転機となった日
第1話 アンドロイドの「先生」
敏文は静まり返ったこの部屋の中で静かに目を閉じていた。夢で見るのはまだ幼かった頃の思い出。
子供のころはいい子とはかけ離れた存在だった。
平気で授業はサボり、屋上で仲間とつるんで、街を歩く。得意なことと言えば、問題を起こすことだった。正直、そのままいけば、社会のゴミとなっていたのだ。
しかしそうはならなかった。現に今の敏文は立派な社会人として、綺麗なスーツを着ている。
転機となったその日は、このように夢として蘇る。
夢の始まりは、学校の屋上で、担任と二人きりになっているところから。
「宮下」
「なんだよ、また来たのかジジイ」
「お前、新学期になってから一度も教室来てないだろ」
「何か悪いか?」
この時、敏文は担任の嫌そうな顔が見たかった。敏文は学校でも有名な不良であり、学級にいれば、クラスの雰囲気が悪くなることは間違いがない。
「俺がいたってクラスがいやな感じになるだけじゃん。それに俺も授業真面目に受けるとかだるいしイライラするし。俺にとってもてめえにとっても悪い話じゃないだろ」
しかしその時、担任は敏文の期待する顔を見せなかった。
「俺にとっては悪い話だ!」
敏文は急に意識を取り戻した。教務デスクに思い切り伏して寝ていたことを思いだし、敏文は顔のいたるところを触る。おでこにはっきりと痕がついていたことを確認して、失笑してしまった。
時計を見ると、朝の五時半を指している。
敏文は大きなあくびをして、窓の外を見た。寝起きには少々刺激の強い朝日が目に入り、眠気は一瞬でどこかへ飛んでいく。
動き出した頭が、今日の数学の授業プリントがまだできていないことを知らせ、早速作業に入った。
パソコンに文字を入力すること一時間、ようやく、原稿が仕上がり、コピー機に印刷の指示を出す。
敏文は職員室を出て、一階の中庭へ歩みを進めた。いくつか置かれている木製の円型テーブルで一息つくのが、最近の日課になっていた。
敏文は、隅の方にある自動販売機でコーヒーを買うと、そこから一番近くのベンチに腰を掛けた。その瞬間、意識もしていないのに漏れ出たため息に、もう一度ため息をついてしまう。
「疲れてるのかな、俺」
独り言で弱音を吐く始末だ。
ゴールデンウィークから家に帰らず、ほぼ徹夜。本来は学校に居残りでの残業は良くないことだろうが、生徒の為ならそんなこと言っていられない。
もうすぐ時計は朝の七時になろうとしている。そろそろ他の教師も来ることだろう。敏文はそう思い立ち上がった。
「こんなはずじゃなかったのにな」
敏文この四月に新任教師として、この学校に赴任した。自分が描いていた、理想の職場とは、まるで違っていた。今は現実と理想のギャップに引け目を感じながら、この学校で、ただ教師であるために頑張っている。
教師であるために。という言葉を使わなければいけない理由も敏文を追い詰めている理由の一つだった。
「おはようございます」
こちら見るその存在は、敏文にとっては、理想を奪った存在であり、敏文が過労である原因でもあった。
国の教育水準が下がってきている。そんな話はもう十数年前からいやと言うほど聞いている。しかし敏文はそれを大して問題視はしていない。それは改善していけばいい話で、教師だってサボっている訳ではないのだから何も悪いことはないと思っている。
敏文にとって問題はその次だった。政府はこの状況を見て、とある計画を立案する。
簡単に言えば、教員にアンドロイドを採用しよう。というものだ。
最初は誰もが耳を疑った。もちろん敏文も。
学校教育とは、ただ授業を教える場ではない。生徒一人一人と向き合い、人間性を育てるもの。感性的なセンスも必要になるこの仕事に、ロボットはどう考えても不向きだ。
一年、とある学校で、試用された。その結果は、予想とかけ離れていた。そのアンドロイドは、姿、行動が人間と見違うほどのクオリティで、担任としての働きを見事にこなし、その学校では最もいい働きをしたと賞賛され、生徒の学力レベルを跳ね上げた。まさに最高の先生となったのだ。
その結果を見て、政府は全国の学校にロボット先生を使うことを推進。今ではほとんどの学校が、ロボット中心にまわっている。
アンドロイド先生に対する世間の評判がよくなる中で、敏文はどうにも納得できなかった。自分を教え導いてくれたのはロボットではない。自分が目指すのは、人が教え導く本当の教育だと。
「おはようございます」
かけられた挨拶にはつい、
「おはようございます」
と返してしまう。職業病だろうか。敏文は、自分もようやく先生になりきれてきたのかと、若干うれしく感じる。
「また、徹夜したのですか?」
敏文は静かにうなずいた。彼女、というべきかは分からないが余り慣れ慣れしく話したくない相手だった。彼女もいわゆるロボット先生だ。
敏文が今勤務している学校は、敏文以外の職員はすべてアンドロイドだという訳ではない。しかし基本人間の職員は学校に来ない。教務はすべてアンドロイドがこなしてくれるからだ。人間の教師は、ロボット教師に指示をするだけ。指示を受けたアンドロイドは、ウィーンなどの機械音は一切ならすことなく仕事をしていて、本当の人間と見違える。
「新任だからといって無理しないで、そろそろ変わればよろしいと思いますよ。あなたの動きは合理的ではありません」
