13.賢者達の罪と罰。

 早く大人にならなくちゃいけない理由があった。

 子供のままではいけないと焦る想いがあった。


 理想に捕らわれたままでは物事を正しく現実を捉える事は出来ない。

 現実から逃避して目を背けていたら見えているものですら気付くことが出来なくなる。

 手に取った器の底に穴が在ったとして、無知無邪気ならば大事なものを取り零してしまったとして気付けない。


 それでは駄目なんだ、大人にならなくちゃいけない。


 視野を広げなくては──困った人を放っておけない父が誰にも頼らず一人で苦しむ事はなく、人の良い彼を慕う、助けてくれたかもしれない人達に気付けた筈。

 知見を広げなくては──母の病が治せる時代が直ぐ側まで来ている事を知っていたら、それを伝える事が出来ていたら、彼女は生きる事に希望を持てた筈。

 自己犠牲の代償の大きさを正しく理解していなければ、どんなに大切に思っていたとしても、それが無駄な行いだったことを知る事は出来ない──例えば、自殺は保険金が発生しない、とか。


 知らなかった、では済まないんだ。

 それすら解らなくなる程正気じゃなかった、でも許されないんだ。


 しっかりと前を見据えて、今目に映る世界現実を正しく捉えて、何を成すべきなのかを良く考えないと。

 進まなくては、取り返しが付かなくなる前に。




 だからこそ、夢見る子供ではいられない。

 





 *****






「お兄ちゃん、お話書くのが好きなんでしょ? じゃあぼくの“お誘い”受けてよ。ぼくらが協力すればお互い退屈しない、素敵な新しい世界が作れると思うんだ!」


 一織へ屈託の無い笑顔を向けて神様はそう言う。


「とは言ってもなぁ……。」


 対して複雑そうな顔持ちの一織は言葉を濁して後頭部を掻く。


「この世界は見捨てるって事なんだろ、良いのか? 長いこと見守ってきたんだろ、未練とかないのか?」

「うーん、無いね! だって只の卓上のオブジェ達だし、愛着はあっても今はもう見る影もないし。」


 そう言う神様の元へと歩み進めるとぎゅうっと抱き付いてきた小さな身体からの些細な衝撃に少しだけよろけてしまう。

 見下ろせば嬉しげな顔で自分を見上げる顔と目が合い、つい照れ臭くてそっぽを向いてしまうも頬擦りする頭にぽんと手を乗せた。


「んふふー! お兄ちゃん、さては子供好きかな?」

「否、そうでもねぇよ、喧しいのは嫌いだ。……まぁ、図書館で絵本の読み聞かせをするバイトは悪い気はしなかったが。」

「素直じゃないねぇ! うーん、それを聞くとやっぱりキミが欲しくて仕方がないなぁ! ねぇねぇ、ぼくの誘い受けてよ、一緒に“神”になって世界を作って遊ぼうよう!」

「だから俺は神にはなりたかねぇっつってんの! 何でそんな面倒臭いものにならなきゃならんのだ!」


 しがみつく子供を今度は引き剥がそうと肩を押すもその小さな身体の何処にそんな力があるのか、子供な神様の身体は一向に離れる気配はなく何事もないかのように一織の腰で頬擦りをしている。


「大丈夫だって! ちょーっと“願い”を捧げて、得たいものの代わりに代償を選んで捨てて、“願い”の忘却が済んだらあっという間に神の座に至れるよ! そしたら“心臓”が壊されない限り無限に好きに遊んで暮らせる!」


 そしてぱっと見上げた、キラキラとした無垢な眼差しを向けられる。


「本当は“神”に気に入られて推薦して貰わないとその域にまで達せられないけど、お兄ちゃんにはぼくがいるからそこはもう達成してるから平気だよ! 神になったら色んな事が出来るし好きなことだけして、やりたくないことはしなくて良いんだ。自由でとても楽しいよ!」

「だから成らないっつの! 大体なんだ、願いを捧げて忘れるって、何でも出来るのに忘れたら意味ねぇだろ!」


 漸く身体を引き剥がす事が出来、離れた瞬間支えがなくなった身体が向かった方向へとふらりとよろける。

 急に離れられた事からして彼が解放する気になったからだろうと言うのは理解出来るが、あんなに必死こいて逃れようともがいたのにびくともしないあの子供の細腕に、何と無くに負けたような気がして例え神相手だとしても子供の成りの相手に敵わないのが何だか僅かに悔しく感じてしまう。

 言おうか言おまいか悩んでいるのか、思案顔をしていた神様は暫くして頷くと再び口を開いた。


「神はね、“心臓”を壊される他に消滅する方法があってね。それが“願いを叶えること”なんだ。」


 神様はそれを言うと空いた距離を詰めては一織の服の裾を掴むとにこりと笑んだ。


「だから、消えたくないなら“願いを叶えて”はいけない。ぼくもまだ満足していないから消えたくないし、だからまだ叶える気はない。でもねーやっぱり誰かと一緒にはいたいんだよね、一人でずっと本を読むのは飽きちゃった。他の神は連れないし、万が一害されるのも嫌だから気心知れる、同じ自分であるお兄ちゃんが良い。」


 こてん、と頭が傾いて子供な神様は見た目に違わない様に“おねだり”をする。


「ね、お願い。ぼくの為に神になって?」


 沈黙が流れる。

 暫く見詰め合って、軈て重く長い溜め息が静寂を破る。


「あのなぁ……何度も言うが俺は神にはなりたくない。大体、捧げる程の願いも持ち合わせていないし、大概の事は自分でどうにか出来る。そもそも俺は死んだ身なんだ。別段何か必死こいて生き抜かないとならん理由もないし……これ以上何を望んで生きろってんだ。」

