第2話 宿屋の彼女

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 ラズグリーの町は王子の逃亡に力を貸した可能性を指摘され王国から援助金を受ける資格をはく奪されて、意味の分からない差別を受けたという。


 すべて俺のせいだというのに。この町の人々は誰一人として俺に文句は言ってこなかった。


 俺は国に帰ってからできる限りの援助をした。王国に見つからないように旅人として私兵を潜り込ませては、できる限りの援助を行った。


 それでも、この町がまだあの頃と同じような様子に見えるのは、間違いなくここに居る人々があの頃と同じくとても強い芯を持った人々である証だ。


 懐かしき光景。


 あの頃と変わりないか町を見て回りたいところだが、残念ながら時間がない。明日には王城へと帰らなければいけないのだ。


 あの時の宿屋はまだ健在のようで、その看板を見たときに一安心。


 だが、すぐに心穏やかではいられなくなった。


「おいねーちゃん。さっさとやらせろってんだ」


「帰りなさい!」


「うるせえな! 裏切り者の村人分際で俺達にたてつくのか!」


 あれは。


 あれから10年。おそらくは素敵な女性になっていると思ったが、俺の想像以上だ。 


 どこかで見たことがあるような状況になっているのは運命か何かか。


 このまま放っておくわけにはいかない。今日の目的である彼女がひどい目にあいそうになっている。


「離して!」


「うるせえ、せめて今日だけでも……楽しい夜に」


 虫唾が走る。


 その女は俺の者だ。


「殿下!」


 従者の制止すら無視して俺は奴らのところに突撃した。


「おい」


「んだぁてめえ? 邪魔すんなよ」


「……その女性に俺はこれから用がある」


「ひょろがきがぁ、舐めるんじゃ」


 この程度の人間、塵残さず消し去ることはできるのだが、それはさすがに彼女の目に毒だ。


 よって、処分は従者に任せることにして、群がる変人たちを軽々と持ち上げて投げ飛ばして見せた。


 それでも怯まず襲い掛かってくるものは腕を握力で握り潰した。


 これでももうすぐ魔人の王になるのだ。力を求められる王であるが故、人間の国とは違い王とは違い、これでも自分で国を亡ぼせるくらいには強くなったつもりだ。


 邪魔者をどけて、少し怯えながらもあの日と同じように叫んでいた彼女の前に立つ。


「いらっしゃいませ。お休み……」


 俺の顔をじっとみている。


「……刺激が強かっただろうか。それとも、ここで喧嘩沙汰は良くなかったかな?」


 俺は自分の行動に何か不手際があるんじゃないかと思っていたが、そうではなかったようだ。


「あなた……ずいぶん前に来た、王子様?」


「あ、その……覚えていたのか」


「ええ。ええ! 長い間、貴方を超えるおもしろい人はここに泊まらなかったもの」


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 人間を皆殺しにしてやる。そう思っていたのはいつだったか。


 彼女は僕を必死に介護してくれた。


 いや、僕のことなどどうでもいいのだ。僕はまだしも人質としても売るにしても価値の薄い従者までしっかり面倒を見てくれた。


 そして今もこうして生きていられるのは間違いなくこの娘のおかげだろう。


 体を動かせない間はずっと使い魔を使って世間の動向と彼女の監視を行っていたが、のぞき見が申し訳なくなるくらいに彼女の行動に嘘と裏切りはなかった。


 誠実な人だ。彼女をそう信じることにしたのはもうかなり前だ。


 それでも使い魔で彼女の観察をやめなかった。なぜかと問われれば僕も首を傾げるが、彼女をずっと見ていたいという気持ちは間違いなく存在しただろう。


 名前ももう知っている。イレーという名らしい。


 イレーには申し訳ない気持ちがある。


 使い魔を介して話を聞く限りは、彼女はずっと外から来た彼女を心配する人々に、王子を出せと言うプレッシャーを掛けられていた。


 町の者ではない。手紙や他のところからの行商が来ては、俺をそれとなく探したり恐喝したりして何とか僕を見つけ出そうとする輩が訪れる。


 もちろん人間1人でできることには限界がある。恐ろしい人間が脅しに来たときは従者に迎撃を命令した。そして俺を捜しに来た奴が来たときは姿隠しの魔法で見つからないままである。


 つい先ほども卑しい顔をしたデブが僕の部屋を覗きにきた。もちろん見つかるわけがない。探知魔法を使ったようだが、その程度で見つかるほど生半可な魔法は使わない。


 イレーが部屋に入ってきた。俺は姿隠しの魔法を解除する。


「ごめんなさい。また誰か来たでしょ」


「いいや。このくらいはやるよ。元々は僕のことだ、寝床であり隠れ家を用意してもらっているだけありがたい」


「お手紙が来たわよ。あなたの御父上からかしら。わざわざ怪しまれないように人間用の郵便で私宛に偽名で」


「すまない。なにからなにまで」


 手紙を受け取り、僕は寝具から起き上がろうとした。


「……もう治ったの?」


「まだ走れないから、もう少しお世話になるけど、動くことはもうできるよ」


 体を動かして見せる。


 彼女は嬉しそうに笑った。


 これだ。


 よく話すようになってから、彼女が明るい表情になるたび胸のあたりがザワザワする。


「ここまでの回復はすべて君のおかげだ。本当に感謝している」


「そう?」


「ああ。料理と部屋は質素だったが、文句はつけようがない。君と、そしてたびたび寝たきりになっている僕に、いろいろと差し入れや遊興を提供してくれる町人のおかげで、退屈しなかった」


 口にはしないが、こうして寝室面倒を見てもらうのも悪くない。物心ついた時から強くなるために、誰かに甘えるということを遠慮していたが、ここ最近は彼女に甘えることも多かった。彼女は一銭も貰えないにもかかわらず、文句を言わず僕のために時間を割いてくれた。


 僕は知らなかった。


 人間という種族を一括りにしていた。


 しかしそれではいけない。あの愚王のように兵器で裏切るクズもいれば、人間でも心から他人を心配し、そして自分が苦労してでも人を喜ばせられる思いやりのある者もいる。


 いや、様々な臣下が同じようなことを口にしていたが、やはり百聞は一見にしかずというのは本当のようで、実際にこうして触れ合ってみて初めて実感する。


 この町の人間たちには生きていてほしい。生来、裏切りの大小を払わせるために多くを殺すかもしれないが、それも一括りにしてはいけないと思った。


「お礼、何かしたいな」


「いいの。お礼なんて」


「だけど、僕はここまで良くしてくれたあなた方に何も恩を返せないのはいやだ」


「そう……?」


 イレーはしばらく考えて、


「うーん。やっぱりまだ考え付かないなぁ」


 えへへ、と笑いながら彼女は答えを返す。


「いらないわけじゃないけど、君にできることだったらなんでもいいよ? 恩返し、待ってるね」


「すぐじゃなくてもいいのか?」


「別にお礼目的で助けた訳じゃないしね。どんな時世でもどんな相手でも相手の望まないことは決してしないし、相手が求めることをする。それが『おもてなし』の心ってね」


 どや顔も素敵だ……。


 おっと。


 最近は本当に腑抜けている。こんな顔を従者に見られたら怒られてしまう。


 しかし、彼女に面倒を見てもらうのは全然悪い気分ではなかった。


 もしも。


 もしもだ――。


 ――いや、やめておこう。

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