10.出逢う二人、変わりだす物語。

 閉ざされた部屋に、囁く様な子守唄が響いていた。


 時折聞こえる咳き込む声と、子守唄が止んで「大丈夫だよ」と安心させるような穏やかな声。

 息をするだけでも苦しい胸を、優しく撫でる“兄”の手はとても温かかくて心地好かった。

 それなのに触れられたその身体からはゆっくりと、じわりじわりと体温が失せていき冷たくなっていく。

 眠たそうな眼を必死に眠らないように擦って誤魔化しても、命の灯火が弱まっていく事に変わりはなかった。


「おにい、ちゃ……」

「うん、何だい?」

「ひとりは、さみしくない…?」


 母と父は既にいない。

 弟と同じように病にかかり、既に先立っていたから。

 最後の肉親を無くす兄を、弟は案じた。


「ぼくはね……へびのかみさまがむかえにきてくれるから、こわくないよ。」


 それに驚いた様子の兄が、泣いてしまいそうなのを必死に見せまいとしていた兄が、漸く自分と顔を合わせてくれた事に嬉しく感じながら弟は力無く途切れ途切れな声を振り絞って最期の瞬間まで、この優しい兄と共にと話し続ける。


「……あのね、へびのかみさまはね、とってもやさしいの………ぼくがさむくないように、さみしくないように、いつも……ゆめのなかでだきしめてくれて……まるでおかあさん、みたいな……、」


 声が段々とか細くなっていく。

 そんな自分の言葉を聞き逃さない様に顔を近付けてくれる、水膜を張った兄の瞳からは今にも涙が溢れ出してしまいそうだった。


「おに、ちゃ……うまれ、かわったら、また……あえ…る、かなぁ……?」


 握り締めていた、随分と黒くなった手から力が抜け落ちる。

 温もりは冷め、どれだけ力強く握った所でその手が応える事はもう二度とない。


 そうして静かになった密室では暫くの間、男の啜り泣く声が鳴り響いていた。






 *****






「──ですからぁ、もう許して下さいよぅ。」


 早朝だというのにもう既に賑やかさが目立つ喧騒に紛れて、甘ったるい猫なで声が誰かに向けられていた。


「黙って離れたのは確かにボクが悪かったですけど、でもそうした方が主様の役に立てるかなぁ~って! ……え、お仕置き? ヤダーッあれ痛いんですもん勘弁して……あ゛ーッ嘘でしょ通信切られた!? 酷いよぅ主様の馬鹿あぁ!」


 うわーんっ! と身体を投げ出してじたばたと騒ぐ“彼”は、どんなに煩くしようと人目に付くことがないような高い建物の上に在る。

 軈て騒ぐのにも疲れてぶすくれた涙目を眼下の人混みへと向けると、大層気が重そうに大きな溜め息を吐いた。


「はぁ~あ、やっぱ来ないなぁ。来る訳が無いよなぁ。もうすぐ式典も始まるし、もう潮時ってヤツなのかなー?」


 西へ東へ南へ北へと、忙しそうに仕切りに動き回る人間達を眺めてストレッチに屋根へと着けた両腕から背筋を後ろにぐぐぃ~っと伸ばしていく。

 スッキリしたとばかりに顔を擦った彼はすくりと立ち上がり、光を集めて形成した杖を手に持って空へと翳した──その時だった。


「? 何か……落ちて来──うきゃーーーーっ!?」




 ──ドォオオンッ




 突然、空より飛来した“それ”が彼が今まで寛いでいた場所へと墜落した。

 咄嗟の事で慌てて避ける事が叶った彼はプルプルと震え警戒しながらもその不時着した“それ”を見ると、信じられないとばかりに指を指し「なんで!?」と声を上げて戦慄く。

 “それ”は偉く高いところから墜ちたのか、物凄い勢いで屋根へと不時着したのだ。

 その割にはけろりと平気そうに立ち上がり、それでいて酷く不服そうに口開く。


「なんでって……君が呼んだんだろ。良いよ行ってやるよ、どうせ国から追い出された身だ。どうにでもなってしまえば良い。」


 あんぐりと大きな口を開けて呆ける彼──マーリンの目の前で自棄糞気味にそう言い放った。

 突如上空から姿を現した、人々より勇者と呼ばれる男“アーサー・トライデン”は、ずれた眼鏡の奥で涙を滲ませながらぐすっと鼻を啜って何があったのか不貞腐れていたのだ。




「確かに“導”を渡したけどさぁ、だからってそこに向かって振ってくるとかマジ有り得なくない? あんな勢いでぶつかったら流石のボクだって潰れちゃうよ、実際死ぬかと思ったしー!」