「だからこそぼくをきみが生き続ける“理由”にして欲しいんだよ! ぼくは欲しいと思ったら手に入れられるまで絶対逃さないんだから、キミが頷いて神になってくれるまで、解放なんてしないからね!」

「否、質が悪過ぎるだろ! 絶対ならねーからな!!」


 そんな会話をしながら二人はぎゃあぎゃあと騒いでは、神様の気の向くままに先へと足を進めていった。

 暫く歩き回った後存分に紹介をし回り、見るもの全てが真新しく好奇心を煽られる光景を何度と見せられた。

 もうすぐ捨て去られるとは聞いたが、この素晴らしく胸が踊る光景を生み出す世界が無くなる事に、まだ僅かな時間しか過ごせていないが名残惜しく感じつつもそれらを見詰める。

 しかしそれも、聞けば“賢者”がいる限りはこの世界は生き長られるという。

 唯一無二の読者である神様が“物語”読まなくなって久しく、読む者がいなくては存在証明が叶わず消えてしまうというこの世界は今も尚生きている。

 それは“物語”を綴る筆者である“賢者”がいるからだ。

 彼等との“契約”を契る際に彼等の願いを叶える約束をした神様は“世界に直接干渉しない”事を条件に“物語を綴り続ける”事で無限の生命を与えたのだという。

 だからこそ、綴る者で在るがもう一つの読み手でも在る“賢者”達がいる限り、この世界はずっと生き続けられるし、その分“賢者”達も生き続ける。

 欠伸混じりにそう説明をしてくれる神様の傍らで、一織は額に宝石をくっ付けた兎を見付けると、良い歳をした大人である体裁も忘れ発見したそれを指しながら神様へと呼び掛ける。


「なぁ、あれって“カーバンクル”だろ? あんなのもいるんだ、な……って…………神様?」


 いつの間にか腕にくっついていた神様の姿はなく、来た道を振り返れば地べたに横たわって“くぅくぅ、すやすや”と眠っていた彼の姿があった。

 柄にもなくはしゃぎ過ぎたかと罰が悪そうにそれに歩み寄ると、柔らかな布団でもない固くざらざらとした土まみれの地べたで身体を丸め眠っているそれの身体を揺らしては再び呼び掛ける。


「神様、そんな所で寝ているなよ。眠いのならもう帰るか?」

「むにゃ…………うぅん、そうだなぁ……きみといると、なんだかどうにも眠たくなっちゃって…………うん、帰ろうか。」


 寝惚け眼を擦りながら偉く眠たげな神様は、そう言って宙に掌を向けると何もなかったその上に分厚い本が姿を現した。

 開かれたままのそれは白紙の上に休みなく黒い文字を浮き立たせながら全て埋まれば風も関係無しにペラリペラリと次の白紙へと続いていく様は何度見ても幻想的だ。

 中身に見向きもしない神様は欠伸混じりにそれへ手を翳せば本から光が漏れだし、輝き始めた本の光は徐々に徐々に大きくなっていくとそれは自分と神様の身体をも包んでいく。


「“我が魂なりし此の世の理の書よ”、

 “我が在るべき虚、天上へと送り給へ”。」


 神様の言葉を境目に、目の前が眩む程の目映い光が辺りを包み込むと緑豊かだった景色はあっという真っ白に塗り潰されていく。




 ──ガサッ




 一瞬、背後で物音がした時には振り返る事は叶わず、身体が宙に浮かぶみたいにふわりと持ち上げられてしまい、意識はそこで途切れてしまった。






 *****






 再び目を開けると、そこは訪れるのが二度目となる真っ白な空間だった。


 落ちることはないのに床はなく、天上も見当たらないまま空も見えない頭上。

 左右前後何処へ向かった所で果てのない空間に、無い床を踏み締めていると中心にぽつんと置かれたアンティークな椅子に腰掛けようとよじ登る、神様の姿が視界に入った。


「……ふぅ、疲れた。あの世界の“最期”に付き合ってくれてありがとうね、お兄ちゃん。」


 姿勢を正すと膝の上に先程の本を閉ざしてその上に肘をついては両手で頬を支えにこりと微笑む神様。


「時間を浪費してしまったことには仕方がないけど、まあどうせ“もうすぐ”終わる世界だ。無駄にした所で何も変わらないでしょ。」

「そうは言ってもなぁ……あれで本当に崩壊寸前の世界なのか? どう見ても全然平和そのものって感じだったが。」

「パッと見はねー。中身はぐちゃぐちゃだよ、あちらこちらで綻びが出始めてる。結構気に入ってた世界だったからぼくも始めは何とかしようか迷ったけど、干渉するよりは“やり直し”た方が早い気がしてね。神っていうのは総じて努力と無駄な労力を嫌うものなんだよ。だって面倒臭いし、何より万能なんだからそもそもする必要性がないんだ。」


 そう言って神様は何処か嫌そうな顔持ちで本を開くと、ペラペラと頁を捲る。

 そして顎に触れて思案する素振りを見せると、何やら首を傾げては小さく唸った。


「どうにも……意図的に抜け落ちてる“部分”があるんだよな、そのせいで原因が解らない。多分だけどそれのせいで世界の機能が上手く行ってないのに……やっぱ干渉出来ないようにしたのが間違いだったかなー? 失敗例あの女神を参考にした仕組みにしたから、結構上手く行くと思ったのになー。」


 ぶつぶつと呟いては腕を伸ばすストレッチに励む神様。

 “あの女神”という単語に疑問を感じつつも、それは何の話だったかと困った顔をした一織が質問するべく手をあげる。


「……スマン、そりゃどういう話だ? もう聞いた話だったっけか。」

「んー? ああ、あの世界で起きた事象を物語として書き起こす役割を与えた“賢者”達の事だよ。何か“隠し事”してるみたいだけど、それを解らなくさせられてるから手を出そうにも出せなくて。」

