第8話 2月

 ヤバい。

 頭の中から常にその言葉が離れないのは、未だに三曲目が決まっていないからだった。さらに、練習中の二曲も、良い感じにならない。先輩や由佳里の歌を聴いていても、俺なんかとは違い、しっかり良い感じになってるのが聞こえ、今の状況に情けなくなっている。

 俺はひたすらに歌った。

 とにかく自分のイメージした理想に向けて。

 三曲目が決まっていない以上、今やっている二曲の完成形をそろそろ見つけたい。

 そのつもりで今日も練習に励む。

 が、やはりそう簡単には見つからないようで、三回フルで歌ったところで座り込んだ。

 これでは納得できない。しかし何が足りないかも分からない。結構追い詰められてる。

「何よその顔」

 と、俺の苦労も知らないだろう天才が話しかけてくる。

「仕方ないじゃん。こういう顔になっちゃうんだから」

「せっかく聴いててあげたのに」

 なに。

「聴いてたの?」

「悪い?」

「いや……」

 驚いた。今までは頼まないと聴いてくれなかった由佳里が俺の歌を聴いてくれいたことに。

「どうだった」

「悪くないんじゃない?」

「遠慮すんなよ」

「私がバカに遠慮すると思う?」

 口の悪さは変わらないが、俺の気持ちは少し明るくなった。由佳リオ話をすると、不思議と暗い気分ではいられなくなる。

「じゃあ、がんばるか」

「そうね バカなんだから。頑張らないと意味ない」

 最初の頃、俺は由佳里が嫌いだったが、最近は向こうの口調も少し穏やかになったような気がして、今はそこまで嫌いじゃない。自分勝手に悪い友達だと思っている。

「お前のも聴きたいよ」

 と言うと、さらに驚くべき事が。由佳里はうなずいて歌い始めた。今までこんなにあっさり歌を聴かせてくれたことはない。

 俺はせっかくのこの機会に、自分の足りないところを探すように聴いた。由佳里の歌は、いつも俺のとは違う何かを持っていて、俺はそれにずっと惹かれてきた。そのうちの一つでも盗んで自分の歌に作用させることが出来れば、より俺の歌は成長すると思った。

 由佳里の歌は今日はどこか力強さが内容に感じたが、それでも俺の心を震わせるには十分な歌だった。

「どう?」

「やっぱり凄いなお前」

「ううん。私なんてまだまだ」

 この会話ももはや恒例行事。

 しかし、恒例でないことがこの先に待っていた。

「練習の後、時間ある?」

「は?」

「ちょっとつきあってほしいんだけど」



 連れてこられたのは知らない道で俺は由佳里の後ろをついて行くしかなかった。

 たどり着いたのはスタジオみたいなところで、話によると先輩がよく借りていおる場所らしい。

「こっち来て」

 由佳里は俺の手を引っ張って、俺はどんどんと奥へと引き込まれる。そして部屋に入った瞬間、おいて会った椅子に座らせられた。

「で、どしたの?」

 正直、学校では言えないような罵詈雑言を浴びせられるのかと思わなくはなかった。しかし、由佳里がわざわざ俺を連れてきたことにはもっと意味があるような気もする。

 つまり、何言われるか分からないから緊張しているということだ。

「あんた三曲目決まらないって言ってたよね」

「ああ、それが?」

「さっきあんたに聴かせたやつあるでしょ。あげるわ」

「え?」

「あげるって言ってるの。男が歌ったって恥ずかしくないでしょ」

 その言葉に耳を疑った。

 先ほど聴かせてくれた歌は、俺の知る限り由佳里が最も練習していたように聞こえた歌だから。

「なんで」

「さあ、ただの気まぐれ」

 嘘だ。すぐに分かる。

「嘘つけ」

「ほんと」

 歌に対して本気だった由佳里がそんな事するはずがない。

「ていうか、気まぐれで渡される曲は嫌だよ」

「三曲目も決まってないのに?」

「嫌だね」

 ちっ、と舌打ちが聞こえる。

「もう、分かった。なんで渡すか言うから」

 と言うと、一度深呼吸を挟み、

「私、今度のコンサート出ないから」

 と、淡々と言った。

 俺は再び自分の耳を疑った。

「なんで」

「引っ越すんだって。しかもコンサート当日。だから……来られないの」

 徐々に目が潤んでいく彼女を見て、

「マジか……」

 としか言えなかった。

「せっかく練習した……けど、意味、なかった。なんか、ね」

 涙を流すのを必死にこらえて、気丈に見せている由佳里はかつてないほどに痛々しく見えてしまう

「でも、せっかくだし、あんたに、曲でも提供しようとでもおもったの。感謝しなさいよね」

「あ、ああ……」

「いるの?」

「いります! ありがと」

 三曲目がこのように決まったとはいえ、心境は複雑だった。

 歌唱部から由佳里がいなくなる。俺にはそんな事が想像できない。いつも横から馬鹿にされ、それが悔しくて練習して、また聴いもらって、時々面白い話して、励ましてもらって、無理しているのを止めて。歌唱部での由佳里と過ごすこのような時間がもうすぐ終わると言うのだ。

 いつか見返してやる。それももう叶わないというのだ。

 そして、あのメール以来、密かに決意していた事も。

 ならば今言おう。

「由佳里?」

「……なに?」

 涙は流れていない。本当に強い女だと思った。

「もう一つワガママいいか?」

「嫌だ」

 そう言うと思ったが、そのまま続ける。

「一緒に練習してよ。つきっきりで」

「え?」

「俺だけじゃ間に合わないよ。お前練習してたんだろ。だったらその練習成果を俺に教えてくれよ」

「ずるい」

「本当はお前を見返した上で、もう一度来年チーム組もうぜって言いたかったんだけどなー。ほら対等な関係な感じでいいじゃん。まあでもそれは無理そうだし、だからさ」

「分かった、いいよ」

 由佳里はためらいの素振りを一切見せずに言った。

「いいの?」

「せっかく歌ってもらうんだもん。無様な歌は歌わせたくないしね」

 とのこと。

 次の日から俺の三曲目の練習が始まった。部活の時間は常に由佳里と一緒に練習した。高音を結構必要とする刻でかなり難しいが無我夢中で練習した。

 休み時間ではよく話した。歌のことはともかく。これまで一年近く一緒にいたのに、話せなかったいろいろな事を話した。さらに俺の歌唱力向上のためならと、何度も歌を聴かせてくれた。

 あまりにも一緒にいたもので、学校ではいつの間にか、俺と由佳里がつきあっているのかという噂まで流れたほどだ。特にどうにも思わないつもりだったが、先輩に茶化された時は恥ずかしかった。

 なにはともかく、仕上げは順調に行き、二月の最後には完璧と言うにふさわしいところまで完成した。

 練習最終日、いつものように練習を終え、荷物をまとめると、由佳里は先に音楽室から出て行こうとした。

「じゃあ、頑張れ」

「おう」

 そんな言葉を最後に別れた。まあ、そんなものだろう、と俺は自分に言い聞かせる。

 なざなら、いま由佳里は相当な覚悟を持って、この音楽室を後にしたからだ。

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