11.交わる三叉路。

「カムラ……イオ?」

「そ。……あ、確かこの世界じゃ自己紹介に出身国、じゃなくて“系統”? ってヤツも言うのが礼儀なんだっけか? だとしたら俺は“日本”人だな。」


 そう言って目の前の長身の男──“神村一織”と名乗った人物は、何かを思い出しているかの様に組んでいた腕を人差し指がトントンと鳴らし叩く。

 すると横槍に、彼の背後から姿を見せたマーリンが「違いますよぅ主さま!」と思案する彼を見上げる。


「ココでは“日本”ではなく“ポニ”って言うんです! 以前の世界の通りに言ってもココの人間達には伝わりませんよー!」

「ん、そうなのか。んじゃ今後は気を付けないと……。」

「…………。」


 話を聞く限り“言葉遣い”に不馴れそうな彼は、そうマーリンからの指摘を受けて罰が悪そうに眉間を摘まむ。

 この世界じゃ知っていて当然の地名にうっかり間違っていた訳では無さそうな様子は、恐らく“初めて”知ったかの様な反応であるらしくアーサーは観察するようにじっと見詰めていた。

 そんな彼の首元には見慣れぬ“シジル”がうっすらと見え、その意味合いが“言語”の代置効果だと言うことを含めその弱々しい気配からして今は機能していないらしいことは“読み”取れた。


「……知ってる。」

「え?」

「“日本”、知ってるよ。“ポニ”だってことは知らなかったけど……あと、それ、」


 アーサーの身体を縛っている幹から“ミシミシッ”と軋む音が聞こえ出す。

 どうやらこの人は自分を害するつもりはないらしく、“まとも”に話せる相手なのだと判断した彼は逃げるのは止めて詳しく見定めるべくずらした眼鏡の外でその相手を視た。

 どうにも姿が見えない方では何も“解らない”。

 色もなければ思考を読み取ることも叶わず、仕方無くこうそくから外れた手を出して眼鏡をかけ直すと不思議そうに自分を見詰めていた彼の姿をマーリンが遮った。

 咄嗟に一織の前へ出てきたらしいマーリンが片手に杖を持ち立つ最中に、残りの自身を拘束するそれを力ずくに“握り”潰しては、樹木の拘束より解放させた身体をアーサーは地べたに降ろすと、身体の砂埃を払っては改めて彼と相対する。

 それを見て感心するみたく「おお…すげーな」なんて呑気に呟く一織にマーリンが今までに無く真剣に「主さまは下がって!」と一喝しその目の前の脅威に警戒するが、アーサーは別段攻撃の体制や逃げる様子もなくただ一織を見遣ってはその首元を指差した。


「…術、機能してない。」

「術? ……あ、本当じゃん。また忘れてたのか…悪いな、教えて貰って。」

「別に……その“言語”は一番最初に覚えたものだから、“通訳”は要らない。」

「そうか、じゃあ別に起動させる必要は……って、何で一番?」


 しまった、と首元に触れていた彼はアーサーがそう返している間に、次第に怪訝そうな表情へと変わっていく。


「だってお前、今まで王国イギリスにいたんだからそこは日本語じゃなくて英語だろ?」

「…違う、始めは別の所にいた。王国に連れていかれる前はもっと東の──、」


 朧気となった昔の記憶を掘り起こしながら、ふと、随分と“久し振り”にあの頃を思い返すな、なんて心の端で思う。

 名前こそ忘れてしまっても、あの温かでしかなかったひたすらに穏やかな記憶につい感じ入っては目蓋を伏せる。

 辺り一面の緑、木漏れ日の香り、獣達が息づく音と、それから“母”が呼ぶ声──。


「(嗚呼そうだ。昔の自分は確かに、自然自由の中に在った。)」


 今はもう燃え尽きて亡くされてしまったかつての“帰る”場所。

 あの頃は幼くて何も知らなくて今じゃあれが何処だったかは解らないけれど、僅かに残った記憶は確かに胸の奥底に存在していた。






 *****






『──■■、■■! …あら、また動物達とお昼寝してたのね。いつも一緒に遊んで、本当に貴方は動物が好きねぇ。』


 呆れたように、それでいて慈しむように。

 お日様の光に包まれて温かい草のベッドで、魔物達と並んで微睡んでいた自分を見下ろす長く黒い髪の女性。


『…お母さん! ねぇ聞いて、今日も隠れんぼや追いかけっこで僕が勝ったんだよ。宝探しは負けちゃったけど、皆僕の事すごいって褒めてくれた!』


 その人を見るや否や抱き着いた幼い“彼”が嬉しげに、自慢気に言う。

 するとその人も「すごいじゃないの!」と、今とは違う“染色”の香りがする、お日様が好きな花と同じ色の髪をぐしゃぐしゃと掻き回して撫でてくれた。


『すごい? 僕ってすごい? もっと褒めてお母さん!』

『ええ! 幾らでも褒めてあげるわ、私の可愛い可愛い仔ウサギちゃん! ふふふ、ぴょんぴょん跳ねちゃって、いつか遠くまで行ってしまいそうね!』


 物心ついた頃には既に父の姿はなく、人里離れた森の中で母と二人で過ごした日々。

 周りには他に人間はなく、魔物や動物達と寄り添い協力し合って何とか暮らしていた。


『僕は何処にも行かないよ! だってここにはお母さんや魔物達もいるんだもの。』

『魔物? その子達は魔物っていうのね。お母さん、まだこの“世界”の事をよく解ってないから、貴方が色々教えてくれて助かるわ。』

『魔物達が教えてくれたんだ。食べれる果実、食べちゃダメな草、危険な場所に、それから町のある場所だって!』


 すると母は“彼”の頭を撫でて「死んだあの人お父さんの言い付け、ちゃんと守ってね。街へは行っちゃダメよ?」と優しい声が頭上から降ってくる。


『良いわねぇ、魔物達と話せるなんて。ファンタジーっぽくてとてもワクワクしちゃう。あとでその子にお返しをしないといけないわね。』

『簡単だよ、見てれば解る! 仕草とか、目線とか、何に興味があるのか、同じ目線に立ってみると何を考えているのか段々解ってくるんだ。』

『貴方はヒトを見る目が良いものね。隠し事もバレちゃうし、サプライズしようったって直ぐ気付いちゃうんだもの。一体誰に似たのかしら?』


 そう言って微笑んだ母は軈て“彼”の肩を捕み改めて向き合うと、真面目な顔をして人差し指を立てて見せた。


『良い? 誰かから何かを受け取ったら必ず“お返し”をしなさい、これはとっても大事な事よ。嬉しい事も、嫌だった事も、全部受け取ったままじゃダメ、そうしたらいつか貴方は“損”をしてしまう事になってしまうの。…これは“等価交換”って言って、他の誰かと“対等”でいられる為に必要なの。』