「あーそういう。そんな話もあったな……確かそれで世界を見捨てる事にしたんだっけか。直接聞きに行く事は出来ないのか?」

「えー……面倒臭い。出来なくはないけど、この世界を続行させるのなら尚更行きたくないなあ。」


 長く眠っていた……というか、意識が混濁していたらしい一織は先程聞いた事も含め、以前神様より聞いた話を思い返しながら解らない事を示すと神様は嫌な顔一つせず説明をしてくれる。

 それを聞いて漸く話の合点がついた一織の言葉に、今度は嫌そうに顔をしかめると足を揺らしながら神様言った。


「ネタバレは嫌なんだよ。“魂の再興キャスティング”が見えないようにこっちからは“深い”所は見えないようにしてたから、ぼくでは確認出来ない……というかしたくないんだ。」


 そして一織を指差した神様がにまりと笑んだ。


「だから、捨てることにした。だって胸糞悪い“終幕バッドエンド”ばっかりなんだもん~ぼくもう見るのやだよう! きみだってどうせもう死んだ身なんだし、ぼくが拾ったんだから利用くらいさせてよ!」

「断る! 絶対に、嫌だ! 俺は長生きを望んでる訳でも無し、話も書かん。大体神になるったって俺に何のメリットもねぇ事だし、断る以外俺に選択肢はないんだよ。」


 腕を組んだ彼は堂々と一喝する。

 利用される事を好かないのもあるが、それ以上に納得がいかない事が幾つもあった。


「大体な、嫌な話ばかりで嫌気が差すんならそれをクレームする言うべきだろ。なんだよネタバレが嫌だって! それくらい我慢するか……そうだな、俺がその“賢者”達の所へ行って伝えるとか、他に幾らでも手段はあるだろ。」

「えーっ! やだよそんなの、お兄ちゃんはぼくの傍に置いておきたいのに……うー、でもそうだな。確かにそっちのが楽かもしれない……?」


 一織の提案に悩ましげに呻く神様。

 だろ? としてやったり顔を浮かべる一織だったが、ふとそこで別の疑問が浮かぶ。


「因みに、何でそんな物語ばかり書くようになったんだ? それにループもしていて、何回も崩壊と再生を繰り返しているんだろ。もしかしたら“賢者”達に何か遭ったとか、出れない奴等なりのアンタに対する連絡メッセージなんじゃないのか?」


 すると神様は手に持っていた本を放り投げる。

 それは落ちるよりも先に光となり霧散し、見向きもしない神様は「よいしょ」と椅子から降りては一織の元へと歩み寄っていく。


「まぁ、あんなに“生きたがって”いた奴等がこんな死に急ぐ様な愚行をするとは思えないし、恐らく何か遭ったんだろうね? 理由はどうあれ、“契約”違反していたら運営停止、最悪の場合ぼく自ら出て問答無用で処分するけど。」

「……さっきから聞いていて、なんでそいつら賢者達にはそんな厳しいんだ? 何かあったんならせめて事情くらい聞いてやるくらい、別に良いんじゃないのか?」


 処分だの運営停止だのと、何やら雲行き怪しい解答に顔をしかめた一織に、神様は甘いと言わんばかりに人差し指を揺らして数度舌打った。

 そして一織の目の前に立った神様はにっこりと無邪気な笑みを浮かべるとその口を開いた。




「当然の事なんだ。だってその役目は、“与えられた筋書きシナリオに反発した挙げ句全てを台無しにした”悪い子達に、ぼくが与えた贖罪の為の“罰”だからね。……彼等はね、自らの世界を自分の都合で潰した上に親である“神”を殺した大罪人なんだよ。」




 “納得出来ないのなら、納得出来るように自分でやってみせろ”、そんな意味を含めた罰なんだ──神様はそう言った。






 *****






 少しだけ、昔話をしよう。

 これは自分の視点しかない話だから何処まで“本当真実”なのかは解らない。

 只、それでも唯一解ることは、


 ──彼等がとても愚かで、罪深い者達だということ。






 *****






 荒廃した世界がそこに在った。

 かつてそこには何万何億の人々がいて、幸せに暮らしていたと聞く。

 しかしそれも今では過去の話で、見る影もないその世界には人っ子一人もいやしなかった。


 理由は簡単、“彼等”が全てを駄目にしたからだ。




『お願いします、お願いしますッ…! もう一度、私に機会をお恵み下さい! このまま何も成せず、生き長らえたくはないのですッ……!』




 白い装束の耳の長い男が、その世界に訪れた少年神様に泣きすがる。

 彼の後ろでは五つの人の貌をした翼を持つ異形達が、そんな彼を見るに堪えなさそうに視線を逸らしながら、その内一つの小さな者が意識がないらしい人間じみた黒い男を抱えて泣いていた。


『私がッ……私が悪かったのですッ……! どうか、どうか“贖罪”の機会を…私に出来る事ならば何でも致しますッ、お願いします……お願いしますッ……!!』


 惨めったらしく手を組み地にひれ伏した男は喚く。

 耳をつんざく彼の言葉に、笑顔を浮かべつつも嫌そうに眉間に皺を寄せた神様はすがりつこうとする手から逃れるように後ずさった。

 自身の新世界創造の為の“素材”集めに遠方まで足を運んだ神様は、自分オリジナルの世界を形作るのに“魔法”の概念が欲しくてそれに長けた存在を手に入れる為に、この神が“不在”とする辺鄙な崩壊仕掛けの異世界へと訪れたのだ。