 そう文句を垂れながら、マーリンは目の前で崩れた屋根を修復に翠色の光を掌から放つアーサーへとじとりとした目を向ける。


「あーんなに拒否していた割にはさぁ、随分と呆気ない掌返しじゃん? 一体どんな風の吹き回しなんだかー!」

「……なんだって良いだろ、説明するのも面倒臭い。国を出ろって“言われた”から出なくちゃ“いけない”。それだけ。」

「なんだよオマエ……言われるがままにってか、自分の意思がないヤツだなー。どういう神経してんの?」


 最後の屋根の欠けたパーツがぱちんと嵌まり、手を下ろしたアーサーが“質問”をされたことにくるりと振り返ってその無気力な眼差しをマーリンへと向けた。


「そう“しろ在れ”って言われた。指示された通りに動いた方が頭も痛くならないし、気持ち悪くもならない。そうして“欲しい”と言われたのならば応えなきゃ“いけない”んだし、従っていた方のが考える手間もなくて楽、だから。」


 それが当然だと言うように彼は答える。

 思わず頭が痛くなるようなその答えにマーリンはくらりと眩暈がするような気がして、それを耐えると犬歯を剥き出しに大きく口を開けて思うがままに“ツッコんだ”。


「いや怠惰にしたって程があるでしょ!? 思考するのが嫌で命令されたら動きますとか、アンタ馬鹿じゃないの!?」


 彼に取っては柄にもない説教みたいなそれに、アーサーが煩わしそうに顔を歪ませる。


「……君には関係ないだろ、それが“最適”だと思ったからそうしただけなんだし。」

「何がどうしたらあんなクソみたいな所でそれが“最適”になるんだよ!? はあぁもおぉこれだから自覚のない大精霊ってのは厄介なんだよなぁ今も昔も!」


 そう唸って喚くマーリン。

 彼等がどんなに騒ごうと、魔法で防音の結界が張られたそこでは“墜落音”ですら下で忙しなく動き回る人間達に気付かれる事はない。

 人を嫌い、面倒事を嫌うアーサーが墜ちる瞬間に展開した結界だ。

 怠惰であるからこそ注目を集める筈の音を隠し、痕跡は残さない様に破壊した痕は隠蔽修復する。

 跡形無く壊してしまえば修復出来なくなってしまう取り返しがつかなくなるからこそ、加減は面倒なので破壊しきらない様に受け身は敢えて取らなかった。

 そういった事には手早い彼は、理解しがたいと頭を抱えるマーリンを見て億劫そうに溜め息を溢した。


「それで? 呼ばれたから来たけど、用はそれだけ?」

「んな訳ないでしょーが! ったくもう……ボクの主さまの所にキミを連れていく。その為にキミをずっと付きまとっスカウトしてたんだから、今更逃げるとか止めてよね!」


 そしてマーリンは杖を翳す。

 頭部の珠が魔力の光を集めては輝き始め、珠から出現した光の玉は東の方角へと光輝くか細い線を残して翔んでいった。

 杖を持ち上げていた腕を下ろしたマーリンはそれを見遣り杖を光に霧散させると、ぼんやりと眺めていたアーサーへとそれを指し示した。


「ボクが仕えている御方はこの先に居るよ。大体そうだな……馬車があれば二~三日かかるくらいだろうか? まぁちょっと“飛ばせ”ばもちっと早く着くだろうけど!」


 さあ出発だー! そう意気込んで踵を返し踏み出そうと足を出したマーリンに、後ろからガシッと肩を掴まれた。

 振り返れば当然彼等二人しかいないので相手はアーサーで、俯いて何やら“考え事”をしているらしい彼にどうしたのかと聞こうとした時だった。


「“飛ばせ”ばいいんでしょ? なら、早く行ける方で行こう。」


 そういう彼の十字に輝く星の瞳孔が、一瞬煌めいた様に見えた。






 ──人は、彼を化け物と呼んだ。


 彼等が“そう”いうのなら、“そう”なのかも知れない。


 呼び名が幾つもある彼は、いつだって自分が“何”なのか解らないでいた。

 正しい名前を忘れ、間違った名前で呼ばれ、かと思えば“勇者”だの“剣”だの“化け物”だのと……皆が違う“名”を示してくる。

 考える事を止めて久しく、今じゃ“そうなのかも”とすら思えてきてしまったそれに加えて、回り始めた思考が“先程”の光景を思い出させる。


 異形の手。

 鱗のある爪が鋭い手。


 見通す目が捉えた、“自分の正体”の一端。

 それが“間違った”確信を与えて、故に彼は思うのだ。