『えー…なんか貧乏臭くない?』

『貧乏で結構! 貧乏は敵よ、心も貧しくなっちゃう。貴方は賢くて何でもそつなくこなせる子なんだから、いいように使われないようにしないと。だから、ちゃんと覚えておいてね。』


 それが、いつも何度と母が口にしていた“言い付け”であり、朧気な記憶の中で確かに残っていた母との思い出。






 *****






「僕の母も“ポニ”じゃなくて“日本”人だった。……貴方はもしかして、異世界から来たの?」


 アーサーの言葉に、思わず驚愕の表情を浮かべる一人と一つと序でに無表情が一つ。


「……何?」

「驚いた……確かにたまに異世界トリップする者が未だにいるとは聞いていたが、まさかお前の母親がそうだったとは。ん? じゃあ今俺とお前は普通に日本語で話してるって事になるのか?」

「そうだって言ってるけど……質問の答えは?」


 少し眉間に皺を寄せて不快そうなアーサーに「悪い悪い、それであってるよ」と一織が返す。

 相変わらずマーリンが間に立ち、彼等の後ろのもう一つからも静かな敵意を感じつつもアーサーはその答えを聞き、頷いた。

 まだ“足りない”から、どうしたものかと思案していると一織がマーリンを押し退けては自分へと近付いてきたので思わず何をされるのかと身を強張らせた。

 しかし彼はやはり自分に向かって、ではなくその後ろのひしゃげた大木を見上げては感嘆を口にし唸った。


「やっぱ異世界ってのはすげーな、人間でもこんな風に出来るとか。工事に重機とか要らなそう。」

「何言ってるんですか主さま! そいつだけが例外なんです、他と一緒にしないでくださいー!」


 慌てて追い掛けたマーリンが彼の裾を引っ張り、アーサーから遠ざけようとするも体格差故か一織はびくともしない。

 そしてそれを聞いた一織は「そうなのか?」とアーサーへと振り返っては期待に満ちた目を向けた。

 その際に目が合ってしまい、びくり、とつい肩が揺れてしまうが、いつもと、他の人とは全く違うその眼差しにアーサーは思わず言葉を濁してしまう。


「まぁ、そう、だけど……。」

「へええ! そりゃスゲーな! 俺にはこんな事出来ないからこうも凄い事が出来るとか、さっきの眼鏡の修理といい、尊敬するなぁ。」

 

 ……なんだかむず痒くなってきた。

 そう思ってアーサーは目を逸らしては口をもごつかせる。

 何故こんな“簡単”な事でこの人は褒めてくれるのだろうか、少しだけ嬉しさに頬を染めたアーサーは胸の奥底から込み上げてくるものを噛み締め堪えつつ頭を横に振った。


「(くぅっ……嬉しい、けど、我慢しないと……。アルクレスは中々口に出して褒めてくれないし、ミネルヴァはそもそも理想が高過ぎるし…ソロモンは駄目だ、あの人は何したって褒めるから詰まらない。……この人もソロモンと同じタイプ、なのか?)」


 悶々と考え事を始めては、“そういえばこの前アルクレスに褒められたなぁ”とか“でも思ってる事視たってバレたら怒られるしなぁ”とか、クリアになった今ではもう痛くなってしまった頭を回転させては物思いに耽るアーサー。

 まぁその時は“頼り”にされて与えられた仕事につい鼻歌を口ずさんでしまう程にはウキウキ気分でこなしていたのが、突然の来訪者マーリンに邪魔されて上がった気分もがた落ちとなった訳だが。


「良いね。俺は無能の僻みこそ何より嫌いだが、出来る奴の謙遜は嫌いじゃない。寧ろ誇って良いんだぜ? 他の誰にも出来ない事なら尚更、な。」


 一織はそう言って切れ長の目を穏やかに細めるとアーサーの頭をポンと叩いた。

 そして呆けて固まるアーサーに「っとと、悪い。嫌だったか?」と慌てて手を離すも、ぼんやりとしたままのアーサーが首を横に振る。


「あー……うん、まぁ、年下だと思ってつい、な。…嗚呼そう、自己紹介序でに頼みたい事があるんだが……モーガン!」


 思い出した様にそう呟いた一織はそうして呆けたままのアーサーの目の前で後ろに控えていたマーリンとは別の“精霊”の様な何かの名を呼んだ。


「…御意に。」


 それが呼応するとその身は忽ち光に変わり、収縮して魔力の感じる小さな蒼い玉になったかと思えば一織の差し出した掌へと流れていき弾けた瞬間そこには分厚い本が現れた。


「本……?」


 思わずアーサーの目が光る。

 非常に知識を深める事を好む彼は、思考の度起こす頭痛と吐き気に常に悩まされていつからか学ぶ事を諦めた。

 人伝からだと何度聞いても頭に入らず、覚えようとしても気持ち悪くなる為に、必要事項ではない事には“無駄を省き”成すべき事にだけ真剣に取り組み、それ以外を怠惰に過ごしていた彼は唯一何とか知識を得るに利用できる本を好んだ。