 それには確かに魔法に長けた彼等は適任で、自ら協力してくれるって言うのなら別段悪くない話だった。

 でも──、


『きみ、“壊れ”てるでしょ。きみ達の事は確かに欲しいけど、かといって不良品は要らないかなぁ。』


 そう言うと大きく見開かれた極彩色の目が絶望の色に染まって大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちる。

 自分の目からは見える、彼の“ぐちゃぐちゃな中身”に浮かべていた笑みを不快感から少しだけ歪め、そんな彼を避けるように通りすがって他の者達へと話し掛けた。


『どう? どうせこのままこの朽ちる世界と消えるより、ぼくと一緒に新しい世界を作ってみない?』


 すると顔を見合わせた彼等の内、まるでリザードマンのような竜人とも言えそうな男が真っ先に前へと出て特異な瞳孔を鋭くして神様を見下ろした。


『生憎だが、我等はこの糧のない世界で王に捧げる生き餌の役目が在る故、此の朽ちかけた世界と共に果てる所存でな。部外者である貴様に貸す余力は持ち得ぬ。故に、早々に立ち去ると良い。』


 確固たる意思を含めた言葉だった。

 彼等の種族は人の感情や想いを糧に生きると聞く。

 人類の絶えた世界では確かに彼等の生きる術は無いに等しく、例え彼等同士で食い繋いだ所でいずれは自滅するのが目に見えている。

 それでもと死を覚悟しているらしい彼等に“勿体無いなぁ”と思いつつも、それに神様が返すよりも先に背後でうちひしがれていた男が“嫌だ”と叫んだ。


『死なせたくない、失いたくないッ……私は御前達に申し訳無い事をしたんだ…これ以上傷付けたくない、こんな形で終わらせたくはないのだよ……だからッ……!』

『良い加減にしろッ! 此れは自身ではどうしようもない御前の為に、我等で決めた事だ。最早自分の意思ですら動くこともままならん御前が、この先やり直した所で何が変わる!?』


 竜人に怒鳴られて男が両手で顔を覆い泣き喚く。

 何の茶番を見せられているんだろう?

 そんな事を思いつつも、神様は取り込み中となった彼等に取り敢えず口を閉ざすと退屈そうにそれを眺める事にした。


『私はッ…私はッ……、……間違、って……?』

『御前は女神母上に利用されていただけなのだ。御前がそうなってしまった事も、あんな結末になった事も、全てはあれの思うがままだった……御前は玩具にされていた事を早く自覚しろ。“名を呼べぬ”王よ。』


 彼等の話に何と無く耳を傾けて、はて? と疑問が浮かぶ。

 事前に聞いていた話では、彼等は確か“名付け”で存在を確立させていた筈、それが“名を呼べない”?

 冷ややかに、そして憐れみが込められた竜人の言葉に、俯いてぼんやりと虚を見詰めていた男が顔を歪めて口角を吊り上げる。

 止めどなく涙は流れているのに、ちぐはぐな笑みを湛えたそれは小さく笑いを溢し始めたかと思えば天を仰いで両手を伸ばした。


『は、はは、ははは……いいや、私は、私は正しく在れた……だって、女神様が仰って下さったんです、私は、私が皆を“救わねば”……私はそれを成せる力が在るから……女神様が、御与えになって、下さったから……!!』


 そうしてうわ言を一人延々と溢し始めたそれに、つい笑顔を湛え続けることも出来ずに、うげ、とより顔をしかめてしまう。

 ぐちゃぐちゃな中身は自己を混ぜ潰されたそれで、竜人の発言からも察すると多分あれは女神の“言いなり”にされるべく壊されたのだろう。

 神の視点から見てもこの世界は“あれ”を中心主人公として回されていた形跡は見えるが、何をどうしたら自身の世界の神にああされてしまうのか、自分には到底理解が出来ない。

 ……まぁ、風の噂で聞いていた話では、この世界の女神は偉く性格が悪いと耳にしていたけれど。


 そんな事を考えていると、横倒れていた男を抱えるフードを被った少年らしき“羽持ち”が「ねぇ!」とこちらも涙を流しながら声をあげる。


『ぼくは…ぼくは、まだ生き延びれる可能性があるのなら試したいよ、兄ちゃん。もしやり直せるのならやり直したい。だってクロはまだ死んでないもん、まだ生きてる、眠ってるだけなんだから…いつかは目を覚ましてくれるでしょう? それまでは消えたくないよ……!』


 静かに眠ったままの男をひしっと抱き締めて少年は言う。

 その抱えられた男は確かに生きてこそいれど、先程と違ってこちらは“中身”がない。

 それじゃあ確かに目を覚ます事は当分ないだろう、そう思いつつ眺めていると「ノワール…」と竜人の男が彼の名前らしきものを呟いた。

 そしてフードに隠された顔が神様の方へと向けられた。


『ねぇ見知らぬ余所の神様! お願い、ぼくらに新しい名前を頂戴! あなたの頼みを引き受けるから、別物になっても良いから……ここを離れるには“名付け親”の女神様母様から解放されなきゃダメなんだ。だから、お願い!』


 そんな少年の必死な声に困ってしまい神様は困ったように唸る。

 まさかそんな縛りがあったとは、初めて聞かされた手に入れるに必要な条件に、最早面倒に感じ始めた神様は頭を掻くと溜め息を溢して首を横に振った。


『それは残念だけど、ぼくには出来ないんだよなぁ。』

『どうして!? だってあなた神様なんでしょう? それくらい出来て──、』

『ぼくは“干渉しない”がルールの神なんだ。神なりの防衛手段でね、まだ信用に値しない…それだけの労力を介するだけの価値も見合わないキミ達を相手にそこまでする義理もない。だから新しく“与える”事が出来ないんだ、悪く思わないでね?』


