7.物語の幕開けは宣言と共に。

 ──昔から何度と、同じ夢を見る。


 荒廃した世界、焼け朽ちる大地、逃げ惑う人々の群れ。

 悲鳴混じりの雷鳴が鼓膜をつんざく中で、自分はぼんやりと移り変わる景色を眺めていた。


 何を考えていたのだろう? 否、何も。

 何をしたかったのだろう? 否、何も。


 只漠然とした不安の中で、思い通りに動かなくなった身体が炎に包まれていった。


「お前だけは、絶対に赦さない。」


 そんな声が聴こえた気がして、「嗚呼そうだろうな」なんて、何の事かも解らないのに納得してしまう。

 次の瞬間には身体が灼熱の業火に包まれて焼ける皮膚が溶けてしまうような痛みが、炙られて腹の内に籠るマグマを注がれたような熱気が、これは夢なんだと頭では解っているのに苦しくて、苦しくて、痛くて、辛くて──、




「ああああああああああああああああああッッ」




 痛い、痛い、痛いッ!

 全身が熱くて、熱気を吸い込んだ喉が焼けるッ!!

 黒く焦げる肉に蒸発していく血流、焼けて溶けた眼球が熱を孕んで頭の奥を更に焼いていく!

 苦しい! 痛い! 熱い! 辛くて、辛くて仕方がない!!


 堪えられない程の苦痛に襲われて、何度炎から逃れようと身悶えようとしても、足も手も言うことなんて聞いてくれやしない。

 どうしてこうなったんだと訴えようにも、喉は遂に干からびて声も出せないし、見たくもない地獄の様な光景から目を逸らす事も出来ない。

 涙なんて溢れた瞬間に蒸発していく拷問の様な夢は、寝入りから朝まで、長く深くじっくりと自分を壊しに掛かってくる。


「もう……いっその事早く、殺してくれッ……!!」


 掠れて声に成らない懇願は誰に向けたら良いのか。

 低く嘲るような嗤い声が辺りに響く中で「もう駄目だ」と折れてしまう直前、一筋の雷鳴が炎を裂いた。


「(……嗚呼……また…………)」


 消え失せた炎からの解放感に、長く続いた苦痛による疲労感に、前のめりに倒れこむとそこにいた誰かの胸に抱かれる感触がした。

 受け止める為に両腕を開いていたのか、その瞬間身体は腕の中へと包まれていく。

 朽ち掛けた身体を労ってくれているのだろうか、抱き締めた背中を優しく撫でてくれている。

 ぎゅうと力強くも優しくもある加減で、包み込まれた身体は今までの苦痛が嘘みたく忘れることが出来た。

 頭上ではその人が子守唄を口ずさんでいるのか、耳馴染みのあるその音色がどうにも心地好くて、疲れたのもあって酷く微睡みを誘ってくる。


「大丈夫。【 】が護ってあげるから、安心して眠って。」


 何処かで聞いた声が耳元で囁いて、信頼出来そうなその声に甘えてつい眠たくなってきた眼をゆっくりと閉ざしていく。

 意識が落ちかける中、いつも思うのはいつだったかにもそうやって慰めて貰った様な気がする事。

 胸を締め付けるような不安の中で涙を流す情けない自分に「大丈夫だよ」と一番に囁いてくれたのは一体誰だったのか、目が覚めるといつだって夢の内容も疑問ごと思い出せなくなってしまうのだ。






 *****






「……また、寝落ちていたか。」


 執務室の机に突っ伏していた、赤い痕の付いた額を擦る。

 昨夜から寝ずのつもりで残りの仕事をこなしていた最中襲い来た睡魔にいつの間にか負けてしまっていたらしく、疲労感が未だ残る首を回しながらぱきぱきと骨が鳴る音を響かせては凝り固まった背筋を伸ばそうと上半身を起こす。

 その時はらりと何かが自分の背中から滑り落ちたのに気付き、見ればブランケットがくしゃくしゃになって地べたに寝そべっていた。


「ん……兄上か? あの人はまた朝早くから……」


 外はまだ薄暗く、漸く顔を出した日の光がじわりじわりと世界を照らそうとしてくる最中だ。




 ──遂に、此処まで来た。




 出る朝日に拳を握り締める。

 かつて膨大かつ強大な国力を持ってして、戦争三昧と弱者をなぶる事に愉しみに見出だしていた父は既にいない。

 自分を王に押し上げようとする古い家臣達を押し退けて、漸く優秀にして最愛の兄が日の目を見る時が来たのだ。

 式典は今日の朝と昼の間の内に、まだ早朝だとしてもやることは沢山残っているので二度寝なんてしていられない。

 ぱしん!

 気持ちの良い音を立てて己の胸の前で掌に拳を打ち、気持ちを引き締めると「……よし!」と意気込み部屋を後にする。


「先ずはあの寝坊助兄上を叩き起こす所からだ。……全く、毎夜毎夜とあの人は何を夜更かししているのやら…!」


 ブランケットを脇に抱え、手入れの行き届いていないボサボサ頭を手櫛で整えながらとバタバタ早足で行く。

 今日もきっと、侍女が困った顔で脇に立って「弟か妹に起こされたい」なんて我が儘を言う兄を想像し、溜め息混じりに笑みを浮かべて彼は兄の寝室へと向かったのだった。




『……あーあ。』




 落胆の声が、誰も居なくなった執務室に響く。

 ふわり、と浮かんで瞬くその色は黒。


『随分とつまらねェ奴になっちまったなァ、“俺の”アルクよ?』


 見下した様な、嘲る様な声は窓をすり抜けては執務室を出ると、自らが今まで眠っていた場所へと戻っていく。


 アルクレスの自室、殆ど使われないベッドの脇。

 彼は昔から夢見が悪く、休養を取るのに自ら横になる事はない。

 体力の限界まで仕事に見廻りにと睡眠時間を割き、限界となればぷつりと意識を飛ばして王宮の何処かに突っ伏している彼は、いつだって兄や自身の部下、そして“犬”にと手短な寝台やソファーに寝かされては魘されていた。