 頭が痛くて理解出来なくても読み返すだけでやり直せる、人と違って待ってくれるからストレスなく、自分のペースで学習出来るそれは彼の身体にとても馴染む物だった。

 そして目の前に差し出されて、訳が解らなくとも素直に受け取ろうとした時だった。

 するとそれを見て顔をひきつらせたマーリンが大声を上げた。


「主さま! 止めてください、ボクは反対です! そんなヤツにモーガンを“遣う”なんてッ……!!」

「良いから黙って大人しくしてろっての。危ない事はしないから。」

「でもッ……!」


 キッとマーリンがアーサーを睨む。

 今は眼鏡があるから視えずに済んだが、恐らくあの時の憎悪を向けているのだろう。

 身に覚えこそないが酷く恨まれている事だけは理解出来たアーサーはその受け取ろうとした手を引っ込めようとするも、捕まれた手の上に半ば無理矢理に本が手渡されてしまった。


「ま、見て解る通りだがコイツはアレマーリンに取って大事な奴なんだ。乱暴にはしてくれるなよ? 俺にとっても“そう”だからな、傷付けた時にゃ、覚悟しとけ。」


 厳しくも穏やかな声がアーサーに向けられる。

 確かにそれは見ていれば胸の内など見なくとも解る。

 しかしその本を手渡される意味が今一読み取れずどうしたものかと本へと視線を落とすと、その表紙には魔法陣を書くに使われる文字でそのタイトルが刻まれていた。


「これは……、」


 彼もまた魔法の使い手であり、その意味を読み解く事が出来るその目にはこう記されていた。




神村一織カムラ・イオ




 目の前の男の名前だった。


「それは俺の“記録”だ。口で説明するよりか此方のが解りやすかろってな。どうせこれから一緒に行動するんだし、信用して貰う為にも俺の事を知って欲しい。んでもし良ければだが、お前のも見せて欲しい……かな。」


 ぱらりと頁を捲ってみる。

 そこには所狭しと文字が並び、彼の過去らしき文章がずらりと並んでいた。

 内容を少し読んだアーサーが小首を傾げると不思議そうに呟いた。


「これ、何? “教材”とは全く違う文章構成で……なんか、抽象的?」

「“物語”だよ。教材は物を教える為の、学ぶ為の説明が書かれた本の事だが……お前絵本とか小説とか、読んだことないのか?」


 言われてふるふると首を横に振る。

 そして再び視線を落としその文字列を視線で追っていくと、自分の知らない場所の情景が事細かに、“彼”の視点から書き記されているのを読んでいく。


「でんしゃ、らんどせる、すまほ、パソコン……知らない単語が沢山だな。」

「おう、だろうな。説明いるか?」

「んー……うん。…あ、くるまは知ってる。鉄で出来てて鉱物油で動く乗り物。母さんが教えてくれた。」


 自身の世界の話を嬉々として語る母を思い出す。

 頭が冴えるようになってから偉く昔を思い出せるようになり、ふと自分の名前も思い出せやしないかと思考をぐるりと回す。

 しかしやはりそこだけは朧気で、どう思い出そうと母が自分を呼ぶ声だけノイズが走り、アーサーは肩を落とした。


「そうそう! ……にしても、自分の過去を他人に“読んで”貰うっつーのは何か気恥ずかしいもんだな。自分でも読めないってのに。」

「…読めないの?」

「生憎“夢小説”とは肌が合わなくてな。」

「夢?」

「まぁ、簡単に言うとな……話の中に“自分”が入り込むのは好きじゃないって事かな。」

「ふぅん……?」


 照れ臭そうな彼はそう言って頬を掻いてそっぽをむいてしまい、アーサーも再び読書へと意識を向ける。

 巡る思考の端で、先程の裸眼では“見えない”姿と何処か一部のパーツがかちりと合った気がするが、今はまだ解らぬまま。

 じっくりと文章を目で追っていきながら軈て頁を進める速度が徐々に上がっていっていき、かと思えば最終的には“パラパラパラ…”と残りの頁を流してはパタンと閉じた。


「…ふぅ、終わった。」

「なぁ、今のちゃんと見たのか? 最後めっちゃ適当だったような…?」

「速読。全部覚えた。……頭が痛くないとこうも早く読めたのか。んー、頭が使えるって便利だ。」


 何処かほくほくとした満ち足りた様な緩んだ顔のアーサーが気分良さげに頭を左右に揺らす。

 理由は知らないが機嫌の良いアーサーに微笑ましく感じて僅かに笑みを浮かべた一織がその本を手に取ると、釣られて顔を上げたアーサーの柘榴の目がちらりと彼を視遣った。


「……ねぇ、気になった事、聞いて良い?」

「ん? まぁ俺に答えられる事ならな。んで、何が聞きたいんだ?」


 簡単にも許可を得られ、さてどれから訊ねたものかと目を閉ざして額を親指の腹で押さえ考える。

 あれ程意味が解らなかった“ループする世界”、“神様”、そして目の前の人物を知り、まだまだ情報は足りないけれどもある程度“理解”した今。

 柘榴の目がゆっくりと彼へと向けられて、“好奇心”にかられたそれを確認するべく先ずはそれを言葉にした。


「貴方、“不死”って……本当に?」


 “嗚呼、やっぱそこは信じられんよな”と額に手を翳す彼は困ったように苦笑した。


「理由と経緯はそこに書かれてあった通りだけどさ……俺も始めは信じがたかったが、まぁ事実だ。現にこの前──、」

「うん、じゃあ、試してみよう。」




 そしてアーサーは一織へと手を伸ばすと、嫌な予感に杖を向けるマーリンよりも先にその喉元を掴みあげて“ゴキッ”と砕ける音を響かせた。




「あ……主さまああああああッ!!」


 マーリンの悲鳴が辺りに響く。

 それを煩わしげに耳を押さえながらどさりと倒れた一織の身体を見下ろすアーサーは、ふむ、と首を傾げた。


「首の骨を砕いた感触は“人間”と同じ、か。“特異体質”ってくらいだから、もう少し固いのかと思ったけど……、」


 ぽつぽつと思考口に溢しながら一織の身体へとより近付く。

 背後から魔法の樹木が襲い掛かって来たがそれを一蹴し、逆にその術者であるマーリンへと“術返し”で身動きを取れなくさせ、喧しい口をも塞いでは一織の手にある本へと視線を移す。