 そういって掌を合わせて“てへっ”と舌を出した。

 それを聞いてフードの下から僅かに見える彼の表情が悲しみに引き吊っていく。

 軈て堰を切った様にして「うわあああんっ」と声を上げて泣き出してしまっては腕の中の眠る男に抱きすがった。

 周りの他の男達も皆暗い表情を浮かべ佇むばかりで、少年の頭を哀れみに撫でる者もいたとして慰めの言葉はなかった。

 そうして神様は、適任かと思った彼等が思っていた以上に酷く事故物件らしいことに、手間が多すぎるのもあって彼等が手に入れる事は難しいと判断しては仕方無くも別を当たろうかと、踵を返し掛けた時だった。


『……もし、宜しければ、我等の名前だけでも知って頂く事は可能でしょうか?』


 声の方を向けば、まるで天使みたいな純白の鳥の羽根を携えた人型が神様を見詰めていた。


『知るだけならね、それ以上は何も出来ないよ?』


 知ったところで何になるのか、そんな蔑みにも似た疑問を抱えつつ答える。

 すると天使は穏やかな微笑みを湛えて、髪の毛の代わりに羽毛が靡く頭を揺らしては頷いた。


『ええ、構いません。だって私達は与えられた名の“意味”を知らないのだから、消える前にせめて遺したいと私は思ったのです。』

『ふーん? 良く解らないけど……じゃあ消え失せる者への、せめてもの慈悲だ。聞かせてよ、きみ達の名前。』


 訝しむような竜人の視線が天使に向けられる中、その彼は胸に手を当てて頭を下げると微笑みを湛えて名を現した。


『私はエノク。予言の力を女神様より承った“先を見通す者”たる御使いの一つです。』


 それに倣ってか今まで黙っていた二つが前に出てくる。

 その片方、緑の光沢を感じられる黒褐色な鳥の翼を携えた、まるで漁師のような風貌の男が先に嘴を開く。


『ラズィエル・ハマラクと申します。私の御使いとしての御役目は“神の座へ導く者”。』


 続き、もう一つの弓を背負った蝙蝠のような羽根を生やした蛇の男も長く細い二又に割けた舌をちらつかせながら応える。


『ピカトリクスだ。役目は“星詠み指し示す者”である。』


 そしてすんすんと泣く少年を横目に見て、溜め息を吐いては自分の前へと改めて立つ竜人の男が牙をちらつかせる。


『魔王グラン、今は竜騎士グランと名乗っている。名の通り役目は魔王であり“乗り越える者”だ。……乗り越えるのは俺様ではなく“彼奴”が、だがな。』


 彼はそういうと虚空に向かって独り呟いている白い男をちらりと視線を送り、顎でくいっと指し示した。


『魔王なのに、騎士?』

『撃破されたが口説かれたのでくだった。何か文句が在るなら聞くが?』


 素早く質問の返答を返されて、ぎとりとした視線が刺す。

 聞くとは言うが何か言おうものなら面倒な気配を感じ取り、取り敢えずそこは黙ることにする。

 そんな会話をしていると今まで泣いていた少年が涙を脱ぐって自分を見上げた。


『……ぼくはラプル・ノワール。役目は“願いを叶える者”で、母様……ううん、女神の心臓弱点だった“籠の中の鳥”。……それから、』


 彼はそして腕の中で眠る男を見下ろした。

 異形の彼等の中で唯一“人”に近しい何か、“人間擬き”みたいな黒い男を自分に見えるようにするとラプル・ノワールと名乗った鳥の少年は再び口を開いた。


『このヒトはネクロノミコン・グリモワール。もう一つ名前は在るけど、今はクロって呼んでるよ。役目は元々“無かった”けれど……無い代わりに、ぼくらには出来ない“役名付け”をしてくれてたの。』


 そう言うと大事そうに抱えたそれに頬を寄せて、また一筋の涙を溢した。


『ぼくと同じ“色”の名前の、一番最初の大切なトモダチなんだ……。』


 ぐすん、と鼻を啜らせて呟く彼に、神様は「ふーん…」と興味無さげに流す。

 そんな彼を歩み寄ったグランと名乗った男がぽんとフードの上から撫でて、疲れた顔をしては白い男を視線で示しては彼が応える。


『彼処にいるのが我等の王であり、この世界の主軸たる女神に選ばれし“主”だ。……名は……ううむ、些か言うに悩ましいが、恐らく此方・・なら問題ないだろうか…?』


 途中から歯切れ悪くなると憂わしげに眉間を摘まんでグランは唸る。

 先程名を“呼べない”と言ったくらいだし、口にすると何かあるのだろうか?

 そう考えては、何か決心したらしいグランが賭けに出るかの様な、腹をくくった様子を見せてはそれを口にする。


『グリモワール・レメゲトン。それが奴の、今の名だ。』


 するとピタリと止んだあの煩わしい聞くに堪えない独り言が、虚に向かって微笑みを浮かべていた顔が途端に“無”となり、それはまるで人形のように身動き一つ取らなくなった。

 グランが“やはりか”と痛そうに頭を抱え、神様とグランの横を通りすがりゆったりと彼の元へと歩み寄って行っていたエノクがそれに触れれば完全に力が抜けきっているらしいそれはパタリと横倒れた。


