第6話
前書きでも書いたけれどね、私はこれまでの人生で沢山の人に助けてもらった。彼らのおかげで私は今日まで生きてこられたんだ。この僧侶もその一人だよ。私にとっての恩人さ。
彼はね、とても誠実で清らかな男だった。髪の毛は綺麗に剃っていて、逞しい目鼻立ちに、厚い掌をもっていた。町の中でも、敬虔で知られる良い僧侶だったよ。有名人さ。だから私も彼の顔や名や人となりは、一方的に知っていた。
そんな彼の名前は、ここではライチと呼ぶことにするよ。理由はエーデルワイスと同じさ。私には彼の名を呼ぶ資格が無いんだ。というよりもね、前書きでも書いたように私はたくさんの人に助けられてきたけど、その誰もを不幸にさせてしまったんだ。私は本当にとんでもなく、どうしようもない罪人なんだ。
だから、恩人たちの名前は使えないんだ。ごめんね。
それでライチがどうやって助けてくれたかと言うと、家に匿ってくれたんだ。公園で夜の散歩をしていた彼は、困り果てている私を見つけて、何も聞かずに招いてくれたのさ。そして彼は有名な僧侶だからブリキ達とも面識があって、私を探して家を訪ねてきた兵士を簡単に説得して追い返してしまった。
それからだね、ライチは私をもてなしてくれた。風呂を用意してくれて、温かい粥を出してくれた。これが、本当に何も聞かないんだ。ただ「酷い顔をしているから、今晩くらいはうちで休んでいきなさい」とだけ言ってさ、信じられなかったね。特に彼は僧侶らしく女っ気ってやつが全くなくて、私に指一本触れなかったのにそうしたんだ。汚れていない優しさをくれた。
ここまで私の話に付き合ってくれた君ならわかるだろう。私はそれまで、本当にそういったものを受け取ったことが無かったんだよ。同世代には虐められたり、馬鹿にされたりで、大人達が守ってくれはしたけれど、それは全部私を弄ぶためだ。エーデルワイスが私に殊更優しかったのも、私に惚れていたからだったし、あの祖母さえ母のことからくる罪悪感を私への愛の中に混ぜていた。
でもライチは、本当にただの孤児に慈悲を与えて、私が何も言いたくなさそうにしているのを一目で理解したからこそ、そんな風に助けてくれた。
無償の愛をくれたんだ。
それは、当時の私が最も欲しているものだった。
翌朝にはね、彼は弁当と多少の銭まで用意してくれていたのさ。別にね、彼は裕福というワケではなかったんだよ。でも与えられるものは与えようとしてくれた。
それを見てね、あまりにも彼が優しくて、私は柄にもなく泣いてしまったんだな。
そしてね、自分から色んなことを話したのさ。彼なら聞いてくれると確信が持てたんだな。
本当に寂しかったんだよ。知らない町で、一人で生きるってのはさ。親が居ないことも、祖母が死んだことも、エーデルワイスの優しさや好意を無下にしてしまったことも全部吐いたよ。ずっと誰かに聞いてほしかったのさ。
そうしたら、やっぱりライチは真面目になって私の話に耳を傾けてくれた。おまけに彼も静かに一粒だけ涙を流して同情してくれた。
なんだかね、勝手な話だけどさ、ようやく誰かに許された気がして、安心したよ。
でも私は一つだけ大事なことを話さなかったんだ。
私は、自分が男であることを隠したんだ。
それが私の卑しい所さ。私は誠実な彼を初めから騙していたんだ。それからライチが彼の家の一角に住むことを許可してくれて、仕事まで斡旋してくれたと言うのに、私はずっと性別を偽っていた。
怖かったのさ。仮面を外して、男性としてライチと接した時、人間アレルギーで彼のことを拒絶してしまうと思った。あれだけ信頼していたエーデルワイスを殴って傷付けたことが忘れられなかった。あの時のエーデルワイスの怯えた目と、自分の中で爆発した黒い感情を思い出したくなかった。自分が恐ろしかったんだ。
それにまず、そもそもの話だよ。家族がいない事や人間アレルギーは、私じゃどうしようもできないことだ。だから被害者を気取れた。
でも女性の振りをしているのは、私が私の為にやっていることだった。
私が自分で選択した行動だ。
彼がそんな人ではないと思っていたけれど、万が一でも、そんな自分の選択を否定されたり、気色悪がられたくなかった。
ようやく出会えた私を受け入れてくれる人に、嫌われたくなかった。
でもそんなの、結局私の我儘だよ。今の私はそう思う。当時の私が決定的な間違いを犯していたと言える。
だって結局、それが原因で彼と決別することになったんだからさ。
しかもそれだけじゃなくて、彼を傷付けることになってしまうんだから。
今更どんな言い訳をしたって、遅すぎるんだよ。
まあ、話を戻そうか。急ぐ必要はないからね。君もさ、私の話を聞いていて疲れたなとか、そんなことを思ったら、遠慮せずに休憩してくれて良いからね。
それじゃあ、ちゃんと彼との生活から話すよ。彼が与えてくれた仕事は様々で、季節ごとにブリキ磨きや織物に編物、農作物の収穫の手伝いみたいなことを沢山したよ。夜に風呂場に近付くのもきっぱりやめて、陽を浴びながらどんな職場でも真面目に働いた。故郷の村での日々とは違って、充実した労働だった。
