って元の幼い子供姿へと戻していく。

 そのまま今も尚意識のない地べたに横たわらされていたレメゲトンへと歩み寄っていくと、眠っていた顔が僅かにしかめられたかと思えば長い睫毛を揺らしながらそれはゆっくりと目覚めた。


「……おはよう、グリモワール・レメゲトン。目覚めの気分はどうかな?」


 そう、優しく呼び掛ければ此方へと意識を向けたそれがぱちくりと瞬きをして不思議そうに見詰め返す。

 そして手を差し出せば少し戸惑っていた様子が見られたが素直に自らの手を出してはその身体を起こす。


「ぐり、もあーる……?」

「グリモワール・レメゲトン。以前と変わらない、“新しい”きみの名前さ。それからぼくは“神様”だ、きみを助けてあげた人物だと思ってくれれば良いよ。」

「私を……助けて……?」


 きょとんとした顔の彼に、神様の後ろで“何処が助けた、だ…!”と声が聞こえたけれども、それは無視して重ねた手を握り締めると見詰めあったその純粋無垢な瞳に微笑みかけて神様は言う。


「以前の人格元名が無くなったから、きみは今生まれたばかりの子供の様に中身が真っ更だ。だから今は何も解らないと思うけれど……大丈夫、ぼくがきみの事を貰ってあげるから何も心配せずに付いてきて。そしてぼくの為にその力を使って欲しい──お願い、出来るよね?」


 そんな神様名付け親の言葉に、彼はふわりと笑むとゆっくりと頷く。

 それを見て満足そうに笑みを返した神様は彼と共に、打ちのめされた有象無象へと視線を向ける。


「折角だし、きみ達の面倒も見てあげよう。そうだな──神殺しをしたのだから、罰を与えてあげる。なぁに、死にたくないのがきみ達の願いなんだろう? だったら適任な仕事があるんだ。条件はあるけれどそれをこなしてくれれば後は好きに生きてくれれば良い。ここの女神と違って束縛は好きじゃないんだ~、ありのままの方が好みでね。」


 良いよね? と小首を傾げる神様に、返答しない彼等の中には敵意を隠さない眼差しもあった。

 従う気の無さそうな彼等に、困ったような顔をした神様はグリモアへと視線を送ると頷いた彼が微笑みを湛えたままにその口を開いた。


「“従いなさい”。」


 その涼やかな声が通ると共に、あれ程反発していた彼等は揃って平伏する。

 地べたに這いつくばり、額を地に付け、涙するものも歯を食い縛るものも寸分違わずに。


「承知、致しました。」


 返された重なる彼等の言葉に、神様は満足そうに頷く。

 手を握った先の彼を見上げれば、何やら周りを興味深そうにキョロキョロと、真新しいものに目を輝かせているような素振りをしているらしい。

 仕方がない、だって記憶も何も“全部”失っているのだから、幼い子供ならば見たことがない景色に心踊るのは当然だろう。


「…ふふ、これからこんな所よりももっと凄いものを見せてあげる。だからこれからはぼくの為に頑張ってね。」


 そう言えばグリモアは、パァ、と期待に満ちるような表情にして明らめてそして大きく頷く。

 そうして彼の手を引いては、その世界から離脱するべく神様再び“本”を現すとパラパラと空白ばかりの本から光が帯び始め、軈て彼等の身体を包み込んでいく。


「まるでネバーランドに子供を招待するピーターパンになった気分だ。物語の一部になったみたいで何だかわくわくしちゃうなぁ。──ね、グリモア?」


 名前を呼べばにこりと笑んで彼も頷く。

 結局壊れた人格を孕んだ元名が無くなった所で、願いを聞き届け叶える為の現名は“お願い”されてしまえばそれを拒否することが出来ないのは変わらないのだ。

 そんな彼は神様の手を握り締めて、後ろに控えた彼を想う彼等の考えなど知りもしないで、無垢に無邪気に神様へと微笑みかけた。




「はい、神様。全ては貴方の御心のままに。」






 *****






「“大精霊”がいない?」


 疑問符の付いた一織の声が猫の言葉を繰り返す。

 大精霊──確か“賢者”のことだったか、先程まで話していた彼等の別称に一瞬戸惑いつつも聞いた話を掘り起こしながら思考を回す。


「なんでまた急に……だってそいつら、核を出たら処分されるって解っているんだろう?」

「それはッ……ええと、色々……あって……!」


 沈黙する神様に代わって一織が問いかければ猫はしどろもどろになりつつも、何やら思い出そうしているのか何なのか頭を抱えた。

 その額には冷や汗をだらだらと垂らし頻りに視線を彼方此方と泳がせていて、その仕草には何処か焦っている様にも思える。


「と、兎に角! 大精霊達は核から逃げ出して地上で好き勝手しているんです! これは立派な契約違反であって、神様ならそれを許さない筈……ですからどうか、神様から彼等に罰をお与えになって頂きたく……!!」


