14 ペルソナの異変

 電博堂DXデジタルの事業構想戦略室室長、小西昇は、手にしたマスタースケジュールと、たった今上げられてきたスケジュール修正報告書とを見比べながら、苦い顔をしてつぶやいた。

「すでに半年以上も遅れている」

 小西の面前には、システム開発室SEの竹下が恐縮した面持ちで立ちつくしていた。最新型マーケティング・オートメーションのシステムテスト結果が依然不安定なままだというのだった。協力会社のシステム・パートナーズ社は、さらに一ヶ月もの納期延長申請を送り付けてきた。

「仕様変更に合わせて大幅にプログラマを増員したのですが、生憎インフルエンザで、相次いで入院してしまったとか」

 延長申請書に添えられてあった釈明文を口にした竹下だった。

「何を今さら見え透いた申し訳を言ってるんだ。元々仕様変更を盛り込んで組んだ納期だったはずだ。プログラマの病欠などは、リスク管理に入れていないわけがない」

 先方の言い逃れを一蹴した小西は、険しい表情で問いただした。

「それで問題の箇所は?」

 竹下が手にある仕様書の目次を見ひらき、機能設計の章にある「ユーザーモデリング」のページ番号を確認すると、ノンブルをたどりながら頁をめくった。「ペルソナ」と「カスタマージャーニー」の中見出しが目に入ったところでめくる手を止めた。

 問題とされていたのは、ペルソナをコントロールするためのユーザビリティだった。想定した操作性が得られていないというテスト結果だったのだ。要件定義によれば、ターゲティングの顧客情報をマッピングさせたペルソナは、マーケターの操作によって、その時々の嗜好情報を表示し、それに合致した商品購入までの導線を紐づけてくれるはずだった。しかしその動作テストが思うように進んでいないのだ。

 竹下は、開いたページを小西に差し示しながら説明をつづけた。

「カスタマージャーニーのコンテクスト、つまり設定されたペルソナの行動文脈において、とある条件にいたった場合、ペルソナがコントロールから逸脱して奇妙な挙動をみせると指摘しています」

「ペルソナが勝手に動き出す?」

 竹下の手にある仕様書を、小西が奪うようにして引き取った。目が見開かれたページを這い回っている。

「DSPに採用しているAIのバグだという先方の見方なのですが、まだはっきりとした原因は分からないようです」

 要領を得ない説明に、落としていた眼を上げた小西は、思案気な表情になって訊いた。

「とある条件とやらの行動文脈について、もっと詳しく説明してくれ」

 竹下は「一般的な文脈では説明できない、特殊なコンテクストのようです」と注釈を付けてからつづけた。

「一人で一品目を大量購入した状況であるとか、定期購入の間隔が無差別的な場合であるとかの、事故的発注が含まれるコンテクストのようです」

「事故的発注?」

「はい。顧客側の購買行動に、何か破綻があったような状況と言えるかもしれません」

「その状態を放置した場合、どうなる?」

「ペルソナが制御不能に陥ると見通しているようです」

「制御不能。なんだ、どういうことだ?」

 ――――

 目に優しい緑の丘陵を、モウモウとウシガエルの鳴き声が響きわたっている。茂木刑事は、窓辺に立って大学キャンパスにある人工池に目をひろげていた。

「ただの偶然だ。濡れ衣と言って良い話だ。いい加減にしれくれないか」

 後方を怒りの声が立ち上った。茂木が振り返った。声の主に目をのばす。今北刑事の質問を怒りの声色で返したのは、武蔵野経済大学教員、村上進だった。リズムヴィレッジ所長の、もう一方の顔だった。

「念のためお聞きしています。何卒ご了承ください」

 今北がなだめることばを返した。

 大沼めぐみは、取り調べ中、鬼川秀一の死にアルバートが関わりを持っていたことを匂わせる供述をした。そのアルバートの開発責任者が村上進だった。しかし、茂木と今北が、村上の研究室を訪れた理由は、その責任者への事情聴取だけが目的ではなかった。大沼めぐみが通っていた施設が、それ以前に起きた、元パパ惨殺事件の容疑者、長澤ゆかりが通っていた施設と同じだからだった。二人を紐づける施設が、リズムヴィレッジだった。それが研究室を訪問させた大きな理由だった。

