好きって言ったら負け

西出あや

第1話

 夏を名残惜しむかのようなジリジリとした太陽の照りつける、9月の第二週目の月曜日。

 校門近くの掲示板前で立ち止まったあたしは、生徒会選挙の立候補者一覧を見て唖然とした。

 また、アイツ――石橋遼とやり合わなくちゃいけないわけ!?

 あたしにとって、まさに因縁の相手。

 小学校では児童会長選で争い、この前の夏休みには陸上部の部長の座をめぐって争い、そして今度は生徒会長選で争うことになるなんて!

 ひょっとしたらアイツも立候補するかも……と頭の片隅で考えなかったわけじゃない。

 でも、だからといってあえて引くようなあたしじゃないけど。

「よお、チナ。また、だな」

 突然右肩の上に大きな手が置かれ、体がビクッと小さく震える。

 あたし――吉村千夏のことを、こんなふうに呼ぶのはアイツしかいない。

「びっ……くりしたぁ。もうっ、おどかさないでよね」

 そう言いながら遼の手をはねのけ、となりに立つ遼の顔を見上げる。

 小学校のときは、横を見れば遼の顔があったのに。

 なんだか悔しい。男子ばっか、ズルい。

「ねえ、部長さまは部活がお忙しいんだから、あたしに生徒会長の座は譲ったらどうかしら?」

「チナがライバルとわかって、引くわけねえだろ。正々堂々やり合おうぜ、副部長さま」

 お互い引きつった笑みを顔に貼りつかせてにらみ合う。

「そうだ。せっかくだから勝負しようぜ。今度の選挙で勝った方の言うことを、負けた方が無条件でひとつ聞く。どうだ?」

 遼がそう言ってニヤリと笑う。

「泣いて謝ったって許してやらないんだからね。覚悟しておきなさいよ」

「それは俺のセリフだ」

 ワイワイ言い合いながら昇降口から校舎の中へと入り、クラスのちがう遼とはそこで別れた。

 下駄箱のところで上履きに履き替えていると、横からツンツンと制服の裾を引っ張られた。

「ああ、由依ちゃん。おはよ。どうしたの?」

 あたしより一回り小柄な由依ちゃんが、心配そうな表情を浮かべて立っている。

「ねえ、ちなっちゃん。石橋くんとあんな約束しちゃっていいの?」

「ひどーい、由依ちゃん。あたしが負けると思ってるの?」

 そう言って、ほっぺたを膨らます。

「ちがっ、そうじゃなくて…………ごめんね」

 しゅんとしてうなだれる由依ちゃんに、慌てて両手を横に振って見せる。

「ごめんごめん、冗談だって。まーアイツに勝てるかは正直微妙だけどさ。売り言葉に買い言葉ってヤツ? それに、イヤだって言ったら、負けを認めるみたいで悔しいじゃない?」

 言い訳の言葉を並べ立てるあたしを見て、由依ちゃんが口元に手を当ててふふっと笑った。

「石橋くんとちなっちゃんって、本当に仲いいよね」

「仲がいい?? どこが!? どう考えたって相性サイアクでしょ」

 そう。アイツとは、どう考えたって相性サイアク。

 顔を合わせれば競い合って、罵り合って。

 ……本当はそんなことがしたいわけじゃないのに。

 だって、あたしの初恋の相手は、間違いなくアイツなんだから。

 だけど、そんなこと、だれにも言えない。親友の由依ちゃんにも。

 だって、そんなこと言ったら――アイツのことが好きだって認めちゃったら、あたしの負けじゃん。

 アイツにだけは、絶対に負けたくないんだもん。


 それからのあたしと遼は、校門前の朝のあいさつ運動でにらみ合い、帰りの昇降口でのビラ配りでにらみ合い。

 ああ、なんでいつもこうなっちゃうんだろう。

 遼とちょっとでも目が合うと、思わず挑戦的な態度を取ってしまう。

 そして、遼の方もそんなあたしに負けじと、すかさず倍返ししてくるんだ。

 遼と競うのがそんなにイヤなら、辞退すればいいじゃないかって?

 そんなことできるわけない!

 アイツに負けるわけにはいかないんだから。

 アイツのとなりに立つあたしは、アイツと対等な自分でありたいんだから。


 アイツは正直モテる。

「ねえ、遼くん。この数学の問題ってどうやって解くの?」

「たのむ! どうしてもはずせない用ができちゃってさ。部活休むって顧問にうまいこと言っといて」

「石橋くん。このノート、職員室まで運んでおいてくれる?」

 基本面倒臭がりのクセに、女子に限らず男子だろうと先生だろうと、頼まれればなんだってすんなりOKするんだから。

 なのに、同じことをあたしが言ったら、なんて返ってくると思う?

「こんな簡単な問題も解けねえのかよ。だっせー」+ゲラゲラ大笑い。

「おまえのデートの予定なんて知らねーし。自分で先生に言えよ」(って、デートじゃないし!)

「は? 筋トレと思ってひとりでがんばれ」(筋トレと思って手伝ってくれたっていいじゃない!)

 アイツがこんなヤツだなんて知ってるのは、ひょっとしたらあたしだけなんじゃないだろうか。

 でも、アイツのモテ要素は外面のよさだけじゃない。

 背が高くてイケメンで、しかも頭もいいときた。これでモテないわけがないじゃない。

 腹立たしいことこの上ない。

 だけど……なんだかんだ文句を言いながらも、結局アイツはいつだってあたしのことも助けてくれるんだよね。

 こんなの、ちょっとズルくない?