 猫は必死になってまでしてそう叫ぶ。

 そんな猫に思うところはあれど、今まで黙りこくっていたままの神様へ「……だとよ、どうする?」と訊ねれば、暫く間を置いてから長く重い溜め息を溢した神様は漸く口を開いた。


「……そう、やっぱり。長いこと大人しくしてくれていたから、反省してくれているのかと思っていたけれど……悪い子達は悪い子なままか。」


 肩をすくめて溢す神様は、そしてゆっくりと一織と猫のいる場所へと歩み寄っていく。


「そうだね。きみの言う通り、契約違反者には“制裁”を与えないと。神としてのメンツが関わってくるんだ、まだ利用価値があると思いたかったけれどそうは言ってられないよね。」


 床のない空間を一歩、また一歩と進めていく神様の姿がノイズに覆われて、そこから発する不快な電子音の砂嵐が吹く音が鼓膜を響かせてくる。

 歩み進めていく神様の足取りが軈て止まり、彼等の側まで辿り着いた時には彼の姿は背丈が大きく、一織からすれば中学生と高校生の境目くらいの頃の自分を彷彿させる姿をした神様がそこにいた。


「……それが勇者だった頃の姿か?」


 一織が訊ねれば「うん、そう」とにこりと笑んだ神様が返す。


「ぼくが死んだ後に飛ばされた異世界では、望めば望んだものを手に入れることが出来る場所でね。憧れだった勇者になったぼくはそこで“力”を望んで、魔王を簡単に倒せるくらいには強くなったんだ。」


 問えば答えてくれる神様が、今まで嬉々として何でも教えてくれていたのに自分の事となると酷く退屈そうに、余り気が進まない様子で答えてくれた。

 大人になってから死んだ自分と比べて、随分と若い身形である神様に何故どうして子供の内に死んだのか聞いてみたことがある。

 その時には、他の事なら自ら色々と教えてくれるのに「忘れた」「昔の事だから覚えていない」と誤魔化されては自分の事は話したがらない神様に、まぁどうせ自分の事だしと深くは突っ込まないようにしていたのだ。

 それでも自身が経験したことのない、以前に神様が唯一話してくれた彼自身の死んだ後の話に関して改めて訪ねてみる。

 そしてぽつりぽつりと話し始めてくれる神様に一織は静かに耳を傾けた。


「それでも足りなくて、あらゆるものを倒して、より力をつけても、まだまだ全然物足りなくって──敵が居なくなった世界で燻っていたのをそこの女神様に見初められて、それだけじゃ満足出来なかったからその人に“神”の域まで押し上げて貰ったんだ。それが今のぼく。」


 そう言って、ふ、と微笑する彼は何処か自嘲しているかのよう。


「今思うとあの世界は赤子をあやす揺り籠みたいで、生温くて酷く退屈な世界だったなぁ……ぼくの性には合わなかったかも。その代わり、誰よりも強くなれた事には有り難いけどね。……まぁその話は別段どうだって良いんだけどさ。」


 溜め息混じりな神様の言葉を黙って聞いていると、腰に携えた刀へと手を伸ばした神様が無駄話は終わりだと言わんばかりに黒い刀身の刃を引き抜いていく。


「じゃあきみの言う通り、悪い子には罰を与えよう。」


 そう言って神様は、抜いた刀をゆらりと持ち上げて、振り上げたそれ下には猫の恐怖に歪む顔があった。


「っひぃ…!? ま、待ってください! ボクは悪い子じゃありません! 悪いのは大精霊達であって──、」


 まさか自らに刃を向けられると思っていなかった猫が青ざめて必死に神様へと申し立てる。

 しかし目を細め見下ろす神様は静かに、そして冷ややかな声音をその口から発せられた。


「いいや、きみも悪い子だろう? ぼくがきみを知らないとでも思ったのか。ねぇ、“長生きな猫”くん?」


 びくり、身体を大きく震わせた猫は二又の尾を足の間へと滑り込ませ、ピンと立てられていた耳はへちょりと伏せられる。


「ど、どうして……」

「確かきみは“精霊”の中でもずば抜けて長く生きていて、とびきり生き汚く悪戯が好きな子だったね。最近人間達が“魔術”を使うようになったのも、きみの入れ知恵だろう? 楽しかったかい? 人間に“魔術”という便利なものをちらつかせて、どつぼに陥れてから彼等の寿命を貪るのは。」


