9 AI|アルバートの正体

「めぐみ、今日で三週連続」

 言いながら、片平沙織は、「21」と書かれた四角いポストイットを、「年齢」と表示された項目の下にあるフィールドに張り付けた。

「ラインにも応答ないしねぇ。どうしちゃったのかしら」

 支倉良子は、片平に同調の相槌を返しながら、「女学生」と書かれたポストイットを「職業」と表示されてあった項目の下に貼付した。二人は三週連続無断欠席中の大沼めぐみのことを気にかけていた。

「……趣味とポリシーは?」ゼミ担当教員、村上進が二人の会話を遮るように問いを投げかけてきた、片平は、

「ポリシーは原宿の青文字系カワイイ、趣味は百人一首です」と応えた。

 村上は、ポリシーという属性について、カワイイ文化のファッション系統の名で回答してきたことにやや困惑した顔になりながらも、それをPCに打ち込んだ。そして数行のエピソードを入力し終えたあと、エンターキーを押し込んだ。研究室に設置されてある大型モニタ画面に、描こうとしていたペルソナの全身が鮮やかに浮かび上がる。真横に揃えた茶髪の前髪に青いニット帽、サスペンダーデニムにピンク色のリュックを背負った出で立ちだった。村上はマウスの右ボタンをプレスして、左右上下にドラッグした。すると画面の中のペルソナは、マウスの動きに合わせてフライスルーと呼ばれる宙をおどる動きを返してきた。村上研究室のゼミナールでは、大手マーケティング会社が主催する学生向けのビジネスコンテストに応募するため、要件定義にしたがってユーザーモデリングを行っているところだった。

「……それでは、十七時までにカスタマージャーニーの方、設定をお願いします。特にコンタクトポイントの部分、明確にしておいてください」

 村上は立ち上がると所用があることを告げて研究室を出ていった。その足取りは、研究室を離れてすぐに足早になった。そしてそれが荒々しい勢いに変わったのは、四階から三階へとつづく階段の踊り場に差し掛かったときだった。階段ホールを、サンダルが繰り出す足音がパタンパタンと大きく響き渡っている。それは、彼の内心を象徴する響きでもあった。口元から「鬼川のやつ」ということばが漏れ聞こえた。憎しみがにじんだ声色だった。原因が、大沼めぐみにあることはあきらかだった。

 三階フロアを南北に敷かれた廊下を、北側の方角に進路をとった村上は、進路最奥に視線をのばした。目的の合同研究室から二人の男が出てくるのが視界に入った。村上は躊躇することなくさらに歩を早めた。元来はふくよかで柔和そうな表情は、今は憤然と赤みを帯びていた。研究室から出てきた二人と交差する際、先方から軽く会釈された村上だったのだが、眼に入らない。ふんと無視してすれ違っていった村上を、怪訝な顔の二人が振り返った。目的の部屋の前に立った村上は、憤りの気持ちにまかせたまま、ドアのノブを押しひらいた。

「鬼川先生!」

 村上の怒りを滲ませた声が、合同研究室内をこだました。鬼川が声の主を振り返った。

「ああ、村上先生。どうしたのでしょうか、藪から棒に」

 悪びれることなく、鬼川は冷静な声色で応えた。

「どうもこうもありません。大沼の件です」単刀直入に迫る村上に、鬼川は「どうぞそこへお座りください」と機先を制する口ぶりでテーブル席を促した。そして、「今、刑事さんたちがお見えになっていまして」と応えた。

「刑事?」

「はい。私の研究論文についていろいろと訊いてゆかれました」

 鬼川はつい先ほどに、刑事に見せた学会研究誌の抜き刷りを村上に差し向けた。「社会史健忘症」とある主題が村上の目をよぎる。それを右手で払いのけた村上は、「とぼけるのもいい加減にしてください。大沼は今、何処にいるのですか?」と怒りの顔色になって訊いてきた。

 鬼川は、「さぁ?」と発してから、「何をおっしゃっているのか、私には皆目分かりません」と白を切った。

「惚ける気ですね。それならば私の方にも覚悟がある」

 村上は真っ赤に上気した顔で宣言すると、一通のコピー用紙を鬼川に差し向けてきた。大沼めぐみから村上のプライベートアドレスに送り付けてきたメールのプリントアウトだった。手にとった鬼川が目をはしらせた。

