第3話 見透かされた心の内

 ルフナンド家には代々一人の男執事が家に仕えてきた。その執事は一つの家系の出身者、バトリーヌ家だった。私の祖父や父もルフナンド家に長らく仕えていた。期間は一人に月二十年と決まっており、二十歳から四十歳になるまで、住み込みで働き続ける。そして四十歳になったところで、自分の跡継ぎを一人選び、その者がまたルフナンド家に仕えることになる。そうやって長い時を二つの家はともに歩いてきたのだ。

 しかし、父の代で、問題が起きた。父と母の間には私を含め、子供が全員女しか生まれなかった。父は男にこだわったと言うが、母の体が限界を迎え、これ以上の子を望むことはできなかったという。

 もはや執事としての家系はこれまでだと言った父をみて、バトリーヌ家の歴史を知っていた私は、この伝統を終わらせてはならないと父にいい、自分が次の執事になると志願した。父にも母にも猛反対された。執事の仕事は想像以上に過酷で、女のお前にできるわけがないと。しかし、私はあきらめず、執事になるために、男として振る舞うための、振る舞いや力、教養をつける修行をし、髪も決して伸ばさず、おしとやかな言葉も封印した。そうして修行を行うこと三年。父がようやく私を執事として選んでくれた。

 ルフナンド家に来て任されたのは、家の雑務や、領主の補佐という家のための仕事ではなく、次女エミルの身の回りの世話と教育だった。父が四十で引退するとき、私はまだ十三歳。エミルお嬢様は十歳だったので、さほど年の変わらない女の子の世話をすることになってしまう。ルフナンド家はすでに新しい執事を雇っており、その方が、今までのバトリーヌの男たちが務めていた仕事をすべてやっていたため、仕事は奪われた形になってしまったが、それでも執事として、バトリーヌの一員になれたのはとてもうれしかった。しかし、父は私が女であるとはルフナンド家に事前に伝えられていて、それゆえあまり酷な仕事はさせないでほしいと、そう頼まれ、私の仕事を次女の世話にとどめたという話を聞いたときはショックだった。今でもはっきりと覚えている。

 次女であるエミルも相当に今思えば厄介な女の子だった。最初は全く言うことを聞いてくれなかった。勉強をやらせるためだけに朝から夕方まで時間をかけた。食事のマナーを覚えさせるのにも一苦労した覚えがある。最初の一年は面倒な物を手で食べる癖が治らず、連帯責任で何度もお嬢と一緒に領主さまに怒られた覚えがある。その他にも、歩き方がガサツだとか、ワガママだとかと、かなりてこずらされたように思える。

 最初の頃は本当に嫌いになりそうだった。あまりいい思い出がなかったからなのだろう。しか本当は素直で頑張り屋だった。夜中まで身につかないテーブルマナーの練習をしているのを見て、彼女に対する意識が大きく変わった。頑張る彼女を見て、私は彼女のことをもっと理解しようと思った。



「それから何年もたって、ようやくエミル様はよいレディーになられました。もう、どこにお嫁に行っても恥ずかしくないくらいの」

「大変だったのねぇ、んふふ」

「……でも、その頃なると、長く一緒に居たせいか、不思議なことが私に起こり始めるんです」

「不思議なこと?」

「まず、一緒に居るだけで、なんか緊張するようになって、彼女と顔を合わせると、それが増してくるんです。寝るときも、仕事柄一緒に寝るときがあるのですが、その時も胸がドキドキしちゃうんです。最近は一緒に居るだけですごい楽しくて、笑いかけてくれるだけですごくうれしくて。なんだかずっとそばに居たいと思うんです。

果てには、お嬢様を誰にも渡したくないなんて思ったこともあります。それに……、っと、すいませんしゃべりすぎですか?」

「そうね、彼女の話になってから、ノリノリでしゃべっているのだのも。止めるに止められなくなってしまったわ。すごく生き生きとしていたわよ」

「そう、ですか」

 改めて、自分の中にいるお嬢の存在がどれほど大きいのかがよくわかる。

 結局私は、彼女なしではいられないのだ。

「依存、しているということですね。お嬢様に……」

 もう二度と使えることのないその人に。

 マスターは、

「んふふ、可愛いのね」

 とつぶやいた。

「リュシエルさん。それは依存だなんて言葉で表すのは不適切ですよ。」

「え?」

 だったらこの状態は、いったい、

「なら、どう説明すればいいのですか?」

「恋」

 マスターから出てきた突飛な一言。意味が分からない。

「え、え?」

「あなたはお嬢様に恋心を抱いているのよ」

 ありえない、そんなことがあっていいのか。

「だって、私は一応女だし、女が女を好きになるって、そんな」

 どう言い返せばいいのかわからず、口を小刻みに開閉しながら何かを言おうとしたが、うまく言葉をまとめられない。マスターはまたも、んふふ、と笑ったが、それは今までの気味の悪いものと違い、どこか意地悪なものに見えた。

「あら、他の世界では当たり前に起こっていることよ。何にもおかしいことはないのよ。それにあなただって最初から自覚しているじゃない」

 私にとんでもない言葉の毒を盛ってくれた女は、再び、んふふ、と笑った。

「それは、道徳に反することです。禁じられている行為では?」

「道徳なんて、場所や時によって違う物よ。絶対的な正義がありもしなければ悪があるわけでもないの」

 マスターはまっすぐ私の方を見て、

「それでもきっと人が幸せを追う権利は、誰であっても持っていていいと思うけれどもね」

 という言葉を強く強調した。

 幸せになる。

 そうなれる方法はいったい何なのか。私は人の為に働き続けてきた。人の幸せを常に考えながら。そんな私に自分が幸せになると言うのは実に難しいことだ。

 お嬢とともにこれからも生きていけたら、どれだけ幸せだろう、本心はこれだけだ。

 しかし、これは単なるわがままで、昔のお嬢様の何ら変わらないみっともないことだ。

「お嬢様は嫁ぎます。向こうで素晴らしい男性と出会い、そして家庭を築きあげます。お嬢様は最初こそ嫌と言えれど、将来にはいい未来が待っているはず。私がそれを壊すことは許されません」

「そうなの?」

「あなたには分からないかもしれないけれど。執事というのは自分を殺してこそ成り立つもの。仮にあなたの言う恋心が私にあったとしても、出してはいけないんですよ」

 そう、彼女の幸せと私の幸せは決して両立はできない。

 その事実は、私の心をそぎ落として行くように残酷な真理。真理だから覆しようがないのだ。

「んふふ、純粋ねえ」

 マスターは先ほどから私を見ている。その瞳の色は黒。すべてを飲み込むような先の見えない闇の色。いや、少し考えすぎだろう。

このどこか不思議な空間に来たせいで、少し頭がおかしくなってしまっているのかもしれない。

「彼女のことが見えたわ」

「え・・・・・・」

「お嬢様は確かにすてきな人ね。確かにあなたの恋心をぶつけていいような相手ではないわね。彼女はひどく脆そうだもの。私だったら、半日でもあれば・・・・・・、じゃない。あなたの強い思いをいきなりぶつけてしまっては、そのプレッシャーに絶えられるか不安ね。下手をすると、関係が壊れはじめて、最悪になりかねないかも。彼女はまだ純粋みたいだから」

 なぜか、私の恋心を中心に語っている。別にどうにかしてほしいとは思っていない。

「本当に?」

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