というのもね、やっぱり女性の振りを始めてから、私は社交的になっていたんだ。別人として振る舞うのが楽しかったんだな。職場の人みんなに毎朝一番に挨拶をして、休憩があると色々な話をした。まあ丸一年一人旅をしていたし、育った環境も特殊だったから、話の種は尽きなかったのさ。友達もすぐにできた。穏やかな日々だったよ。
そしてある日私は十四歳になった。でね、誕生日を職場の人や友達やライチが祝ってくれたんだ。
これは凄く嬉しかったな。誕生日なんてそれまで、祖母とエーデルワイスだけが祝ってくれていたのに、両手の指じゃ足りないくらいの人が家に来てくれて、みんなで夕食を食べた。献立は新鮮なブロッコリーや玉葱が沢山入っていて、たっぷりチーズがかかったグラタンに、甘くて熱い焼き芋と餅だった。飲み物は搾りたてのグレープジュースだ。今にして見ると肉も魚もなくて、質素ではあるけれど、でも頬が落ちるくらい美味しかったよ。大人になってからすぐに献立を思い出せるんだ。間違いない。
そんな静かな暮らしを更に数か月した頃かな。ライチが機を狙ったように、とある相談をしてくれたんだ。
彼は私に、夢や目標はないのかと聞いてくれた。
まあ私は彼に世話になり始めてから、頑張って仕事をしていたとはいえ、どれも与えられたものばかりだったからね。こんなことがやりたいなんて言わないで、どんなことでも進んでやっていた。
でも生活も安定し始めて、町の中でも私の居場所が出来て、ようやく腰が落ち着いてきたから、ライチは私の未来へと目を向けてくれたんだ。
彼は本当に私の親の様だった。もし父がいればこんな風に頼もしくて、もし母がいればこんな風に優しいのだろうと思ったよ。ライチは私がちゃんと一人で自立して生きていけるように、色んなことを考えてくれていた。
だから私はいざどんな人間になりたいかと尋ねられて、彼みたいになりたいと思ったんだな。
何よりもさ、私は祖母とライチを重ねていたんだ。だって祖母もブリキ様の敬虔な信徒だったからね。
そんなこんなで、私は僧侶になりたいと言った。貴方のように優しくて、誠実で、人を救える人になりたいと彼の目を見て言った。まあ本当のことを言うと少し気恥ずかしかったから、ちょっとだけ目を逸らしていたかもしれないけど、そこら辺は詳しく覚えてないな。
併せて、我儘にももう一つ付け加えた。
私の元々の願望だった、海を見てみたい、というものさ。町での暮らしは質素で楽しくはあったけれど、でもやっぱり心の底のところには、海への興味が残っていたんだ。だから、海が見てみたいと言った。
そうしたら彼は、私に目標とされたことに対してはにかみつつも、「それなら」と思いついたように答えたのさ。
「良い場所を知っている。少し遠いが、この街の西の方へ山を抜けた先に港街があって、そこの寺の住職とは古い仲なんだ。彼の所なら、きっと沢山のことを学べるだろうし、あの街の海は綺麗だから、見応えがあるだろう」
まさに、私の望みを纏めて叶えられる良い話さ。最高だよ。
でもその話を聞いた時ね、胸の内が罅割れる様な痛みが芽生えたのさ。
寂しさだよ。当然の事だけど、ライチは小さな町の一介の僧侶で、敬虔ではあったけれど偉い人というわけでもなかった。だから彼の下で修業をして僧侶になるなんてことは出来なかったし、彼はその町に派遣されていたわけだから、町から出るなら、私は彼と別れなければいけなかったんだ。
それを実感した時、途端にもの凄く寂しくなったんだ。寂しいって言うのはね、私に言わせれば腹痛と同じさ。ブリキ様に救いを乞いたくなるほど耐えられない痛みだ。蹲って動けなくなってしまうんだな。私は、ライチと一緒に居たかったんだ。
今にして思えば、甘えていたと言えるね。いつの間にか彼を祖母と重ね過ぎていた。だから迷ったのさ。
でも、ライチのようになりたいと言った時の、彼の嬉しそうな顔も忘れられなくて、それに本当に彼のようになりたくもあったから、悩んだよ。一人で抱え込んで、どうすればいいのか毎日頭を抱えた。
だがね、そうして悶々としてる内に話は進んでいったよ。とんとん拍子さ。ライチは私の為に働いてくれて、すぐに彼が紹介してくれた海辺の寺との話はついた。
ライチとの別れは、思ったよりも早く訪れそうだった。
私は焦ったさ。もう一人にはなりたくなかった。ライチと共に居たかった。彼と共に、それほど大きくない町で一生を全うしたいと思っていた。
と言ってもさ、一つ大切なことを言わなければいけないんだけど、私はライチに惚れていたわけではなかったんだな。
ただ親代わりとして彼を見ていたというだけなんだ。
祖母と別れて孤独になってしまったことが深い傷になっていて、それをただライチで塞いでいただけなんだ。
だからある雨の日を境に、全部、すれ違っていったんだ。
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