「君はあの時、“羽根はない”……そう言っていたよね? じゃあ僕にある筈なんだろ。」

「……は? 何を言って──」

「まあどうせ“化け物”なんだ、それくらい在って“当然”だよな。」


 困惑するマーリンに詰め寄る様に、捲し立てる様にアーサーはそう“言い聞かせる”様に言うと柘榴の目は怪しく光を灯し出していく。

 するとどうだろう。

 一瞬苦悶の表情に歪んだアーサーが頭を抱えて後退っていき、屈んだ背中が盛り上がったかと思えば紅いストールの下から生え出たのは紅蓮の炎の如く紅い“蝙蝠の翼”。


「…………え?」


 突然の出来事にマーリンの頭は現実を拒否フリーズする。

 息を荒くして俯いたまま肩を上下していたアーサーは軈て落ち着きを取り戻し顔をあげ、固まったマーリンをひっ掴むとその出現した翼を羽ばたかせて地面を蹴った。


「う、嘘でしょオマエその羽根っ──いぎゃああーーーーっ!!」

「口開くと舌噛むよ。知らない場所には転移出来ないんだから、地道に行くよか飛ぶ此方のが早い。」


 そう“当然”の様に彼は翼を駆使して空を駆けていく。

 眼前には目的地を示す光の道筋。

 騒ぐマーリンを脇に担いだアーサーは衝撃波を纏う程に空を飛行していき、あっという間に王国を後にしたのだ。


 その直後、式典が始まる直前に“それ”は目を覚ます。

 竜の呪縛から解き放たれた様に、それでいてまだ苦痛に魘されながらも漸くこの世界に意識を取り戻したのだ。

 そして動き出した混沌の渦は軈て“彼等”を蝕んでいく。

 既にそこにいないアーサーを“誰か”が呼ぶ声も、新しい“王”を讃える凄まじい歓声も、“王国を去れ”と命じられた言葉に突き動かされて彼方へと飛び去ってしまった彼の耳には届かないのだから、助けが来ることは有り得ない。


 それが彼等──王国に残された兄弟にとって“最大の不幸”であり、そしてそれは軈て辿り着く“一筋の幸運”へと繋がっていくのだった。






 *****






 空を駆ける。

 空を裂いて、風に乗る。

 背中の翼を羽ばたたかせる度に前へ、前へと身体を滑らせていく様は何と心地の良い感覚だろうか。


『自由に生きて。』


 そうは命じられたところで、自由なんて欲しくはなかった──それは確かに“本心”だった。

 でも今はどうだろう。 

 此処では何をしようと誰にも邪魔されず、それでいて誰もいない。

 この“大空”という自分だけしか居ない広大な空間にその身を突っ込んでからと言うものの、導が示す行ったことのない場所、空を飛ぶという知らない感覚、これから自分はどうなってしまうのかという先の見えない期待にも似た高揚感が彼の口角を自然と上げていく。

 不意に、辿っていた光の筋から外れてもっと上空へ、高度を増して重力の負荷をその身に浴びる。

 腕の中で既に気を失っている“精霊”らしき人物なんて忘れて──でも壊れてしまうと“困る”ので予め防護の加護を施しておいて──昇っていけば行く程、身体から骨の軋む音が聞こえ出す。

 此処が“限界値”。

 そう感じた所で滞空し、地上を見下ろすと視界いっぱいに広がる広大な大地がそこにあった。

 知らない森、知らない高原、知らない湖に知らない街。

 そこには一体、どのくらい自分が未知とするものが溢れているのだろうか。

 力を抜いて重力に従う様に身を委ねると、広げた翼が風を掴んで滑空するように大空の中でその身が流れていく。


「……ははっ」


 こんな高揚感を感じたのは初めてかもしれない。

 いつだって誰かの命令通りに動いて生きてきた彼は、苦痛がない思考回路の中で初めて経験する“自由”に、夢中に成って空を駆け回った。

 皮膚が持ってかれそうな程豪速の中でスピンし、骨身が軋む程の重力の中で旋回して、痛いのがあれ程億劫で嫌いだったというのにその爽快感に浸ってしまった彼は一心不乱にその“箍”を外していく。


 知らない事は嫌いだ。

 ──でも知っていく事は楽しい。

 痛いのは嫌いだ。

 ──でも全力を出せるのは気持ちが良い。


 今までは“考えるな”、“自重しろ”、そう言われ続けていたけれどそれももう“我慢”しなくて良い。

 だって──自由にして“良い”、そう言われたのだから!


