第4話 これから

 それは、

「って、やめてください。何でもかんでも私の思っていることを読み取るなんて、なんか恥ずかしいです」

「あらら、ごめんなさいね」

 その後しばらく、マスターは何も言わなかった。私も特に話したいことはない。この空間が静寂に包まれ、無心に飲んでいたミルクココアはいつの間にかなくなっていた。

 ふと前を見ると、あの黒い瞳はまたも私をとらえているようだった。まさか、ずっと見ていたのだろうか。そうだとしたら、いったい何がおもしろいのか。

「そうねえ。かわいいから見ていて飽きないのよ。あなた。んふふ」

 聞いてもいないのに答えられてしまった。

マスターが、私の前のグラスを手に取り、

「両立はできるわよ」

 といったのだ。

「え?」

 本当にそんなことができるというのか。

 マスターは、こちらに向かい微笑みながら言った。

「あなたの幸せは、彼女のそばに居続けることなのでしょう。だったらそうすればいいじゃない」

 何を言っているのだ。

「そんなことができれば苦労はないですよ。私にはもうその権利はない。それにあなただってさっき、私の思いはぶつけてはいけないって言ったではありませんか」

「ああ、そんなことも言ったわねえ」

 また、不敵な笑いをすると、

「でも、それくらいがいいのかもしれないわよ」

 と。意味が分からない。

「あら、分からないの。じゃあ、あなたの本心を代わりに代弁してあげる」

 そんなことはできるなんて十分魔女だ。そんな目の前の魔女は、グラスを拭き終わったのか、タオルをおいて、グラスを後ろの棚に戻した。

「一緒にいるだけで楽しい。不思議と興奮してきちゃう。その感覚がとても快感に思える。それは間違いなくあなたの心の中にある本心。でもそれと同時に、大事な人に仕える喜びも感じている。でしょう?」

「はい」

「あなたはそれが別々に存在するものだと思っているみたいだけど、それは複雑に絡み合っていて、もう一つの大きな塊になっているの。

もう二つに離れられない位に」

「え・・・・・・」

 その言葉は、どこか深く突き刺さった気がした。

 そんなことがあってはいけない。

 執事としてあるべきならば、私情と仕事の分離ができなければならない。それは父の跡を継ぐ時に強く言われたことだ。

 しかし、耳にした言葉を、どこか納得して聞いている自分がいる。

 ここに来て、自分が執事としていかに愚かしいことをしてきたか、情けないことに気づいた。

「・・・・・・そうですね」

「もう、本当に素直ねえ。あなた。それで自分を責めちゃうだなんて。いい子だわぁ。・・・・・・本当においし・・・・・・・じゃない、かわいいんだから」

 喫茶店の主人は、んふふ、とまた笑った。

「世の中素直なだけじゃ生きていけないのよ」

「しかし私は・・・・・・」

「いいのよそれで」

「・・・・・・・?」

「ずうっと、あなたは彼女の傍に居続けるの。そしてあなたの本心から来る喜び、興奮、快感、それを拒まずに貪り続けるの。それがあなたにとっての幸せなの。それはいけないことじゃないわ。さっきも言ったでしょう、誰にでも幸せを求める権利はあるの」

 貪るだなんて、そこまで心が貧しくなっているつもりは、

「いいえ、あなたの心は今、大事なものを失っている。貧しいわ。大きな穴が開いている。だからこそ、もう戻らない幸せの幻覚まで見てしまう。かわいそうに」

 確かに同じようなことが起こった、けれど、

「何をそんなに頑なになって拒んでいるの。もう執事ではないあなたが」

 確かに、そうだけれども、

「素直になっていいのよ。何も悪いことはない」

 簡単に素直になれるなら、こんなに苦しくなることはなかった、そんな簡単に、

「いいのよ。ここには私しかいない。さあ

 手を握られていた。魔女はいつの間にか、私の隣にいた。いつからだろうか。隣で囁かれていたのは。

「う・・・・・・?」

「さあ」

 手がぎゅっとされた。

「どうしたい?」

 言ってしまおう。

 そう、別にここで本心を言ったって、マスター以外だれも聞いている訳ではない。

「お嬢様と一緒に・・・・・・居たいです」

「んふふふふ、でしょう!」

 隣にいる女は妖艶な笑みを浮かべた。

「でも、私はもう、一緒に・・・・・・」

「いいえ、そんなことはないわ。これからどうとでもできる」

「できないんです。もうお嬢様は。行ってしまった。もう一緒には居られない・・・・・・」

「それはね、そのためにできる限りの努力をあなたはここまでできなかっただけ。嫁ぐのに反対するだとか、向こうの家に雇ってもらうだとか、いっぱい方法があったんじゃない?」

 そうだ。

 私はお嬢様とともに在りたい。それが幸せなのだ。しかし私はそのためにできることをしていなかったのは事実だ。あの時、背を向けた領主様に、何も言えなかったのがその証拠だ。

 なぜこんな単純なことに気が付かなかったのだろうか?

「そうだ、私。まだ何もできてないのか」

「そう、あなたはまだ、幸せになれる権利がある。それができない世界なんて狂っているわ。幸いあの世界はまだ大丈夫みたいよ。あきらめるのはまだ早いんじゃない?」

 ここで気付いた。自分が立っていることに。

「さっきまで全然力が入んなかったのに……」

「それはあなたに立ち上がる勇気が湧いたから。これならもう大丈夫ね」

 マスターの顔は、先ほどはうって変わって、すがすがしい笑顔が浮かんでいる。

「ありがとうございます。なんか」

「いいえ、これが仕事ですもの」

 こうしては居られない。私はまた彼女の元へ向かわなければ。私の幸せを求めるために。

 結局、私はどこまでも執事なのだ。彼女のそばにいなければ自分じゃない。人生でたった一回と誓う。このワガママは果たすまであきらめるつもりはない。

「んふふ、これで解決かしら……」

 そういうと出口の付近により、私に彼女はこう告げた。

「実はこのドア、とっても不思議なドアでね。本人が一番戻りたい時間に戻ることができるの。……強く思って、その場面を」

「ほ、本当ですか……?」

「んふふ、不思議でしょ。でもできるの。ここはあらゆる時空を飛び交う、ただの面白い喫茶店だったりするのよ。これは本当の話。私を信じて、あなたの命を少し分けてもらう代わりに、あなたの願いを、幸せを、実現させるお手伝いをしてあげる」

 途中とんでもないフレーズがあったような気がずるが、今はそんな余計なことを考える時間はない。一刻も早く、彼女のところへ向かわなければいけない。

「もう決まっています。戻りたい場所は」

「そう。そこからあなたはどんな選択をしてもいい。彼女を自分のものにしても、言ってしまった彼女を追いかけても、執事として、彼女を見送り、自分を封じても。それはあなたの選択なのだから」

「あの、ミルクココアのお代は……?」

「この扉の使用料と一緒にいただくわ。……さあ、早く行ってあげなさい、彼女も大好きなあなたが来るのを、きっと待っているわ」

「はい、ありがとうございました」

 私は目の前のドアを開け、新たな一歩を踏み出す。

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