 好きにならないわけないじゃん。

 だからこそ、今回の会長選では絶対に負けるわけにはいかないんだ。

 アイツのことが好きだから負けてもいいや、なんていう軟弱な女子にだけは絶対になりたくない。


***


 そのまま地道な選挙運動を積み重ね、ついに結果発表の日を迎えた。

 校門を入ると、結果の貼り出された掲示板前にはすでに人だかりができていた。

 神様、こんなときばかり頼ってごめんなさい。

 でも、おねがいします。どうか、どうか……。

 ぎゅっと両手を握り合わせながら掲示板を恐る恐る覗き込もうとしたそのとき、右肩をグイッと強い力でつかまれた。

「……がんばれよ」

 悔しげな色に染まる声が、耳元で聞こえる。

「う、うん……?」

 急いで結果をもう一度のぞき込む。

「え、やった! 遼に勝っ……」

 すごくうれしいはずなのに、素直に喜べない自分がいる。

 だって、悔しそうにゆがめた遼の横顔を見てしまったから。

 遠ざかっていく遼の背中を見つめたまま、あたしはしばらくその場から動けなくなった。


***


「んで? 俺はなにすればいいわけ?」

 部活終了後の帰り道。

 校門を出たところで背後から不機嫌そうな声が聞こえ、ビクンッと肩が跳ねる。

 振り返ると、門柱に背を預けて立つ遼がいた。

「だ、だから! おどかさないでって何度も言ってるでしょ」

 ドキドキと大きく打つ心臓の音が周りに聞こえないように、あえて大きな声で言う。

「チナが驚きすぎなんだって」

 そんなあたしを見て、遼が苦笑する。

「ごめん。先帰ってて」

 いつも一緒に帰る部活のメンバーに断って、あたしは改めて遼と向き合った。

「で? 命令をどうぞ、ご主人さま」

 遼が、胸に手を当ててうやうやしく頭を下げる。

「う~ん、なにをしてもらいましょうかねぇ」

 ニヤリとしながら返すあたし。

 顔……引きつってなかったかな。

 あたしの一番の願い事は決まってる。

 だけど、言えない。

『あたしと付き合って』なんて。

 だって、命令で従わせたくなんかない。

 たとえフラれたとしても、ちゃんと遼の気持ちが聞きたい。だから……。

「あたしのこと、どう思ってるか……本音が聞きたい。ウソは禁止」

「えー、なんだよそれー」

 もっと簡単なのにしてくれよなー。ジュース奢れとか。

 などと口の中でブツブツつぶやくのが聞こえる。

「んじゃあ言うぞ。おまえに負けて、めっっっっちゃ悔しい」

 ギリギリと奥歯をかみしめる音が聞こえてきそうな遼の顔つきに、思わずプッと吹き出す。

「そんなの、言われなくてもわかってるよ」

「っせーな。ウソは禁止って言ったのおまえだぞ。今は頭ん中全部これに支配されてるんだって」

 そう言いながら、遼がわしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜる。

「じゃあ、昨日までは? 『俺に毎回張り合ってくるイヤなヤツ』? それとも『かわいげのない女』?」

 手を止めた遼の目が一瞬泳いだあと、あたしの目をじっと見つめてくる。

「――好きだな。って、思ってた」

「え……」

「いっつも俺に張り合ってくるチナがかわいくて仕方ないって思ってた。チナががんばってるんだから俺も負けないようにがんばらないとなって、くじけそうになるときがあっても、いっつも元気もらってた。おまえのとなりに立つのに相応しい男でいたいってずっと思ってた。なのに今回はおまえに負けて、めっっっっちゃくちゃ悔しい。ああ、もうっ。なんだよ、これ。俺が勝ったら『俺と付き合え』って言おうと思ってたのに、おまえに負けたこんなだせぇヤツじゃ、そんなこと言えないじゃん。でも、俺もバカだよな。もし俺が勝って『俺と付き合え』って言ったら、おまえは拒否できないんだから。そんな罰ゲームみたいなの、全っ然うれしくない。結局俺は、勝っても負けてもダメだったってわけだ。マジでだせぇ。タイムマシンがあったら、アレを言う前に戻りてぇ」

 遼が、右手で顔を覆って天を仰ぐ。

 最後の方、『あたしのこと、どう思ってるか』じゃなくなってるじゃん。

 ただの遼の『ひとり反省会』だよ。

 くすりと笑みがこぼれる。

「――ひとつだけ、なんでも言うこと聞いてくれるんだよね? だったら、初デートは全部遼の奢りね」

「は?」

 顔面から手を離した遼が、ちょっと間抜けな声を出す。

「なに奢ってもらおっかなー。パンケーキ? ああ、スイーツ食べ放題もいいなー」

「ナシ! ナシだよ、ナシナシ! 俺もうおまえの命令聞いたかんな」

 真っ赤になって怒りながら遼が言う。

 うわっ、あたしのバカ!

 あんな質問にせっかくの権利を使っちゃうなんて!!

「でも……パンケーキでもスイーツ食べ放題でも、しょうがねえからいくらでも付き合ってやる」

 ムスッとした顔でそう言うと、遼がちらっとあたしの方を見た。

 遼の視線とあたしの視線がぶつかると、どちらからともなく笑みがこぼれた。

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好きって言ったら負け 西出あや @24aya

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