「――親愛なる村上先生へ、

 ご無沙汰しており、誠に申し訳ございません。メールを差し上げましたのは、現在の私の状況を、お世話になった先生だけにはご報告しておかなければと思ってのことです。一方的なお話になるかとは思いますが、どうかご容赦ください。

 さて、私の病について、そんなものは個性だと思え、とアドバイスしてくださったのは村上先生でした。同時に紹介いただいたのが、先生が所長を兼業されている、パーソナル障害を疑われる人々のための自助会、リズムヴィレッジでした(入会したときには、あんなにもたくさんの仲間たちがいたことに、正直おどろきました)。その会の中で私が知ったのは、原因不明のこころの病が世の中に蔓延しているという事実でした。パーソナル障害をはじめとして、ADHD、自閉症、アスペルガー、協調運動障害、チック・トゥレット、言語障害――そして知覚障害に至るまで、それら全てが「個性」だということを知って驚きました。「個性」として括られるその下に、こんなにも多くの病名があることに驚いたのではありません。それら全部を、たったの一個の「個性」で括ってしまえることに驚いたのです。一個で括るには(専門的にはスペクトラムに収めると言うようですが)、それはあまりにも広大すぎます。分類・項目とは、似た者同士を一纏めに総称することに違いありません。それなのに、それらの共通項が、原因不明であることだけで、何故、一個に括ることができるのでしょうか? さらに問題であると思うのは、そもそもの共通項がどれもこれも、未だに解明されていないということです。とある学者は空気中の汚染物質の影響を説き、またワクチン接種やサプリメントが原因だとする研究者もいます。完全母乳哺育による栄養不足が原因だと言う医師もいるし、父親の高齢化との関連性を指摘する論文もあるくらいです。――原因も結果も皆バラバラじゃないですか。それなのに、それら全部を一括りにする(スペクトラムに収める)こと自体、なにかの陰謀と疑わざるを得ない……私はそんなふうに考えをすすめてゆきました。そして自助会、リズムヴィレッジそのものにも疑惑を持つようになりました。会を先生に無断で退会したのはそれが理由でした。鬼川先生が本学に着任されたのはその頃でした。

 彼は、着任されてすぐに私に声をかけてくださいました。「君の助けになりたい」とおっしゃっていただき、私、鬼川先生との契約を結びました。……このこと、誤解していただきたくありません。彼が行っていた研究の被験者としての契約です。その申し出を受け入れたのは、私たちが罹患している「個性」という病の特性を、「社会史健忘症」であると指摘し、その原因を「社会変化の速度」でありその具体が、電子的感染症であるとすっきりと解明してくださったからです。社会史健忘症……それはつまり、有史以降の私たちが形成してきた社会とは、それは、時間を摩滅させてゆく方向性にある、という指摘でもありました。その方向性は、現在さらにより一層、速度を速め、そしてついには、我々の周囲をながれている時間を消し去り、過去も現在も未来も完全に消滅させてしまう、そんなSF的未来もそう遠くないと彼は警告してくれています。私は、大学内で受講してきた数多ある授業や演習の中にあって、彼のその問題意識に出会えたことが唯一の収穫だったと確信しました。――もう学ぶことは何もない。大学を去る決意をかためたのはそのときでした。その後、私たちは、研究者と被験者、いいえ。正確に言うならば『試料』との関係を超え、今に至っています。

 村上先生、本当にごめんなさい。裏切るようなことをして。でも今は、もうどうすることもできません。私は、彼を心から愛しています。変な近況報告となってしまったこと、また、これまでの先生が私に対して注ぎ続けてくれた望外な愛について、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。そしてさようなら」

 メールを読み終えた鬼川は、黒眼鏡の柄に手をかけて、面前に憤然として立つ村上進を、その柄の陰から覗きみた。大沼から一方的に送り付けられてきた離別宣告を受けた村上の、心境を推し量ってのことだった。心痛度合いによっては、自分の身に危険が及ぶかもしれなかった。みずからの不義を省みない、覚悟を決めた行為なのだから可能性は十分にあった。そしてもう一つ、予期すべき危機があった。村上という人物の背後に潜むもの――アルバートだった。