「……こっちは抵抗無し? まぁ良いや、続きを──、」

「…っテメェ、よくもやってくれたな…!!」


 不意に首の骨を折られた身体がよろりと起き上がって、アーサーの首に巻いたストールへとその手が掴み掛かる。

 一瞬目を丸くしたアーサーも直ぐに観察するべくじっと見遣ると、彼の動き方からしてもう完治していることは解った。


「凄いね、本当に不死なんだ。」

「だからっていきなり殺しに掛かってくる奴があるか! 死ねないったって痛みはあるんだ、不死を甘く見るな!」

「痛みはあるんだ? じゃあ、これはどうだろうか。」


 ストールを掴んでいた腕を手に取ると今度はそれを“ゴキリ”と折り曲げた。


「い゛ッッ……ぎ、!!!」

「躾の時に使われたやり方なんだけどね、凄く痛いでしょ。僕もキツかった。後はもう片方と……そうだ、足も折ってみよう。」

「がッ、ぐッうううッ!!!」

「…っと、もう治ったの? 早いね。僕なら折られた時、時間を掛けて治して出来るだけ折られる回数を減らせる様にやり過ごすけど……本人の意思とは関係無いのかな? まぁ治したらまた折るだけなんだけど。」


 右腕、右足、左足…と順に折っていく最中に修復したらしい左腕が拳を作ってアーサーの肩へと当たった。

 当然激痛に力の入っていないそれは痛くも痒くもなく、そして治ったのならばと再びその腕を取るや否や今度は握り潰した。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」

「“一度気が狂って以来、恐怖心を抱けなくなった”……だっけ? 通りで一度も僕を見て怯えない訳だ。警戒心が持てなくて危なっかしいからその都度使い魔に守って貰う……うーん、合理的だよね。まぁその使い魔が弱くっちゃ意味がないけど。」


 ちらりと見遣った先で木々に縛られ暴れるにも暴れられず声も出せないでもがくマーリン。

 一方でもう一つの“モーガン”と呼ばれた方はやはり身動きはなく本は沈黙したまま……それを見てアーサーは首を傾げる。


「主人と痛覚を分割させて“庇っている”としても、身動き取れなくなっちゃう程度の癖して……“こう”なってしまったら今度は誰が彼を守るつもりだったの? 考えが甘いんじゃない?」


 最早死に体の彼等へアーサーはそう吐き捨てる。

 しかし間を置いて、目を細めた彼が納得した様にそれを口にした。


「……嗚呼、それで“僕”か。」

「…ッ嗚呼そうだよ!! だからこそ人手・・が欲しい、今正に考え直さざるを得ない状況だがなッ!!」

「はー……成る程ねぇ。まあ、良いんじゃないかな。どうせ他に行くとこ無いし、ついていっても。」


 今更掌を晒してヒラヒラと揺らすアーサーに青筋を立てた一織が文句を言おうと口を開こうとした時だった。




「……!」


 ──何か来る。




 唐突にバッと振り返っては、その先を睨み付けるアーサー。

 彼の星の瞳孔が警戒心に細く縮み、人よりも鋭く尖った歯を唇の下から垣間見せて喉から低く唸っては敵意を向けた。


「……ずっと人の事睨み付けてさ、“視線”が鬱陶しくて敵わなかったんだ。いい加減出てこいよ。“空”での借り、此処で返してやる。」


 それに応えてか否か、遠くから何か馬の走る音の様な、四つ足の獣が駆ける音が森の奥から聞こえ始めた。

 真っ直ぐ此方へと近付いているらしい足音に、アーサーは広げた指先へと力を込めて関節を鳴らすとその先に向けて人差し指の先端を向けた。

 その瞬間指先から細く伸びた電流が一筋放出され、木々の間を掻い潜りながら“標的”目掛けて空を走っていく。




 ──ビシャアアアアッ




 放ってより一拍置いて、遠くの方で凄まじい雷鳴に地上から天に向かって広がり裂く稲妻の束が木々の上から垣間見えた。

 足音は消え、一見仕留めたかと思いきやアーサーの警戒心が崩される事無く、今度は天を見上げた。


 そこにはいつの間にか大きな影が逆光越しに姿を現し、視認と共にアーサーへと覆い被さりその爪を身体へと食い込ませていく。


「……ッの程度で、嘗めるなッ!!」


 咄嗟に両足を腹部へと曲げては覆い被さる獣の腹へと蹴り上げ、その身を翻し相手が離脱した隙にアーサーも反対側へと跳ねとんで体勢を整える。

 互いに睨み合う双方の間に、一気触発の空気が満ちる。

 現れたそれは、大きな狼のようでいて所々に鱗を持った、魔物ではあるものの他とは全く違った異質な空気を纏う獣。

 それを見てアーサーは目を細め見遣ると思い当たる事が有ったことで、それを口にする。


「“狼のような竜”の風貌……国の人達が崇めている神様の、狼竜か?」

『……一度は見逃してやったがな、どうにも懲りんらしいな。御前の只の戯れに無辜の者を害そうとするならば、この私が立ちはだかろう。』


 念波による声が頭の中に響く。

 それが火蓋を切る合図か、頭を大きく振り上げた狼竜は下ろすと同時に衝撃波を放ち喰らい進んだ地面を抉りながらそれがアーサーへと向かっていった。

 対し胸元で拳を掌に打ったアーサーがその拳を向かってくる衝撃波の方角、その地面へと振り下ろした事で凄まじい音を立てて地が割れ、反動に起き上がった地面の巨大な一端が衝撃波を一身に受け止め砕け散る。

 散った土壁の向こうには誰の姿も無く咄嗟に見上げた先で爪を振りかざす狼竜の姿を捉えてはその前肢を掴み、流れのままに地べたへと振り落とした。


『ぐッ……!』


 地面へと叩き付けられる間際に身体を捻らせダメージを逃した狼竜はそのままアーサーの手から逃れて足元で砂埃を巻き上げながら距離を離すに身体をスライドさせていく。


 凄まじい応戦だった。

 どちらも引けを取らないように見えて少しアーサーのが上だとも取れそうなその戦いに、手足の折れが漸く癒えきった一織が人型へと貌を変えたモーガンに支えられ起き上がり見詰めた。