 故に彼はいつだって余裕なく苛々と目の下の隈は日常的に、王族だというのに髪の手入れも行き届かず、ストレスからか頻繁に掻き乱す為に跳ねた頭は放置される事となった。


 そんな彼の、滅多に利用されない自室には一つの封箱。

 そこへと漂い辿り着けば黒い光は何の障害もなくそれをすり抜けて入っていく。

 暗闇に包まれた空間で、暫く思案していたらしいそれが“良い”事を思い付いたとばかりにくつくつと笑い声を溢し始めた。


『そうかそうか、今日は式典の日か。俺もかなり消耗して偉く寝坊しちまったが……はは、こりゃ面白くなりそうだなァ!』


 ケタケタと光が震えて愉快そうな黒色。

 

 ──からん。


 封箱の外で硬質な物が落ちる音がした。


『“兄”の即位祝いに、俺からの餞別だアルクレス。何よりも“大事”なものではあるが……上手く使ってくれると嬉しいぜ?』






 *****






 朝日は登りきり、時は満ちた。

 人類の楽園、スケルトゥール王国では全国各地で新たな王に期待を寄せての御祝いに賑わいを見せる。


 人は叫ぶ、ソロモン王万歳!

 歓喜を声にする、スケルトゥール万歳!


 つい何年か前までは知らなかった王族長男の名を叫び、人々は嬉々として両腕を振り上げる。

 王宮の、国中を見渡せるテラスへと姿を見せるのは彼等の新たな指針となる国の長。

 人々の視線がそれに釘付けとなる中、その人は胸元に王笏を当てると空いた手を民へと振り翳し、誓いの言葉を述べるべく“宣言”をする。




「我、ソロモン・デル・スケルトゥールは王国民、延いては人類の未来の為に此の身を捧げ、守護し、導く事を此処に誓おう。」




 その宣言は名実共に新たな時代の幕開けとなり、瞬間人々は喜びに歓声を上げた。

 熱狂的な歓声は国中へと広がっていく。

 誰もが歓喜に涙し打ち震え、喉が割けんばかりに期待をその賛美の声に乗せた。


 ソロモン王万歳!

 ソロモン王万歳!!

 ソロモン王万歳!!!


 それは端から見れば余程民に好かれた王なのだろう、そう思わざるを得ない光景だ。

 何千何万の賛美に囲まれたその男を、輝かしい未来を切り開いてくれるその人こそ! と。


 自身を讃える声に包まれた彼が、その光景に顔を青ざめて只々呆然と立ち尽くしているだなんて──誰も思いやしないのだから。






 *****






 ──時は遡り、式典開始前。


 いつもならば歩けば誰かとすれ違う事の多かった王宮が、今日はシンと静まり返っている光景には新鮮さと非日常感を感じ入る。

 この式典を終えれば自分は今までと全く違う立場となる。

 そう思うと少しばかりこれ迄の日常にノスタルジーを感じるのと同時に、これからやるべき使命を想って自然と背筋が伸びてしまう。


 ──嗚呼、何度経験しようとこの瞬間は緊張してしまうな。


 かつて自身を讃える民達の歓声に包まれて、彼等の内で“自分”という存在が固定されていく感覚を思い出すと人々から求められている満ち足りた感覚と、自分が自分でなくなっていくあの“喪失感”が蘇ってくる気がして、背筋を走る悪寒に思わず腕を擦る。

 身動いだ時に足元で揺れた、普段は身に付けないそれへと視線を落とす。

 豪勢な彩飾を施された剣だ。

 王家に代々伝わるその剣は国宝で滅多に表へ人の目に晒される事はないものの、やはり剣であるからこそその切れ味が凄まじい事は身に染みてよく知っている──“今”はどうだか知らないけれど。

 懐かしさのある腰元の剣を撫でれば、あの心から“人”として一生を過ごせた昔の事が、今だけはまるで昨日の事のように思い出せる事が嬉しくて、懐かしむように、慈しむように──すがりたくなる気持ちに彼は目を細めた。

 ひたすらに長い廊下を歩いていくと突き当たりには、一層仰々しい華やかな細工が施された扉が閉ざされた状態で佇み、その脇に立っていた黒甲冑の騎士がソロモンの到着に気付くと恭しく頭を垂れた。


「御待ちしておりました、陛下。間も無く式典を開始致します。」


 自分の知る誰よりも大きな体格の大男が、身分が上なだけの年下の自分に頭を下げる様に擽ったさを感じるも彼の言葉を聞いてソロモンは困ったように笑んだ。


「まだ陛下と呼ぶには気が早いんじゃあないか? フリード卿。」

「……私はこの時を今か今かと待ち続けておりました。漸くこの喜ばしい瞬間に立ち会えたのです、此度はどうか御見逃しして頂けませんか?」


 黒甲冑の男──シグルズ・フリードはそう言ってその少しくたびれた顔を僅かに上げると口角が少し上がっているのが見られ、堅苦しいかと思いきや茶目っ気がある様を見せてくれていた。


 かつて自分が幼い“ソロモン”であった頃に、あの悪逆非道の限りを尽くす前国王への反発に毒を盛って投獄された男だ。

 ……あれは妹の歓迎パーティのことだったろうか?

