喫茶店ジニアの秘密

第1話

 ひょろひょろとしている祖父の写真が添付された祖父母からの手紙。祖父は数少ない私の味方なのでまだ生きているのは何よりだ。私の家に届いた手紙の中で、興味のあるそれだけを取り、目の前の家に入らないまま、道路を挟んで反対の建物へと足を運ぶ。

 そんなに正確な日時は覚えていないが、およそ3年前。私の家の向かい側に小さな喫茶店ができた。名前はジニア。

 ある日、親子喧嘩をして家に入れなくなったときに暇つぶしに入店してから、ここはすっかりお気に入りの店になっている。

 ジニアと言えば、和名で百日草とも呼ばれる植物。もっともこの知識も元々知っていたのではなく、喫茶店のマスターに教えられたものだったりする。

「いらっしゃい」

 私が来たことに少し嬉しそうなマスターの男は、顔はまあまあの20代成人男性。第一印象では、この男性を怖いと評する人はいないと断言できるくらい覇気のない人だ。唯一といえるチャームポイントは、銀色の縁の眼鏡がよく似合っているところだろうか。

 喫茶店の内装もいたってシンプルな作りだ。2階建てで1階はカウンター席、黄唐茶色の木製のカウンターと椅子が、調理場との境になっている。2階はテーブル席で、4人連れが4組座れるようになっている。店全体は、日光が差し込むように大きな窓が壁際に存在し、それ以外の壁は小豆色の木材で作られていた。

 普段、学校から帰ってくると家よりも先にこちらに立ち寄る。毎日飽きもせず来ている私のことを、そのマスターは毎日笑顔で迎えてくれている。

 私はいつもの通り、入り口から一番奥の席に座った。すでにその席は、紅茶とサンドイッチが置いてある。

「部活、大変みたいだね」

「もうすぐ大会だから」

「大会は日曜日だろう。いいのかい?」

「10年前に死んだお兄ちゃんの墓参りでしょ。何度も行っているから恨まれないって。遠くにあるわけじゃないし、家族で行きたくない」

「なんで」

「日曜は親戚がいるから。特に叔母さん。お見合いをさせようと必死なの。バカみたい」

 紅茶を口に含む。舌の上で泳がせる。鼻を通る香りは、自分で淹れたものより素晴らしい。

「おいしい」

「お嬢様がこだわっているジャンルの1つだからね。お茶はしっかりしてるつもりさ」

 花瓶に植えられているジニアの花に水をやり、20代の男のくせして花を見て喜んでいる草食男子のマスター。同級生には、こんな男でもアリな子もいるみたいだけれど、私からすればナシだ。

 ――いけない。最近はあのバカ親のせいで、変なことばかり考えてしまう。

「相変わらず好きだね。他のにはしないの?」

「ああ。大学では植物のことをいろいろと勉強していた時に出会ったからね。それ以来一番好きな花になったよ」

「それ何度も聞いた」

「飽きた? 花瓶に別の植えた方がいいかな?」

「別に」

 マスターがこちらを見つめてくる。そして、唐突に失笑した。

「何よ」

「機嫌悪そう。御父上とまた喧嘩したのかい?」

「……まあね。私が大学行きたいって言ったら反対するの。ひどいと思わない? 別に逃げるためじゃなくて、やりたいことがあるから行くのに」

「無理もない。いずれ御父上の会社の後継者として、早々にそのための研修を始めたいと思っているじゃないか?」

「そんなの、いとこにゆずれっての。私、絶対向いていない」

「そうはいかないのさ。今となっては一人娘なのだろう? 自分の子供に継がせたい。一般的にはそう思うものだよ」

 そんなことぐらい知っている。でも、家のことを考えるとお腹が痛い。

 私の家は100代以上続く歴史ある家で、古くは貴族の血筋だったのだそうだ。さすがに現代において貴族を名乗ってはいないが、私の親戚の大人はみんなお金が稼げそうな職に就いている。政治家、官僚、医者、警察、研究者、会社の社長など。中には声を大にして言うことができないことをやっている人もいると聞いている。さすがに嘘だとは思うが本当かどうか聞く気にはなれない。

 そしてそんな家の一員として生まれてしまった私にも、それ相応のプレッシャーはかかる。何より、兄が死んでから家を継げる人間が私だけになってしまったのだ。

 父が大学に行かせようとしてくれないのは、自分たちの都合に決まっている。社会不適合者が学びに逃げる場所だと、バカみたいな理由で嫌っているのは、自分が行けなかったことを根に持っているからだ。それに、跡継ぎを親族から心配されている父は、他の家へのアピールのために、私に早く結婚しろと言ってくる。