 聞き取りを始め、今北が二つの事件とリズムヴィレッジとの関わりについて問い質したところで、村上が怒りのことばを立ち上らせたのだ。

 茂木が、応接テーブルに歩み寄り今北のとなりに腰を下ろした。落ち着いた口調で、事前に調べてあった内容を語りはじめた。

「私たちの調べでは、先生が責任者となって開発されている人工知能アルバート。とくにマーケティング・ソリューションに対して優れたAIだと聞いています。しかしリズムヴィレッジの所長でもおられる先生は、認知心理学がご専門。素人目には二つがつながりません。先ずはその二つの接点についてご説明いただきたいのですが」

 茂木の言って聞かせる口調に、落ち着きを取り戻した村上は小さく相槌を返した。

「AIと一口に言ってもいろいろがあるわけです。人間同様、特技が異なる」

 茂木が先をうながすようにして大仰に顔を上下させた。

「AIの現在は、様々なソリューション需要に応じて、それぞれの仕様に特化したものが開発されている」

「将来的には、一人の人間のように、さまざまな問題に意識を持って解決を図れる汎用型AIの開発を理想としているのに対して、現状は、それぞれの特技に応じた特化型が主流ということですね」

 今回の聞き取りのため、事前学習をおこなってきた茂木だった。村上が首肯し、解説をはじめた。

「特化型AIには、探索木と評価関数を用い、直面する局面においての最適手を導き出す、将棋や囲碁、チェスなどで知られた対戦型が有名なのだが、その他いろいろがあるわけです。たとえば、大量の計測値を機械学習させ、異常の有無を検知する異常検知型。GPS等クラウド情報と実際のその場の撮影データなどから高度な航路を設定可能とする、ドローンやロボットカー等で知られる航路予測型。気象や消費需要などのパネルデータを基にし、様々な定量データを機械学習させて需要を予測する需要予測型なども同様です」

 茂木にとっては、事前学習してきた内容を復唱してくれているような内容だった。

「私が開発を手掛けてきたのは、数理モデル化された人間の心理を基にして、属性を異にする様々な人々から取得した興味や関心、そして嗜好を、様々に機械学習させて得られた分析結果から、対象となる人物のパーソナライゼーションを構築するペルソナ型になる。このペルソナ型は、その性質から、マーケティングにおける消費者モデリングの利用にも応用が可能だった」

「先生が認知心理学とマーケティングとの二足の草鞋をとられるようになったのは、それがきっかけだったわけですね」

「そうです。折しも、マーケティングにおいては、ノーマライゼーション、つまり普通の社会、格差のない平等公平な志向性であることが、廻り巡って企業側の利益になることが言われはじめたときだった。人に寄り添った商品開発の必要性が指摘されはじめていた。そのような背景から、マーケティングにアルバートを生かしてくれとの要望が強くなり、この際、二足の草鞋を決意したのです」

「なるほど。村上先生のお立ち場、良くわかりました。そして認知心理学とマーケティングとの関係性についても、説明を聞いて理解いたしました」

 得心した表情の茂木が、慇懃にことばをむけた。

「ところで、ペルソナ型の開発には、鬼川先生も?」。

 二人の横から発せられた今北刑事の問いだった。

「いいえ。関わりは一切ない」

 言下に否定した村上だった。しかしすぐ、物憂げな顔になってつづけた。

「鬼川先生、勘違いしていたんだ」

「どういうことでしょう?」茂木が訊いた。

「彼はペルソナ型を目の敵にしていた」

「と言いますと?」

「彼の学説、社会史健忘症の中で、電子的感染症について、それを誘発する危険性がペルソナ型にあると主張していた」

 そこで思い出した顔の今北が言った。

「じつは以前、その学説についてお伺いしようと、鬼川先生の研究室を訪問していました」

「それは知らなかった」

 記憶にない顔の村上だった。しかしその際、茂木と今北の二人は、聞き取りを終え研究室を出た直後に、村上とすれ違っていた。二人は察していた。その後の村上が、興奮にまかせて、研究室のドアをノックもせずに押し開けて入室していったことを。

「その際、鬼川先生の学説と、長澤ゆかりの事件との関係が話題になりました」

 村上の表情が変わった。感づいた顔の今北が、

「何か、気がかりなことが?」と小声で問いかけた。

「いや、何でもない」

 場を繕った声色。それは明らかだった。疑いの目になった茂木は、声を低くして、「そういえば、鬼川先生。長澤ゆかりの事件を知った時、同じ反応でした」と言って腕を組んだ。

