15 星の民

 ふくよかな遮光器土偶を象ったシンボルマークは、過不足なく、安東静香の希望していた「情念」を抽象化させていた。

 その優れたデザインは、SP局クリエイティブディレクター、菊池重信が監修したものだった。マークの下に「アラハバキ経済ネットワーク」の文字が見える。

 刷新されたアラハバキのCIシステムを前に、安東静香は満足げに頷いた。

「さすがね。気に入りました」

 会議室の白いテーブルの中央に、小さなイーゼルに立てかけられたプレゼンボードがあった。菊池は、束ねたポニーテイルをゆらしながらそれを手にとった。そして白いジャケットから覗けて見える黒いタンクトップの胸元を反らせ、小さく相槌をうった。隣席の二階恵介は、正面にすわる安東に、「ご承諾、ありがとうございます」と告げてから、立てた親指を菊池に向けて、退室の目顔を送った。

 二階が提案した「デジタル貨幣システム」をアラハバキが採用を決めたことから、電博堂DXデジタルとアラハバキとの間には、交流のパイプが新設された。二階は、それを突破口として、さらなる施策を繰り出していた。その最重点事項となっていたのが、今プレゼンをおこなっている『アラハバキ経済ネットワーク』だった。

 先に採用がかなった「デジタル貨幣システム」を基にして、アラハバキが謳う「互酬の関係性」を前面に立てた経済ネットワークだった。会議は、CIシステムのプレゼンを無事に終え、ネットワークの動性を測る指標システムについての議題に移った。

 提案していたのが、「アラハバキ経済指標」だった。二階がその解説をはじめた。

プロジェクタ・スクリーンに映し出したのは、三色に色分けされた円グラフのチャートだった。

「経済景況と環境情勢、そして社会動向を、独自の指標を用いて分析した変数です。この全体が、アラハバキ経済システムを測る指標になります」

 経済景況、環境情勢、そして社会動向、それら三つを合体させた指標設計。開発のきっかけは、国連が公表した報告書「われら共有の未来」の考え方として提唱され、世界広くに支持され一般的な環境用語となった概念、「サスティナブル・デベロップメント・ゴール」、SDGSだった。それは、経済活動を優先しすぎる産業資本主義社会では、社会問題や環境問題を導出させ、地球全体の先行きは最終的に立ちゆかなくさせる。そのことの懸念から提唱されたものだった。

 指標として特徴的かつ重要であるのは、それが、経済景況、環境情勢、そして社会動向の、三つの「バランス」であらわされるところだった。その後、この「バランス型」の指標は様々が提案されてきた。しかしそのいずれもが、決定打に欠き、統一的指標は今もって登場してくれていなかった。

「アラハバキの経済が上手に保たれることとは、今は突出しているこの青色のパイ、つまり経済景況が今よりも縮小し、それと相反して緑色の環境情勢と赤色の社会動向とが拡大してくれる場合になります」

 二階が中心となって設計された『アラハバキ経済指標』が、他の指標と比して独自的であるのは、それが親しみやすい円形のバッジ型で、気温や湿度、時計をみる手軽さで、直感的に存在させようというコンセプトであることだった。そのことによって、これまでのGDPにあるような、数値そのものが、見え難い経済コンテンツを、ことさらに複雑にしている印象を打破できる。そしてそのことが、一般庶民の、経済活動や環境保全への参加意識を高めてくれるものになると二階は考えたのだった。もちろん、組込み型がバッチ型であるのにたいして、ウェブ上での利用を考慮したそれは、容易にHTML上に埋め込みが可能なスクリプトを用意していた。

 二階の説明をうけ、指標システム運用の概要を察した安東は、おかっぱ頭をぶるぶるとふるわせてから胸元で両手を合わせた。そして口をすぼめて両頬を膨らまし、「ホッ、ホッ、ホッ」と、合わせた手にむけて息を吹きかけた。彼女独自の合意のシグナルだった。

 そのシグナルとは、「星」を起源していた。

 ――――

「登録者数百万人突破。前月比ダブルスコア」

ダッシュボードの中の、アカウント登録者数を示す折れ線チャートは急上昇を示していた。二階恵介が驚きのこえを上げた理由だった。チャートに隣接する、エンゲージメントのポイント残高を目にした兵頭由紀子が、二階のことばにつき押されるようにして口をひらいた。

「残高九千ジョーモン。日本円命数にして九千万を超え。エンゲージメント総延押下数六千万回。会員数百万人。単純計算して一人六十回近い――想定以上だよね」

 運用を始めてから三カ月。アラハバキ経済ネットワークは、二階らが抱いていた想定をはるかに上回るスピードで拡大していた。当初は、実態なきものに価値などないとまがい物扱いされていたアラハバキ貨幣システムも、同様の急成長を遂げていた。貨幣の時価総額は命数ジョーモンを振り切って、命数アラハバキも三桁に至っていた。

「このままの勢いが続けば、様々な領域に影響をおよぼすようになる」

「すでにその影響はでてきている」

 兵頭の指摘を受けて返した二階は、一枚の企画書を彼女に手渡した。兵頭が表題に目を落とす。『アラハバキ認証商品の依頼』とあった。依頼主には日用品メーカーの名があった。

