16 アラハバキ・フェスティバル

「正面の祭壇、もうあと二メートルほどカミテに移動してください。……祭壇横のステンドグラス、光がぬけて色が落ちてます。後ろにレフ板をあててみてもらえますか」

 装着したインカムにむけて指令をおくる脚本家兼PDは、風でみだれた前髪を整えると、その手で口元をおおった。

「音声さん。スピーカーのバランスが悪いみたいだね。レフトの高音部分を少し下げてみてください」

 第一回アラハバキ・フェスティバル、その特設舞台設営作業は、青森県三内丸山遺跡のシンボル、三層掘立六本柱を借景にした芝生の上で行われていた。

「関係者の方は、明日行われますオープニングセレモニーの式次第につきまして、今一度確認させていただきますので、お手数ではございますが、リハへの参加をお願いいたします」

 インカムをながれる脚本家の指示に従い、会場を四散していたスタッフたちが、フェス開催実行委員会の本部が置かれてある白いテント前にあつまってきた。その中の一人に二階恵介の姿があった。

「お忙しいところ、遥々遠方までありがとうございます」

 二階に歩み寄り、声をかけてきたのは安東静香の秘書、新田真司だった。

「お疲れ様です。天気も問題なさそうですね」

 二階は眩しげに頭上を仰ぎ見た。みちのくの真夏の空は、青く澄み渡っていた。その青空の下、緑の丘陵地が横たわっている。芝の上には、色とりどりのテントが立ち並んでいた。フェスは、様々な物販ブースを用意したマルシェでもあった。

「お陰様で、滞りなく進んでいます」新田の言葉に笑みを湛えて相槌を返した二階は、「安東代表は?」と問いかけた。

 新田が二階の後方に目顔を送った。二階が振り返る。

 視界をひろがる緑の丘陵地。広々と、目になだらかにひろがるその視界に、焦点を見失ったような二階の視線だった。

「ほらあそこです」

 新田が介添えの手を差しのばした。つられて二階が目をのばす。三層掘立六本柱が建っていた。その中央にある層に、亜麻色のワンピースを風に揺らせて立つ者がいた。胸に付けた赤い素焼きのブローチがここからでも確認できる。白いおかっぱ頭は両腕を組んで立ち尽くしていた。その立姿は、かつて名のっていた通称、エリザベス・ヒミコのイメージに、ぴたりと合致していた。二階は思わず笑みをもらした。直後、二階は、

「えっ?」

 と小さく驚きの声をあげた。

 安東の後方に立つ人物たちに目をふったとき、見覚えのある容貌が横切ったのだ。GAPのストレッチ・ジーンズと白のロングカーディガン。そしてエナメルの赤いローファーを身に付けた長身の女だった。兵頭由紀子に違いなかった。(何故ここに?)二階が心の中でつぶやいた。今回のイベントは彼女の担当ではないはずだった。

 安東静香は、準備に慌ただしい会場のにぎわいを、満足げに見下ろしていた。アラハバキ経済ネットワークの運用開始からわずか一年。その急拡大ぶりは、実世界経済界においてもおおきな話題となっていた。その証左が様々な提携話だった。アラハバキ認証申請ばかりではなかった。共同EC運営の提案をはじめ、合弁会社設立に至るまで、様々な話が舞い込んできていた。

 安東は後方を振り返り、同行の兵頭に向けて言った。

「あなたの会社から、内々に協力の依頼が来ているわ」

 聞いていない話だった。内々というのが気になった。兵頭は怪訝な顔になって問いただした。

 安東はにやりと笑って、

「あなたと二階さんの、うちへの出向人事」

「はっ?」兵頭が思わず間の抜けたような声を発した。

「聞いていません」

「もう受け入れたからね。在籍出向だから、左遷なんかじゃないのよ。むしろご栄転です。あなたたちを重要ポストで迎え入れさせていただくわ」

 呆気にとられた顔の兵頭は、昨日突然に、安東から連絡を受けたときのことを思い出した。「アラフェスに同行してくれ」という内容だった。担当外の兵頭だった。しかし安東直々の依頼を無下に断ることもできなかった。お供を決め込んだ彼女は、朝一番の羽田発に安東と共に搭乗したのだった。その裏に、この出向人事の話があったのだ。兵頭は二階を思い浮かべた。彼だってまだ聞いてない話に決まっていた。

