第16話

 ベリルと同じくらいの時期に青空教室に通い始めた、とある少年がいた。彼の名は、ここではカタクリとしよう。カタクリは酷く暴力的で、よく他の子どもたちと喧嘩をしては相手を傷付けていた。体も大きくて、歳も十四と青空教室の中では年長に位置する少年だった。

 そしてその年で天涯孤独だったのさ。親を失い、頼れる人なんていなくて、路上で生活しているような子供だった。暴力的だったのも、そうしなきゃ生きてこられなかったからなんだな。 

 そんなカタクリに、ベリルは目を付けられてしまった。

 というのも、ベリルはものすごく頭が良かったから、若くして青空教室の中で優秀な成績を収めていたんだ。逆にカタクリはと言うと、正直に言えば少しばかり知恵が遅れているような特殊な少年で、文字の読み書きもようやくという所だった。だから他の生徒たちにベリルと比べられて、陰で色々と言われていたんだな。

 そんなわけでカタクリはそいつらにやり返しながら、ベリルも虐めようとした。

 その時、私は悩んだんだ。

 確かにベリルを守ることが最優先だ。私の目が黒い内は、どんな悪党でもベリルに指一本触れさせまいと決意していた。でもカタクリは悪党というよりも、被害者という言葉が似合う少年だったんだな。私は彼に同情の余地を感じていた。彼は確かに人よりも物事を理解するのに時間を必要としていたけれど、めげずに勉強をしていたんだ。それを馬鹿にされて、年相応に憤っていただけだった。

 だからその時の私は、どうやったらカタクリは公正するだろうかだなんて、そんなことを考えたわけだ。やる気はあるし、根は真面目なのだから、すぐ手が出てしまう暴力的な所だけをなんとかできればと思ったのさ。

 今にしてみればすごく傲慢で馬鹿な話だよ。本当にそう思う。

 当時の私も無意識のうちに、カタクリが悪党だって決めつけていたわけだからね。じゃなきゃ公正だなんてふざけた言葉は使わないよ。

 そして私はどうしたかというと、ホオズキに相談したんだよ。奴はカタクリとは違って根から腐ってる悪党だったけど、教育者として一流なのは確かだったからね。特にカタクリのことは青空教室自体の問題でもあったわけだから、ホオズキもなんとかせざるをえないと思った。

 その結果、奴はものすごく簡単な方法で問題を解決させた。

 カタクリを青空教室に出禁にしたんだ。

 本当にすぐだったよ。私が相談した夜の翌日にさ、青空教室にカタクリがやってきたら、皆の前で「帰ってくれ。ここにはもうお前の席はない」ってだけ言ったんだ。それから喚くカタクリを、あらかじめ召集されていたブリキの兵士たちが力づくで公園の外に叩き出した。いくら力自慢と言っても、キカイには敵わないんだな。

 それから普通に、いつものように授業があった。生徒たちもカタクリが居なくなって、むしろ清々したみたいな顔をしていたね。誰もホオズキがやったことを間違いだとは思っていなかった。

 そうやって青空教室の問題は、解決したのさ。

 でもそうじゃないだろう。カタクリの目線で言えば何一つとして解決していないどころか、更に問題が大きくなっただけだ。

 確かにさ、賢者面してる馬鹿に言わせれば、ホオズキのやり方は間違いじゃないのかもしれないよ。青空教室には何十人も生徒が居たし、言ってしまえば所詮は休日を使ったボランティアさ。ホオズキだって本職の教授職で忙しくしていてそんなに時間の余裕があるわけでもなかったから、わざわざ不良に時間をかけることが間違いなわけだ。

 でもそれはさ、確かに罪ではないのかもしれないけれど、私はやっぱり悪だと思うんだ。

 効率とかさ、手っ取り早いなんて言葉で他人の未来を奪ってはいけないよ。そもそもホオズキが青空教室をしていたのも、そうしていれば世間体が良くて色々と融通が利いたし、若い女をただで漁れて、沢山の未来の権力者に手っ取り早く恩を売れるからなんだ。それに比べてさ、勿論カタクリだって悪い所はあるけれど、まだ彼は子供だった。人より出来ない事が多かっただけで、それを克服しようと頑張っていた。

 出来ないけれども、やる気はある人間にものを教えることが教育なんじゃないだろうか。

 出来る人間とか、手のかからない人間の面倒だけ見て、出来が悪いとか、世話が焼けるからなんていう理由で子供を見捨ててはいけないよ。

 特にカタクリが暴力的だったのもさ、色んなことが出来ない彼を子供たちが笑ったりしたからなんだな。ベリルがカタクリに虐められそうになった時も、彼女と比べられたからだった。彼は他人を傷つけることでしか自分を守る方法を知らなかったんだ。

