第4話 思い違いをしていた
「君は、葉狩さんに会ったことはあるのかね?」
「いえ、来てほしいと頼んだことは一度もなかったので」
「なるほど、どうりで、はははは」
「僕、何かおかしいこと言いましたか?」
理事長はとうとう笑い出した。敏文はその真意がわからず、笑いが不気味に見えてしまう。
「え、あの」
理事長は、隣の女を見てこう言った。
「この人が葉狩さんだよ」
「え……」
葉狩さんと紹介された女は、一度お辞儀をした。
「初めまして、自己紹介が遅れてしまい、申し訳ありません」
「はいど、うも」
ここにきて、今までの会話を思い出す。自分が葉狩さんに対してとんでもないことばかり言っていたことを認識した。
「あの、いろいろとよくないことばかり言ってしまって。その、ごめんなさい」
まるで、子供の時、ケンカした後の仲直りのときのような気持ちだった。
葉狩さんは、まったく機嫌を損ねた様子はなかった。
「大丈夫です。宮下さんの教育方針は素晴らしいものです。それをどうこう言うつもりはありません」
理事長が話に割り込んできた。
「宮下さん。葉狩さんと協力することは、決定事項です。しかしどのようにしていくかは話し合って決めてください。生徒のために何ができるのかを第一に考えて。私は席をはずします。この部屋は二人で使ってもらって結構ですので、気の済むまで話してください」
理事長はそう言うと、立ち上がり、部屋から出ていった。
部屋に二人だけとなり、お互いしばらくは、黙り込んでいた。
敏文は、あれほど忌み嫌っていた葉狩さんとどんな顔をして話せばいいかわからなかった。
先に口を開いたのは葉狩さんだった。
「私は、本来は生徒の学力向上のために働く者です。なので、授業は自分で言うのもよくないと思いますが、質の高いものを提供できると思います。さらに、先生としてやっていくために、ある程度の事務処理や生徒対応の方法を心得ております」
「ああ、それはよくわかっているよ」
敏文は、仕事をする中で、授業だけでなく、あらゆる仕事をこなすアンドロイド職員たちを見てきていた。いまさらそれを否定はできない。
「だけど、それらも全部教師の仕事だ。せめて担任として受け持った生徒だけでも、その仕事を放棄したくはない。君に任せてしまうと、僕は彼らの担任ではなくなってしまうと思うんだ」
敏文は素直な気持ちを言った。今まで、頑なになって会うのを避けてしまっていた。今こうしてようやく会えたのだ。望まずとも、これから協力しなければならない。ならばせめて自分の気持ちだけでもわかってほしかった。
くだらないと、蔑まれるだろうか。わがままだといわれるだろうか。敏文は葉狩さんの言ったあらゆる言葉をすべて受け入れる覚悟はあった。
「そんなことないですよ。宮下さん」
「え?」
葉狩さんが言った言葉は、敏文の予想を斜め上に行く答えだった。
「佐々木さんのことはご存知ですか?」
「ええ、まあ」
「佐々木さんは、宮下さんの知ってのとおり、あまり学校に来ていません。二年四組の担任でありながら、ほとんど自分の生徒にも会っていません。なのに、クラス人から人気なんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。授業は全部任せているけれど、クラスメイト一人一人のことをしっかりと考えています。クラスメイト一人一人専用のノートを作り、それぞれの生徒に合った、課題の作成や、進路相談などをしています。クラスでの決め事があるときは、できるだけ学校に来ていますし、来ない場合も、必ず結果を把握して、クラスのために自分のできることをしています。こんなような佐々木さんの影の努力を知っているからこそ、生徒に人気なのです。彼女は立派に担任としての役割を果たしていると思います」
敏文は、佐々木さんがこのようなことをしているとは、一切知らなかった。ただのサボり屋だと、本気でずっと思っていた。
「僕は、とんでもない勘違いをしていたのか」
「はい、そうだと思います。理事長先生の言う通り、時代は移っていきます。それに対応するように、教育の在り方は変わっていかなければなりません。確かに教師の中には、あなたが言う、仕事を放棄している人もいます。しかし、佐々木さんみたいに、この時代で、この時代に合った教育をしている人もいるのです。それは、授業など、私の仲間ができるような仕事を任せることでできた時間を生徒のために必要な別のことに使う。きっとどれは仕事放棄ではなく、自分のできることを、自分にしかできないと思うことをやって、立派に教師を勤め上げているということだと思います」
敏文は、目の前にいるロボットが、急に目障りに感じなくなった。今の言葉を、反芻するうちに、自分が教師として在るためにすべき新しいことを見つけたような気がした。
そして、それを実行するためには目の前にいる、自分の協力者が必要だ。
いまこの瞬間。本当の教師に変わる時だ。
敏文は、自分に言い聞かせた。
「葉狩さん、急に申し訳ありませんがとりあえず明日、僕の数学の授業を代わりにやっていただけないでしょうか」
「もちろん。私はそのためにいるのですか。でも宮下さんは?」
「僕は、とりあえずクラスのみんなと、一度向き合ってみます。できた時間を使って」
次の日、敏文は葉狩さんに今日の授業の範囲を伝えた後、各家庭に電話をした。今日から、授業用のアンドロイドが授業をすると電話をすると、今まで、敏文の授業に出ていなかった生徒たちが授業の時間に来た。敏文は、それが少し癪に思えたが、それも仕方ないと割り切った。