彼女はそう言って、職員室の方へ足を進めていく。
「合理的でないとか、誰のせいだと思ってんだよ」
敏文は、口をへの字にしながら肩を回した。キィーという壊れたロボットが出しそうな音が、肩の方から聞こえてくる。自分がおかしくなったロボットだよと言われているようで、悔しさが心の四分の一位まで広がり、肩を落とした。そのときまたキィーという音が聞こえた気がするが、気のせいと自分にいい聞かせ、敏文は職員室に戻ることにした。
敏文は教務机の前に腰を落とす。先ほど、自分に嫌味を言った彼女が隣に座っていることを除けば、ここは実に居心地がいい。
「おや、帰らなかったんですね、敏先生」
隣から、耳障りな声が聞こえ、敏文はつい口を開いてしまう。
「当たり前でしょう七井さん。僕はここで働いているのですから、何もせずに帰ることは許されません。ロボットと変わるなんて持っての他ですから」
七井さんというが、これは敏文が勝手につけた訳ではない。勤務すアンドロイドは、先生を務めるに当たって呼びやすい名前をつけられている。
「別に恥ずかしいことじゃないんですよ。実際、佐々木先生は私にすべて任せているんですから」
佐々木先生とは、彼女のクラスの副担任ということになっている先生だ。
「僕は違いますから」
投げ捨てるように言って、敏文は自分の作業に戻る。
十五分後、一本の電話がかかってきた。佐々木さんからだった。
「もしもし」
「もしもし敏くん?」
「どうしたんですか、急に電話かけてきて」
「敏くん。もしかして今学校?」
「もちろん。仕事ですから」
「七井さんがここのところ、ずっと働きづめだって言ってたから心配だよ。無理しない方がいいじゃないの。せっかく葉狩さんもいるわけだし」
気に入らない言葉が耳から入り、敏文の心に暗い何かが入ってきた。携帯電話を握る手の力が無意識に強くなる。
「担任は僕です。その仕事を放棄するわけにはいきません。せっかく受け持った生徒のことを見捨てて逃げることはできません」
「敏くん。それは逃げるっていうことじゃなくて、代わるって言うの。私だって楽したいためにやっている訳じゃない。事実七井さんのサポートでいま忙しいの。仕事放棄ってことにはならないよ」
「僕にとって、それは仕事放棄なんですよ。たとえなんと言われようとも、生徒と向き合うのは僕でなくちゃいけないと思います」
「でも、君のためにも生徒のためにも、代わった方がいいよ……」
敏文はそれ以上の言葉を聞くことなく、電話を切った。仕事に戻ろうとパソコンの画面を見るが、手が動かなかった。
敏文は急に立ち上がった。今日はいち早く教室に行こうと思った。速歩きで職員室を飛び出す。
すでに学校中に生徒がいる。敏文はすれ違う生徒に挨拶をした。しかし相手から挨拶は返ってこなかった。いつものことだ。しかし今日はそれが辛かった。まるで、自分が間違っていることをしているような感じがした。
廊下は生徒の話し声で満たされていた。少し耳を澄すませてみると、取るに足らないようなことばかりが聞こえてくるが、それもまたよいものだ。敏文は、ここを歩くたびにそう思う。
担当している二年三組の教室。敏文は深呼吸してドアを開けた。十人しかいなかった。
これは、このクラスの人数が少ないわけではなかった。机は三十もある。敏文は欠席の連絡を受けていない。つまり三分の二が無断欠席ということだ。
「朝のホームルーム始めるぞ」
教室内にきれいに響く自分の声。敏文は一抹の寂しさを覚えた。しかし心の中でとどめて、すぐにかき消した。
「今日も少ないな。欠席の連絡入れとかないと」
何となく言ったその言葉に、女子生徒が反応した。
「やめた方がいいよ先生。意味ないから」
「親切に言ってくれてありがとう。でも意味がなくても、それが仕事だから」
「そうじゃなくて」
彼女は、敏文に向けて指を指す。
「みんな来てるんだよ。毎日」
「え?」
敏文は、驚きのあまり声が裏返ってしまった。慌てて咳払いをして、何もなかったかのように真顔に戻した。
彼女はそれを見て、にやけ顔になる。
「今日は、みんな二時間目くらいに来ると思うよ。一時間目数学だから」
「数学が嫌いだからって、そんなこと」
「……先生本当に分かってないね」
彼女の顔は呆れ顔になっていた。
「みんな先生に会いたくないから来ないんだよ」
「え、なんで」
「他のクラスはみんな自律思考教師ロボットが授業しているんでしょ。すごく説得力があって合理的な授業だって。先生だけ評判悪いよ。こんな授業受けていても意味ないって言ってる人がほとんどだし。早く辞めてくれないかなーってみんな思ってるよ」
敏文はしばらく黙り込んだ。そして、
「そっか」
とだけ言い、出席簿をつけ、そのまま一時間目の授業に入った。いつものように教えるよう心がけた。しかし声が思ったように出ない。それどころか、時々涙をこらえる時もあった。元気が取り柄の授業のはずが、それすらも失った今日の授業は、何の意味も成さない、醜いものだった。授業終わりのチャイムが鳴って、敏文はそれにようやく気づいた。生徒のほうを見ると、こちらに冷たい目線を浴びせているように見えた。
「すみません」
敏文は頭を下げて謝り、教室を後にした。
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