『(わぁお、見事なまでにお人形さんだ! ここの女神は余程“お人形遊び”が好きだったらしいな。)』


 その光景に思わず口を押さえ胸の内でそう思うと、グランから射殺す様な刺す視線が送られる。

 それを素知らぬ顔でかわして知らんぷりしていると、その間にエノクがその人形の如くくったりとした身体を抱えて此方へと運んできた。


 それはまさに精巧な人形の如く、それ以外に言い表す言葉はなかった。

 開いているのに何も映していない硝子玉の様な極彩色の瞳は光の反射でキラキラと、陶器のように白い肌は柔らかく見目美しくしているが何処か作り物じみている。

 偉く長く伸ばされた薄桃混じりの金色の髪はシルクのように滑らかに繊細に、そして丁寧に誰かから整えられていたのだろう。

 男にも女にも取れそうな、若々しく中性的かつ端整な顔付きをより映えさせるように結わい飾り立てられているのだから。

 そんな髪から付き出した、他の者達にはないエルフを連想させる長く伸びた耳は、より良く音を拾わせる様な……沢山の声が聴こえるようにと、そんな意味合いが含められていそうな風貌だ。

 まぁその意味合いも聞こえこそ良いけれども、性格の悪い女神が形付けたのならばそれもきっと質の悪い意味が含まれているのだろう──だって、そのせいでこれは壊れているのだから。


 それを抱えてきたエノクはノワールに並んで屈みそれを腕の中で横たわらせると、その二つを揃って見た時に全く違う風貌だというのに何処か似たようなそれらはになっているような気がした。


 金色が縁取った白い布地を纏うような、古代ギリシアを彷彿させる踝丈のキトンにローブのような袖口の広い腕を覆い隠す袖のついた衣裳を纏うレメゲトンに対して、ネクロノミコンは申し訳程度に銀色が縁取られただけの膝丈上のキトンに素肌を隠すようにして装飾が殆どない黒一色の長袖と長ズボンを纏っている。

 レメゲトン程ではないが長く伸ばされた黒髪は後ろで低い位置にて纏められ、閉ざされた目元の上を横切りに流し耳にかけられた前髪の下の素肌も黒人という程でもないが色黒く、他に目立ったものはなくただひたすらに全身真っ黒であることしか特徴がなく感じた。

 きらびやかかつ真っ白なレメゲトンと比べると、舞台上にてスポットライトを浴びる主役者スターと、舞台裏で主役達を引き立てるべく裏方に徹するものである“名を出さない者黒衣”を彷彿させる風貌なのも相まって、彼等七つある中で唯一の“役無し”には何処か“仲間外れ”にされている様な気もした。

 扱いからしても、恐らく女神から一番・・に毛嫌われていたのはネクロノミコンの方なのだろう、ならば対象的なレメゲトンの方は──、


『……彼、もしかしてここの女神様の“お気に入り”だったのかな?』


 ふと湧いた疑問を口にする。

 頷きかけたグランは少し思案すると横に振ると溜め息混じりに答えた。


『正確には“だった”だな……用意されたシナリオを上手くりすぎたのだ。出来が良過ぎるが為に飽いられ、捨てる序でにスクラップされた。あの女に見初められた事自体、奴の最大の不運だったのだ……憐れでならんよ。』

『へー、そうなんだ。まぁどうでも良いけど。』


 彼の話に軽くそう返せば今にも殺しに掛かりそうな殺気が向けられる。

 それにも気にも掛けないでスタスタと歩き、結局得られるものは此処にはなく遠方まできて徒労に終わる事を残念に思いながら神様はぽつりとそれを口にした。


『意味を知らないって言うけどさ、総じて皆“魔導書”の名前じゃん。名を表すとは言っても生物に対して付ける名前じゃないでしょそれー。ここの女神とは気が合わなそうだから、まぁ、消えてよかったんじゃない? ぼく的にはどーでもいいけどさー。』


 そして姿を現させた本を手に取るとぱらりと捲ってその世界からの脱出を始めようとする。

 彼等は動けないらしいのだから、どうしたって連れていく事は出来ないのだろう。

 “魔導書”の名を持つ彼等が名前の通りの力を持ち、生物を“召喚”出来るのなら“ルール”を破って多少力を貸してやらなくもないが……そう思った時だった。


『魔導、書……?』


 戸惑う様な声に、何の気なしに振り返ると各々がきょとんとした様子で固まっていた。

 珍妙な沈黙が流れて、一体どうしたのかと小首を傾げた神様は何と無くにそれを応える。


『……そ、魔導書。ぼくの生まれ育った世界で、キミ達と同じ……というよりは近しい名前の魔術や占星術、神を呼ぶ方法や悪魔や天使を召喚する術を記された異端の書グリモワールって呼ばれる本があったんだ。……ま! その世界では魔術や魔法は御伽噺でしかなかったけどね!』


 顔を見合わせた彼等にあっけらかんと神様は応える。


『最期に名前の意味を知れて良かったね! んじゃ、ばいば──、』

『待って下さい! その話、もう少し詳しく教えて頂けませんか…!?』


 天使みたいなエノクが声をあげる。

 面倒臭そうな気配に愈々嫌そうに顔をしかめてしまう神様だったが、彼を引き留める説得の内に“上手くいけば神様に協力出来るかもしれない”と聞いてしまってからは、脱出するのを手を止めて意気揚々と彼等に改め向き合った。


 聞けば、彼等は意味の知らない名前を女神から授けられ、万能に近しい力を駆使しあらゆる困難を乗り越えて来たが、女神亡き今、正しく意味を知る者が居ない為に力は使えなくなり、せめてもの最後の足掻きに変えられない名前に上書きを可能とする“役名付け”を唯一可能とするネクロノミコンと呼ばれる、今は眠り続けるだけの男の要望に応え彼のたった一つの“願い”を叶えさせてその世界に幕を降ろしたのだという。


