<秘密> 17

だが次の日も茜は学校を休んだ。



放課後、

俺は一度家に帰ってから

翔太との約束を果たすために

自転車で茜の家へ向かった。

茜の家に行くのは初めてだった。


茜の家のある住吉町は

俺にはあまり馴染みのない地区だった。

古くからの家が立ち並ぶその町並みは

どこにでもある長閑な下町だった。

連絡網に書かれた住所を頼りに

茜の家を探していると、

どこからともなくピアノの音色が聞こえてきた。

その音色に誘われて

俺は一軒の家の前に辿り着いた。

門の表札には「塚本」と書かれていた。

その時ピアノの曲が

パッヘルベルの「カノン」から突然、

フォーレの「パヴァーヌ」へと変わった。


門を入ると、

目の前には見たことのある光景が広がっていた。

それは大吾のビデオに映っていた家だった。

俺は少し緊張していた。

一度大きく深呼吸をしてから

玄関のベルを鳴らした。


中から

「はーい」

という少女の元気な声が聞こえてきた。

勢いよく開かれたドアから顔を覗かせた

茜の表情が笑顔から驚きへと変わった。

しかしそれも一瞬のことで、

「あら、あっくん。どうぞ、上がって」

とすぐに笑顔に戻った。


母親は晩御飯の買い物に出かけているらしく

家には茜一人だった。

俺はピアノのある部屋に通された。

すぐに茜がお盆にカップを二つ載せて戻ってきた。

「あっくん、そこに座って」

そう言いながら茜は

ソファーの間のテーブルにカップを置いた。

「あっくんが訪ねてくるなんて初めてね、

 すごく嬉しいわ」

茜は俺と向かい合って座った。


普段と変わらない茜を目の前に、

俺はいささか戸惑っていた。

「もう風邪は大丈夫なのか?」

「うん・・」

俺の問いに茜は小さく頷いてから

両手でカップを持つと口元へ運んだ。

「翔太も洋も心配してたぞ」

茜はそれには答えず

「ふー。ふー」とカップに息を吹きかけていた。

仕方なく俺もカップを手にとった。

口を近づけるとベルガモットの独特な芳香が

鼻腔に広がった。


コツコツコツコツ・・。


壁時計の音がメトロノームのように

規則的なリズムを刻んでいた。

俺達はどちらも口を開かなかった。

いつの間にか重苦しい空気が

室内を包み込んでいた。


「ねぇ、あっくん。煙草吸いたくない?」

その空気を破るように茜が口を開いた。

「でもお母さんが帰ってきたらマズイだろ?」

「うん。だから外に出ようよ」

「外?」

「先に『Riverside Doom』に行ってて。

 私もすぐに行くから」

いつ母親が帰ってくるかわからないこの状況なら、

たしかに場所を変えた方が

話しやすいかもしれない。


俺は煙草とライターの入ったポーチを受け取って

茜の家を出た。

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