3 リズムヴィレッジ

 トレーニングルームを流れはじめたのは、ハープとアコースティックギターが重なり合った透明感あふれた穏やかなムードミュージックだった。メロディに合わせるようにしてセラピストが語りはじめた。

「皆さんお仲間です。先ずは握手からはじめましょう」

 うながされて、セッション参加者たちが、互いに差し出し合う、手と手とをつなぎ合わせた。

「遠慮なくこころをひらいてください。手を取り合って、互いのことを知り合うことからはじめましょう」

 ぎこちない動きでありながらも、参加者たちは作り笑いを浮かべ、取り合った手と手を、流れる音楽に合わせて前後におおきく揺らしはじめた。

「全身を大きくひろげるようにして、こころをひらきましょう。さぁ、互いの身体をさすり合い、互いに励まし合いましょう。手のひらから、上腕部に向け、そして肩から背、腰にかけて、大きくゆったりと、メロディに合わせるようにして」

 指示にしたがい、参加者たちが互いの身体をさすり、励まし合うことばを交わしはじめた。

「無理しないで頂戴ね。あなたのできる範囲でいいのです」

「よく頑張ってきました。その調子、その調子」

「頑張れがんばれ、木村さん。頑張ればがんばれ諸岡くん」

 やがて参加者の一人から、手拍子があがった。それが契機となってあちこちから追従の手拍子がたちのぼった。背後を穏やかに流れていたムードミュージックが、リズミカルなレゲェに移り変わっていた。

「さぁ、皆さん。もっと大きく、こころをもっともっと大きくひらくように、大きな一つの音にして」

 互いにばらばらに送り合っていた手拍子が、次第に共鳴しあい揃え音を立てはじめた。

「皆さんのこころが、大きな一つの光になろうとしています。さあ、さらに大きくもっともっと」

 誰からともなく、手拍子に合わせ、足拍子を鳴らしはじめた。立ち上るそれぞれの揃え音が、さらに大きく共鳴し合ってトレーニングルーム全体をつつみこむ。セラピストが声を張りあげた。

「さあ、ふたたびまた、全員で手を繋ぎ合いましょう」

 …………

「――彼らが今おこなっているセッションが、集団精神療法の一つであるダンスセラピーになります」

 煌々とかがやくトレーニングルームに目顔を送った村上進が、着席して見入る見学者たちにことばをむけた。セッションが望めるモニタリングルームだった。室内に灯りがないのは、トレーニングルームにあるマジックミラーを通して眺めているからだった。だから見学者の姿は、セッション参加者からは見えなかった。

「本施設、リズムヴィレッジが提供しているプログラムの中で、最も人気のあるセッションになります」

 小声になって村上が説明をつづけている。見学者が興味深げな視線を、マジックミラーの向こう側にむけていた。集音マイクを通じて、セラピストの声がながれつづけている。

「さあ、つないだ手と手をしっかりと握り締め合いながら、頭上を仰ぎ見てください」

 流れる曲は、レゲェから女性ボーカルの歌曲に変わっていた。力強く、高揚感のある曲だった。

 指示にしたがい、セッション参加者たちは、手をとり合い、頭上をあおぎみる態勢になっていた。

「皆さんで、その大きな光の輪をいっせいに持ち上げましょう」

セラピストの声をうけ、参加者たちが、全身を伸び上げるようにして繋いだ手と手を上方に翳し合う。握り合った手と手が輻射光を形づくり、大きな「光」をあらわしている光景だった。彼らの表情は、皆生き生きと輝いていた。

「さぁ今度は、その大きな光を、皆さんそれぞれで分かち合いましょう」

 指示を受けて、繋がれていた手のひらの五指を、ぱっとひらかせた参加者たちは、銘々に手のひらを輪にして、それを自らの胸に引き寄せた。

 ――――

「業種を超えたコンプライアンスの一環として設立されたリズムヴィレッジは、現在は、製薬業界が中心となって、通信業界、通販大手、そしてオンライン企業といった、通信サービス事業にかかわる業界団体及び企業が、コンソーシアム、共同事業体となって運営をおこなっています」

 ホールの各所に設置された大型プラズマモニタ画面に、ドローンで撮影された、施設全体を俯瞰する映像が映し出されていた。採光がデザインされた白を基調とした真新しいイベントホールだった。 

 村上進は、施設の見学を終えた一行をホールに集合させて、施設開設の概要説明をおこなっていた。

「専任であるカウンセラー全員が、国家資格である公認心理士或いは精神保健心理士の免許を取得しており、診療心理査定やカウンセリング、メンタル、リラクゼーションを中心とした各種セラピー等、支持的精神療法に特化した、心理ケアサービス活動をおこなっております」

 そこで腕時計に目をふった村上は、「申し訳ございません。ここで案内を交代させていただきます」と一言告げて、スタッフの一人にマイクを手渡した。村上は、腰を低くして見学者たちの間を足早に通り抜け、バックヤードに位置する《スタッフ専用》と記されたドアの前に立った。そして首にかけたIDカードをリーダーに翳すと、ホールを振り返り一礼してドアの向こうに姿を消した。

 新設間もないリズムヴィレッジは、事務局内部もまた白を基調とした配色に、手摺りや什器スタンド等に、寄木を設えたモダンなインテリアデザインになっていた。一階の通路をエントランスの方向に進む。見晴らしの良い吹き抜けに立つ螺旋階段は、事務局のランドマークだった。そのステップに足をかけた村上は、ふと思いだした顔になって近くにいたスタッフに一言、二言、小声をなげかけた。階段を駆け上がり、階上フロアの通路を所長室にむかう。所長室前の秘書席で、村上を待ち構えていた秘書が立ち上がった。秘書は、村上と視線があったところで隣接する部屋に目顔を送った。《応接室》と記された部屋だった。