『ははぁ~……神殺しの上に、世界まで自ら壊しちゃったんだね、キミ達は……でも壊れきってしまってる割に、まだ崩壊が始まらないんだね?』

『ぼくが母様を喰べたから、世界にとってはまだ女神が存在している判定に成ってるんだと思う。でもぼくは神の半身で在って成り損ないに過ぎないから、これ以上発展はしないかな。』


 神様の一人言みたいな質問にラプル・ノワールが眠るネクロノミコンをひしりと抱き締め抱えたまま応える。

 するとグランがノワールの傍へ腰掛けると、彼の肩を抱いて寄せてはその頭を撫でた。

 先程の会話からして、彼等二つだけが女神を“母”と呼んだ。

 見た目は全くと言って良い程に全然似てこそいないけれども、恐らく兄弟か何かなのだろう……と、彼等を眺めて神様はそう感じた。


『ぼくは女神としての力を内包した“炉心”でね、それを使って代償を受け取ってから対象者の願いを叶える“願望器”の役割を任されてたんだ。それで、母様が居なくなっても変わらなかった世界で、あんなに頑張ってたクロがあんまりにも報われなくて、それで、ぼくは──、』


 言葉の途中からまた、すんすんと鼻を鳴らして啜り泣き始めてしまうノワール。

 お通夜みたいなムードに何だか今すぐ帰りたくなる気持ちにはなるが、そこは堪えて話を変えるつもりでずっと思っていたそれを問うことにした。


『ところで、その“願い”ってなんだったの? こんな荒廃した世界になるんだ、よっぽど酷い願いだったのかな?』

『違うもん! クロは悪くない!! 悪いのは母様と、ああなったアイツだ!』


 泣いていたノワールが叫び、エノクの腕の中で横たわる人形を睨み付ける。

 それにはグランが軽く小突いて嗜めるが、納得いかない様に呻いては押し黙ったノワールに代わって、グランが口を開いた。


『全てにおいて悪いのは女神だけだ。あれはそうなるべくされたのだから。……ネクロノミコンが願ったのは、今は繋がりを絶ってしまった“片割れ”を想ったが故の……余りにも不幸でしかない結末よ。』


 そして眠るネクロノミコンと、横たわり静かなレメゲトンの双方をゆっくりと見遣った彼は神様へと真っ直ぐに視線を合わせると、その問いに答えてくれた。




『“片割れが笑って暮らせる安全な世界”……その答えが、この世界の有り様だ。』






 *****






「……人類は絶え、それ以上の発展の見込みもない。そんな世界でしか“安全に暮らせない”……嫌な話だよねぇ。そんなヤバい事故物件、正直見捨てようかと思っちゃった。」


 アンティークな椅子の上を横向きに腰掛けて、肘置きから付き出した足をぶらつかせて神様がそうぼやく。


「人々から願われればそれを叶え、只ひたすらに要望に応え続けた結果只の人類が手にするには有り余るもので溢れ、それを巡ってより多くを得ようと奪い合うようにして戦争は絶えず、歯向かうものならば完膚なきまで叩き伏せて従わせて……挙げ句の果てに女神様の無理難題による全世界の天下統一を本当に果たしちゃったけれど、お人形さんは全ての人類をたった独りで抱えてしまったが為に流石にキャパオーバーで自我崩壊……ってね。」


 馬鹿みたいな話だよねー!

 そう言って神様は込み上げる愉快さに肩を揺らして笑うと、暫くして笑い疲れたのか一息吐いた。


「たった一人って……周りの奴等はどうしてたんだ?」

「あの世界は“名付け親”の権限が強くて親である女神に逆らえないのもあったけど、彼の声は“身分が下である相手ならばどんな命令でも従わせる”っていう女神からの権能があったから尚更周りは止められなかったんだってさ。唯一“血の繋がり”がある弟だけは効かなかったらしいけど、その弟の事は認識出来ないようにされてたっていうくらいだし……まぁ、意図的にではあるけど、支配者であるが故に孤立させられてたって感じかなぁ。」

「どんだけ性格悪いんだよ、その女神っつーの……。」


 引き気味に返せば「解るぅ~性格合わなそ~」と椅子上の身体を垂れさせた神様の気の抜けた声をあげる。

 そして身体を起こして改めて座り直すと肘置きから頬杖を付き足を組み合わせた。


「でも彼の“名”による力はとても魅力的だった。ぼくが欲しかった人材こそ、彼自身だったんだよね。」


 ふふん、と鼻歌混じりに神様は言う。

 それを聞いて、昔に少しばかり聞き齧ったその“魔導書”の知識を掘り起こしてみる。


 エノク──それは恐らく【エノク書】と呼ばれる予言の書だ。

 聖書でもあるそれは未来に起きる出来事を記されており天使や悪魔、堕天使の名を多く連ねる偽典ともされた黙示の魔導書。


 ラズィエル・ハマラク──日本語に訳せば【ラジエルの書】というそれは数秘術と治癒の御守りを書く方法を記された天使ラジエルがアダムに開示したとされる神智学の色が濃いカバラ的魔導書。


 【ピカトリクス】──魔術や占星術を総説したそれは自然魔術の典拠のひとつであり、護符魔術の手引き書とも言われていた。

 一時にはラジエルの書と共に“最もいまわしき黒魔術の作”と称されたという、別称“賢者の極み”とも題された魔導書。


 グラン──その名前で魔導書に繋がるものと言えば【大奥義書】と呼ばれる大いなる教書。

 黒魔術や召喚出来る悪魔の情報が書き記され、それを用いれば悪魔との取引を可能とする真の赤き竜グラン・グリモワールとも称された“最も奇想天外”とされる魔導書。


 ラプル・ノワール──それは最も有名なものの一つである【黒い雌鶏】という魔導書でもあり、それに記された“儀式”の事を示す。

 大奥義書の異本“赤竜”に加えられた悪魔の召喚儀式でもあるそれは、知る人ぞ知る“エロイムエッサイム”という呪文に、“この世に隠された宝を見付ける”事が出来るという特異体の雌鶏を作る方法が書かれている。