 此処には彼の“危うさ”を理解している者はいない。

 故に、止められる者はいない。


 彼の“危険性”を正しく理解して“考えるな”“自重しろ”と命令していた“アルクレス”はきっと、箍を外したこの怪物アーサーが軈て“そう”することを予測出来ていたのだろう。


 ──ふと地上を見下ろす。

 そこには小さな村が、人々が日々暮らすためにせっせと働き回っていた。

 それを視認した彼は湧き出る嫌悪感に、すぅ、と目を細め、そして首を傾けた。




 ──今此処で、“そう”したらどうなるだろうか?




 柘榴の目が獲物を定めるみたく、それを見詰める。

 思案出来る頭では、どうなるか、だなんて答えは簡単に解る事だ。

 でも彼は“直接”その目で見るまで確信を持つことは好まない。


 【百聞は一見に如かず】──そんな諺があるように。




 例えばの話だ。


 虫が苦手とする人が居る。

 大なり小なり、様々な理由でその存在を嫌悪し毛嫌う人は多い事だろう。

 人は理解出来ないものを嫌い、同じではないものを嫌う。

 構造も仕組みも思考回路だって天と地程に差のあるそれを、時に理由もなく理不尽に視界から排除し、害がなくとも不快なそれから心の平穏を取り戻そうと駆除する事は誰しもがあるだろう。


 そして、逆に“そう”じゃないとしても、だ。


 例えば──幼い子供が蟻の巣を見付けたとする。

 子供は好奇心の塊だ。

 “好奇心”、それは知らないを探し“解”を得ようとする心。

 その巣である地べたの小さな穴から何匹もの小蟲が出入りをしているのを見掛けて、好奇心豊かな小さな子供ならばどうするだろうか?

 眺めているだけならまだ良い、でもきっと経験したことがある者は少なからずいる筈。

 蟻を潰す、巣穴を埋める……中には熱湯を注いだり、逆にほじくり出したり。

 只“何となく”気になったから、そんな理由理不尽で害が無くとも玩具にするのは何も珍しくない話だ。


 まぁそれも、矮小な小蟲と圧倒的な力の差を持つ人間だからこその話で──彼にとっても、矮小な人間と圧倒的な力の差をもつ“化け物”だからこそ、そうなってしまうのだが。




 好奇心が疼く。

 その眼下の村へと徐に指した指先にて“バチッ”と電流が弾け始める。

 “何処”に落としたら一番“楽しい”か、思案している最中にも人間達はその高度上空の“それ”に気付く筈がないのでいつものように働き蟻の如く動き回っている。

 その理不尽・・・極まりない化け物の“戯れ”に定められたその村へと、指先に集まった魔力の光が次第に膨張を始め、軈て膨らみきったそれを放とう──とした時だった。


 彼よりもずっと遥か頭上、日が登りきって晴れた空にて一つの星が瞬いた。

 それは流れる星の如く空を滑り、火の粉を散らして天より墜ちる。

 次第に灼熱の炎を纏っていくその強大な力を孕んだそれは、真っ直ぐに“化け物”へと向かっていった。

 寸でで振り返れば目前となった燃ゆる巨球に“化け物”は咄嗟にその指先を向けてそれを放った。




 ──ドゴオオオオンッ




 凄まじい音を立てて鋭い雷鳴と砕け散る巨球との応戦に、吹き荒ぶ爆風が“化け物”の身体を遠くへと吹き飛ばす。

 受け身を取ろうにも地はなく、羽ばたき体勢を整えようとした矢先、突如身体がくんっと力が抜けてしまい彼はなす術もなく地上へと落ちていった。


「……? 嗚呼、“目的地”か。」


 相も変わらず、意思とは関係無く命令に従う身体だ。

 そんなことを呑気に思いながら、腕に抱えた気絶した状態の“精霊マーリン”をそのままに落下していくと──、




 ──バキッバキバキバキッ、ドシャッ




 落下地点に根差していた木々の枝を何度とへし折りながら落下速度を落としていき、着地の瞬間抱えていたそれを比較的柔らかい地点へと放り投げては自らは地面と接触する間際にそこへ拳を振り落とした。