 彼女のもう一つの故郷から王国へと王族後継者の一人として移ってきたミネルヴァがアルクレスに連れられて、自分が療養するに籠らされていた王宮の端の部屋にまで態々訪れてくれた事で漸く顔合わせが叶い、兄妹としても初めての談笑に花を咲かせていた最中、離れていたパーティ会場が随分と騒ぎになっていたことを思い出す。

 アルクレスに頼み込んで、首を跳ねるのを止めて貰って以来何とか処刑は免れたものの彼はつい最近まで終身刑の身であったのだ。

 昔は王国一の騎士団を率いる身であった彼だ、きっと無闇矢鱈に他国へと戦争を引っ掛け只ひたすらに弱者をなぶるだけの非道それに抵抗したかったのだろう。

 そうやって無駄に命を落とす事となった……落とさせてしまった者達の為にも、一矢報いたかったのだろう──だから、救った。

 父親を殺した日、そのまま弟と二人で“クーデター”を起こして前王派と対峙しながらも、彼の為に成ればと想い作った“グレートソード”を振るうアルクレスと、自分達に付き従ってくれる人々を探して王宮を走り回ったあの日。

 地下牢で死を待つだけの余生を過ごす筈の彼を拾い、共に王宮の戦場を駆け回ってからは己に忠誠を誓ってくれたその男を見て、目を細めて「嗚呼そんなこともあったな」と懐かしく想う。

 その時は前王の支配下だったアーサーをミネルヴァに足止めして貰っていたんだったか……そう脱線しつつもそんな思い出に耽るソロモン。


「(“同じ”罪を重ねて自らそれに償おうというのならば、“私”達は同志だ。彼の為にも、私はこの国でやり直さなくては。)」


 人知れず奮起しつつも、この頑として敬称を正す気のない男の悪戯っぽい笑みに釣られて思わず此方も笑みが溢れてしまう。

 だって、此方が駄目と言ったところで聞く気は一切無いらしいのだから。


「仕方がないなぁもう、好きにしなさい。」

「は、有り難き幸せ。」


 幼少の頃から付き合いのある信頼の置ける部下とのささやかな談笑に、気付けば肩の力が抜けて緊張が解れていた。

 知らず知らずの内に気を張っていた事に早々に気付いた彼からの心遣いに顔を綻ばせると、フリードも微笑みを返しそして改めて一礼した。


「御時間です。玉座の間へ、御入場を。」

「……嗚呼、行ってくる。」


 扉が重々しく開かれる。

 眼前に広がるのは両側に整列した国を護る騎士達。

 期待と懐疑が混ざりあった目が自分へと集まる、国内外から集まったゲスト達の視線。

 そして際奥では白の祭服にミトラを被った老々の男が佇み、その先に伸びた階段の上部には玉座が。


 ゆっくりと深紅の絨毯を踏み締めて玉座へと向かう。

 こんなにも人が集まっているのに、静寂な空間では自分の足音しか響かない。

 やがて階段の手前で立ち止まると祭服で身を包んだ老人の方へ身体を向けてボウアンドスクレープをしようと頭を下げかけた時、彼はそれを止めるように掌を見せた。


「……暫く見ない間に随分と御立派に成られましたな、ソロモン殿下。私めは殿下の御成長を、大変喜ばしく思いますぞ。」


 自分にしか聞こえない程度の声音、聞き心地の良い嗄れた声で老人は囁く。

 老いて垂れた皮膚で瞼が上がらない目には少し涙が滲んでおり、己の頬に添えられた皺まみれの細い手はかさついていて懐かしい温もりがあった。


「……大祖父様も、また皺が増えてしまいましたね。」

「はは、我ながら長く生き過ぎたと自負していますとも。しかし生い先短い此の身で我が孫娘の子の、こうも素晴らしい門出を祝う場に赴ける機会があろうとは……長生きをした甲斐がありました。孫娘も生きていればきっと、其方の姿を見れば今頃喜び泣いたでしょうなぁ。」


 そして亡くなってもう暫く経つ母に想いを馳せているらしい老人に、彼は目を細めて見詰めた。


「(私はその彼女に会った事はない・・・・・・・けれど……嗚呼、そうだろうな。この“身体”の記憶を見ても、とても素敵な女性だった。)」


 そう思うと同時に、“別の”歴史では既に命を落としていたこの老人の事を想う。

 彼は数年前に部下に裏切られ暗殺される筈が、それよりも前の時期に偶然、彼の本拠地とする教会から留守にせねばならない事が出来てしまったのだ。

 それはミネルヴァからの願いにて、最愛の孫娘の遺した忘れ形見息子たるソロモンの治療に役立つ人材を探すに出掛ける必要があり、その最中に本拠地にて暴動騒ぎが起きてしまいこの老人の命を狙っていた男こそが逆に命を落とす羽目となったのだ。

 本来ならばその自らの部下に葬られてしまう筈だったこの老人は、かつて我が身恋しさに敵国の王が惚れ込んだ愛娘を“帝国”の長へと献上し、優しさが仇として愛玩具として命を散らす事となった、彼女が残した“忘れ形見”を一人遺して逝くことを死に間際に悔いていた。

 ……なまじ人質のような妃の息子だ。

 幼いながらに発症してしまった持病が重いこともあってか、生きる事が苦痛でしかなかったろう。

 自身を囲む周り全てが母を殺した敵として、その敵に命運を任せねばならない身体を、かつて“彼”と出会った少年は漸く長い苦痛から解放されることに心から喜びその身体を明け渡した。


