第4話 彼女を連れだして(後)
もしそれが本当なら、彼女が裏切者になったのは2週間前だから、およそ百4十人を殺しているという計算になる。
戦慄した。
目の前にいるのが殺人鬼ということに気付いて、というわけではない。
1日十人。とてもまともな神経で殺せる数じゃない。確かに先ほど哀れみの感情は持たないと言ったが、殺す直前に吐かれる呪詛の数々、死にたくないと涙を流す姿、俺は襲ってきた奴を自衛のためにやむなく殺したにすぎないが、それでも、多少は罪の意識を持つ。町や地下道で、死ぬ前の人間を見ると心が痛まずにいられない。
心優しい琴音がそんな生活を送っていたと言うのなら、俺が教会についてからの琴音が見せた涙は、俺が考えていたよりも相当重いのではないか。
「そうだよ。最初は嫌だったから無視してたんだけど、体中に痛みが走って、それがずっと続いて、耐えられなくて、意識が朦朧として、いつの間にか目の前で十人死んでた。それで、怖くなって地下道の奥に逃げ込んで、ずっと泣いてた。本当はこんなことするの嫌だって喚きたてた。それでも痛いのが怖くなって、地下道に来る人を殺した。でも、……1人殺したら、すごく気持ち悪くなって、自分が嫌になって。でも痛いの怖いし、また気付かないうちに殺すの嫌で、どうすればいいのかわからなくなって……」
ここに来るまでにかけてきた自分の言葉が琴音を思った以上に琴音を傷つけていたかもしれない。
「ごめん」
「何で謝るの?」
「いや……その」
何といえば良いか分からず、答えを待つ琴音との空間が静寂に包まれる。やがて琴音が待ちきれなくなったのか口を開いた。
「私達、生きられるかな?」
「ん……」
「あと、1週間だよね」
あの男が言っていた試験は1ヵ月。すでに3週間と1日が経過し、残りは1週間ほどとなっている。
「お前はどうすればクリアなんだ? 俺達と違うんじゃないのか?」
「あと、6十人殺せば合格だって」
「6日分か」
「もう……嫌なんだけどな……」
琴音の暗い顔は何度見ても俺の心を疼かせる。結局またこれと言った慰めの言葉は見つからなかったが、気休めにはなるだろう言葉を今度は見つけることができた
「大丈夫、後6日だ」
「でも……」
「その間はこの家にいろよ。連中にも話していない俺の秘密基地だ。簡単には見つからない」
「でも……」
「でもでもうるせえな。お前がどんな悪い事をしても、俺はお前を否定しない。1緒に生きようぜ。俺もノルマ手伝うからさ」
「……いいの?」
「いいに決まってるだろ。昔からの付き合いだ」
「う……うう」
琴音を勇気づけるはずだったのに、涙を流し始めたのを見て、完全に想定外な反応を受け取った俺は再び心の中で狼狽える。
乙女心は難しいと言うやつか。
「何で泣くんだよ」
「ごめん、うれしくて、つい」
「なんだよ、なら笑ってくれよ」
コクリとうなずき、涙を流しながら微笑む琴音。俺はそれを見て琴音が悪い気分でないことに安心して、立ち上がった。
「まさ、優しいんだね」
「お前にだけだ。……腹減ったか?」
「ううん。でも、何か食べたい」
「じゃあ」
俺がコードを叫ぼうとすると、琴音を俺の口をふさぐ。
「さっきごちそうしてもらったから、私がつくる。何食べたい?」
琴音に何かを作ってもらったことはないので、これは初めて経験になりそうだ。琴音の好意に甘えることにし、
「おにぎり食べたい」
「せっかくだからもっといいものでもいいんだよ」
「おにぎりは、その人の料理センスが出る料理なんだぞ。いいから俺が食べたいと思われる具材を入れてつくって見せろよ」
「何よ、そのお前を試してやるみたいな言い方」
ぷいと俺から視線を外し、彼女はコードを唱える。ホカホカの白いご飯と、具材候補がいくつも出てきた。
数分後、出てきたのは3つのおにぎり。琴音は自分の分も作っていたようで、テーブルの真ん中におにぎりが6個置いてある大皿を置いた。
「うお、おっきいな」
「うちはこうなの」
「具材は?」
と聞いたが、俺も腹が減っていて、1つをとってかぶりついた。中の具材は鮭だった。
「鮭、おかか、佃煮」
「おかかのおにぎりは久しぶりだな」
「自分で作ればよかったじゃん」
「おにぎりって自分でにぎって食べると寂しい気持ちになるんだよ」
「分からなくはない」
琴音も1口かぶりつく。
琴音は食べ物を食べてるときは幸せそうな顔をしている。昔からそうだ。どれだけムカついてもおいしいものを食べてるときは穏やかな顔になって、憎めなかった。
「こうやって」
「ん?」
「辛いことが毎日あっても、おいしいものと1緒に食べる人がいたら、少し辛くないかも……」
「何言ってる」
「私、もしかしたらここに来て1番幸せかもしれない」
「なんで?」
何気なく聞いたつもりだったのだ。
「そんなこと言う必要ないでしょ!」
いきなり怒鳴られた。なんだよぅ、とつい情けない声を出す。
しかし、琴音の言うことは間違っていないかもしれない。普段は1人でコードの研究に没頭してた。先ほどこれは研究者気質だと言ったが、もしかしたら殺されないようにと町から逃げ、夜1人で過ごす寂しさを埋めるためだったのかもしれない。
「ところでさ」
「ん?」
「あの日、私を屋上に呼び出して何するつもりだったの?」
「え……ああ……」
再び言葉に詰まってしまった。それこそ琴音がさっき言った、言えるわけない、なのだが、このままくすぶっていてもしょうがないのも事実だ。
せっかくの2人きり。この先2人ともに生きている確証がない以上、ここで言っておくべきだろうか。
長考の末、言っておくべきが勝った。
「あのさ……俺」
「ん?」
「お前」
その時。
窓に数々のひびが入り家の外側から多くの傷が連続で入れられる音が全方向から響く。まるで連射できる銃でこの家が攻撃されてるかのように。
いや、攻撃されてる。
「聞け! そこに裏切者がいることは分かってる。まずはどちらでもいい。出て来い! すぐに殺しはしない!」
外から聞こえるのは、連中の副リーダーの声。
「秘密基地じゃなかったの?」
「ごめん、嘘だったみたい」
俺をストーカーしてた人間がいる以外に考えられない。それには正直気持ち悪さを感じたが、そんなことを言っている場合ではない。
「ちょっと出てくる」
「だめだよ危ない。私がいけば……」
「それじゃ俺が連れてきた意味なくなるだろ。お前は逃げ延びることだけ考えろ。連中とは俺が話をつけてくる」
俺はコードを唱え、武装をする。先ほどゴーレムと戦った時よりもしっかりした、誰かを殺すとき用の装備だ。
「まって……」
琴音が何か投げてくる。お守りのようなものだった。
「それ、もってて」
「ああ」
俺はドアを開ける。
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