 側で聞いていた一織が“そんな事していたのかこの猫は”と、引き気味に顔をしかめて猫へと視線を向けると、その震える身体の恐怖に大きく見開かれた金目から大粒の涙が溜め込まれていくのが見えた。

 恐ろしくて堪らないのに視線を逸らすことは許されない彼に、神様は止めと言わんばかりにそれを告げる。


「お友達の鳥さん、大怪我して死んでしまいそうだったけれど何とか生き延びれたみたいだね。良かった良かった……でもあの子もあの子で悪い子だ──二つ揃って、“賢者”を喰らったんだろう? きみ達精霊はぼくに似て“欲しがり”さんだもんね、彼等の力が羨ましくなったのかな? まぁ何にせよ、彼等を取り込んだのならばどちらも処分しないとね。」


 知らないとでも思ったのか、そんな意味合いを含められた神様の言葉が残酷に猫へと突き刺さる。

 一際戦慄いて言葉を失っていた猫は大きく頭を横に振っては叫んだ。


「ま、待ってください!! あの子は悪くない!! ボクが一緒が良いって言ったからあの子もそうしてくれてただけで……悪いのはあいつら大精霊だ! だってあいつらが争うせいであの子が──、」


 堰を切るようにして猫は神様へと捲し立てるが、しかし途中で“しまった”と、口を押さえて青ざめていく。

 それに対して冷ややかな視線を刺す神様は静かにそれを問う。


「……争う? 今この時代の地上で争っている場所はないのに、どうして争っていると?」

「あ、あの……えっと……!!」

「そうだなぁ、きみは“知らない”だろうけど、今この世界は何度も同じ時代を繰り返していてね、今は唯一といって良い程珍しく平和な時代なんだ……きみ達の知らない筈の場所ループでは世界が崩壊する程に“誰か”達が争っていたのは知っているよ。でもね、それは神のぼくだからこそ知っている話であって──何故一介の精霊如きであるお前がそれを知っている?」


 彼等を取り巻く空気がピリつく。

 逃げ腰で後退る猫を追い詰めるように、神様がその距離を詰めていく。


「“誰か”が争うと言えば前回のループかな。あの時のきみ達は竜の炎で焼かれた山にいたね、まともにあれを浴びて死んだかと思っていたのだけれど……あれを凌げると言ったら“ピカトリクス”の防護の結界で自衛したのかな? でも見る限り使いこなせていないようだから、防ぎきれずに大怪我をしたけれども“ラズィエル・ハマラク”の神の座に至る魔術を使って、世界から神域であるこの星海に一時離脱して、何とか崩壊から免れ身を守る事が出来た……とぼくは予想してみたけど、どうかな? 今のループが始まってから既にボロボロだった訳だし、これまでの経歴からしてきみ達にそんな怪我が起こり得る筈はないんだよ。」


 刀先が猫の首へと突き付けられる。

 すっかり腰を抜かしたらしい猫がこてんと降参するようにして腹を見せて震えているのを、情をかけるつもりは更々ない絶対零度の眼差しで見下ろす。


「きみが猫の姿を選んだのも、猫の魂は九つあるからなんだろう? 生き汚いきみにぴったりじゃないか、今のきみの残数はあと幾つなんだろうね……大丈夫だよ、寂しがり屋なきみを一人にはさせないさ。直ぐにきみの大事な子も同じ所へ送ってあげる。──転生させるだけの価値もない、要らないものを棄てる“忘廃孔”にね。」


 神様の声に返す言葉もなくなり観念したらしい猫はぐすっと鼻を鳴らすと、項垂れたままに再び平伏し神様へとそれを懇願した。


「お願いします……あの子だけは見逃して貰えませんか……? 本当に、ボクだけが悪いんです、あの子は付いてきてくれていただけで……。」

「駄目だ。きみのお願い程度じゃ聞く価値はない。」

「……ッあの子は! そこの人間を救って一度命を落としました!」


 猫が涙声に掠れた声で叫ぶ。

 それに目を見開いて驚いた様子の神様が一織へと振り向くと、まさか自分の存在を出されると思いもしなかった一織も動揺の余りに「はぁ!?」と声をあげた。


「……それはどういう事かな?」

「先程までの地上にいた頃の事です……! 気狂いを起こしたあの人を神様が治めそして共に眠りについた間、彼の魂は忘廃孔にまで誘われる様にして離れてしまいました。」


 猫の告げた言葉に、そんな話知らないぞ、と神様へと視線を送る一織に、ごめんぼくも知らなかった! と神様は一織へと申し訳なさそうに舌をちろりと出す。

 それに憤慨し、あのふざけた神様へと怒りをぶつけようとしたけれども猫の話はまだ続くようで一旦それを留めることにする。


「それに気付いたあの子が“ラズィエル・ハマラク”より授かり・・・ました力を使い、彼を“至るべき場所”へと導き彼は自己を見失う事なく御生還なさいました。しかしそれであの子は、元より瀕死だった為に力尽きてしまい……」