 瞬間、振るった拳の風圧に旋風が吹き上がる。

 砂埃が巻き上がり、木々は薙ぎ倒され、触れていない拳の向こうに在った地面はめり込んで凹んでいる中、落下の勢いを殺して無事無傷に着地を終えた“化け物”は飛び散った塵や砂に顔をしかめては払い落とす様にふるふると頭を左右に振っていた。

 その最中に目元に付けていた筈の眼鏡がない事に気付いて、はて何処に飛んでいったか、くるりと見回して周囲を確認してみる。

 其処にはふくよかな草むらの上で伸びて転がっている“猫”と、少し離れた場所に見たことのない寸胴体型な直立不動の“鳥”が静かにじっと此方を見詰めていて、他に誰も“いなかった”。


「……? 気のせい、かな。」


 見られているのは気付いていれども、気配とその数が一致しない事に疑問を感じつつも直ぐに興味を失い、眼鏡眼鏡……と足元を探ってみる。


「何処で落としたかな……人を探すのは得意でも、物を探すのは苦手なんだよな。」

「……アンタが落ちた所、積もった木の枝ん所に引っ掛かっているぞ。」

「落ちた所? ……嗚呼、本当だ。此処にあったのか……うわ、割れてひしゃげてる。」


 不意に聞こえた声に違和感を感じることなく、言われた通りにその場所を見てみれば粉々には辛うじて成ってはいないものの、レンズは砕け金具は波打ってしまっていたそれに“化け物”はやってしまったと肩を落とした。

 そして、この程度ならば修復は可能な筈、と掌を翳すも自分の知識にないモノなので小さいながらに時間をかけながら、構造を読み取りながら修繕していると、その何処かから聞こえる声は再び“化け物”の耳へと届いた。


「なぁ、お前何で翼なんて生えているんだ?」

「さぁ……? でも“化け物”だから在っても可笑しく無いんじゃないかな。」


 レンズを嵌める金具の横に小さなネジが在るのを見付けて、それを真似して魔力で構成したパーツをもう片方の何処かへ吹っ飛んでしまったらしい空のネジ穴にへと埋め込んでいく。

 しかしその何とも小さなネジは“爪の長い”指先では上手く嵌める事が出来づらく、夢中になって集中して回しながら“質問”に答えていると、その声は理解出来なさげに「ふうん?」と相槌をしてまた声が聞こえ出す。


「化け物? 違うだろ、お前“人間”だろう?」


 ぴくり。

 “化け物?”の肩が揺れて、細かな作業に適した“人”の指先が漸くネジを穴へと埋め込む事が叶うと、息を吐いて顔を上げたそれは頭を横に傾けて思案を始める。


「“人間”……? 僕が? そんなこと初めて言われたな。」

「そうなのか? でも何処からどう見てもお前は人間じゃないか。人間は翼なんて生えていないけどな。」


 はて? 自分は翼は生えていないものなのだろうか。

 再び反対側へと頭を傾けて思案していると、背中の翼は徐々に退化していき軈て跡形もなく消え失せていく。


「人間……人間ねぇ、僕は本当にそうなんだろうか? だって皆が僕を──、」

「“俺”が人間だと言ったらお前は確かに“人間”なんだ。他の誰が言っていたとかじゃなくて、そんな事はどうでも良い。だって目で見れば解る事だろう?」

「……確かに。」


 器用に扱える指先に成ったことでテキパキと修繕を終えた“化け物ではない”は直ったそれを漸く目元に嵌め込む。

 すると作業で俯きがちだった彼の視界の内に、そこに誰もいないと思っていた目の前には誰かの足元が映っていた。


「俺も改めて見て“そう”思ったんだし……というかお前すげーな、眼鏡直せるんだ? 偉く器用な奴なんだな。」


 ゆっくりとその足元だけが見えていた人物へと視線を上げていくと、“アーサー”の目の前には先程まで全く気付かなかった、薄茶色の短髪の男がしゃがんで真っ直ぐに此方を見ていたのだった。


