第15話
首都で暮らすにあたって、まず苦労したのは家だった。
私一人だけなら家なしでも構わなかったけれど、ベリルが居たからね。私が働く間彼女を一人にしてしまうことを加味すれば、ある程度安全が保障された家が必要だった。特に首都に根差して働くとなったら、私もそれまでのようにその場しのぎの娼婦紛いのことは出来ないからね。同じ街で男を騙して生きることの愚かさは、ライチの所で痛いほど理解していた。
だからどうしようかと悩んだ末に、私は旦那から聞いたとある話を思い出したんだ。
それは、彼が通っていた塾の話だった。もっと言えば、そこで教鞭を執っていた一人の先生の話だ。
まだ旦那が学生である時分に、すでに年寄だったという先生は、普段は塾で金持ちの子供たちに勉強を教えて、休日には広場や公園なんかの青空の下で貧しい子供たちに読み書きを教えていたという。勿論青空教室は無償という話だ。旦那も学生の頃には助手としてこの奉仕授業の手伝いをよくしていたと言っていた。それくらい旦那と先生は仲が良かったんだ。
だから、もしその先生がまだ生きていれば、首都での暮らしの助けになってもらえるのではないかと考えた。少なくとも、休日の間だけでもベリルを預けられれば、その間に家を探したり、働いたりなんだりできるだろう。特に私はただベリルを生かせばいいというわけじゃなくて、旦那や奥さんのためにも、彼女を幸せにしなければいけなかったからね。そのためには勉学が重要だと思っていたこともあって、まずはその先生とやらを探すことを始めた。
でもさ、その先生はもう死んでいたんだ。
まあ仕方がないよ。何せ旦那が学生の頃にもうよぼよぼだったんだからね。その先生がもう何年も前に亡くなっていると知った時、落胆するんじゃなくて、やっぱりかと思ったくらいだ。
でもね、まだ希望は潰えていなかった。その先生の息子が遺志を継いで青空教室を運営していると聞いたんだ。私はここしかないと思った。すぐにその息子の所に行ったよ。
そこからが、苦難の始まりだった。
彼の名は、ここではホオズキと記そう。
偽り、や、ごまかし、というものを花言葉に持つ花の名だ。
ホオズキは悪党だったんだ。
彼はとんでもない好色漢だった。青空教室に集まった貧しくて若い女児たちを食い物にしているような変態だったのさ。
でも憎たらしいことに学は確かだったんだな。教育者としての腕は首都の中でも随一で、彼に指導された生徒は皆聡明に育ち、重職に就く者までいた。
だから私は考えた。このままベリルをホオズキの元にやったら、きっと食い散らかされるに違いない。その結果ベリルが聡明に育ったとしても、彼女が受ける恥辱はその後の人生にて深い傷跡となるだろう。特に私が幼少期に大人に犯されていた経験も鑑みて、そう考えた。
でもやはりホオズキの教育者としての腕は一流だ。それに彼は権力者にも教え子を持っていたから、彼の所に預ければ、雑多の小悪党からも狙われない安定した生活が保障される確信があった。
そこで私は決断した。
ホオズキを篭絡しようと思ったんだ。
私はこの頃からもう身の振りを構わなくなっていた。私がどうなろうとも、ベリルが幸せに生きてくれればそれでよかった。ベリルの為ならいくらでも己を捨てることが出来た。
それから私はホオズキに言い寄ったんだ。勿論女の振りをしてだよ。奇しくもパン屋で看板娘をしていた経験が、美しく着飾る実力を私に与えていた。私は流行のドレスを着て、洒落た小物を身に着けて、ホオズキに近付いた。
すると彼は面白いくらい私に夢中になったんだ。それまで大量に侍らせていた教え子たちに目もくれず、私だけを見るようになった。特に私が経験豊富だったのも功を奏したのさ。私はそれまでの人生で、故郷ではたっぷり性技を仕込まれて、その後には色んな町で働き者の男どもを骨抜きにしてきたからね。その技が役に立った。
結果、私とベリルはホオズキに小さくはあれど家まで貰い、首都の片隅で安心して暮らせるようになった。
ベリルも、ホオズキから手を出されることはなかった。
全部私の思惑通りだったんだ。特にさ、私には人間アレルギーがあったから、ホオズキの相手をするというだけでも骨が折れたけれど、必死に自分を偽った。毎晩のように嘔吐して、時には立てないくらいに体調を崩したけれど、それでも戦った。ベリルの為にアレルギーに負けるわけにはいかなかった。体がいくら人肌を拒んでも、笑顔で、有難うございますと言ってホオズキに奉仕した。毎日が屈辱と苦難の連続だった。
でもそれで安寧が得られるなら安いものだった。
けれども、問題はそこからなんだ。
彼が運営する青空教室で一つの問題が浮上した。
それは、”いじめ”問題だ。
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