 “ソロモン・デル・スケルトゥール”。


 行き過ぎた博愛精神故に身を滅ぼした“彼”に、人の悪意・憎悪を知れと助言した少年の名。

 彼の身を手に入れてからは“長く繰り返す時”の中を延々と逃れ続けるよりもずっと、苦しく、辛く、そして寒かった。


 初めて人々から見放されて、寂しかった。

 初めて苦痛が続く身体と成って、痛かった。

 初めてたった一人きりとなって、心細かった。


 嗚呼、こんな人生も在ったのだな、なんて、いつもは救う側で在った彼は締め付けるような痛む胸を抑えて、眠れぬ夜を何度過ごした事だろう。

 一際苦しくて吐き出した咳が喉を切る程のあの時に、あの今では愛おしくて堪らない弟が、アルクレスが開かずの扉を開いて現れた時にきっと世界は変わったのだろう。

 初めて誰かに手を差し伸べられて、少し冷たいのに何処か温かさを感じたあの手が今の自分を生かしてくれている。

 “名”を呼ばれるより上回る嬉しさに、笑顔を向けた時の彼の戸惑った顔はきっと以前の“ソロモン”とはかけ離れていたからこそ、違和感を感じていたのかもしれない。

 あれからあの、かつて己の騎士として誰よりも強く知識豊かな誇り高き竜を宿した子供であるアーサーと廻り合い、軈てアーサーがソロモンの病を治し得るまでに医療技術を惜しげなく学ぶ機会を与える事となるミネルヴァとも出逢い、そうやって“彼”はまた気の許せる仲間を得ることが出来たのもアルクレスがいてこそだ。


 だからこそ、報わねばならない。


 与える者であるがこその“大精霊”だ、受け取ってばかりではいられない。

 いつからかは解らない、人々を等しく見ることが出来なくなった様に思う──だってこれ程までに彼等の方がずっと愛おしくて、大切で堪らない。

 “父親”を殺した時には罪悪感よりも、一層清々しさすら思えたように感じた──大切な彼等に害があるならば、躊躇などしてられない。


 ──きっと今なら、かつての“罪”から脱却出来る筈。


 そんな思いを胸に、“ソロモン”とは高祖父と玄孫の関係を持つ老人と向き合えば、鼻を啜る老人が細い指で目頭を拭っては改めて向き合った。


「此の度の王位継承、大狼の御身に身を包む竜神を祀ります竜神教が長──ウールヴ・フルールは、其方──ソロモン・デル・スケルトゥール殿に賛辞と祝福を、スケルトゥール王国には平和の繁栄を、御祈り致しまする。」


 竜神教で尤も相手に敬意の意を示す胸に掌を当て頭を下げる動作を向けるウールヴに、ゲスト達は僅かにどよめいた。

 彼の統治していた狼の形を成した竜を祀る信仰深い国は、かつて数十年も前に他国と共に纏まったスケルトゥールという国名に変わり、今では王国の代表とする宗教として多くの民に親しまれている。

 そんな国教とも言える信仰で、高齢の身で今も尚筆頭として存在する彼が個人に祈りを捧げるのは、王族かつ血縁を持つ者が相手とは言え滅多なことではない。

 そして後ろに控えていた従者が赤い布に包まれた物を手渡されたウールヴはそれをソロモンへと恭しく献上した。


 手に取ったそれはスケルトゥールの、もっと言えば竜神教信者達の至宝たる“竜の目”と呼ばれる藍色の夜空が映し出される宝珠と、かつて勇者が倒したと言われる魔王たる大蛇が残した“竜の角”と呼ばれる透き通る翠色の輝く水晶体の二つが組み込まれた王笏だった。


