<真実> 5

その日の放課後、

一目散に教室から出ていこうとしていた翔太を

俺は呼び止めた。

「どうしたの、あっくん?

 今日はあっくんも塾だし

 茜ちゃんもピアノのレッスンだから、

 集まらないんじゃなかった?」

「ああ。

 そうなんだけどさ、

 ちょっと翔太に聞きたいことがあってさ。

 途中まで一緒に帰ろうぜ」


校門を出てからすぐに俺は本題を切り出した。

「変なことを聞くけどさ」

「うん。どうしたの?」

翔太は呑気に空を見上げながら歩いていた。

「真面目に答えて欲しいんだ。

 俺は翔太のためならできる限り協力するからさ」

「ど、どうしたの?突然」

翔太の顔に緊張の色が浮かんだ。


「翔太はさ、

 やっぱり茜のことが好きなんだよな?」

「えっ!」

「どうなんだ?

 お前が茜のことを好きなら、

 俺は応援したいんだ」

俺は翔太の返事を待たずに畳みかけた。

「・・う、うん、ありがとう」

俺のただならぬ気配に

翔太は明らかに戸惑っていた。

余計なお世話だったか。

しかし洋の気持ちが茜に向いている以上、

のんびりとしているわけにはいかない。

洋の気持ちは止めることはできないが、

翔太と茜が先にくっついてしまえば

諦めざるを得ないだろう。


しばらくして翔太は一言一言

何かを確認するように口を開いた。

「・・実は僕にもよくわからないんだ。

 あの夜、

 浜辺で見た茜ちゃんの一面に

 驚いたっていうか・・」

またしても「夏休みの別荘」だ。


「あの時はアルコールも入ってた。

 それに暗かったし、

 茜も気が大きくなってあんな姿を晒したんだよ」

そんな俺の言葉にも

翔太は納得していないようだった。

それでも俺は説得しなければならない。

「で、でも・・それだけじゃないんだ・・」

翔太の返事は歯切れが悪かった。

「でも?何だよ。

 他に気になることがあるのか?」

翔太は迷っているようだった。

俺は何も言わずに翔太の目を見た。

しばらくして翔太が渋々と口を開いた。


「大吾が落ちたあの日のこと・・」

「うん?」

突然、大吾の名前が出てきたことに俺は困惑した。

正直なところ、

俺は大吾の件を蒸し返したくなかった。

「僕ははっきりと覚えてる」

翔太が何を言い出すのか、微かな不安がよぎった。


「あっくんはあの時、

 僕達のいた場所を覚えてる?」

「俺達のいた場所?」

翔太の言葉に俺はゆっくりと記憶の糸を手繰った。


俺と洋は南西の端にいた。

屋上へ通じる排水管は北北東にある。

その排水管を伝って

下から上がってこようとしていた大吾。

そして上で怯えていたのが翔太と茜だ。


「大吾が排水管を上り始める前、

 僕はまだ茜ちゃんから離れた所にいたんだ」

あの時、翔太は煙草を口実に

茜のところへ戻っていった。

洋が俺に

「わかりやすいだろ?」

と意味深な視線を投げてきたことを思い出した。

「あの時、

 茜ちゃんが下にいる大吾に話しかける声が

 聞こえてきたんだ」


茜の声に翔太は足を止めた。

「大吾さん、私が欲しいんでしょ?