「…悪いな、モーガン。キツかったろ? あのバカマーリンを解放してやって少し休んでて良いぞ。」


 彼より少しだけ背の低い、少年の身形で何処か執事服にも見える格好をした使い魔“モーガン”は一織の言葉に首を横に振る。


「いえ、そうは言ってられません。……それよりもあの魔物です、私が求めていた……。」 

「嗚呼、あれが? 世界中を見渡せるっていう“星の目”を持つ獣……確か名前は、」




 ──アオオオオオオオンッ




 遠吠えが辺りに響き渡る。

 途端、彼の背中から生えた角らしき一対二本のそれからぶわりと濃淡の幕が広がった。

 その濃い藍色には無数の光の粒が瞬いて、まるで満天の夜空の如き翼だ。

 瞬く星が徐々に徐々にと光度を増していきアーサーも警戒により険しく身構えていると、それが強く激しい煌めきを放った次瞬間、上空より発生した高密度の圧が辺りの空気を震わせた。

 空から降り注ぐは光の流星群。

 無数にも見える光の帯をたなびかせてそれがアーサー一点へと向かっていく。


 一つ目、振るった拳に弾け飛んだ。

 二つ目、翻した身体がそれを蹴飛ばし霧散した。

 三つ目、身体を捩らせ場を離れ、降ったそれが地面を抉った。

 四つ目、五つ目、六、七、十、二十……。


 彼が逃れる先々に、光の隕石のようなそれは襲い掛かり、地に無数の穴を作っていく。

 仕舞いには連打の如き光の豪雨に、止んだ後ですら辺り一面砂埃が舞い視界を阻害する中、砂塵に映った揺らめく影が起き上がる同時にぶわりと風を巻き起こした。




「グルルルルッ……」




 それは言わずもがなアーサーで、しかしその姿は今までと打って変わって背中から蝙蝠の翼が再び現れ、腰からは長く伸びた鰐の尾が揺らめき、地に付けた膨張した手は赤黒い鱗に覆われ鋭い爪が地べたに傷を刻んだ。

 砂埃を振り払い姿を現した彼はまるで四足歩行の獣の様に、牙を剥き出しに狼竜へと威嚇の体勢を向けていたのだ。


『まるで“化け物”の様ではないか。何者だ、貴様は?』

「しら、ないッ……解、ら、ない……! でも、今、解るのは──、」


 ギャリッ、と“牙”が並んだ口からそれを擦り合わせる音が鳴る。

 口の端が避け、奥歯まで見える程開いた口つり上がり、笑っているらしいそれが愉しげにそれを口にした。




「僕は今、すごく、愉しい! …お前相手なら全力を出せそうだ。」




 瞬間、視界の内からそれの姿が消え失せた。

 物凄い速さで飛び掛かってきた──そう気付いた頃には握り拳が横から衝撃を与え、狼竜の身体は容易くその方角へと吹き飛ばされていく。

 身体が地面を跳ねて咄嗟に体勢を立て直そうとするも直ぐ様追い掛けてきたそれが回し蹴りにて再び飛ばされては狼竜の口から血が吐き出された。


『がはッ!』

「あははははははははッ! 愉しい、愉しい、愉しいッ! まだ壊れてないよな? まだいけるよね? 今までずっと退屈してたんだ、折角楽しめる機会を得られたんだ。まだ死んでくれるなよ!」


 吹き飛ばされる先々で狼竜の身体が蹴鞠の如く撥ね飛ばされては、その度に地べたに血が散る。

 漸くその連打から逃れて身を翻すも直ぐに追い付くそれが拳を振り落として地面が抉れた。

 再び振るわれたもう片手の拳に、避けようとした狼竜の身体がカクンと力抜けたかのような仕草に、逃げもせず受け止めようとしているのか相対し後少しで拳が触れそうになった時──、




「“止まれアーサー”ッ!!!」




 不思議と通る“声”が辺りに響き渡り、振り下ろしかけた拳が寸ででぴたりと止まった。

 狼竜から見ると今も尚力を込められ、振るい落とそうにと動けないらしい様子のそれは、時が止まったと言うよりは“そう”させられているようだった。

 するとぐりんと声の方角へと振り返った顔が、烈火の如く燃え上がった柘榴の目が怒りを露に“一織”へと向けられる。


「邪魔を、するなァッッ!!!」


 咆哮の如き怒号が辺りを響かせる。

 その先の一織は怯む事無く真っ直ぐにそれを見据え、片手に“あの”本を、そしてもう片手に“ペン”を携えて“一人”そこに立っていた。


「本ッ当、お前って厄介な奴だな。自分の姿、見えてるか?」

「知らないッどうだって良いッ!! 僕の“愉しみ”に水を差したんだ、死ななかろうが死ぬまで殺してやるッッ!!」


 そして飛び掛かってきたそれが拳を振り上げる。

 まともに喰らえば血肉吹き飛び肉塊程度に留まってくれれば幸運だろう、しかしそれもまた届く事無く、ペンをそれへと差し向けた一織は“宣言”するようにそれを口にした。


「“アーサー、おすわり”だ。」

「……ッ!?」


 ドシャアッ!

 不意に身体が地面へと倒れてしまい、直ぐ様起き上がろうにも手足が地べたにくっついたみたく離れない。


「なッ……これ、はッ……!?」

「悪いなアーサー、暫くそこで大人しくしてくれ。……ったく、これスゲー痛いから“了承”得られないなら頻度多く使いたくないんだがな。」


 歩み寄ってくる一織が本を開きながらその上にペンを翳す。

 身動きが取れない中、睨み付ける様にその様子を伺っているとペンを走らせながら苦悶の表情を浮かべる一織が軈て“何か”を書き終えては一息吐いた。

 するとどうだろう。

 自分の身体から何か、抜けていく様な感覚がした後に昂っていた感覚すら冷めてきてしまっていく。

 そして倒れ付していたアーサーの目の前にしゃがみこんだ一織が、先程書き込んだ頁だろうか? それを彼の目の前に差し出した。




【アーサー・トライデンは人間である。】




 そこにはそう書かれており、きょとんとそれを見詰めていたアーサーに頬杖を付いて見下ろしていた一織がにんまりと笑んだ。


「俺の“言う”事は絶対だ。この世界の“決定権”はこの俺が持っているからな、他の奴らがどう言おうが関係無い。……よって“お前は人間であり、翼なんて無いし鱗も鋭い爪も無い”。」