「葉狩さん。数人足りませんが、よろしくお願いします」
「はい」
「僕は、そのあと数人に、会いに行ってきます」
「え、彼らも連れてくるつもりですか?」
「もちろん。僕が受け持っている生徒ですから」
「……失礼ですが、おそらく彼らを連れてくることは無理だと考えます。少し危険な考え方も持っていますし」
「大丈夫です。僕に考えがあります」
「わかりました。頑張ってください」
敏文は、一礼して教室を後にした。
屋上に向かう廊下の窓から、葉狩さんの授業の様子が見えた今後は、あの教壇にはもう立てない。その寂しさはどうにも消えなかった。
向かったのは屋上。問題児たちの根城だ。
敏文は、その城の城門を開けた。主は昨日と同じ場所にいた。
「なんだよ、屑教師」
相澤がこちらをにらみつけながら言う。
ふと、敏文の頭の中にある光景が浮かんだ。
あの日、自分を変えることになった、転機が訪れた日。
その時の自分は、今の相澤とほぼ同じ位置にいた。そして同じ行動をとって、教師に突っかかった。
敏文は、今自分が逆の状況にあることに気付いた。
あの日の恩師のように、今、彼を変えられるかもしれない。敏文はそう思い、鮮明によみがえる記憶をたどる。昨日見た、あの日の夢の続きを。
「相澤、今日は一人なのか」
「てめえには関係ないだろ」
「また授業をサボるのか」
「あんただって、いまここにいるんじゃサボりじゃん。お互い様だ」
「俺は、ちゃんと代行を任せてきた。理由もなく逃げたお前と違う」
不思議なことに、相澤は、かつての自分とほぼ同じことを言っていた。
「逃げた、何バカなこと言ってんだ教師の分際で」
「いや、お前は逃げたよ。嫌なこと、面倒なことから逃げて、訳も分からず粋がっているガキだ」
「黙れよ。先生ってのはそんなに偉いのかよ。そんなことてめえに言われる筋合いはねえよ。生意気なんだよ屑がぁ!」
敏文は、今の相澤と、かつての自分を重ねてみていた。愚かなほど子供だったのだと、痛烈に思い知った。
敏文は、その時、恩師に言われた言葉を放った。
「じゃあ、勝負をしよう」
「なんだよ、ケンカか?」
「ああ」
「はあ、とうとうバカもいい所だな。教師が生徒を殴るのは、体罰になって解雇はもちろん、慰謝料だって請求できる。そんな覚悟があるのかよ」
「あるさ」
「はあ?」
「その程度覚悟はできている」
「へ、へへへ、なら上等だ。泣いて俺に詫びるまで痛めつけてやる。それをネットに流して、お前を辱めてやるよ」
「……やれるものならな」
「うらあ!」
敏文に痛みが走った。ここ数年、ケンカと無縁で過ごしてきたせいか、かなり痛く感じた。
また殴られた。そしてまた殴られた。痛みは積み重なり、悲鳴を上げたくなった。殴り返したくもなった。しかしそれはできなかった。
敏文は二時間程度殴られ続けていた。
「はあ、はあ」
相澤は疲れ切っていた。
「なんで、なんで一度もやり返さないんだよ。なんで膝もつかないんだよ。悲鳴もあげ……ないんだよ。疲れたよ、手が痛いよ……」
敏文は、その間ただ、痛みに耐え、相澤を見続けた。かつての恩師が、そうしてくれたように。
「もう無理だ、もうこんなのくだらねえよ。なんで……」
敏文は、すっかり意気消沈した相澤に向けて言った。
「もう終わりか。やはりお前は弱いな」
「なん……だと」
「俺は逃げなかったぞ。お前に殴られ続けるみたいな、くだらないことから。だけどお前はまた逃げようとしているじゃないか」
「な……」
「その程度の分際で、頭が高いんだよお前は。お前は敗者だ。なら俺の言うことを聞いてもらうぞ」
相澤は何も言わなかった。
「明日から、しっかり授業を受けろ。くだらないと思っていたことと真剣に向き合ってみろ。そんなバカらしいことを続けて、初めてお前は大人になれるんだ」
敏文はそれだけ言って、屋上を後にした。あの日の恩師と同じように。
その後、意識が朦朧とする中、理事長に発見され、救出されたところで、意識が途切れた。
次の日、敏文は何とか意識を取り戻した。
「あ、気付かれましたか?」
葉狩さんの姿が見えた。
「……ご迷惑おかけしました」
「本当に心配しました。こんな無茶をするなんて」
敏文は、何も言い返すことはできなかった。
「聞いてください。相澤君。授業に出てくれましたよ」
「本当ですか?」
「はい。嫌々みたいでしたけど。それでも宮下さんの説得が届いたみたいです。ここで逃げたらあいつに負けっぱなしみたいで、よけい癪にさわる、と、言っていました」
「それでいいんですよ。あいつにはきっとそれくらいがいいと、僕は思います」
敏文はただただ嬉しかった。自分が生徒の心を動かすことができたことが。
「宮下さん」
「はい?」
「私は無理だといいました。でも宮下さんはきちんと相澤君のことが分かっていて、それで本当に連れてきてくれました。二年三組の担任は、やっぱり宮下さんですよ。間違いありません」
「……ありがとうございます」
敏文は、初めて教師になってよかったと思った。
その年度末、敏文と葉狩さんのクラスが、最優秀学級賞なるものをもらった。六月ころから急にクラスがよくなり始め、敏文は学校内で、いい先生として人気者になりつつあった。さらに二年三組は、この学校の教育目標のモデルケースに抜擢された。
敏文は思う。教師を続けて本当によかったと。そして、あの転機の日が、自分を変えてくれたからこそ、自分は本当の教師になることができたのだと。
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