第2話 時代の流れ(前)

 職員室からは、学内への入り口が見える。外を見ていると、次々に見知った生徒たちが登校してくるところを見た。

 生徒の一人が、道で拾ってきたのか、黒い石を校庭に投げ捨てるところを見た。ベージュ色の地面に転げ落ちた。よく目立っている。あの石に、敏文はまるで今の自分を見ているような気がした。そう思うとさらに自分が哀れに思えた。

 目から溢れてきたものがあった。

 敏文は、それをぬぐい、ため息をついた。

「どうすればいいんだろうな」

 授業もその他でも、自分はあのロボット達に劣っている。そのおかげで、すでにクラスの半数以上の生徒に愛想を尽かされている。こんな先生がこの世にいるだろうか。なぜこんなにも辛い思いをしなければならないのか。そう思えてならない。

「宮下さん」

 敏文は、その声のする方向に顔を向けた。見えたのは理事長の姿だった。

「いらしてたんですか」

「ああ、ちょっと自分でやらなきゃいけない事務的な仕事があってね。君こそ、今日はどうして」

「いえ、毎日来ています。担任としての仕事がありますので」

「おや、君には葉狩さんがいるはずだが」

「担任は僕です。僕が責任を持って面倒を見ます」

 理事長は急に困った顔をした。

「でもね。君のクラス、ずいぶん評判悪いんだよ。クレームもいっぱい来ているんだよね」

「えっ……」

「君だけ、授業のクオリティが低いとか。クラスがまとまってないとか。動きが非効率すぎるとか。それに、あまり態度がよろしくない生徒もいるでしょ」

「ええ、まあ」

「正直このままだと、強制的に葉狩さんに担任を変えなければならない。事実、早く変えてくれという要望もたくさん来ているんだ」

 敏文は、返す言葉が見つからなかった。

「君が、がんばっていることはよく知っている。だが、生徒のためを思うと、このままではいけない。そのときが来るのを覚悟しておいてほしい」

 その言葉に反応するように、敏文の口は自然に動いていた。

「それは、つまり、俺が役に立たないから、早く消えてくれってことですか」

 理事長は、目を見開いている。敏文は自分で言ったにも関わらず、出た言葉に驚いていた。

 すぐに、自分の放った言葉の深刻さに気づき、思い切り頭を下げた。

「申し訳ありません。大変な無礼を」

「いや、今私の言ったことはまさしくその通りだ。そのときを覚悟しておいてくれ」

 理事長は、敏文の前から立ち去った。

 敏文はしばらくその場を動くことができなかった。今ここで、自分はいろいろなものを失ったことにただ後悔するしかなかったからだった。



 昼休み、敏文は屋上に向かっていた。昔、悪ガキだった頃の聖地だった場所。敏文は今でも、そこに少し安らぎを感じている。

 階段を上がってドアを開ける。普段はそこには誰もいない。敏文だけの空間がそこに広がっている。

 しかし、今日は違った。端の方で男子が数人でしゃべっていた。あの頃の記憶と重なり敏文は昔に戻ったかのような気分になった。  

しかし、すぐに現実に引き戻された。その不良達の半数が、自分のクラスの生徒であり、クレームの大部分を占める、敏文最大の悩みの種だと気づいた。

「おい、君たち」

 敏文は、声をかけた。反応したのは、グループのリーダー的存在、相澤だった。

「ん、へぼ教師じゃん。どったの?」

「学校来てるんなら何で授業に出ないんだ」

「は、何言ってるのおまえ、バカじゃね」

「バカ、俺がか?」

「当たり前じゃん。そんな質問する奴いるかよ。まあ俺優しいから答えてあげるよ。出る意味ねえからだよ。バカ」

「・・・・・・どういうことだ」

「まずおまえ授業下手じゃん。他の奴も聞いててなんかつまんないし、それに、クラス行ったって何もおもしろくないし。どいつもこいつも俺を嫌な目で見ててイラつくし、他にもいろいろある。つまり俺に何のメリットもない。だったら毎日こうやってた方が、楽しいじゃん」

「その楽しいことってのは、問題行動を起こすことか」

「でも、学校が責任とってくれんじゃん。俺は頭を下げるだけでいいんだから、本当に楽だしな」

 決めた、今日のイライラを、こいつを怒鳴って八つ当たりをしよう。

 一瞬よぎった考え。いつもなら、頭を抜ける前に、いくつもの壁が、せき止めてくれる。しかし、その壁も、どうやら今日はひびが入っていたようだった。すぐ決壊し、流れ出す。

 敏文は、とうとう抑えることはできなかった。

「ふざけるな!」

「は?」

「学校をなんだと思ってる、授業をなんだと思ってる。ここはお前らのしゃべり場を提供する場所でも、尻ぬぐいをする場所でもない。今いくつだと思ってるんだ。いい加減にすこしは大人になったらどうだ!」

 まず鬱憤の二割程度ぶつけた。このまま後八割をと思っていると、今日に相澤含め、他全員が笑い出す。

「黙れよ、カス教師」

 相澤が言った。

「てめえ程度の教師がでかい顔してんじゃねえよ。何様のつもりだ。お前は何にもできないこの学校での一番の屑だぞ。何で俺がその屑の言うことを聞かなきゃいけないんだよ。俺に頼み事するときは、屑なんだから土下座だろ。屑の分際で頭が高いんだよ」

 この学校で何もできない一番の屑。敏文は向けられたその言葉に何も言い返すことができない。

「大人になれよって、てめえみたいな屑になるか、他の教師みたいなつまんない奴になるってことだろ。絶対嫌だね。第一、何もできない屑が何言っても説得力ないし。失せろ屑」

 敏文は最後まで何も言い返せなかった。相澤の言っていたことには何一つ間違いがなかった。しかし、納得はできない。自分への侮辱の怒りで手が出そうになっていた。敏文はそうしないために、彼の言うとおり、その場を立ち去ることにした。彼の言うとおりにすることに、さらに怒りを覚えたが、それも何とか抑えた。



 職員室に戻って、自分の席に着いた。それからしばらくの間の記憶がなぜかなかった。

「―――ですか?」

肩を揺らされ、はっと意識を取り戻す。

「大丈夫ですか?」

「は・・・・・・ああ!」

 と、意味不明な声を出してしまい、敏文は恥ずかしさに顔をやや赤くした。

「す、すみません。寝ちゃってましたか」

「いえ、こっちに戻ってきてからずっとボーッとして、たまに奇妙な呻き声を上げていたので、少し不安になってしまって」

「うわ、その、すみません」

 敏文は思いきり頭を下げた。顔は今にも、成熟しそうなリンゴみたいに赤くなって、自分の行動がただただ悔やまれるばかりだ。

「いえ、そんなに謝らないでください」

「でも僕気味悪かったですよね?」

「まあ、正直に言うと」

 今日はなんて最悪な日なのだろう。敏文はそう思わずにはいられなかった。

 敏文はお礼を言おうとしたところで、重大なことに気づいた。相手の名前が分からなかった。

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