「それで、何とか息を吹き返したと?」

「……はい。あの子もまた、彼に“救われた”と申しておりました。」


 平伏したままそれを告げる猫を見下ろして、神様はその話に耳を傾ける。

 話が終わり沈黙が流れるも、軈て困ったような溜め息を吐いた神様は頭を掻くと「わかったよ、きみの話を信じよう」と溢した。


「ぼくが全部を知れるのはこの世界での話だけだ、異空間や外宇宙である忘廃孔の事までは見通せない。表面上ならまだしも、体内みたいなものである地中や核も何となくでしか、ね。きみも嘘を言っている訳でもなさそうだし、お兄ちゃんの反応からしても覚えていないんだろうけど何となく心当たりは有るんでしょう?」


 神様はそう言って一織へと問い掛け振り返ると、険しい顔をした一織が平伏する猫を睨み付ける様にして凝視しては固く口を閉ざしており、自分の言葉に返答のない彼にどうしたのかと「お兄ちゃん?」と声をかけると問い掛けに今気付いたのか「あ? 嗚呼」とそこで漸く返事をした。


「まぁ、な……何となくだけど、覚えちゃいないが夢で誰かに会った気はする。何があったかまではからっきしだけどな。」

「そっか……じゃあその子だけは見逃してあげないとね。だってぼくが手に入れたいものを人知れず助けてくれたんだし。……でも良いの? あんなに生きるのに必死だったきみだと言うのに、その子の命乞いだけで。」


 そんな神様からの問い掛けに、猫は顔を上げぬままに肯定の声をあげる。


「……はい、あの子が無事で居てくれるのなら……折角生き返ってくれたんだ、それを無駄にしたくはありません……!」


 半ば自身を納得させるような、決心する為の声音だった。

 そしてそれに頷いた神様は一度下ろした刀を再び持ち上げ、それを振り下ろそうとした時だった。




「──本当に、それで良いのか?」




 その声に一柱と一匹がそちらへと視線を向けると、今まで口を出さずに静観していた一織が酷く冷めた眼差しで彼等を睨み付けていた。

 唐突に問われて、返答に詰まっているとその静寂に苛立たしげに溜め息を溢した一織は冷ややかなその眼差しに燃えるような怒りを滲ませては再び口を開く。


「もう一度聞く。本当にそれで良いのか?」

「な、なんだよ急に……良いって言ってるじゃないか。」


 ただならぬその雰囲気に、神様相手程ではないが多少怯みつつも猫はそう答える。

 すると盛大な舌打ちをした一織が組んでいた腕を解きずんずんと猫の元へと足を進めていき、その小さな猫の首根っこを掴み自身の眼前へと持ち上げた。


「うわっ!? 何す──、」

「こンのド阿呆がッッ!!!」


 突然至近距離で浴びせられた罵声に、ぴゃっ!? と猫が悲鳴を上げる。

 見れば元々つり目だったその目はより鋭く、普段より気難しそうなのが滲み出るしかめっ面だった顔も怒りによってより険しく、眉間に皺を寄せては一織は猫を鬼のような形相で睨み付けていたのだ。

 耳をつんざく罵声に持ち上げられた身体を縮こめるも、猫は神ではないその相手にぱっちりと開かれていた猫目な金色の目をキッと鋭くしては威嚇音と共に一織へと牙を向いた。


「いきなりなんなんだよお前は!! 今ボクは神様と話してるんだぞ、部外者は黙ってろよ!!」


 フシャーッ! と毛を逆立たせて猫は敵意を剥き出す。

 しかしそれに負けない、鬼の形相をした一織が「知るかッンな事!!」と吐き捨てた。


「テメェよくも無事に生き返った奴を放っぽってンな事抜かせたな……“あの子が無事で居てくれるのなら”? 一度でも取り残された事があるテメェならその意味を解っている筈だろうが。もう一度自分の頭でよぉく考えてみろや、なァオイ、本当にそれで良いのか? ああ!?」