「……に、」

「ん?」

「人間ッ……!?」


 ひぃっ、とアーサーの喉から引き釣った音が漏れる。

 いつの間にこんなに近くに来ていたのだろうか。

 自身が酷く嫌悪しているそれが傍にいたことに驚き慌てふためいていると、今まで無表情に、それでいて興味深そうに此方を見詰めていたその切れ長の目が途端につり上がり、眉間に皺が寄せられ人相悪く感じる様になった顔つきの彼が「はあ?」と低い声を発した。


「なんだよ、人の顔見るなりビビりやがって。俺の顔に何か文句あんのかよ?」

「ひっ……ぃ、いや、なんでも……ない……です……っ!」


 凄まれて余計に縮こまってしまったアーサーに彼はより顔を不快そうにしかめると、アーサーはびくびくと震えながら目に涙を溜めていく。


「ごっごめんなさい、ごめんなさいッ……!」

「…………はあ、もう良いよ。泣かれるくらいなら怒る気も失せるし。」


 肩を竦めて溜め息を溢した彼はそうして立ち上がると、アーサーの横を通り抜けて未だに伸びたまま寝転がっていた猫──ではなく、マーリンの襟首を引っ張り上げた。


「ったく……オイ起きろ、いつまで寝てんだこのどら猫が! 早く起きねぇとお仕置きが増えるぞ!」

「ぴゃっ!? 起きます起きますぅっお仕置きだけは勘弁してください主さまああっ!」


 背の高い彼に持ち上げられて地にも壁にも付かない手足をばたつかせながらマーリンは寝起き早々悲鳴をあげる。

 しかし直ぐしてぴたりと暴れるのを止めたマーリンが閃いた顔をすると可愛い子ぶった仕草を見せながら持ち上げている彼へと猫なで声を向けた。


「あっでもでも、ボクちゃんと“アーサー・トライデン”を連れてきた事ですしぃ、今回の件はお見逃しって事にはぁ……?」

「ならん。黙って勝手にどっか行ったお前が悪いんだからな。……俺がお前の“見張り”も兼ねてるってのが、まだ自覚が足りてないらしいなぁマーリンよ?」


 それは効果音で表すとしたらきっと“ズゴゴゴ……”と恐ろしい音がなっていたことだろう。

 愈々正に鬼の形相となった彼はマーリンのその頭を脇に抱えては思い切り腕に力を込め締め上げた。


「仕置きだマーリン、覚悟しろッ!!」

「あっあっ待ってホントごめんなさっひぎゃあああっあいたた痛い痛いッ! 頭潰れちゃううううっ!」


 断末魔が辺りに響き渡る。

 茶番の様な仕置きの光景に、顔を真っ青にしたアーサーが呆然とそれを眺めていた。

 もしプロレス技というものを知っている者がいれば、その組み付きが“ヘッドロック”と呼ばれる有名な技であることは直ぐ解ることだろう。

 そして彼もそれを見て、“あれは滅茶苦茶痛いやつだ…!”と恐れおののいているのだから。




「……っと、今回はこれで許してやろう。次はもっと痛くするからな、覚悟しとけよ?」

「ひぃん……解りましたってぇ……ぐすん、主さまってば容赦ない……。」


 全力で締めたからか痺れた腕を回しながら言えば、しゃがみこみ頭を抱えていたマーリンが涙目でぼやく。


「当然だ、お前には容赦しないって決めてるんだからな。寧ろいい加減懲りてくれ、やる此方も疲れるんだから。」


 ふぅ、と一息吐いて見下ろすと、彼を見上げたマーリンが口元に拳を二つ並べて瞳を潤ませながら“きゅるんっ”とぶって「主さまぁっ」と再び猫なで声を発した。


「でしたらぁ主さま“好み”のこの可愛い可愛いマーリンのお顔に免じて、主さまが御疲れにならないようにお仕置きを止め──あっ待って待って、ごめんなさい何でもないですっ!!」


 話す最中に慌てふためきだしたマーリンの顔面には覆い被さる程の彼の掌が押し付けられ、段々と力を込められていく指先がこめかみへと食い込んでいく、所謂“アイアンクロー”だ。


「どの面下げて、どの口で言ってんだこのド阿呆がーーーッ!!!」

「ぃぎゃあああああああああああッ!!」


 再び始まった主従の茶番に、摺り足のようなささやかな足音が二人へと近付いてくると「主君」と笛のように澄んだ声が二人の鼓膜を震わせた。


「…ん? どうした、“モーガン”。」


 マーリンから視線をそちらへ向けると、そこにはアーサーと同じ位の年代に見える精巧な人形のように整えられたさらさらと真っ直ぐに流れる短い金糸の髪を携えた少年の風貌をした人物が、黒いローブの背中から伸びた燕尾を背後の膝下で揺らめかせながら佇んでいた。