 頭を上げて微笑みを向けるウールヴに、言葉にするのも難しい程の感情を抑えながらそれを手に取りお辞儀で返すと、ソロモンは意を決し玉座の佇む階段へと歩みを進めた。


 やがて玉座が目の前となるとソロモンは振り返り玉座の間を一望した。

 その光景は、人々が新たな王の誕生という歴史的瞬間を見逃すまいと一心にソロモンを見上げているものだ。

 そしてその中に、愛おしくて堪らない弟と妹の姿も。

 友人は既に国を出た頃だろうが、“後は任せて”と瞳を閉じて覚悟を決めればその澄んだ蒼の瞳を正面へと向ける。


 漸く、此処まで辿り着けた。

 此処からがスタートだ。


 ソロモンは胸元に王笏を当てると誓いの言葉を述べるべく、口を開いた。




 ──その瞬間だった。




「続きましては、新たなる王へと最強たる王国の“剣”、そして勇者たる“アーサー・トライデン”の忠誠の誓いを行います。」


 静寂を破ったのはソロモンではなく、会場脇の家臣たる男。


 ざわざわとざわめき始める会場に、ひやりと血の気が引く思いにソロモンの表情が凍り付く。


「(……まさか、そんな……、)」


 その言葉の意味を理解して、“恐怖”を感じてしまう彼はよろりと後退る。


 こんな公衆の場で“そんなこと”を誓ってしまったら。


 無理矢理に存在を固定化させてしまう様な行為に、“名付け”こそが命である大精霊だからこその、凄まじい危機感と恐ろしさにぶわりと素肌が粟立つ。


「(…………大丈夫、大丈夫な筈だ。だって……だって、アーサーは……!!)」


 自分が国外へと逃したのだから。


 今思えば賢明な判断だったと思う。

 自分もこんな事があるとは思っていなかったし、周りも聞いていなかったのか、ざわめきはより強くなっていく。

 視界の奥では何やら慌てふためきだす彼等の姿に、アーサーが此処に居ないことを察して思わず安堵に肩を落とす。


「(そうか……だから今までの彼は、逃げようにも逃げられなくなっていたんだね……。)」


 荒れた大地で呆然と立ち尽くす“かつて”の彼の姿を思い出す。

 たった一人で大勢になぶられ、汚され、人としての尊厳すら持ち合わせることすら赦されなかった彼の最期はいつだって凄惨だった。

 自身の意思はなく、声を持ち合わせず、無感情に言われるがままに剣を振るう彼。

 主君に殺される事もあった。

 自ら命を断つ事もあった。

 ……化け物と蔑まれ、人々の手で屠られる事もあった。

 何度救いの手を伸ばそうと思った事か。

 我が“娘”からの「今はまだ」と、彼女とて見ていられない筈の悲痛な制止で“何とか”あえなく叶わなかったのだけれど、あの虚ろに自らが起こす血みどろな地獄を映していた瞳を想うと今も胸を締め付けられる思いにかられてしまう。


 周りからは「勇者だって?」「実在しているのか」「何処に居るんだ」と口々に驚きや戸惑いの声が上がり、慌てて仕切り直そうと司会の家臣が誤魔化す文言を周りへと声かけていく。

 彼が居ないのならばどうってことはない。

 後は自分が、名乗りだけを他者に任せて“宣言”だけをすれば事足りるのだから。

 名乗れば存在を自ら“認めて”しまう、それではいざと言う時に逃れられなくなってしまう……それは凄く“不味い”事だ。

 そう思った矢先だ、一人会場を後にして去っていく姿に気付く。

 どうして今、と問うた所で何故かは考えれば直ぐに解る。

 だって、アーサーがいない事に気付いてしまったのだから。


「アルクレス……!!」


 思い詰めた顔で走っていく彼の後ろ姿には到底届かない場所のソロモンの手は、空しくも虚を掴む事しか出来なかった。






 *****






 走る。

 走る。

 見慣れた廊下を、無駄に広い王宮を、忌まわしい名を叫びながら「出てこい!」と命令形で怒鳴り付けてもそれは姿を現さない。

 今までこんなことはなかった。

 絶対に逃げ出す筈なんて無かったんだ。

 何が足りなかった?

 恐怖、暴力、それとも……人質?

 身体が冷たくなる、血の気が引いて。

 怒りが沸き起こってる筈なのに、頭の中では別の感情が渦巻いている。


 ──嫌だ。


「お前がいないと、次は俺が……ッ!!」


 古い家臣達が己を見る。

 その目は蔑みの念が孕んでいて、アーサーじゃなくてもどう思っているかなんて解りきった事だった。

 幾ら口では持ち上げようが、その向ける目が物語っている。


 裏切者の末裔、と。


 この国は狂っている、幼い頃から暮らしていてそれはよく理解しているつもりだ。

 腐ったこの国じゃ、“勇者”なんて食い物にされるだけ。

 現実が、伝承がそういっているんだ、今も昔も……ずっと!


「嫌だッ……こんな、筈じゃ……!!」


 無我夢中で走り向かった先で、視界に入った鏡が自分を映す。

 母親によく似た、切れ長の目に線の細い顔に紅い髪。


『……ごめんなさい。あの男との子と思うと、貴方を愛せる気がしないの。』


 記憶の中の彼女が言う。


「……ッあああ!!!」


 がしゃんっパリーンッ!


 振り上げた拳が壁にヒビを入れながら鏡を割る。

 嗚咽を溢しながら、うちひしがれながら拳を打ち付けたまま壁にもたれ掛かった身体がずるずると膝から崩れ落ちる。


 この国に来てから、ずっと独りだった。


 味方はなく、そして母は亡く、父からは子ではなく“代用品”としてしか扱われず、王宮の中で夢に魘されながら眠れない日々の中で平常を装って役に立たねばと孤軍奮闘していたのだ。

 他人を蹴落とすのが愉しくて忙しい腐った人間ばかりのこの世界では、身を守る為の“盾”がないと安心なんて出来やしなかった。


 “あれ”を殴れば、皆自分を仲間だと受け入れてくれた。

 “あれ”に罵倒すれば、皆そうだと頷き聞き入れてくれた。

 “あれ”が側に在れば、皆の自分を見る目が恐れに変わっていった。


 強者で在らねばならない、侮られない為にも。

 弱者に堕ちてしまえば、自分もきっとあれと同じ末路となってしまう。

 幸い自分には人より力が強いから、きっと大丈夫だろう──馬鹿か! 自分よりずっと強い“怪物”がああなっているのに、そう思える訳がない!

 いつだったか、兄の治療の為になればと“あれ”に治癒魔法の事を話した事があった。

 始めは只の冗談のつもりで。

 「解らない」というので何となくそれに纏わる話をした。

 「“情報”が欲しい」と言うので気紛れに医学の本を与えた。

 モノに出来そうだからと「構造が“知りたい”」そう言って自身で用意したそれらを“事細か”に自ら切って並べていたそれらを見て、吐き気を催した。

 皮膚、内臓、繊維から血管と手に持ったナイフで異常に精密に切り分けたそれを、細かく並べて更に詳しく読み取ろうと死体の一端を手に取りまじまじと見て回る子供に、それを目の前にした幼い自分は純粋に恐怖を感じた。

 知識を得ることに酷く貪欲で異常な程執着を見せたそれに、思わず「考えようとするな、思考するな」と命令してからはすっかり阿呆らしくなったことは果たして安心するべきか否か。

 あんな人を人と思わない異端者を、どうしたら“怪物”以外に言い表せる?