 元よりそこまで口調が良い訳でもない彼がより口汚く、さながらチンピラのように口悪く捲し立てる一織に猫はまた耳を下げては段々と顔をひきつらせていく。

 その目にはじわりと涙が浮かんで、今にも溢れ落ちそうな水膜を湛えて横に首を振った。


「でも……でも、そうでもしないと、あの子が……!」

「ンな事ァ知ったこっちゃねぇな! 大体な、どっちかだけをって考える事自体愚策だっつってんだ。“どっちかだけ”じゃなくて、“どちらも”を考えろ。自己犠牲なんざ愚の骨頂だ、それで大事な奴が救われると思ったら大間違いだからなッ!!」


 一息でそれを言い放ち、怒りによる興奮の余りに肩を上下させて呼吸をする一織。

 呆然として彼を見詰める猫から視線を外すと一織はくるりと振り返り、それをぽかんと見詰めて呆けていた神様へと向き直した。


「……なぁ、神様よ。」


 あれ程怒りに強面の顔を更に恐ろしくしていた一織がスンと落ち着いた表情にして声を掛けてきた事に、神様が少し身体を強張らせるも「な、なぁに? お兄ちゃん」と引きつった笑みを返す。


「さっきの詫びの話だけどよ。それ、今使って良いか?」

「詫び? ……ああ! お兄ちゃんを気狂いさせてしまったお詫びの事だね!」


 一織からの問いに神様の頭の中で一瞬疑問符が浮かぶも、直ぐにそれに思い至ると掌をぽんと叩いて頷いた。


「良いよ! でも何を願うの? その子を見逃せっていうなら見逃しても良いけど……他の賢者は処分するから、この世界にこれ以上先は続かなくなくなるから救ったところで無駄だよ。その子達に賢者の代わりを任せるには荷が重いだろうし、そもそもボクはもうこの世界に興味がないんだし……。」


 そう言って伺うようにして一織へちらりと視線を送ると、ゆっくりと頷いた一織が顔を上げると共に不敵な笑みを浮かべては神様へと掌を差し出して、あろうことか“それ”を言い放った。




「“興味がない”? じゃあ都合が良い。要らないのなら俺にくれよ──お前が見捨てたその“世界箱庭”をよ。」




 予想だにしなかった答えに言葉を失う者がいれば、片や驚愕の余りに「はあ!?」と叫ぶ者もいた。

 そんな彼等の様子に勝ち誇った顔の一織は続ける。


「どうせこの世界を放棄してしまうんなら、賢者を処分する前も後も一緒だろう? だったらそれ処遇も含めて俺に寄越してくれりゃ良い。そしたらお前は嫌いな無駄な労力を使わずに済むし、俺はコイツらを生かすか殺すかを好きに出来る。……お前は俺なんだろう? じゃあ解ってくれる筈だ。俺も大概に欲張り・・・だからな。」


 目を見開いて“信じられない”とばかりに顔を引き釣らせた彼等を見て、フフン、と目を細め口角を吊り上げた一織に「…正気?」と額に汗を浮かべた神様が問う。


「確かに捨てた後の事は誰にどう好きにされようと知ったことではないから構わないっちゃ構わないんだけど……きみ、解ってる? この世界は何度も崩壊を繰り返していて、正直“見るに堪えない”有り様なんだよ? まだ神に成った訳でもない。例えあの世界からぼくと同一視されているとしても実際は只の人間に過ぎないきみが、壊れかけの世界そんなものを抱えてどうしようって言うの。」


 まさかそのまま利用し続けるだなんて言わないよね? そんな意味合いを含めた彼の言葉に「そんな訳ないだろ」と一織は一笑に伏すようにしてそれを流す。

 当然彼だって只ひたすらに胸糞の悪い結末バッドエンドばかり繰り広げられるのを見せ付けられるのはごめんだと思う。

 しかしそれと同じくらいに、目の前で“納得出来ない”事が進められていこうとするのだって、無性に見ていられなくなってしまうのだ。


 だから、“仕方がない”のだと彼は思う。


「こちとら知らぬ間に助けられていたんだ。逆にそいつを俺が救ったと言われてもそんな事全然覚えちゃいねぇしよ……自分としては“何も返せていない”様にしか思えないんだ。ならばその“責任”を取らにゃ割に合わんし、何より俺の気が済まん。だからこそ部外者だからっつってこのまま黙って見過ごす訳にはいかねぇんだよ。それに──、」


 そう言って一織は猫を掴んでいた手を離す。

 猫だというのに受け身もまともに取れず「ぶへっ」と情けない声をあげて地面へと落ちた猫を鼻で笑いつつ、文句ありげに見上げる猫から視線を外し、自身より小さな相手に対して腕を組んでは仁王立ち傲岸不遜の如く神様を見下ろした。


