<起承> 2

女が俺を見下ろしていた。

目に飛び込んできたその女の顔に

俺は驚いて飛び起きた。

一瞬で目が覚めた。


そこに立っていた女は

紛れもなく記憶の中の母だった。

しかし。

そんなはずはない。

両親は俺が二十歳のときに死んでいる。


「・・か、かあさん?」

それでも俺は無意識に

目の前の女を母と呼んでいた。

母にそっくりな女は怪訝な表情を浮かべた。

「何をそんなに驚いてるのよ。

 早く顔を洗ってご飯を食べなさい。

 お父さんはもう出かけたわよ」


女はそう言うと部屋から出ていった。

どうやら俺はまだ夢をミているようだ。

ベッドから降りると

体に重力を感じてふらついた。

夢にしてはリアルだった。


そこでようやく俺は部屋の異変に気付いた。

ここは俺の家ではない。

しかし俺はこの部屋に見覚えがあった。

この部屋は。


昔住んでいた稲置市の家の部屋だった。

小学校六年生の新学期が始まる前に

引っ越してきて、

それから中学校を卒業するまでの

四年間を俺はこの部屋で過ごした。

勉強机、それにベッドや本棚。

何もかもが当時のままだった。


懐かしいなどと

思い出に耽っている場合ではなかった。

徐々に頭がはっきりとしていく中で、

今のこの状況が夢ではないことを

俺は理解しつつあった。


俺は混乱した頭のままドアを開けた。

そして恐る恐る廊下に出た。

そこも記憶の中の景色と同じだった。

やはり。

ここは紛れもなく

昔俺が住んでいた稲置市の家だ。


俺は足音を立てないように

そうっと足を踏み出した。

階段の手前にある洗面所の前に差し掛かったとき、

鏡に映った自分の顔を見て俺は固まった。

毎朝見ている自分の顔が、

今はまったく違っていた。


鏡に映った俺の顔は、幼かった。

俺の頭は完全に混乱した。


その時、階下から声がした。

「あっくん、

 お母さんも今朝は早く出かけるから

 急いでご飯を食べなさい」

俺は階段を駆け下りた。

ダイニングルームには

先ほどの母にそっくりな女がいて、

テーブルには一人分の朝食が用意されていた。


「か、かあさん・・」

俺は震える声で呼びかけた。

「やっと起きたのね。

 お母さんは

 出かける準備をしないといけないから、

 食べ終わったら自分で洗っておくのよ」

「・・か、かあさん?」

俺はもう一度呼びかけた。

「どうしたの?

 今朝のあっくんは何か変ね。

 具合でも悪いのかしら」

たしかに爽快な目覚めとはいかなかったが

決して具合が悪いわけではない。

しかし頭はおかしくなったようだ。


これは現実なのか。

夢でないことだけは辛うじて理解している。

しかし、

だからといって

この状況を受け入れることは

俺の理性が許さなかった。


「新しい学校にまだ馴染めてないのかしら。

 転入してもう一週間になるのよ。

 そろそろお友達も出来たでしょう?」

「あ、ああ・・」

俺はあいまいに返事をした。


信じ難いが

目の前にいる母にそっくりなこの女は

紛れもなく母のようだ。

そして母の言葉からすると

今は一九八九年(平成元年)ということになる。

俺はこの春、

稲置市立中之島小学校六年三組に転入したのだ。


そこで俺は先ほどの鏡に映った自分の顔に

合点がいった。

しかし。

なぜ、こんなことになっているのか。

俺の頭はより一層混乱した。

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