 気付けばあんなに大きくなっていた手は人間の手へと戻っており、背中を重くしていた翼の感覚もない。

 いつの間にか動けるようにもなっていて、戻った掌をグーパーと動かしながら眺めては立ち上がる彼を見上げた。


「これが貴方の……“神様”としての力?」

「馬鹿言えッ俺が神な訳ないだろ、あれと一緒にしてくれるな! いやまぁ確かに此処の“神”は“俺”だったが……俺は神なんてもんにはなりたかねーな。俺がなりたいと思えるのは、どっちかってーとお前の中に在る“奴等”の方だ。」

 

 そして彼は狼竜へと視線を向ける。

 気高く立ってこそいれど満身創痍な彼に、一織がアーサーの手を引き起き上がらせては彼の元へと引き連れていった。


『……御前は、主に似た紛い物か? 私をどうするつもりだ。』

「紛い物って……まぁお前達、ここの世界の奴等からしたら俺はそうなるんかね。別段悪い話じゃないさ。詫びとしてコイツにその傷治させてやるから、アンタには俺達に付いてきて欲しい。お前の“星の目”が俺の目的だよ。」


 “星の目”、その単語にアーサーの視線が揺れる。

 無意識に顔に手を翳して、自身の“目”がいつだかそう言われたことを思い出す。


「駄目か? ならお前の要望に出来る限り応えるから、せめて少し分けてもらえたりとか……。」

『……否、それが脅威でなくなるのなら、私は構わんが。それに主の関係者とあらば力を貸したいのは山々なんだが、それに同行と言われると少し厄介な事があってだな……。』


 すっかり骨抜きにされたみたく大人しくなったアーサーを見て、物分かりよく簡単に了承する狼竜に一織は思わず拳を握るもその歯切れの悪い返答の最中、それはアーサーの背後から声を響かせた。




「人の事散々痛め付けてくれた癖に、随分と調子の良いこと言ってくれるなァ? 人間風情が。」




 それは幼い少年の声だった。

 姿は見えず、でもそこに“何か”の気配がするそこへ、アーサーは目を凝らしては眼鏡をずらした。


 黒い水溜まりが水面を揺らす。

 それを裸足で踏み進む、血色が良いとは言えない細足。

 柳のように揺れる色の無い髪と“和”な装いを身に付けた“何か”。

 顔を伏せたまま、袖に隠れて手先の見えない両腕を前にだらりと下げてゆっくり、ふらりふらりと、それは確実に自分へと向かってきていた。


「……ヤったのなら、ヤり返される覚悟は在るんだよなあ?」


 徐々にその顔が持ち上げられて露になっていく。

 それは──白目も含め全て真っ黒に染まった、人には見えない酷く恐ろしい目で自分を睨み付けていたのだった。

 不意に、足元で粟立つ音がした。

 見下ろすと、そこにはいつの間にか黒い水溜まりが自身の足元にまで広がっており、そこから硬質な物が擦れ合う“カタカタ”という音と、そこから伸ばされた“人の骨の手”が足へと掴みかかって来ていたのだ。


「……ッ!?」


 咄嗟に避けようと身体を捩るも、黒い水がしっかりと脚を捉えて離さない。

 その様子にケタケタと嗤ったそれが再び、暗闇を孕んだ弓形の口を歪めて声を発した。


「逃がす訳がないだろ? あんなに、あんなになるまで、おれの“ロヴィ”を痛め付けてくれたんだ。赦さない……赦さないッ……死ぬ事ですら救いに思える程の生き地獄、お前に味合わせてやる……ッ!!」


 気付けば周りは暗闇に包まれ、自分とその得体の知れない“何か”だけの空間へと変わっていた。

 声を出そうにも空気が重くて音を発せれない。

 重力よりもずっと重たい何かがのし掛かってきているかの様な、そんな感覚に思わず膝を付いてしまいそうになる。

 背筋にぞわぞわと悪寒が走り、額や頬に嫌に冷えた脂汗が滲み出て、それに耐えるべく唇を食い縛っていると冷ややかな冷気と共に頬に“真っ黒な手”が触れた。


「我慢すんなよ、身を委ねるだけで良いんだから。そしたら心が砕けるまでおれが可愛がってやるよ……ね、お兄さん・・・・?」


 あの恐ろしい目が至近距離に視線を合わせてくる。

 痛いくらいに脈打つ鼓動、身体の先端がビリビリする程に冷たくなっていく、合わせたくもないのに目を逸らす事も出来ずに大きく見開いた柘榴の目が黒に呑まれていく──前に、腰のホルダーへとアーサーは手を掛けた。

 意識が呑まれそうになっていて、その時はもう無我夢中だった。

 その手に持った剣身の無いグリップへと咄嗟に魔力を通し、現れ出た光の剣を振りかざしては“それ”へと振り落とした。


「──え?」


 無心一閃、剣先が通った道に沿って“それ”ごと空間が裂けた。






「……アーサー? どうしたんだ、急にぼーっとして。」


 目の前で手を何度と振る光景が視界に映り、はっと意識を覚醒させると周り見渡す。

 傍には先程と変わらず、一織が怪訝な顔をして此方を見詰めていただけだった。


「……夢?」

「いきなり反応無くなったから吃驚したじゃないか、寝不足か?」


 言われてみるとそういえば最近付きまとってくる奴はいたし、何なら今日は一睡も出来ていない。

 そうなのかもしれない……と思いつつ頬を伝う感触に流れた汗を手の甲で拭うと、汗とは違う“ぬるり”としたものを感じた。

 拭うに使った手を見てみると、そこには黒ずんだ血のような、心なしか腐臭がする液体が皮膚を濡らしていた。


「……ッ」


 再び悪寒が全身に走る。

 目蓋を閉じるとあの目が浮かぶ気がして思わず自身の腕を擦って寒さを誤魔化していると、あの狼竜が何やら声をあげて“説教”らしき事を所構わず周囲に念波を飛ばしているのが頭に響き渡った。