「お前の要らんモノをこの俺が“貰ってやる”って言ってるんだ。不要品処理を肩代わりしてやるんだから、序でに運用方法を教えろ。お前が面倒臭がってやらなかった事だ、お前が俺なら代わりに俺がやったって同じだろう? 生憎、俺は凡人だが他人に出来ることなら大概出来るんでな。」


 神様を見下した態度の彼が恐れ知らずにもそう言い放つ。


「ふ……不敬!! いくら同じ自分だからって、相手が何なのか解ってる!? 神様だよ!? 命知らずにも程があるでしょ!!」


 足元から猫が耳を下げて声をあげる。

 神様と一織の顔を交互に見ては焦り怯えた様子でそう叫ぶ猫に「うるせぇな、ンな事どうだっていいんだよ」と一蹴して吐き捨てる。

 

「大体な、そもそも俺は神っつーのが嫌いなんだよ。自分勝手だし理不尽だし、自分本位で周りの事を見境なしかつ無遠慮なのが“神”なんだろ? 願いっつっても叶える気もねぇ癖して万能ぶって……その癖甘い餌吊り下げては他人を弄ぶような輩、物語の中の話だとしても気に入らねぇってのに実際に会ってみても“そう”だしよ。ンなもん敬いたくねェし、誘われたって成りたくねェに決まってるだろうが。」


 そうこき下ろして、ハッ、と鼻を鳴らす。

 向かいで俯いたまま沈黙する神様など気にもしないで足元で此方を見上げてビクビクと震える猫に「お前だってそう思わないか?」と聞いてみれば顔を真っ青にした猫がぶんぶんと頭を横に振る。


「……なんだお前、こんな理不尽な奴敬いたいと思うのかよ。滅茶苦茶な理由で自分が殺されそうになったってのに、変な奴だな。」

「そういうこと言ってる場合……!? ね、ねぇ! 今ならまだ許して貰えるかもしれないよ? 神様に謝った方が良いって……!!」

「あ? 何でだよ、俺は事実を言ったまでだ。何で俺が謝らにゃならんのだ。寧ろ俺の方が謝られるべきだろうがよ、こちとらコイツのせいで酷い目に遭ってるんだぞ?」

「良いから!! 早く!! 謝れってば!!! ……ひいっ!?」


 訳の解らない理由で神様に謝罪をしろと訴えていた猫が、ゆっくりと顔を上げたニコニコとした神様を見て一際情けない声を上げて震え上がる。

 そんな様子に頭の中に疑問符を浮かべては気味が悪い程に張り付けた様な笑みを湛える神様を見ては一織は首を傾げた。


「……何気持ち悪ィ顔してんだ?」

「んー? ちょっとね、色々考えてて。どうしたものかなーって。」

「考えてて? 何をだよ。」


 意味が解らん、と返せば笑みを絶やさない神様が「んふふふふ」とさながら機嫌が良さそうに笑い声を溢し、その割りにはそうでもなさそうな雰囲気を醸し出しながら一織へと詰め寄った。


「ねぇ、お兄ちゃん。ぼく本当はこんなことしたくないんだけどさ、少し位は反省した方が良いんじゃないかな?」

「反省? 俺の何処が悪いってんだ。反省するべき箇所なんて無いぞ。」

「うーん、そうだな。その上から目線な所とか、目上の者に対しての態度とか? きみは自分の事を凡人と言ったけど、ぼくは神なんだよ。凡人と神の違いくらい解るよね?」


 神様の言葉をバッサリと切り捨てる一織に、困ったようなフリをする彼が再び質問を重ねる。

 そんな神様の問いにじっと見下ろしていた一織は、フ、と鼻を鳴らした。


「違い? そんなものはねェよ、只存在が違うだけの凡人も神も同じもんだ。俺が敬おうと思えるものはそんな形式だけの上の奴等なんかじゃない。俺が出来ない事をやってのける様な“凄いと思える”奴だけだ。……お前みたいな、出来ることもやらねェで捨てちまうような“怠け者”は尊敬に値しないんだよ。」


