第2話 5月

 新入部員が本格的に活動を始めるのは、ゴールデンウイークに入ってからである。

 その日俺は音楽室に向かっていた。

(ドキドキするなー)

 と、緊張しながら、扉を開ける。この扉は相変わらず重く感じた。

 天井には数々の有名人たちの写真、そして黒板の前に高価そうなグランドピアノ、しかしそれだけ。おそらくほかの学校にある音楽室と大差ないのではないだろうか。

「何しに来たの」

 一番に俺と目があったのは、先日、尖った言葉を言い放った、由佳里と呼ばれる女子だった。

 今回は俺にも返す言葉がある。

「俺、ここに入るから来たんだよ」

「笑えない冗談。帰って」

 前はここで帰ったが、今はそうするわけにもいかない。

俺はひるまず言い返した。

「無理、今から部活だから」

「人をバカにするのもいい加減にして!」

 あいつは怒鳴った。この調子では俺が何を言っても通じない。こいつとは絶対に息が合わなそうだと思った。

 その時再び扉が開いた。

「始めるよ!」

 先輩が大きな声で入ってきた。

「先輩。こいつがまた!」

 由佳里にとって俺はただの邪魔な人。それだけのようだ。

「大丈夫だよ。うちに入部届出してくれたし。もううちの部員だから」

 先輩のこの一言に、俺は感謝した。軽く部長に向かって頭を下げる。

 由佳里は、気持ち悪い虫を見るかのような目で、功補を見ている。

「俺そんなに邪魔?」

 一応、俺は聞いてみた。

「邪魔」

これからのことを考えると、俺の気は重くなった。

 部員が部長の香美先輩の周りに集まる。

「昨日、一年間のスケジュール表が完成したので配ります。部活のある日も全部書き出しておいたから見てください」

 渡された表は、九月と三月ところは、かなりびっしりと予定が書かれている。

「九月に、文化祭でのライブ。三年は最低三曲、二年一年は一曲で歌います。そして三月のライブは二年と一年で、コンクールに出てもらいます」

 部員全員が固唾をのむ。

「じゃあ、改めて、これから一年頑張っていきましょう」

 部長の声で今日の活動は始まった。

「まずはみんなで基礎トレーニングね」

 まず柔軟体操から始まった。首を回し、体を伸ばす。

それまではよかったが、次の指示が信じられないものだった。

「はい、マラソンいくよ!」

 マラソン?

 俺はその言葉が信じられない。マラソンというのは運動部が基礎体力をつけるためにやるものだ。歌唱部は文化部のはず。

「え、マラソンってなんで?」

「歌う時って体力も大事だよ」

 部長が笑顔で答えた。

 一周約一キロメートルある、学校の外周を五周。俺にとってこの長さは、初体験だ。走り始めたら一周でバテはじめた。先輩たちが走り終わる頃二周、同級生の由佳里が終わるころに、やっと三周終わったところだった。

自分の体力の無さに、落ち込まざるを得ない。中学のころは体育の持久走しかやっていないし、三年生の頃は運動などしなかった。当然の結果なのかもしれないが。

 しかしトレーニングはまだ続く。今度は息を吐くトレーニング。走ってからまだ五分後なので、全然息が整わない。この中で三十秒息を全力で吐き続ける。それを三十回。次に腹筋五十回、背筋五十回。

 最後に息のコントロール。お腹で息を調節する練習を三十分。ここまでが声を出す前の準備運動だという。

 功補はまだ声も出した練習もしないながら、倒れこんでしまった。

「功補君、これでバテたら練習にならないよ」

 部長に言われた。どうして、他の人たちが全然疲れていないのかわからない。

「だめじゃん。あんた。それじゃいても無駄」

 由佳里はまだ元気そうだった。見下すように功補をみている。

この言葉に苛立ちを覚えるが、今の俺には言い返すことができる気がしなかった。

 その後の歌唱練習にも、声が小さい、気合が足りないなど、非難を浴びるばかりで、全くついていけなかった。

 練習が終わる頃、功補は動くことさえできなくなっていた。先輩たちに心配されている自分が惨めに思えてきた。そして弱った獲物にとどめを刺すような言葉を由佳里が放つ。

「あんたには無理だから。辞めれば?」

 情けない自分の姿に、功補は涙が出そうになった。

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