「何これ?」兵頭が訊いた。

「表題通りだよ。我が社の商品にアラハバキの認証をくれ、という依頼さ」

「認証って、ハラルのような?」

「そう。ハラル認証のように、アラハバキのシールを商品に貼付したいということらしい」

 アラハバキ経済ネットワークは、与える者たちと与えられる者たちの信用の上に成り立っている互酬システムを基にしていた。だから人知れずに、アラハバキ自体に良質なブランド力が発生していたのだ。その力を借りて、自らの商品を売り込みたい。そう考える施策が、周囲に現れはじめていた。

 ――――

 アラハバキ認証審査会議を終え、代表室にもどってきた安東静香は、秘書の新田から手渡されたアラハバキの月次報告書に目を落とした。

アカウント数は一千万台の大台を超え、上昇しつづけていたアラハバキ貨幣の時価総額も、すでに一億アラハバキに至っていた。現行日本円の命数に換算して一千億円。いよいよアラハバキの上位命数の追加を迫られる事態となっていた。

「そろそろ最初の祭祀のプランを立て始めなければならないわ」

 安東が言った祭祀の目的とは、エンゲージメント・システムによって蓄えられたポイントを、利用者にひろく還元することだった。それによって、アラハバキ経済ネットワークの要となる「互酬関係」の絆をさらに深めようという狙いがあった。

安東静香は秘書の新田に目をふった。新田は頷いて、「すでに準備にとりかかっています」と応えると、執務机の横に立てかけられてあった紙筒を手にとり、代表室中央にある応接テーブルに歩み寄った。

 紙筒のキャップを外し、中に納められてあった用紙の片端を引き出し、テーブルの上に投げひろげた。

 現れたのは、日本列島を覆うように描かれた星型の幾何学模様だった。古代方位測量地図だった。

「開催候補地は二つです」

 胸ポケットに刺したペンを手にとった新田は、その内の一つ目の候補地を指し示した。『三内丸山遺跡』の文字が見える。両手を背にしてテーブルに歩み寄った安東が腰をかがめて覗き込む。遺跡中央から6本の線が星型にひろがっていた。それらの線分が収束する部分には、それぞれに六芒星の小さなマークがあった。「星見石が置かれてある位置よね?」安東の言葉に、新田は肯定の相槌を打ってから、「妙見信仰の神社である場合もあります」と言って、今のとは異なる線分収束地を指し示した。そこには鳥居をあしらった地図記号があった。テーブルにひろげられた測量地図全体に眼をひろげると、日本列島のいたるところに、似た星型放射が、数多くの線分収束地を指し示していた。星見石の置かれた位置だった。古代の人々が、夜空をおおう星座や星々を基にして大地を測量していた痕跡だった。

 新田が「二つ目の候補地がここになります」と言って指さした先には「星糞峠」の文字があった。長野県の「お天道さまの鼻くそ」と伝説されるところだった。

「黒曜石の産地としても有名なところです」

 解説をうけ、覗き込んでいた安東静香はかがめていた上体を戻してから、「開催場所はあなたにお任せします」と告げて執務机に身を戻した。

 日本列島には「ホチ」を語源とする地名が数多い。文字通りの「星」をはじめとして、「細」「市」「石」などだった。文字のない文明から生まれた「ホチ」という韻を引き継いだ者たちが、それを「変換」してきた痕跡だと考えられている。その「ホチ」が、縄文を生きた人々が編み出した測量技術の名残だという説がある。

 古代を生きた人々は、我々が想像する以上に、遥かに広大な世界を生きてきたのかもしれない。そのことで重要となるのが、広大な世界に似合ったネットワークの敷設だろう。その開発ツールとして、「ホチ」があったのかもしれない。

 五千年前の森の中に棲む人々。世界は夜に見えていた。

 夜空は、彼らの中に、研ぎ澄まされた感覚を育成していったはずなのだ。古代方位測量技術は、そうした漆黒の中で増幅されていった人々の感覚が、夜空を飾る星々を、繊細に美しく、分析してゆく過程で形作られていったのだろう。

 執務机の席に立った安東静香が、中央のテーブルに広げられてある古代測量地図を上から俯瞰で眺めている。彼女は、この壮大な技術の信奉者の一人だった。安東がことあるごとに「ホッ」とまじないのことばを吐くのはそれが理由だった。


 安東は壁面に飾られてある一幅の掛け軸に眼をうつした。

「日本中央(ひのもとのまなか)」と書かれてあるそれは、三内丸山遺跡と同じみちのくの地に立つ星見石に彫られた文字を写し取ったものだった。「北極星を指し示すもの」とされるその石碑を、初めてみてスケッチした棟方志功は、「北方も南方も感じさせないおおらかさ」という感想を述べた。

 星の民たちが残した痕跡、星見石。棟方の感想は、古代を生きた人々の壮大さを見抜き、彼らの想いを残してあげたいと思った後世の人々の卓見に向けられたものでもあった。そしてアラハバキ経済ネットワークもまた、彼らの痕跡を、この世に再生させてあげたいと願う気持ちから生まれた計画だった。

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