 さっき”いじめ”問題と書いただろう。

 いじめられていたのはカタクリなんだよ。

 私はその日のうちに、すぐにホオズキに話に行ったよ。というのもさ、奴のあんな馬鹿げた行動の引き金ってやつが私に思えて仕方なかったんだ。

 私がベッドの上で、奴にカタクリのことを相談してしまったせいで、こんなことになったんだって思った。

 だけどそこでホオズキはけらけら笑ってさ、さも私が喜んでいるとでも言いたげににやついていた。下品な笑みだったね。特に奴は酒に酔っていたから、涎で唇がてらてらと光ってなめくじが二匹張り付いているみたいだったな。気持ち悪かった。

 そこで私は話にならないって思って、今度はカタクリを探しに行った。真っ暗で複雑な首都の路地を駆けたよ。でも中々見つからなかった。

 そんな時に思い出したのは、ライチとの別れの日のことだ。彼とすれ違って、一晩中町を駆けずり回っていた日の事だよ。不安で、どうしようもなくて、居ても立ってもいられなかった。真黒な水の中を泳いでいるみたいだった。

 そうして、ライチがどれだけ良き教育者であったのかもわかったよ。彼は一介の僧侶で、どこぞで教鞭を振っていたわけではないけれど、あの慈愛に満ちた愛は私を健やかに育ててくれた。彼との毎日は安堵に塗れていて、いつも微睡んでいるみたいに幸せだった。

 それを思い出していたから、もう夜も深くなった辺りでようやくカタクリを見つけた時、私はただ謝罪だけをした。不躾にさ、カタクリのことについて色々聞いたりはしなかったんだ。するとカタクリはどうしたと思うよ。

 彼もね、謝ったんだ。しかも泣きながらだ。私だけじゃなくてさ、例えば殴ってしまった人間の名前を叫びながらだったり、これまで落胆させてしまった相手のことを思いながら、「俺はもうどうしようもない」って具合に頭を抱えていた。酷く傷付いて、落ち込んでいたんだな。彼もそれだけ真剣にあの教室に来ていたんだ。

 だから私はその時に、ホオズキの代わりに彼にものを教えようと思ったんだ。

 勿論私は塾や学校に真面目に通ったことがあるわけじゃないから、そんなに学があるわけじゃないよ。でもさ、祖母とかライチとか旦那のおかげで読み書きや金勘定に問題はなかったし、歴史や芸術も少しばかり齧っていて、何よりも働くということにかけては自信があった。私はこの時十九歳だったけれど、色々な仕事を経験していたってのは、君もよくわかっているだろう。

 そんなわけで、私とカタクリは夜な夜な路地で会うような仲になった。何度か彼を家に招こうとはしたんだけれど、カタクリが、ベリルが居るから嫌だって言ったんだ。彼には頑固なところもあった。

 でも夜中にやる青空教室というのも、悪いものでもなかったさ。周りは静かで、郊外の苔むした階段に二人で並んで座ってさ、間に短くて安い蝋燭を挟んでしとしとと言葉を交わすんだ。穏やかで優しい夜だった。カタクリも辛抱強く読み書きをやって、金勘定の仕方を学んでさ、月の満ち欠けくらいにゆっくりとでも色々なことを習得していった。

 まあそんな日々もさ、毎日ってわけじゃないよ。いくら安全な家とはいえ、毎晩ベリルを一人にするわけにもいかなかったし、私も首都では仕事をやっていたからね。小物を作って売ったりとか、飲み屋の給仕みたいな細々としたものだけれど、ちゃんと毎日ベリルが腹いっぱい食えるように働いていた。それに何より、夜はホオズキの相手もしてやらなくちゃいけなかったからね。奴は忙しかったから三、四日に一度くらいの頻度だったけれど、それを欠かすわけにはいかなかった。

 だからさ、カタクリとの勉強は本当にゆっくりだった。でも逆にそれがよかったんだろう。彼は根は真面目だったから、私がその日に教えたことを、五日か六日経って次に私が来るまで、毎日繰り返しやっていた。一度じゃ覚えられなくとも、そうやって何日も繰り返しやっていれば、ちゃんと身についたんだ。そもそも私も馬鹿だから、そんなに難しいことを教えてやれてたわけでもないし、二人三脚の歩幅が合っていたんだよ。

 そんな日々がしばらく続いてさ、あれは秋の頃だったかな。カタクリが珍しく待ち合わせの時間に遅れたんだ。彼は約束事とかそういうのはちゃんと守る少年だったけれど、喧嘩っ早いところもやっぱりあったからね。暴力的な所を治すようにいつも言い聞かせてはいたから、生傷ってやつは減り始めていたけれど、それでも何かがあったんじゃないかって思った。