「ほら、期待のもう一人」

 安東が掘立柱の真下に目顔を振った。リハーサルを終えた二階恵介がこちらを見上げて立っていた。

 ――――

 午後六時。前夜祭が脚本家の司会によってはじまった。乾杯の音頭役を指名され、ステージ中央に立ったのが、運営委員会会長でもある安東静香だった。

 この時刻、八月の周囲は依然として煌々として明るかった。シャンパングラスを手にもったスタッフたちが、ステージ下にいくつかの団らんの輪をつくっている。右手にグラス、左手にマイクを持った安東がマイクの方を口元に寄せた。

「皆さん、今晩は。作業も一段落したところかと思います。ご苦労様です。さてアラハバキが運用を開始してから今日でちょうど一年になりました。この間、お陰さまで大きな発展を遂げることができました。これも一重に、皆様方の多大なるご協力の賜物と、関係者一同、心より感謝いたしております。誠にありがとうございます。今回にフェスティバル開催を企画致しましたのは、その皆様のご慰労とまた、この一年という節目におきまして、アラハバキの理念を今一度、皆さま方と共有したかったからです」

 スタッフたちから口笛が飛び、拍手が沸き起こる。

「今回のフェスティバルのテーマは、――与えられることのできる喜び、与えられないことの悲しみ――になります。様々な場面における人と人とのコミュニケーションについて、どのように捉え直すべきなのか、皆さんとこの機会に今一度、真剣に考えてゆきたいと思っています。どうぞ、このまほろばの地で、古の人々の想いを感じ合いながら、一緒になって議論してゆこうではありませんか。それでは明日からはじまりますフェスティバルの成功と皆様の今後のご発展を祈願して、乾杯の音頭をとらせていただきます」

 夜のとばりがようやく落りた午後八時。ステージには、前夜祭の余興、劇団フーズフー団員による寸劇が繰り広げられていた。漆黒の空の下、ライティングされたステージは白一色に染め上げられていた。

「眼に見えない君」

「耳に聞こえないあなた」

「閉ざされたような二人……」

「与えたいのに与えることができない」

「ねぇ。どうしてなの?」

「どうしたらこの愛を伝えられるの?」

「眼に見えない君」

「耳に聞こえないあなた」

 共鳴し合う祈りの言葉が、漆黒の空をひびきわたる。客席は静まり返っていた。

 ――ドドドドーン。

 突然、打撃音が立ち上った。ステージを取り囲む鉄製トラスの上から四角いスクリーンが降りてきた。スクリーンはステージ上に着床するとビデオ映像を映し出した。破壊された砂漠の街だった。ダダダダと機銃掃射が乱射される戦場の光景。血だらけになった幼い子供を抱きかかえた兵士が、泣き叫びながら画面を横切った。

「眼に見えない君」

「耳に聞こえないあなた」

「閉ざされたような私たち……」

「どうしたら、どうしたらこの愛を伝えられるの?」

「与えたいのに与えることができない」

「ねぇ。どうしてなの?」

「ねぇ、ねぇってばっ!」

 最後に放たれた女子劇団員の叫び声の直後だった。ステージを白一色に染め上げていたライティングが忽然と落とされた。周囲が漆黒につつみこまれる。観劇していた者たちがざわめきだした。そのときだった。「真上を見上げてごらん」ナレーションの声がひびいた。皆がいっせいに頭上を仰ぎ見る。

 歓声が立ち上った。頭上を満天の星々がきらきらと瞬いていたのだ。三内丸山遺跡をつつみこむ天蓋は、古の夜空を彷彿とさせる星の瞬きに覆われていた。

 ――――

「出向人事は、私の方から石橋さんに相談して決めてもらったことでもあったのよ」

 安東は、前夜祭の中締めが宣言され、集っていたスタッフたちが三々五々、場を離れはじめていたステージ下で、二階に話をむけた。取締役待遇での話だったのだが、とつぜんのことに躊躇う二階だった。

「先ほどに石橋から、事情は聴きました」

「だったら話が早いわよね。新田君、例のもの」

 目顔を送られた新田が、首肯して二階にスマホを差しむけた。『アラハバキ通販』がタイトルにあった。

「先方から送られてきた通販サイトのプロトタイプです」

 新田のことばを受け、スマホを手にとった二階が、初めて見る画面を慣れた手つきで操作しはじめた。

 遷移したページでは、カルーセルで、商品が次々とスライド表示されていた。アラハバキ認証を受けた商品たちだった。その内の一つをタップした二階は、商品ギャラリーを画面に映し出した。5つあるラインナップを親指でフリップする。最後の一つをピンチアウトで拡大した。それを上下左右にスクロールしながら、カスタマイズのいくつかのラジオボタンに「レ点」を入れる。最後にスマホをシェイクして画面を購入サイトに遷移させた。