『コラ小僧ッ! また“気に食わない”だけで他人ヒトを祟りおったな! 大人しく離れて待っていろとあれ程言っていたというのに、何故此処にいる!?』


 思わずびくりと身体を跳ねらせ、一織も「なんだ?」とそちらへと意識を向ける。

 そこにはいつから居たのか、くったりと地べたに横たわり目を回しているらしい子供が大の字になっていた。

 軈て説教の声に目を覚ましたらしいそれは向くりと起き上がって、何処かふらふらとしながらも狼竜を見上げては頬をぷくーっと膨らませた。


「だってだって、心配したんだもん。ロヴィ全然帰ってこないし、でっかい音は鳴るし、様子見に来たらぼろぼろのロヴィが何か声かけられてるし! アイツだろ、ロヴィの事傷付けたの! やられっぱなしはやだもん、仕返しくらいさせてよう!」

『だからと言って許すと御前は加減をしないだろうが! 御前が一人呪う度に辺りが死に絶えて仕舞う自覚を持て! 浄化するのだって簡単じゃないんだからな!』

「ぶーっ! ロヴィのけちんぼ! 意地悪ー!」


 まるで親子の喧嘩の様な、微笑ましさすら感じそうな光景。

 彼等は暫く言い合った後に、漸く落ち着いたらしいもののまだ不貞腐れ気味の子供を背に乗せては一織とアーサーの元へと近寄っていった狼竜が申し訳無さげに頭を項垂れた。


『連れがすまない事をした、申し訳無い。先程の怪我の治療の件だが、それは要らぬので代わりにそちらの者の“呪詛”の浄化をさせて貰いたいのだが……。』


 神と聞いた割には随分と腰の低いものだな、なんて頬の“黒い液体”から

意識が逸れて思ってしまう。

 どうも生真面目かつ律儀らしいその狼竜は“等価交換”を弁えているらしく、人間相手に自ら交渉に出るなんて随分良い奴なんだな、なんて事を考えていると隣の一織が「いや」と否定の言葉を返した。


「“呪詛”とやらの件は知らんが、やり過ぎたのはコイツアーサーだし治療はさせてくれ。あと謝るなら当人達でやらせるべきだし。アンタはこの世界の秩序護る役割なんだろ? ならその仕事邪魔した挙げ句返り討ちしたアーサーが悪い。」

「えっ。」


 先に襲ってきたのは向こうなのに! そんな目で一織を見るとその視線に気付いた彼はアーサーの頭をガシッと掴んで無理矢理下げさせては自身も頭を下げた。


「ちょ、ちょっと…!」

「お前なぁ、あんだけ“愉しい”連呼して人様ぼこぼこにして遊んでた癖に、自分は後出しだから悪くない、はないだろ。話を聞く限りその“呪詛”とやらもお前がやらかしたせいらしいじゃねーか。」

「だって、」

「だって、じゃない。」

「……むう。」


 多少は理解出来なくもない言い分に言い返せなくなったアーサーは小さく唸ってそっぽを向くも、狼竜へと向けて翳した手が翠色の光をその身体に包み込ませてはみるみる内に傷を癒やしていった。

 癒えた身体を確認した狼竜も、背中の子供に諭す様な言葉を投げ掛けると唇を尖らせたそれがとてとてと前まで歩き出ては相対した。


「…ドウモゴメンナサイ。……ロヴィに言えって言われただけで、おれは赦さないからな。」

『……小僧!』

「あーもー! 謝ったんだからもう良いじゃん! ホラお兄さんもさっさとしゃがんで、仕方無いから解呪くらいはしてやるよ。やれば良いんでしょ!」


 そう言われて身を屈める。

 すると更に近寄ったその子供は裾に隠れた手でアーサーの顔を支える様に触れ添えると、顔を近付けたかと思いきやべろりと黒い液体を一舐めしたのち、かぷり、と歯を立ててアーサーの頬に噛み付いた。

 一瞬何をされたのか理解出来ず思考が停止フリーズしてしまったが、歯が頬の肉に食い込むピリッとした痛みに我に返る。

 その至近距離に在った顔に思わずぶわりと全身に鳥肌が立ちつい悲鳴を上げては身を引いて身体を離した。


「ひぃっ…!! な、にして……!?」

「んー? むぐ、“呪詛”喰ってるだけだけど。 ……んむ、なんかおれのじゃないのも食べちゃったかな? まあいいや、さっき“削がれた”分には満たないけどこれで身体も動かせそうだし。」


 如何にも美味しくなさげに顔をしかめて咀嚼する子供は軈て呑み込んで、けぷり、と息を吐くと裾で口元を隠しながら呟いた。

 対してアーサーは後退り一織の傍に寄っていくと、何故か此方も「うぷっ」と吐き気を催しているように口元を押さえて顔を青ざめていた。


「あは、なぁにお兄さん。もしかしてビビっちゃったの? そんなにおれの事怖い? ふふふ…さっきの“気に入って”貰えたのならした甲斐があったなぁ。」


 アーサーの普通じゃない反応に、愉快げにくすくすと嘲笑する子供。

 しかしそれにぶんぶんと横に顔を振ったアーサーは心底不快そうに顔を歪めてそれを見遣っては嫌悪感露にそれを言い放ったのだ。


「その顔を近付けないでくれる? “女みたい”で気色が悪いッ…!」


 ビシリ。

 何かが凍り付く様な、割れる様な音が聞こえた気がする。


 呆れたように「お前なぁ、それはないだろ」と頭上からの嗜める声と、これからの機嫌取りをしなければならない苦労を思って頭が痛くなっていそうなしかめた顔が並ぶ中、張り付けたみたいな笑顔を向けていたそれが徐々に徐々にと俯き戦慄き、ぶつぶつと何やら呟き始める。