「すでにお待ちです」秘書は、村上の点頭を待ってから、ドアをノックし押し開けた。

 村上は、「お待たせして申し訳ありません」と慇懃に言って足を踏み入れた。登場を窓辺に立ち並んで待ち構えていたのは、二人の男だった。視線を交わし合った。

「こちらこそ、お忙しいところ突然に恐縮です」

 歳のいった太り肉の男の方が歩み寄ってきた。温和な体躯とは裏腹の鋭い視線の男だった。手渡された名刺を目でなぞった。

 ――池袋中央警察署刑事課強行犯捜査係係長 茂木和弘。

 若い側は、「今北です」とだけ告げて、頭を下げた。

 ソファに着座をうながした村上は、「お話しは伺っています」と落ち着いた口調をむけて、二人の正面に腰をおろした。茂木が隣席に目顔をおくる。

 呼応して、今北刑事が内ポケットから写真をとりだし、テーブルの上を村上にむけてすべらせた。若い女の顔写真だった。前傾姿勢になって一瞥した村上は、首を左右にふりながら、背を後方にゆだねた。そして独り言のようにつぶやいた。

「信じられない」

 暗く沈んだ声色だった。姿勢をもどし、茂木に目をのばす。両肩を大きく上下させてから口をひらいた。

「間違いありません。施設に通っている長澤ゆかりさんです」

 茂木と今北とが顔を見合わせ、互いに同調のシグナルを交わし合う。

「まだ捜査段階であり、詳しいことは申し上げられないのですが、今般、重要参考人として彼女を取り調べているところです。つきましては、普段の彼女について、お聞きしたいことがあって伺いました」

 村上は、事情を察しているかのように「詳しい者を呼んでおります」と応え席を立つと、ドアに歩み寄って引き開けた。そして身を乗り出し、「矢沢君を呼んであるから、着たら入室させて」と秘書にむけて声をかけた。

 ――――

「薬などをつかわずに、ことばや五感などの非言語手段をつかって治療する方法をサイコセラピーといいます」

 村上が呼び寄せた、施設のリーダーセラピストの一人、矢沢のことばだった。白いTシャツにうす青色のケーシーを羽織った男は、両袖から小麦色に日焼けした太い二の腕をのぞかせていた。

「サイコセラピーには、対象者の心理を、変化、発展させる方向性の療法と、対象者が今保持している機能を最大限いかしてもらうことを目的とする療法の二つに大別することができます。我々の施設では、その内の後者に特化した心理ケアをおこなっています」

 そこで村上が補足のことばを付け加えた。

「……ですので、利用されている方々の多くは、パーソナル障害が原因である行為依存など、比較的症状の軽い方々がほとんどです。本施設のコンセプトを端的に言いますと、サイコ・ライトジム――こころのもやもやの気になる方々が、時間や傍目を気にせずに、気軽に利用してもらえることを狙った、心理ケア施設になります」

 手帳に書き留める手を止めた茂木が訊いた。

「プログラムにはどのようなものが?」

 矢沢が、差し向けたタブレットの画面を、右手人差し指の先端でスワイプさせながら説明をはじめた。

「ゲーム感覚で心理査定がおこなえるプログラムをはじめとして、言語カウンセリングはもちろんのこと、絵画や音楽を利用した、アートセラピー。そして集団精神療法を期待したサイコドラマ等、多彩なセッションが用意されています」

 得心した顔の茂木が、隣席に目配せした。点頭を返した今北が問いを向けた。

「長澤さんは、どのようなセッションに参加されていたのでしょうか?」

 一旦、村上にむけて確認の目をふった矢沢が小声で応えた。

「非言語療法がお気に入りでした。中でもダンスセラピーには積極的だったと思います」

「ダンスセラピー?」

「療法的には、集団精神療法の内の一つで、フィットネス感覚で参加される方々が多くいます」

 矢沢はタブレットのメニューにある「ダンスセラピー」をタップして画面を遷移させた。今北が覗き込む。「ダーウィン」の文字が目に付いた。

「一口にダンスセラピーと申しましても、理論的、療法的にさまざまなものがあります。私どもがサービスしておりますセッションの理論のベースになるのは、ダーウィンが提唱しました動物の身体表現を受け継ぐ、ラバン身体動作表現理論です」

「詳しいことをお聞きできますか?」

 今北の問いに「もちろんです」と応えた矢沢が、その後をつづけた。

「ヒトラーとほぼ同年代の人物、オーストリアのダンス理論家、ルドルフ・ラバンは、動物の身体表現には、威嚇と服従との二つがあるとするダーウィンの理論を発展させて、舞踊における身体動作を戦闘と陶酔との二極構造と考えました。そして身体符、つまり様々な動作を符号に分解し、それら符号を用いてラバノテーションと呼ばれる舞踊の記譜法、つまり舞踊動作の体系化をおこなったのです。これがそのスケッチになります」

 遷移した画面に映し出されたのが、音楽の五線譜を縦にしたような形の図だった。

「中央にある縦線が身体の中心線をあらわしていて、向かって右側が身体右側の動作、向かって左側が身体左側の動作をあらわす符号となっています」

 今北が興味深げに画面をのぞきこむ。矢沢が言った。

「私どもが実施しているダンスセラピーは、このラバンの身体二極構造をベースとして構築されたものになります」

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