第9話 3月 そして

舞台裏、すでに準備は出来ているが、心の方はざわついている。会場には五百を越えるほどの席が埋まっていた。

 このもうすぐ出番の時の緊張は一度味わったことがあるが全然慣れない。

 会場を見渡すと、章が一番前の席で座っている。昨日連絡したところ、一番前の席とったった、などというふざけた返事をもらったが、まさか本当だとは思わなかった。

 そして由佳里は、

「まあ、いないか」

 当然だ。今は引っ越しで忙しいはずだから。

 会場は吹奏楽部のオープニング演奏で盛り上がっている。その次が俺の一曲目。しかもバックに吹奏楽部の演奏がつくらしく、以前よりもプレッシャーが桁違いに重い。

「出番だよー」

 吹奏楽部の顧問の先生の合図で俺はステージに立つ。

 一曲目、緊張で最初はあまり声が出なかった。なのでとにかく笑顔。徐々に体が温まってきて、ジェスチャーをまじえながら楽しく歌った。

 続けて二曲目、一曲目で緊張がほぐれたため、気持ちに余裕が出てきた。調子に乗って、サビの部分を歌ってください、と呼びかけたところ、多くの人がのってくれた。まるで自分が本物の歌手になったようなそんな気がして気持ちがよかった。

 二曲歌い終わり、一度舞台裏に戻った。先輩が続けて発表の舞台に立つ。

 先輩はやはりさすがで、プロ歌手と間違えるくらいに輝いていた。会場は、大盛り上がり。三曲二十分だけの発表に、アンコールが叫ばれたほどだった。

 迫る三曲目。お昼を挟んで、合唱部、吹奏楽部第二パートが終わると、ついにグランドフィナーレで俺の三曲目。どうしてそんな場面を一年生の俺に任せるのかという文句は、もはやここでは言うべきではないだろう。

 人生でここまで緊張するのは初めてかもしれない。人の字を百回書いて食べてみたが、特に効果はなかった。

 そして。

 吹奏楽部が終わり、ついに俺の出番。

「さあ、行って」

 という、吹奏楽部の指揮者の人に声をかけられ。俺は再び表舞台に立つ。

 俺はお客様に大きく礼をした。

 後は曲が始まるだけ、そう思っていた。

「いきなり失礼いたします」

 なんと、曲ではなく、先輩の話が始まった。

「今から歌う彼の三曲目は、本来は別の人が歌う予定だったものです。由佳里ちゃんっていう私の後輩で、本当に歌のうまい子です」

 なんと由佳里の話をし始めたのだ。

 やめてくれ、と俺は心の中で言う。

 由佳里の代役というところを強調されては、せっかく去った緊張が再び俺を襲うだろう。

 いや、もう襲っている。

「功補君、緊張しちゃった?」

「ははは、まあ」

「じゃあ、きちんと歌えるように、助っ人を呼びましょう。私と前の代の部長の必死の説得と、引っ越し準備が早く終わった奇跡に、そして天才少女の入場に拍手!」

 彼女は沸き上がる拍手の中、ステージに上がってきた。

「由佳里?」

「先輩に引っ張られてきちゃった」

 と言う彼女の顔は笑っていた。

「最後は二人で歌っていただきましょう!」

 なんだと!

 と叫びそうなほどに俺に衝撃が走る。二人でなど、そんな話聞いていない。

「一フレーズずつ交互に、サビは一緒に」

 すでに始まる前奏、その中で的確に指示を出す彼女はやはりさすがだと思った。

 俺はそれにうなずく。

 三曲目。一人の少年と、不思議な少女の出会いから別れを書き綴った詩を持つ歌。

 俺が一ヶ月もかからずこの歌を歌えるようになった理由は、この歌詞に共感できる事が数多くあったからだった。

 二人で会場を魅了する歌を歌う。叶わないだろうと思った夢が叶った時間はとても楽しい。かつてこんなに活き活きとした自分がいただろうか。由佳里も不満な様子は一切なく最高の笑顔を見せてくれていた。

 歌はたった五分弱。それしか良い時間は味わえなかった。しかしそれでも十分なように思える。心から

 会場には大きな拍手が巻き起こった。

 二人で礼。その後俺は由佳里に、

「ありがとう、心強かった」

 すると、由佳里は、

「こちらこそ。楽しかった」

 と言ってくれた。

 二人で舞台の裏まで並んで戻ると、

「じゃ、表で親待たせてるから」

 と言って、出口に向かって走り出す。

「元気でなー!」

 俺の声に、由佳里は一度止まり振り返ると

「また今度聞きに来てあげる、それまで精進しなさいよバカ男」

 と笑顔で言って去って行った。

 コンサートは無事に大成功。対象は俺と由佳里が歌った歌に決まった。

 それだけでも嬉しいが、何より嬉しかったのは、もっと大きな物を得たように感じたからだ。


 四月


 もう二年生になる。とうとう歌唱部唯一の二年生になる。部の存続のため部員集めはしっかりやらなければと思う今日この頃。

「お前」

「なんだよ」

「前に比べていい顔になったよな」

 章から不意に言われたその一言。

「そうかな?」

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