 張り付けた笑みに冷ややかな視線を射す。

 その言葉を境に沈黙が彼等二人の間に流れるも、軈て再び俯いていくと同時に長く重たい溜め息を神様が溢す。


「嗚呼、そう。そういう事を言っちゃうんだ、お兄ちゃんは。」


 呆れたような、諦めるような声でぶつぶつと呟く神様。

 そんな彼を無表情に見下ろす中で、足元では今にも泣き出しそうな猫がこの世の終わりだと言わんばかりの表情で頭を押さえて縮こまっている。


「──うん、うん。そうだね。そうしよう。……よし、決めた。」


 独り言を続けていた神様はそういうと顔を上げては一人納得するように頷く。

 その顔にはもうあの張り付けた笑みはなく、さっぱりとした憂いも迷いもない普段の顔だった。


「何を決めたって?」


 一織が訊ねる。

 やはり彼の質問には答えてくれる神様は何でもないような普通の笑みを浮かべると嫌な顔一つせずに返答する。


「うん? それはね──お兄ちゃんに“反省”させようかなってコトだよ。」


 その言葉を脳で理解するよりも先に、すぱんっと小気味の良い音が体内に響いたと同時に一瞬“撫でられた”箇所にて痛みと熱を感じた。


「ぐっ…、なん…!?」


 何が起きたのか解らず、痛みがある場所を見てみればそこには──脇腹から反対の肩にかけて一筋の肉が割けた自身の身体が視界に映った。

 背中で皮一枚残して真っ二つ目前とでも言うような致命的な傷に、込み上げた体内の血が口から溢れだしては「ごぷっ」と吐き出してしまう。


「大丈夫だよ、死なせはしないから。ちょーっと痛い思いをして貰う事になるけど、ぼくが欲しいと思うお兄ちゃんだもの。中身だけ壊してから新しい中身を入れてあげる。神にはさせてあげられなくなるけど、しょうがないよね!」

「ふざ、け……」


 認識した途端走り出す気が遠くなりそうな程の激痛に、大怪我をこさえたよろける身体が徐々に元へと戻っていく。

 しかしそれに再び振り抜かれた刃が一閃しては新たな激痛と身体が切り離される感覚に襲われる。


「がはっ…!!」

「ああダメだよ、抵抗は許してあげない。反抗もダメ。そんな余裕なんて無くなるくらいに……あの“賢者”達と同じように、逆らう気持ちが無くなる程に腑抜けにしてあげる。」


 そして傷が元通りになる度に何度と刀に切り抜かれ、再生と破壊を繰り返される。

 傍で只々呆然と立ち尽くす猫へと血渋きが掛かる程に辺りは赤に染まり、それが元通っては再び血潮が降る光景が続く中で、苦痛に上がる悲鳴が辺りに響きそれが無性に無情にも鼓膜に焼き付いてしまう。


「ぃぎッ!? あガッ!! ぐッううッ、やめ、ぐああッ!!!」

「んっふふふふ! ほらほら、いつまでも正気を保ってるといつまでも痛いのが続くよ? 死の終わりが無いっていうのは無限を意味するんだ、永遠に苦痛が続くのは嫌でしょう? ほぅら、壊れちゃえーっ!」


 テニスラケットを振るような、そんな軽い動作で肉を裂いては笑みを浮かべた頬に赤が散る。

 腹に、首に、縦に、横に、手に足にと、何度切り離しても忽ちに戻り延々と続く中で、苦悶に歪んだ顔にて口がきつく閉ざされる。

 すぱんっと肩を切り離せば呻き声が食い縛られた唇から溢れて、同時に噛み切られた唇の傷から血が滴り落ちていく。

 それもやはり戻ってしまう中で、もう随分と横たわったままに裂かれ続けていたその身体の中心部に刃を一突きすると、戻ろうとする裂けた肉が刃に阻まれ直る事が叶わずに鈍く重く長く続く激痛が残り、一織は身体を捩りながらも痛みを耐えるべく唇を食い縛った。


「ぐッうう、う゛う゛ううッ」

「わぁお、凄いねお兄ちゃん。ここまで耐えられるの、只の人間にしては立派なものだよ。あのグランにも負けず劣らずなんじゃない?」

「ッうぐ、ぎ、ぅるッせェ、な……ッ!! 人、を、玩具にしやが、って……あ゛ア゛ア゛ッッ!!?」


 尚も続く反抗心に、少しだけ苛立ちを感じた神様が刺したままの刀をゆっくりと断つように肉を切りながら引き抜いていく。

 その凄まじいばかりの激痛に吐いた言葉が途中で切られたままに大きく開かれた口から絶叫が上がる。


「しつこいな。さっさと音を上げればいいものを、なんでそんなに我慢しちゃうんだか。良い加減にしないと、直るのも待たないで自分の“形”が解らなくなる程に細かく刻んでも良いんだよ? まあそんな事したら元に戻せなくなった時が大変なんだけどさ……ああでも、どうせ元通りになるからそこは大丈夫か。」


 そして、話している合間に元通りになっていく身体にぜぇはぁと肩を上下しつつ浅い呼吸を繰り返すその口から吐いた血反吐が消えていく中で、今も頑なにその目から確固たる意志が消えそうにない眼差しと視線を交わす。