 そうやって心配になって腰を浮かそうとした時さ。

「わ、悪い、遅れた」

 彼が階段をさ、汗だくになって駆け上がってきたんだ。加えてその手に綺麗に包まれた赤色の薔薇を数本持っていて、困惑しちゃったことを今でも覚えている。

「それ、どうしたの?」

 当時の私は少しだけ訝しんだ。何せカタクリは家なしの少年だったから、立派に包まれた薔薇になんて何の縁もないように思えたんだ。特に彼の稼ぎ、といっては何だけど、食うために悪いことをしているような子でもあったからね。まあそれは彼だけというよりも、路上で生きたことのある人間は大体そうだって話だ。つまり彼はちゃんと働いていたわけでもなかったんだな。

 だから余計に花屋で買ったようなさ、綺麗な赤い薔薇を何本か握りしめてるのが不格好で、ちょっとだけおかしかった。

 特に彼がそれを、耳まで真っ赤にしちゃって、不器用に私に押し付けて来るもんだから、目を白黒させちゃったな。

 そしてカタクリは言ったんだ。

「昨日さ、ブリキの部品工場の親父んとこ行ったら、最近俺が、その、色々と頑張ってるの知ってるって言ってもらえて、やる気があるなら面倒見てくれるって言われたんだ。それで今日働いてきて、ちゃんとした金貰ったからさ、なんつうか……あんたに礼がしたくて。それでおっさんたちに相談したら、お、女にやるなら花が良いって言われて、花屋で相談したら、これが良いって言われて……」

 カタクリは緊張で顎が固まったみたいになっていて、口の中に石でも詰めているみたいにたどたどしく喋っていた。そういう気障なことには慣れちゃいなかったんだ。いかにも初心な少年って感じだった。

 だから花束を受け取ってさ、嬉しくなると同時に、罪悪感みたいなのがあったんだな。私は彼にまだ自分が男だって言ってなかったんだ。

 でもいい機会だとも思った。カタクリとある程度付き合ってきて、彼が私の正体を言いふらすような軽薄な人じゃないとも信頼ができたし、私も彼とは旦那や奥さんみたいにちゃんと関係を築いていきたいと思ったからね。

 そうして切り出そうとしたんだけど、カタクリは話を聞く前に帰っちゃったんだ。ちゃんと働いたせいで疲れてるみたいだったし、私の顔も見れないくらい緊張していたようだから仕方ないとその日は思ったよ。

 けれどもまあ、また次会った時に話せばいいかと思ったのさ。

 その時はね。

 問題はその翌日に起こった。朝起きてさ、卵を焼くためにフライパンを熱していたんだ。奴は油を引いたら怪物みたいにじゅうと唸って、腹を空かせている様だったから、片手で割った卵を二つ放り込んでやると旨そうに吼えた。まあ囁かな朝の幸せだな。

 でもやっぱりさ、その頃の私の一番の幸せと言ったらベリルと話すことだったんだ。だから彼女が起きてくるのをいつものように楽しみにしていた。寝起きのベリルはこれがまた格別に可愛いからね。至福というのはきっと彼女のことを言うんだ。

 ただその日は、そんな私にとっての最高の幸福がいつまで経っても起きてこなかったんだ。

 まあ彼女はこの時、確か四歳か五歳くらいだったからね、いくら賢いと言えどもまだ子供だから寝坊助になっているんだろうと思ったわけさ。だから折角の朝食が冷めないうちに、やれやれだなんてため息をつきながら彼女の寝室に行ったら、一目で異変に気付いたよ。

 ベリルが物凄く苦しそうな顔をしてうなされていたんだ。

 氷水でも浴びたみたいに血の気が引いちゃって、動けなくなったね。でもベリルの額で光る寝汗を見たらそうしちゃいられなかった。焦げる朝食なんて放ったらかしにして、すぐに医者の所に走ったよ。

 そうして診てもらったら、結果は肺炎だった。少し前に変な病が流行り始めたって書いていただろう。首都から転じてきたパン屋の主人を殺した奴だ。

 でもこの頃にはさ、流行り始めてから一年近く経っていたから、あれの正体が肺炎だと分かっていてね、薬も出来ていたから何とかなるだろうというのが医者の目論見だった。

 だけど三日、四日と経っても一向に具合は良くならなかったんだな。むしろベリルはどんどん覚醒している時間を短くしていって、目の色がぼやけてきてさ、体なんか日に日に痩せていくのがわかった。

 ここまで書けば君もさ、この世界に生きているなら知っているだろう。もし他所の海や陸に住んでいたとしても、噂位は聞いているんじゃないかな。

 今、二千二十二年から三年前の冬に起こったパンデミックさ。最初にちらほらと流行り始めていたウイルスが変異して、爆発的に広がった。子供も年寄も変わらず食い殺すあいつだ。


 ベリルはそれに罹って、一週間も経たずに死んだ。

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