 そしてそんな“怪物”を飼い慣らし、使役しようだなんて愚策を思い付くこの国も同じくらいに恐ろしい。

 ひゅぅ、と喉から音がなる。

 呼吸がし辛い、苦しくて仕方がない。

 魔法が使える妹と違って力が強いだけの自分が、戦う以外に能がない自分が、“限り無くアイツに近しい”自分が、どうなるかなんて想像したくもなかった。


「……にぃ、さ……ッ」


 喉を抑えて、掠れた声が今すぐ泣きすがりに行きたい人の名を呼ぶ。

 でもそんなことをして幻滅されてしまうのが嫌で、必死でその想いを噛み殺してヨロヨロと立ち上がった時だった。


「……? 呼ばれて、る……?」


 微かではあるがそんな感覚を感じた気がした。

 ふらりと覚束ない足が無意識に、引き寄せられるように、そちらの方へと進められていく。

 こつり、こつり、一歩、また一歩と進んでいった先には、いつの間にか普段使わない自室の前で。

 恐る恐るドアノブに手をかけて開けてみれば、最近は手入れがされておらず少しだけ埃っぽい臭いが鼻腔を通った。

 余り来なくとも馴染みのある部屋だというのに、何故だか違和感のような異質な感覚が肌をピリつかせるそれに不安と、それ以上の好奇心に突き動かされて部屋へと足を踏み入れた。


 ──ことん。


 不意に何かが落ちる音がして咄嗟に振り返りその正体を見る。


「……銀色の、鍵? こんなの持ってたか……?」


 机の直ぐ下に、いつから在ったのか重厚かつクラシックな銀色の“鍵が”床に転がっていた。




『手に取れよアルクレス、そうしたら世界はお前の望むままになるぜ。』




 そう“誰か”から言われた気がして、言われるがままにそれへと手を伸ばす。

 触れた指先が一瞬、その冷たさの余りに驚いて弾いてしまったけれど、もう一度摘まみ持ち上げればそれは淡く光を放ち始めた。




『おかえりなさい……ってな、漸く俺の元に戻ってこられたな。』




 鍵を見詰める彼の髪と同じ紅い目に、じわりと影がかっていく。

 暗く、深く、真っ暗な瞳がゆっくりと瞬きをすると、その切れ長の目が怪しげに弧を描いた。






 *****






「ハッ、ハァッ、ぅぐ、ゲホッけほっ!」


 胸が酷く苦しくなってくる。

 式典の最中だったが“トラブル”があったこともあり、それ所じゃなくなったのを好都合に、病み上がり故の体調不良を理由に少しだけ暇を貰って王宮内にて足を進めていく。

 脂汗が額を伝い、しきりに落ちるそれが進む先の床を濡らしてはずり足がそれを伸ばしていった。


「あ……アルク、レス……!」


 先程走り去っていった弟の名を呼ぶ。

 普通ではない様子だった彼の心情を察するに、放っては置けず追い掛けてきたのは良いが先程から進めば進む程に具合が悪く悪化していく。

 貧血みたいに視界が歪み、意識が朦朧とする中で目の前から誰かが此方へと向かってくるのが微かに見えた。

 手を伸ばそうとして、足が縺れてしまい前のめりに倒れ込んでしまい──誰かに受け止められた。


「大丈夫か? 兄さん。」


 聞き慣れた声についぱっと顔を上げて「アルクレス!」と苦しいのも吹き飛んで嬉しげな声を出してしまうが、見上げた顔の真っ黒く濁った瞳を見てソロモンの表情は固まってしまう。

 それ以上何も言わず、戦慄いて身を引いたソロモンが踵を返して走り出そうとするも、また激しい咳き込みを起こしてその場に崩れ落ちた。

 そんな兄を見下ろして“アルクレス”はにっこりと笑みを浮かべると「場所を変えようか」と、手にした銀の鍵を宙に向けてくるりと回す。

 じわり、と鍵の先端から闇が広がっていき、それは辺りを包み込んだ。

 ソロモンが伸ばした手の先にまで周囲全てが黒に塗り潰されると、カツカツと足音を鳴らして近付いてきたアルクレスはその後ろ姿の肩を掴んでにんまりと笑んだ。




「逢いたかったぜ、兄さん。随分と面白そうな事をしているじゃねェか。また俺も混ぜてくれよ?」

「ッ……私も、逢いたかったが、今はだけは逢いたくなかったよ…我が弟……!」




 そしてソロモンの睨むにしたって敵意にも満たない様な生温い眼差しに、思わず笑ってしまうアルクレスがクックッと喉を鳴らしては手で額を覆う。


「逢いたくなかった、ねェ? 俺の他に新しい弟作って人生エンジョイしてたみたいで、妬いちゃうなァ。もしかして俺の事忘れてたり?」

「する訳がないだろう? 今も昔も血を分けた兄弟は御前だけだよ。それに私が此処まで来たのは、御前を止める為に……っぐ、ゲホッゴホッ…!」


 胸を抑えて踞るソロモン。

 面白げだった表情は成りを潜め冷めたみたく不快感露にした“アルクレス”は、舌打ちして掴んでいた肩を乱暴に払うとソロモンの身体は呆気なくどしゃりと倒れた。


「俺を“止める”だと? 相変わらず甘い奴だな。……まあ良い。その“愛しの”弟の名を呼ぶ気も無いンなら、俺自ら名乗っても効果・・くらいは在るだろ。」


 そして“それ”は宣言する。

 顔を苦痛に歪めるソロモンの前で、絶望に顔を歪ませる兄の前で、彼の弟の顔をした“邪悪”はにたりと笑みを浮かべるとこの世の地獄の幕を開いていく。




「“ネクロノミコン・グリモワール”。人類救済を願う兄の為に地獄を捧げる、健気で可愛いお前の弟だよ“糞兄貴”……それともこう呼べば良いか? 人類救済を謳いながら堕落さしめ、世界を傾けし最悪の支配者“愚王グリモワール・レメゲトン”。」