 “モーガン”と呼んだ“彼”と何処と無く似たそれは、視線が交わると長い睫毛をそっと揺らす様に目蓋を伏せては軽く頭を下げると薄くも形の良い唇をゆるりと開いた。


「…先程、“アーサー・トライデン”が逃亡なさいました。如何なさいましょう?」


 「は?」と二人分の声が重なり、“彼”とマーリンが顔を合わせる。

 見れば確かに、そこにいた筈のアーサーの姿はなく、もぬけの殻となったそれを見てマーリンは「嘘でしょー!?」と喚き、“彼”は痛そうに苦々しげに頭を抱えた。






 森を駆ける、顔面蒼白の彼は一目散にその場を離れていく。


「無理無理無理ッ…“主さま”っていうのがあんな怖い人だって聞いてない! というかあれ人間だし、気持ち悪いッ本当に無理過ぎるッ……!!」


 そもそも精霊が“主さま”と呼ぶ事自体に、その相手が何者なのかをよく考えておくべきだった、そう考えては後悔を胸に涙ぐむ。

 いつもならある邪魔な鎖も無い為に、ずっと早く駆けていく彼は木々を潜り抜け、枝を渡り、木の葉を掻き分けて、とまるで獣のように両手足を駆使して障害物をものともせずに駆けていた。

 暫く走った頃に、此処まで来れば大丈夫だろう、そう思って立ち止まると軽く地面を蹴り上げては自身の背よりもずっと高い、立派に成長した木の上へと跳び上がった彼は視界の開けたそこで辺りをぐるりと見渡した。

 一面の木々による緑の絨毯が四方向に広がる、とても広大な森だと言うことが視認した範囲では理解出来る。

 そしてそれよりも上、上空の方を見遣ると彼の星の瞳孔がきゅっと縮まり、何かを睨み付ける様にして目を細めた。


「さっきの……“何か”から攻撃されたな。」


 天空より振り落とされた業火の巨球。

 見たことのない自身へと向けられた“脅威”に、苛立ちの様な、逆に気になってしまうような感覚を覚えながら正体不明の“敵”へと思考を巡らせる。

 すると──、


「……ん? なんか、身体が……?」


 まるでくんっと細い糸で引かれる様な、些細な感覚。

 それを感じたかと思えば“そうしよう”と思った訳でもないのに身体が勝手に走り出し、抵抗する間もなく“元来た”道を走り始めたのだ。


「……えっ? え? 何、どういう──、」

「……っし、捕まえた!」


 意思とは関係無しに駆ける足があっという間に辿り着いたそこは見覚えのある場所で、アーサーが顔を真っ青にする頃には聞き覚えのある声がそう叫んだ。

 途端“ぷつん”と糸が切れた様な感覚がしたかと思えば地中から現れ出た分厚い木の根が厳重にアーサーの身体を縛り上げては、混乱して何が何だか解らなくなっている彼へと、その“人間”は歩み寄ってきた。


「悪いな、アーサー。此処でお前に逃げられたら“俺”が凄く困るんだ。折角一緒に来て貰う為に此処まで呼んだんだしな、話くらい聞いて貰おうか。」


 木の幹に縛り吊るされてひっくり返ったアーサーの目元の眼鏡がずるりと片方だけずり落ちる。

 その“人間”だと思った彼の姿はグラス越しには見え、裸眼越しには何も“見えない”。

 改めてそれに気付いて困惑と混乱に理解に苦しむような現実に、アーサーは思わず疑問を口にした。


「貴方、一体何者なの……?」


 身体を操られているかのような謎の糸の感覚、“見通す”目から見えない“姿”、そして精霊のようで精霊ではない“別物”の何かを“二つ”引き連れた謎の人物は、アーサーに訊ねられて「ん? 嗚呼、まだ名乗っていなかったか」と呟く。

 そして見たことのない変わった風貌の上着のポケットから突っ込んでいた手を出しては腕を組み、高圧的に見えなくもない態度の彼はアーサーを見下ろした。




「俺は一織、“神村一織かむらいお”だ。これから宜しくな、アーサー。」




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