「……分かりました。正直にお話ししましょう」

 切り出した鬼川は、目の前にあるスツールを手前に引いて、腰をおろした。テーブルの脇に立つ村上は依然として怒りに身を震わせている。もう一つのスツールを押し滑らせた鬼川は、腕を組み、「お座りください」と着席をうながした。しかし高鳴る私情を抑えられないのだろう、村上は要請をふんと無視してテーブルの角に片手をつくと、「あんた、何を企んでいる」と言って、鬼川に顔を寄せてきた。

「先生、それはお互い様でしょう」

 寄せてきた村上の顔面に向けて鬼川は自らの目顔を突き返した。

「何をっ!」

「隠さなくても承知のことですよ。リズムヴィレッジのこと」

 村上は唐突に背を引いた。興奮が急に覚めた顔色になった。

「あなたは、大沼をそこへ誘い込んだ。――そうでしょ?」

「何のことだ?」突然に形勢が逆転したかのような状況だった。

「心理ケア施設というのは表向きのこと、あれは、実験場だ」

 吐き捨てられたようなことばに押されて、村上は後ずさった。

「何を証拠に」

「証拠、ご覧になりますか?」

 鬼川は平然と立ち上がると、スチール製ラックに歩み寄り、先ほどに戻した官能検査結果が納められた分厚いファイルの中からクリアファイルを抜き取った。そして抜き取ったものを村上にむけてテーブルの上を滑らせた。透明のシートを透かして『新世代型アルバート要件定義書』のタイトルが見えている。一瞥した村上の顔色が変わった。

「先生の研究室が、外部ベンダーと共同開発されているアルバートの最新型システム設計書の一部です」

 指摘されるまでもなく知った村上だった。彼の研究室とソフト開発ベンダー、システム・パートナーズとが、現在共同開発をおこなっている最新型アルバートの設計書だった。

「どうしてこれを?」

 村上の問いに、「そんなことは問題ではありません」と出所を秘匿した鬼川は、

「そこに書かれてあるシステムの目的について、この場で応えられますか?」と泰然とした口調で問い返した。

 アルバートの最新型が目指す目的を問われ、村上は押し黙った。見込み顧客(リード)の発掘と、その育成とを行い、ホットリード(優良顧客)を見いだすことを目的とするマーケティング・オートメーションであるのだが、新世代型は違っていた。目的は、そのさらなる先に設定されていた。その事実を、村上は表明できなかった。

「言えないのならば私から説明しましょう」

 鬼川は、キャスター付きのラックに収められ、研究室の中央におかれてある白いテーブルの横に立つ大型液晶画面を村上に振り向けた。そしてリモートコントローラーで電源を入れた鬼川は、ノートPCの液晶画面を点らせた。

「マーケティング・オートメーションとは、顧客のポイント化に他ならない。そのポイントを、様々な打ち手を利用し高めることによってホットリードに育て上げる。それが従来からある目的だった」

 そこで手元のPC画面に映し出された画像を確認した鬼川は、拡張した大型液晶画面に送り込んだ。村上の瞳を、ヒトガタにデザインされたマークがよぎった。

「しかしあなた方が開発中の最新型アルバートの目的は、それだけではなかった。数値化された顧客のポイントを、独自にモデリングしたペルソナに移植できるシステムを開発し、その後の行動をコントロールできるように進化させようとしている。そして驚くべきことに、あなた方は操作可能としたそのペルソナを、ホットリードと呼ばれる優良顧客たちに逆移植しようとしているんだ。つまり、この最新型の目的とは、完全なる顧客操作に他ならない。そして、信頼性をさらに高めたいあなた方は、あの心理ケア施設を利用した。何故ならば、施設の会員であるハイパーショッパーたちは、アルバートにとって、この上もなく優良なホットリードだからだ」

「何を馬鹿なことを……」

 鬼川の説明を聞き入っていた村上が突然に声を上げて笑いはじめた。笑い声は、異様に甲高いヒステリックな色を帯びていた。見破られた気恥ずかしさを笑ってごまかしたいのに、動揺しているからなのだろう、その笑いの度合いが制御できないのだった。

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