 そういえば最近はストーカーをしてくる変な奴もいる。家でこっそり聞いた話によると、ボディーガードがどうとか言っていた気がするが、そんなもの必要ないと言ってやった。雇う余裕があるなら学費とか、もっと私のためになるものに充てろとも。

「怖い顔してるよ」

「やめて、見ないで」

「ははは」

 何度も見られているものの、やはり不機嫌な顔を見られるのは恥ずかしく、つい近くのサンドイッチにかぶりつく。

 父も母も帰りは遅い。家にはお手伝いさんがいて家事をしてくれるのだが、父の命令なのか私の家での行動にいちいちケチをつけてくる。食べ方が低俗に見えるだの、夜の11時までに寝ないと健康に悪いだの。夜更かしをするのは、計画的に行動できていないからだの。私だってもう17歳なのだ。まだ大人じゃないけれど、さすがに自分の事は自分で考えられる年だ。

「うまい」

 普通の白い食パンではなく、少し茶色のパンに、卵が挟んである。不思議なことに、たったこれだけなのにたまらない旨味が舌に広がるのだ。

「ほんと、どうやってつくってるんだろ……」

「教えないよ。企業秘密だね」

「それも何度も聞いた」

 1つをあっという間に食べてしまった。残り2個なのが少し寂しい。紅茶と合うのも本当に不思議だ。驚くべきなのはこのサンドイッチは開店当時からあったとのこと。私のためにできたような店だと思わざるを得ない運命を感じてしまう。

 家より落ち着く空間、お気に入りの紅茶、そして美味しいサンドイッチ。この喫茶店は家以上にリラックスできる。

 せめていつも家にいるお手伝いさんがこの人だったら、そう思ったことは何度あったか。

「家に帰りたくない。マスターが泊めてくれればな」

「ダメだよ。このご時世、君を保護者に無断で泊めたら、俺が捕まっちゃうよ」

 それは確かに正論で私は返す言葉はない。それでも、家に帰るのは本当に嫌だった私は、

「……ああ、マスターが私を連れてってくれる王子様とかだったらなぁ」

 そんなことをふと思い立って口走ってしまう。言った直後に、恥ずかしくて顔が熱くなり思考が100秒ほど停止した。

 ニヤニヤしながら見てくるマスターから目を逸らすため、窓の外に見える私の家を睨む。

 マスターは空になったカップを取った。私を見ながら返答を待っているのはおかわりするかしないかを待つ合図。私が頷くと、マスターは替えのカップに紅茶を注ぐ。

 紅茶が注ぎ終わる前まで周りを見る。今日も同じく他の人が誰もいない光景を見て、そういえば、と私は1つ疑問を抱いた。

「私以外の客、来たことある?」

「心配してくれるの?」

「そりゃ、その。潰れたら困るし」

 そう言うと何かを思い出したのか、失笑するマスター。

「どうしたのよ」

「この前君の御父上が来てね。急に小切手を差し出された。僕に、好きなだけお金を上げるから、ここを去ってほしいって言ってたよ」

「はぁ?」

 初耳だ。あのバカ親とうとう人様に手を出し始めたのか。

「理由を聞いたら、君のせいで毎日帰りが遅くなっていて教育に悪いからとか言ってね」

「うわあ、ドン引きなんだけど。でも断ったんだ。店閉めてないってことは」

「ここに店を出したかったからね。向かい側のお嬢様に気に入られたのは本当に嬉しかった。ここに出してよかったと思ったよ」

 そう言われると悪い気はしない。

 カップを置いた瞬間机が振動する。机に置いてあったスマホを開くと、電話がかかってきていた。家からだ。無視したら今度はメールが来た。何かあっても困るので、一応見てみたが結局父親の早く帰ってこいという怒りのメッセージ。どうやら珍しく早めに家に帰ってきているらしい。

 当然これも無視。家にいたらまた余計なことを言われそうで嫌なのだ。

 またメールが入ってきた。今度は母親からだ。内容は非情に気に入らないものだった。つい、舌打ちをしてしまう。

「どしたの?」

「あいつ、わざわざ仕事場から学校に電話して、日曜日休むって連絡したって」

「お母さん、すごい行動力だね」

「日曜日、どうしても行かせたいみたい。……本当にムカつく」

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