「まだ反省……してないよね。……あーあ、何か面倒臭くなって来ちゃった。もう手加減するの止めて良いよねぇ?」

「……ッハ、やっぱり何処までも怠け者だな、お前は……そんなんじゃ、俺がお前に送るのは敬意じゃなくて、軽蔑だけだな。」


 言葉を吐き終えると共にスパッと横殴りの一閃が走り、首と身体が切り離されたそれが宙を舞いぼとりと鈍い音を立てて墜ちる。

 やはりそれも瞬く間に一つに戻っていくが、その最中に至る所に刃を通して小さく細かく刻んでいく。

 遂に無表情に、無言に刃を振るう神様が軈てその手を止めて、見上げる程だったあの背の高い身体だった残骸を見下ろしていると、戻っていく最中にぎとりと視線が合った裸の眼球に、えも言われぬ悪寒が背筋を走り思わず息を呑む。


「……おかしい、おかしいよ。だってきみは只の人間だろ? こんなになってまで、どうしてそんなに正気でいられるの…?」


 あんなに余裕に満ち溢れていた笑みを湛えていた神様が、ひきつった顔をして戻っていく肉片の集合体を凝視する。

 正しく人の形へと戻るそれが顔を上げて視線を送るその目にはやはり敵意と軽蔑が込められており、初めて込み上げてくる不安みたいに居心地の悪い感覚を覚えるとまたもやその刃を振り下ろしてはなりふり構わず切り裂いていく。

 軈て只の肉片よりも細かくミンチみたくなったそれを見下ろし、久しぶりに思える程暫くなることがなかった肩を上下させるような息切れに俯いていた顔を上げると、やはり元に戻ろうと動き出す肉片達に異変が起きる。


 最早ドロリとした肉片が血に濡れてか黒く色づき、凝縮していく最中で形成していくそれが人の形というには程遠い、蠢く“何か”へと変貌していく。

 ゆっくりと、そして確かに形作られていくそれは腕というには長く無数に伸び、胴と言うには細く多く枝分かれ、無数の触手の集合体とも言えるその姿は見上げる程に大きく成っていき、開かれた“二つ”の赤い目が神様を見下ろした。


「……どうした? “直った”ぞ。俺の心を折るまで続けるんだろう?」


 確かに“一織”である声がそこから響いてくる。

 大きく見開かれた目はそこから逸らす事も出来ないで、強張った身体で何とか絞り出した声が神様の口から弱々しく呟かれた。


「お、おにい、ちゃん……? そ、その、格好……何……?」

「格好? 何って……ああ?」


 蠢く身体が身を捩り屈んでいたらしいそれを持ち上げる。


「何? 何って……別に何も変わっちゃあいないぜ。……ええと、そうだな、確か俺には手と足がある。」


 何の不思議はないとでも言うような口調でそれはそういうと、途端にその蠢く身体は異変を始めた。

 無数の触手が身を寄せるようにして重な合わさり、黒く伸びていたそれらは明るく色づいてはその先端が細かく五等分に枝分かれしていく。


「それから顔には目と鼻と口があって──、」


 残っていた触手も纏まっていき胴となり、枝分かれした四つ又の触手も人のものである手足へと変わっては胴の上に残っていたそれらは丸く形作るとそこに見覚えのある顔を形成していく。

 現れた目蓋がゆっくりと開かれるとあの蠢く黒い何かに在った赤い目が神様を捉えると、先程のあの姿を思い起こしては恐ろしいまでの恐怖感に「ひっ」と小さな悲鳴が神様の口から溢れた。

 それに怪訝な顔をした“一織っぽい何か”は首を傾げたけれども直ぐに興味を無くしては言葉を続ける。


「──そして、俺の名前は“神村一織”だ。何処にでもいる只の普通の人間で、努力することしか取り柄の無い凡人……それが俺だ。」


 そう言って瞬いた彼の目からは“赤色”は無くなり何の変哲もない、他人を無性に遠ざけてしまうような人相を悪くする鋭い目には焦げ茶色な瞳に戻っていた。

 怪我の無い健康的な人間の身体へと戻った彼はスタスタと神様へと近付いていくと、一瞬怯んで後退った神様の腕を掴んではそのこめかみに青筋を立て、口元は笑みを作っていると言うのに目が笑っていない一織が神様へと顔を近付けた。




「漸く手を止めたな? 神様よ糞餓鬼が。散々人をこけにして遊んでたんだ。見た目が子供だからって容赦はしねェからな? 覚悟しとけよ、大人を舐めたらどうなるか……この俺が教えてやろうじゃねェか。」



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