 他にも五大元素の霊を呼び出す、透明になる方法、安全に何処にでもいけるという、様々な効果を得られる魔術的護符や指輪をもそれには記されているという。


 【レメゲトン】──黒い雌鶏と並び最も有名な一つでもあるそれの別名は“ソロモンの鍵”。

 “大いなる鍵”とも“小さな鍵”とも呼ばれる複数に書き記された古代イスラエルの王の名を刻まれたその魔導書達には、五部編成の悪魔や精霊を使役する為の情報や魔術、降神術、召喚魔術、占星術、魔法具の生成方法等と様々な魔術を書き記されているとされる、中世末のヨーロッパにて最も広く出回ったという異端の書グリモワール


 それから【ネクロノミコン】──彼等の中で唯一毛色の違う“創作”上での魔導書。

 とある作家を筆頭に様々な人々が連ねた物語群にて、只の神と呼ぶには名状しがたい神々“邪神”に関わる、邪神や怪物を召喚する際に使う狂気の沙汰とも言える内容が書き記された忌まわしき書物。


 実際に見た事こそ無いものの、聞き覚えのあるそれに培った知識から思い起こしていると、その以前の出来事を思い出しながらなのか上機嫌らしい神様は物思いに耽る一織に言葉を投げ掛けた。


「“召喚魔術”! 良いよねぇ、何が出るんだろうってワクワクしちゃう! ぼくは生物を生み出すだけの機能がないから、あの頃はずーっと“適任者”を探してたんだよねぇ。いやあ見付かって本当によかった!」

「新世界を作れるだけの力があるのにか?」

「うん、逆にそれだけしか出来なかったんだ! ぶっちゃけ他の世界から移すって方法は在ったんだけど、生まれの世界で命を落として、あの時のお兄ちゃんみたく行き場のない魂になって、異世界間の境目で漂っている所を取り込まないと受け入れられないんだ。簡単そうに見えて手間が多すぎて大変なの。」


 そう言っては「そうしないと所有権限を得られないんだよね~」と溢す神様。


「ふーん……じゃああの時俺が居た場所ってのは此処とは違って、さながら落とし物エリア、みたいなものなのか?」

「そ! “忘失海域シー:ロストエンファウンド”とも言ってね、自らの世界において居場所が失くなった爪弾き者が彼処に集まるんだ。例えばそうだな……神に見捨てられたものや、自身の世界に生まれ変わる先がないもの、終わった世界の余りもの……とか? まぁ簡単言うと要らないもの余ったものを棄てる為の、神専用のゴミ箱かなー。ぼくは掘り出し物置き場みたく思ってるけど、流石に他の神で同じことしてる奴は見たことないや!」


 自身の唇に人差し指を当てながら神様が思い起こす様に応え最後ににぱっと笑うと、対して一織は疲れた顔をしては渇いた笑いを溢した。


「じゃあ俺は要らないから棄てられた訳だ、自分の世界から。」

「かもしれないねぇ~。でも奥まで呑み込まれる前に見付けれて良かったよ、“廃忘孔”にまで落ちちゃったら回収は先ず難しいからねぇ。」

「廃忘孔……というと、話の流れからしてごみ収集所みたいな?」

「うん。誰からも必要とされないモノが集まった、神が一番“不快/不要”とする場所。在ったものは基本的に消す事は出来ないからね、神ならば近寄りたくもない、その穴に棄てて忘れることで“無かった”事にするんだ。」


 そう言うと神様は投げ捨てる動作をして見せてははにかむと「神に成る為の代償を棄てる場所でもあるよ」と続けた。

 そしてまたあの、“神に成ろう!”という鬱陶しい勧誘が再び開始され、成って、成らない、の攻防を繰り広げていると、微かな物音が聞こえた気がして、しがみついた神様を押さえてそのままにふと周りを見渡してみる。

 すると、真っ白な空間の中で、自分と神様と神様が座っていた椅子の他に一つだけ、黒い塊が離れた場所に落ちていた。


「……なんだ、あれ?」


 気になって、そちらへと向かおうと足を進めるとあれ程びくともしなかった神様は簡単に解放してくれて、無言の神様に見詰められる中一織はその黒い塊へと歩みを進めていく。

 近付く程に明確になっていくそれは、ふわふわとした毛並みを持った小さな生き物らしく、小刻みに震えながら身体を丸めて小さく呻いていた。

 それの傍まで行き着くと見覚えのあるその正体に、一織は思わず目を見開いた。

 

「猫……? お前、まさかさっきの…!」


 その声に反応してかピクリと動いたかと思えばヨロヨロと重たそうに頭を持ち上げて、酷く敵意を感じる眼差しを向けたそれは、苦しげにもを食い縛っていた口を開いては一織にも理解出来る人の言葉を発した。


「神様……矮小たる我が身を偉大なる御身の御前に参る事を、どうか御許し願います……!」


 恭しく並び立てられた言葉を連ねて、猫は震える身体で臥せっては頭を下げる。

 一体何事なのか、自分ではなく神様に向けて猫が言った言葉に一織は驚きの感情と共に神様へと視線を移すと無言、無表情に、何を考えているのか解らない表情の神様は離れた所から静かに見遣っている。


「御報告、を……ッ!」


 平伏していた身体を起こし、重たそうに頭を上げたそれは目にいっぱいに涙を溜め込んでいた猫は決死の表情でそれを言い放ったのだ。




「“大精霊”達は契約を反しました……“核”には何一つとして、残っておりません!」



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