「……おい、今なんつった……? 女みたい……気色が悪い……? 人が折角見逃してやろうってんのに、随分な言い草だなァ……?」


 ゆらり、彼の横っ面から長く伸びた二つの髪束が揺らめき、前屈みになった肩がカタカタと震える。


「“女”は嫌いなんだ、気持ち悪いし目障りだし。お前のその顔も女っぽくて嫌、僕に近寄らないで。」


 そう言って一織を盾にして隠れたアーサーは嫌そうに“しっしっ”と手を払う仕草を見せた。


 ──ブチィッ

 限界値が切れる音。

 戦慄いていた身体から、俯いていた顔が上がると怒髪天を衝く程の怒りに染まったそれが我慢の限界と言わんばかりに叫んだ。




「……ッぶっ殺す!!!!!」


 


 ──それからはもう“大変だった”の一言に尽きる。


 怒り心頭の子供は本気で殺す勢いでアーサーへと飛び掛かり、それに応戦しようとしたアーサーは一織に止められ“反撃禁止”を指示されてからは涙目で逃げ回る羽目となり、漸く捕まえた二人を大人しくさせようにもギャンギャンと口論が収まることはなく。

 嗜めようにも此方の事など見向きもせずにやれ「むかつく」だの「弱い癖に」だのと反省する気が全く見られない彼等に、軈て“彼”まで我慢の限界が訪れる。




「いい加減にしろーーーッッ!! このラスボスコンビ共ッ!!!」

「はーーッ!? 何だよラスボスって、意味解んない!!」

「煩いから傍で囀ずらないで欲しいんだけど……はぁ、どうしてこうなるんだか。」

「「いや、お前のせいだから!!!」」

「えー……?」






 *****






 あれから少しだけ、思い出せた事を話そうと思う。


 あの母の言い付けのお陰か森の魔物達とも上手く共存が出来て、人里へ下りずとも何不自由なく暮らしてこれたある日の事。

 母は身体を壊して倒れ、看病も空しく衰弱死してしまった。

 それでも一人で森の中魔物達と過ごしていたけれども、ある日迷い混んだ人間を助けた事が切っ掛けで、何処からか聞き付けた遠い国の王様が大勢の人間を引き連れて森へとやって来た。

 知らない顔。

 知らない言葉。

 自分を見るや否や捕まえて森に火を放ち、仲の良かった魔物達が次々に焼け死んで行く忌まわしいあの光景。


『止めて! 止めてよお!! どうして、どうしてこんなことっ……!!』


 怖い顔した大人達が、聞き取れない意味の解らない言葉を自分に向けて叫ぶ。

 時には拳が、足が、自分の身体にぶつけられて、気付けば知らない場所にまで連れていかれてしまった。


 目を覚ますとそこは牢の中で、染色が落ちた髪の色も随分と変わってしまってからというもの、只々苦しいだけの日々が始まった。

 毎日毎日と人を替え、道具を替えといたぶられ、何かやれと言われているようでも言葉が解らず再び叩かれる。

 母は死んだし父もいない、魔物達はそこにいないし帰る場所は失った。

 寂しくて、空しくて、辛いばっかり。

 自分が何をしたと言うんだ、何で自分なんだと唇を噛み締めたことは何度でもあった。


 そんな時だった。


 人知れず牢に現れた、自分と似た年頃の少年が自分の手足の枷を外して自由になった自分の手を取った。

 導かれるままに向かった先には、人気のない外。

 彼が指差した方角に門があって、言葉はなくとも“出口”を示してくれている、そんな気がした。

 今までとは全然違う、逃げろとすら言われているようなそれに困惑していると背中がトンと押されてたたらを踏んだ。

 驚いて振り返ると──、











 ──【分岐点/■■■のループにて】──











 ……気味の悪い笑顔が、にっこりと此方に向けられていた。

 嫌な予感はした、でもそれ以上にこんな所にいたくはなかった。

 彼に構わず、指し示された方角へと駆けていく。

 大丈夫、足の早さには自信がある。

 万が一見付かった所でここまで来たからには逃げ切れられる──そう思っていたのが間違いだった。




 ──騙された!! 始めから全部罠だったんだ!!

 門を出るや否や頭に走った激痛が、立てなくなる程の嘔吐感が、倒れ込んだ身体に“最初”からずっと見ていた大人達があの恐ろしく嫌な笑みを浮かべて自分の身体を愉しそうに痛め付けてくる。

 なんで、どうして、この人達はこんな事を自分にするの?

 どうしてそんなに──愉しそうなの?

 解らない、何も、考える程に頭が痛くなってくる。

 意識が遠退きそうになる中、一際甲高い笑い声が鼓膜をつんざいた。


 ……赦さない。


 声の聞こえる方では、ここに来る以前の自分と染めていない方の“同じ”髪色をしたあの同じ年頃の少年が、歪んだ笑みを浮かべて自分を眺めていた。


 その時に父が残した、母との約束を思い出す。

 そうか、そうだったのか。

 人間はこうも“恐ろしい”生き物だったのか。

 他者をいたぶることを愉しみに、自分の身を守るべく他者を蹴落とす。


 醜悪で、最悪で、最低な“存在”だ。


 それから人間を嫌悪するようになった自分は何度も逃亡を試みてはいたけれど、考える程に眩暈がする程の頭痛が、進んだ後に残してしまう吐瀉物が、幾ら回数を重ねた所で見付かるしその度に酷く痛め付けられる。

 何回も、何回も、痛くて辛くて我慢出来ない痛みに魔物達から教えて貰った治癒魔法で治したってその都度また壊されて。

 こんな苦しみ、いつまで続くんだろうか──それを考えるだけで身体は震えるようになった。


 何度死にたいと思った事だろう。

 何度解放されたいと思った事だろう。


 虚しいばかりの毎日で、ただ一つ、心残りがあってそれが自分の支えで在り続けてくれた。


 あの日の事、母が死んでしまったあの時に出逢った人。

 母のように、優しくて、温かくて、黒くて長い髪の“女の人”。


『いつかまた出逢えるといいね。』

『いつか迎えに行くよ、何処にいたって見付けてあげる。』


 そんな、些細な約束事。

 それだけが、自分の生きる意味で。

 母と彼女が歌ってくれたあの子守唄が、静かで冷たい牢の中を少しだけマシにしてくれていた。



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