 やめてくれ、懇願の声と伸ばされた手を振り払い、絶望一色の表情で呆然と見詰める兄の姿にアルクレス“だった”男は「ひはははっ」と嘲り嗤う。


「お前が何度民を、世界を、全てを救おうと躍起になった所で、お前の周りを従わさせる支配者たる“声”が人を狂わせていくのは変わらないんだ。だから、俺がまた手伝ってやるよ。先ずは手始めに──、」


 男が言ったそれにソロモンは大きく目を見開き、震え始める。


 万人から、それに“願え”と、求めさせようというのだ。

 万能故に、万人の“声”に応える事が出来てしまう彼に、そうして自らの生まれ故郷である“世界”を滅ぼしてしまった彼に──それを“再演をもう一度”と。

 愛する弟の身体と引き換えに、“弟”である男は嗤って“兄”にそう願った命令したのだった。






 *****






「…ッだあああ糞がァッ! 何でペスト如きで此処までばったばったくたばってってんだっつーの!! 死傷者多すぎて取り返しが付かねェじゃねェか!! ……もぉやだああ、この話つまんなぁい。人間より獣達のお話書きたいよう!」


 いつか何処かの時代の、世界の奥深く。

 両腕を放り投げて喚く彼を筆頭に、その他が顔を上げては溜め息を吐いた。


「そうは言っても人間達が不衛生を改善しないのだから、こうなる事に矛盾はないぞ。あとそれから獣の話はまた後で練れば良いではないか。」

「解ってるってんのそんな事は! ぼくが言いたいのはぁ~この働き尽くめの毎日にぃ~癒しが欲しいなぁ~って……こンの録でもねェ野郎共と四六時中不眠不休でシナリオ練る作業にいい加減飽き飽きしてきてんだよ、癒しをくれ癒しをッ!! こちとら我が子・・・のもふもふが恋しいの!」


 遂に地べたに寝そべってまでして不満露に両手足を振り回し騒ぎ始めた彼を見て、漁師のような“水鳥”の男は言う。


「なあ“グラン”、あんたの弟だろう? 何とかしてくれよ。」


 呼ばれて、蝙蝠の羽根を持った“蜥蜴”はモノクルをくいっと正して億劫そうに首を振る。


「止めとけ止めとけ、そいつは一度言い出したら人の言うことなぞ聞かん。どうせいつもの退屈紛れの“構ってちゃん”だ、放って置けばその内飽きるだろうよ。」

「はあああ?? なァにが構って“ちゃん”だこの糞蜥蜴野郎が!! つーか何だよその眼鏡、だッせェ! あッははははッ面白いくらい全然似合ってないじゃん!?」


 上半身を起こして地べたに座り直した、黒い羽根の“鳥”が今度は腹を抱えてケラケラ笑う。


「俺様だって趣味ではないぞ。これは彼奴が『強くて賢い者に似合う最高のスパイスだよ』とか言って満面の笑顔で無理矢理押し付けてきおって、付けんと喧しいから仕方無しに付けている訳で…………おい、彼奴の姿が見えんが何処に行きおった?」

「知らなぁ~い。リーダーの事だから、未曾有の危機には自分が出るのが一番だー! とかでひょっこり地上に行ってたりして。あははは、神様に見付かったら全員纏めて御陀仏だって契約なのに、そんな危ないことをする訳ないよねぇ~! ……ないよね?」


 そこへ羽根の生えた蛇が「あのぉ」と口を出す。


「誰か“勇者”の要素なんて、神様の要望にないものいれました? 何か、嫌に無双してる人間が一人湧いてるんですが……。これ、もしかしなくても“あの御方”ですよね?」


 顔を見合わせた“蜥蜴”と“鳥”は間を置いて、驚愕の余りに絶叫する。


「はあああッ!? ばかばかばかばかッあの人マジ何やっちゃってくれてんの!? 正気か!?」

「落ち着け“ノワール”! 先ずは状況を確認せねば……おい“エノク”、なんか解るか!?」


 フードを被った頭を両手で抱えて騒ぐ弟をひっ掴んで、羽根のある“人型”の名を“蜥蜴”が叫ぶ。


「私にはまだ何も……ああでも悪い“予感”はするね。ねぇ、クロ……“ネクロノミコン”、我等が王の事でキミは何か知っているかい?」


 そして、“黒の片割れ”は問われて「さぁ、知らんな」と返す。

 “蜥蜴”があの星の瞳孔を向けているのに半笑いで返し、傍らの黒い塊を撫でていた。

 するとそれを見た“鳥”が不快そうに顔を歪めた。


「……げえ、クロお前、もう魔物は創造クラフトしなくて良いって言われてんのにまた変なの作ったの? お前が作るモノって大体趣味悪いんだよなー、そうえぐいのばっかじゃなくてさぁもっともふもふしたヤツを作ろうぜ?」

「少々暇潰しに、ってな。……解ってねぇなァノワール、こいつも賢くて優秀で可愛げのある“犬”なんだぜ? ……獲物が何処まで逃げようと、時空の果てでも追っ掛けてくれるくらいにはな。」