 研究室の中央に立つホワイトボードに目をふった。ゼミ生が作業していたのだろう、マーカーで描かれたカラフルな色の文字があった。「ペルソナ」、「カスタマージャーニー」或いは「ユーザー」などが確認できる。文字の上を、四角い付箋が様々に貼られてあった。ホワイトボードのトレイに目を移した。ヒトガタを象った表紙デザインの冊子が立てかけられてあった。「アルバート」の文字が見えた。解説書だった。

「アルバート、今見させてもらえませんか?」

 茂木のことばには、拒否させない力強さがあった。

 研究室に置かれた大型モニタ画面にヒトガタが映し出された。画面ヘッダーに、グローバルナビゲーションが横一列に並んでいる。「UXD」ボタンが押され、画面にドーナッツ型が映し出された。

「UXデザインと呼ばれる顧客育成サイクルです」村上が言った。

「顧客育成とは?」

 今北の問いに、村上が解説をはじめた。

「見込み顧客を、優良リードへと育て上げることを目的とした施策の総称です。広告であるとかダイレクトメール、セールスプロモーション或いはSNSなどを利用して顧客を育成してゆきます」

 村上が画面を切り替えた。縦と横、それぞれ3列3行に整列させた、計9つの四角いボックスがあらわれた。

「顧客育成のプロセスを概念図にしたものです。この左下隅をスタートして、対角線上右上隅に向けて階段をステップアップしてゆく要領で、ブロック一つ一つを攻略してゆく作業になります」

 村上は、「コンタクトポイント」というボタンが現れた画面右上にカーソルを当て、マウスボタンを押し込んだ。同時に9つのボックスそれぞれが、細胞分裂したたかのように細かなボックスに分割された。

「広告に代表される顧客開拓の窓口は、小さくより双方向的なものに様変わりした」

「小さく? それはどういう意味でしょう?」今北の問いだった。

「かつて企業と消費者とをつなぐ窓口は、マスメディアが主流だった。具体的にはテレビ広告や新聞広告などです。しかしそれらには企業側から消費者側への一方向的なつながりであるという欠点があった。それに換わって、ネットが主流となった今現在、企業と消費者との窓口は、コンタクトポイントと呼ばれるように、小さくそして双方向的ものに様変わりしたのです」

「広告を発信できるメディアが、スマホに代表されるように、手軽な存在になった?」

 今北の指摘に、村上は大きくうなずいた。

「その通り。発信者側にとっては、施策を打つための無限の機会を得たことと同じなのです。つまりコンタクトポイントというのは、そういった無限の機会を得た状況の中で、適切な瞬間という意味を含有している」

 そこで村上は画面をドーナッツ型に戻した。

「UXD、ユーザーエクスペリエンスデザインとは、今説明した顧客育成の上位概念です」

 画面に映るドーナッツ型の上を、時計まわりに6つの文字が溶明してあらわれた。

「要件定義」、「ユーザー調査」、「ユーザーモデリング」、「ユーザー体験設計」、「プロトタイプ制作開発」、「ユーザー調査」――

 カーソルが、「ユーザーモデリング」をヒットした。画面に「ペルソナ」という見出しがあらわれ、つづけて探索木の枝が映し出された。その枝々の先端にシンボルが表示されている。村上があやつるカーソルは、その内の「エンパシー」をヒットした。

「アルバートの核心となる技術です」

「エンパシー?」

 今北がつぶやいた。村上が点頭を返した。

「この役割は、成形されたペルソナに、さらにもう一つのペルソナを寄り添わせ、二体のあいだで会話をさせることにあるんです。それによって、時々に抱く顧客の心理、嗜好や感情の動向をより明瞭化することが可能になり、心持ちに合致した商品の紐づけが容易になるのです」

 画面に映し出されたのは二体のアバターだった。瓜二つだった。互いはそれぞれに合体と離脱、そして溶明と溶暗を繰り返しながら画面の中をうごきまわっていた。じっと眺めていると、どちらが主体でどちらが複製なのかが分からなくなる錯覚を覚えた。

「運用はいつから?」

 茂木の問いに、村上は、「試用期間を終え、今現在は、仕上げのシステムテストを行っているはず」と曖昧に応えて、茂木の視線から目を反らせた。

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