 ここを上って来られたら、

 私のことを好きにしてもいいわよ」

茜は大吾にそう言葉をかけていた。

「茜ちゃんの言葉の意味を

 すぐには理解できなかったんだ」

翔太はそう付け加えた。


茜は火の点いた煙草を指に挟んだまま

下を覗き込んでいた。

「本当だろうな」

下から大吾のだみ声がした。

「ええ。私の体を見て、

 その手で触りたいでしょ?」

「その言葉、冗談じゃすまねえぞ」


茜が一歩前に踏み出した。

茜が指で煙草を弾くと、

煙草は回転しながら下へと落ちていった。

そして茜は両手でスカートの裾を捲り上げた。

「この中がどうなってるか知りたいんでしょ?」

翔太は二人のやり取りを

ぼんやりとした頭で聞いていた。

夢を見ているようだったと言った。

そして下にいる大吾が

今まさに目にしている光景を想像すると、

翔太の中に怒りと嫉妬の入り混じった感情が

芽生えた。

「それに。

 大吾さんだけ下で待ってるのって

 男として情けないわ」

「へっ、すぐにそっちに行ってやるよ」


「宇宙人が茜ちゃんの体を

 乗っ取ってるんじゃないかと思った」

そう言って翔太は大きくため息を吐いた。

そこから先は翔太の記憶も曖昧だった。


大吾の「助けてくれー」という叫び声で、

翔太はすぐに茜の隣に駆け寄った。

下を覗くと

排水管にしがみついている大吾が見えた。

大吾の足は必死に排水管を掴もうと

足掻いていたが、

壁にピタリと沿うように設置されている

排水管には巻き付けることができなかった。

時折、足が排水管から外れて空中を蹴った。


「無理だぁ~!」

大吾がふたたび叫んだ。

しかしその叫びは隣の茜の悲鳴によって

かき消された。

そして翔太は腹の底から声を出した。

「あっくん、洋!」


そこから先は俺も知っている通りだ。

今でも大吾の体が

地面にぶつかった時の映像と音が

俺の記憶にはっきりと残っている。


「・・何が言いたいんだ?」

俺は翔太に気付かれないように小さく息を吸った。

「茜ちゃんがあんなことを言わなかったら、

 大吾は上ってこようなんて

 思わなかったんじゃないかって」

俺は何も言わなかった。


「茜ちゃんは何であんなことを言ったんだろう?

 ねぇ、あっくん、どう思う?」

俺は返すべき言葉を探した。

茜が明らかに大吾を挑発していたとして、

そして大吾がその挑発に乗ったとしても、

その結果を茜が予想していたとは限らない。

茜はただ、大吾を揶揄っただけなのだ。

結局は大吾の自己責任なのだ。


『本当にそう思うのか?』


・・。


『熊谷大吾があの排水管に手をかけた時点で、

 その結果は誰の目にも明らかだ』


・・。


『塚本茜は熊谷大吾が死ぬことを予想していた。

 そして塚本茜はそれを望んでいた。

 積極的な殺意から生まれた消極的な殺人だ』


違う。

俺は頭を振って心の声に反対した。


そうだとしても。

たとえ茜が大吾の死を望んでいたとしても。

それは望んでいたというだけの話。

他人の死を願うことが罪に問われるのであれば、

この世は罪人だらけだ。


『詭弁だ』


詭弁ではない。

たしかに茜の囁きは

大吾にとって死の子守歌となった。

それが事実だとしても。

茜の考えまでは他人にはわからない。

そもそもなぜ茜が大吾を殺そうと思うのか。

そう自問したところで俺はその存在に気付いた。


『そうだ。あのビデオテープだよ』


動機がある人間がすべて殺人者なら

この世は罪人だらけになる・・。

俺は力なく心の声に反論した。


「僕は茜ちゃんのことを

 何もわかってなかったんだ・・」

翔太は寂しそうに呟いた。

「な、何を言ってるんだよ。

 考えすぎなんだよ、翔太は。

 茜はちょっと大吾を揶揄ってみただけさ。

 大吾があんなことになるなんて

 茜にだってわからなかったんだ」

「あっくんはそう言うけど。

 あの夜の浜辺のことだって・・」

翔太はそこに拘っていた。

「さっきも言っただろ?

 あれはアルコールのせいだ」

「いくらお酒を飲んでたって、

 女の子が人前で裸になるかな・・」

茜が俺達の前で裸を晒したことが

翔太は許せないのか。

片や洋はそんな茜に惹かれた。

「俺達だって裸だったろ?

 翔太は男と女で差別するのか?」

詭弁だった。

それでも俺は茜の肩を持った。

「そ、それは・・。

 でももう僕、

 茜ちゃんを今までのように

 見ることができないよ」

俺はそれ以上何も言えなかった。

そこから俺達は黙って歩いた。


「じゃあ、あっくん。

 また明日。

 今日は家でガブリエルと遊ぶよ!」

ガブリエルとは翔太が飼っている猫の名前だ。

丁字路を右折して駆けていく翔太の後姿を

俺はただ黙って見送った。

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