「さすがだ。よくできている」

 一連のユーザビリティを確認した二階が、相槌をうちながらスマホを新田に差し返した。

 アラハバキが、ネット通販やEコマースを中心に、デジタルマーケティング全般にわたって進出してゆきたいとする話は、先ほどに石橋から聞かされていた。二階にとっては思いもかけないことだった。デジタルをあれほど忌み嫌っていた安東静香が、自らのポリシーを翻意させたのだ。きっかけは、通販世界最大手マジカル・ドットコム社からの、最新マーケティング・オートメーションの働きかけだった。先方は、そのための試用サイトやプロトタイプ、そして付帯する様々なプロダクトを繰り出し、安東を説得していたのだった。安東は、その内容に心を動かされた。それが翻意の理由だと石橋から聞かされていた。二階と兵頭への出向人事とは、アラハバキ側のマネジメントをどうするべきか、安東が石橋に相談を持ちかけた際、石橋から提案されたものだった。

 翻意させた最新のコンテンツとは、いったいどのようなものなのか。二階は、それを自らの目で確認しようという気持ちに急かされていた。

 新田は、「これを見てください」と言って、スワイプした画面をふたたび二階に向けてきた。画面には『アラハバキ経済指標』のタイトルがあった。

 二階が目を凝らした。

「ダブルタップで遷移します」

 新田に従って画面を操作した。あらわれたのはダッシュボードだった。SDGSのシンボルマークが目に入った。

 アラハバキ経済指標については、すでに直感的利用をコンセプトとした二階の案が稼働していた。その改訂案だった。遷移してあらわれた画面を目にして二階はことばを失った。経済景況、環境情勢、そして社会動向の三つの変数を、三色のパイ型のチャートであらわしている、現在の案と大きく異なるデザインだった。それは「星空」だったのだ。薄赤、空色、黄色の三色に瞬く星々だった。それら三色三様の光の輝き具合によって、時々の景況や動向を示すというのだ。そしてその三つのバランスが保たれたとき、星空が満天として輝くというのだ。創造力に満ち溢れた仕様だった。アラハバキの理念を知りつくしたような仕様だった。

 二階は茫然とした表情で見入っていた。背後に立つ兵頭も無言だった。これを制作したプロジェクトリーダーは、相当の実力者に違いなかった。

「要件定義書を確認させてくれないか」

 上気する気持ちを抑え鎮める口調の二階だった。新田は頷いて電子書類を自らのタブレットにひらいて二階に手渡した。手にうけた二階が早速に画面のスワイプをはじめた。アルゴリズムの仕様欄の中に、青いヒトガタのマークを見かけたところで手を止めた。『アルバート』の文字が目に入ったのだ。ペルソナ型AIで知られた存在だった。自社のシステム開発部でも最新のDSPでの使用を計画しているところだと聞いていた。「認知心理学と精神科学の知見を組み込んだアルゴリズム」が話題だった。

 仕様にある「ユーザーモデリング」の文字を確認した二階が内容を読み込む。タブレットを新田に差し返し、再びスマホ画面に目を移した。仕様内容をプロトタイプで確認しようというのだった。

 画面にドーナッツ型が現れた。

 『UXD』のタイトルがあった。タイトルをダブルタップした。画面に映るドーナッツ型の上を、時計まわりに6つの文字が溶明してあらわれた。

「要件定義」、「ユーザー調査」、「ユーザーモデリング」、「ユーザー体験設計」、「プロトタイプ制作開発」、「ユーザー調査」――

「ユーザーモデリング」をタップした。画面に「ペルソナ」という見出しがあらわれた。その下には探索木の枝があり、それぞれの先端にシンボルが表示されていた。二階は、その内の『エンパシー』をタップした。

 仕様にあるアルゴリズムの核心だった。

 詳細説明には「成形されたペルソナに、もう一体のペルソナを寄り添わせ、二体のあいだで会話をさせる機能」とあった。そのことによって、時々に抱く顧客の心理、嗜好や感情の動向をより明瞭化させるものだった。それによって、顧客の心持ちに合致した商品の紐づけが容易になる。詳細説明の「効果」に記された内容だった。

 画面には二体のアバターが映し出されていた。瓜二つだった。互いはそれぞれに合体と離脱、そして溶明と溶暗を繰り返しながら画面の中をうごきまわっていた。

「このエンパシーというのが、私のお気に入りなんです」

 二階が操作する画面を覗き込みながら、安東が言った。優れた仕様だった。これを提案してきた人物と共にシステムを開発管理できることは、意味深いことだと思わせてくれた。

「出向人事、慎んでお受けします」

 二階は安東に人事承諾のことばをむけた。

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