「何それ気持ち悪……ぼくの天敵みたいなものじゃん。あーやだやだ、そいつ絶対ぼくに近付けてくれるなよ?」


 腐臭を放つそれはどう見たって犬には見えず、只不快なばかりの生物に顔をしかめて“鳥”は距離を取る。

 その前を遮るようにして腕を出したのは“蜥蜴”で、黙って“鳥”を庇うようなその素振りをする。


「それにしても、どうやって地上へ行ったんだか……話を“見る”限り記憶を無くしているようだぞ、誰かが迎えに行った方が良いんじゃないか? なぁ“ハマラク”。」

「そうですねぇ“ピカトリクス”、記憶をなくしたんじゃあ戻れるものも戻れないでしょうし。」


 “水鳥”と“蛇”は並んでそう言って、同意する様に“黒の片割れ”がそれに頷いた。


「だがまぁ神に見付かるのが怖いのなら、お前の力で何とかなるんじゃねェのか? なぁ、“ラプル・ノワール”?」

「フルネームで呼ぶなネクロノミコン! …女呼ばわりされてるみたいで本当忌々しい名、次に呼んだら只じゃ済まさないからな。」

「……まぁでも実際、我等の中では“紅一点”なんだがな?」


 横槍に“鳥”の顔を覗き込んで呟いたのは“蜥蜴”で、「母上に良くにて誠美人よなァ」と顎を擦りながら言うそれに「ぶっ殺す!!」と憤慨して自分より大きなその身体を細い腕でポカポカと殴り始めた。

 …まぁ殴られる“蜥蜴”と言えばそのか弱い力に微動だにすることなく、何処吹く風ではあったのだが。


「ムカつく! 腹立つ! この脳筋インテリ糞蜥蜴野郎!! マザコンドラゴン!!」

「おい母上の事は今関係ないだろうが。マザコンではなく母が素晴らしい御方だというだけだと言うのに、聞き捨てならんな。」

「じゃあ好きな女のタイプ。」

「母上以外に素敵な女性はおらんだろう。母こそ偉大!」

「やっぱマザコンじゃねーか!!!」

「違うと言ってるだろうがッこの鳥頭め!! 寂しん坊! 美少女!!」

「あーッッこいつぼくの地雷踏み抜きやがった!! ぼくは正真正銘男だッ女呼ばわりするなーッ!!!」

「あのねぇ、幾ら貴方達二人同士なら“呼び名”で遊んでも影響ないからって……やり過ぎてはダメですよ。全くこの兄弟は、仲が良いんだか悪いんだか。」


 そういって微笑ましげに、呆れ気味に笑い合う彼等に、頬を膨らませた不満顔の“鳥”は「ああもう解ったよ!」と吐き捨てると両腕を天へとかざして“呪文それ”を唱えた。


「やれば良いんだろ、やれば!


 “我こそ万人の願いを叶えし願望機【黒い雌鶏ラプル・ノワール】”!

 “捧げし命を喰らい其を糧に彼の者の願いを承諾せし”

 “万能の魔導書グリモワールにして神の代行者なり”!」


 すると彼を中心に旋風が吹き起こり、その少年のような小さな身体を包み込む光に照らされる様を、眺めていた“黒の片割れ”は口角を僅かに歪ませて囁いた。


「願うはそうだな……見付かったら不味いんだ、【大精霊の名を隠蔽】にしよう。そうすれば表舞台にさえ名を出さなければ神に見付かる事はない。」

「あっそ! 何でも良いけど、死なないからって命削んのも楽じゃないんだからさっさと終わらせるよ!」


 そして再び“鳥”が口開く。




「“我が名に願うは【神の目を欺け正体を秘匿せよ】”

 “|Eloim, Essaim,frugativi et appellavi.《我は求め訴えたり》!”」




「では、俺様が地上に赴くとしよう。この“目”があれば何か遭っても対処もしやすかろう。──ピカトリクス、ラズィエル・ハマラク、お前らは?」

「念のため、此処に。……どうやら“あの御方”は無理に地上に行ったらしくて、完全に“人”になりきってしまっている。」

「存り方が歪んでその御身に何か良くない事が起きて仕舞われる前に、御自身が誰なのか早く自覚させないと……。」

「承知した、俺様に任せてくれ。エノク、お前は?」

「右に同じく……気を付けてねグラン。お前程の強い者でも何か予測出来ない事で、突然どうにかなってしまうことだって有り得るんだ。油断はしないように。」

「嗚呼、解っているとも。……ネクロノミコン、お前はどうする?」

「あー……俺も残るかね、“やりたい事”もあるしな。……アイツが王に成ってから久しく、今はもう身分差故に兄弟とは呼べない身だが……あれでも実の兄だ。宜しく頼む・・・・・ぜ。大奥義書の赤き竜竜騎士グラン様?」

「……腹の内を明かさん、いけ好かん奴め。まあ良い、俺様の“見通す”目と愚弟ノワールの“何処にでも行ける”力が有ればどうとでもなるだろう。」

「いざとなればぼくの“隠蔽”で姿眩ましだって出来るんだし、大丈夫だいじょーぶ! ほらほら行くよーグラン兄ちゃん。折角地上に行くんだから、ぼくらがデザインした造った子供魔物たちにも会いたいなー!」


 自らの命救った神の享楽の為に、恩に報いる為に、用意されたこの世界舞台での物語を綴ることこそ使命とされていた舞台裏世界の核にて舞台装置を操る彼等は、そうして神に禁じられていた“表舞台地上”へと昇っていった。

 それが、始めから仕組まれていた事だとは露程にも思わずに。


「嗚呼、“逝ってらっしゃい”。」


 悪意の塊の如き男の掌の上で、ころころと、踊るように、狂わされていったのです。



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